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異世界資格マスター ~最弱村人から始める資格無双。試験分析EXで世界をアップデートします~  作者: 東雲 諒杏
第五章「貴族の宴と神殿の影」

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152/157

第152話 配膳は誰でも合法


「――神官長」


 声が震えていた。右手も震えていた。


 社交性十八。宴の三十人の視線の一日後に、今日は百人の視線がある。


 それでも、言った。


「一つ、確認させてください。神殿の教義は、王国の規程ではありませんね」

「何を言う」

「王国の『魔物由来食材、流通規程』です」


 私は腰の板を外して、路地の石の上に置いた。置いて、開いた。


 四十日のあいだに写し終えた、二十四条がそこにある。


 解体場の作業台の脇で、仕事の合間に一条ずつ、炭で板に写した。


 写し終えたとき、私は二十四条の中に『配膳』という語が一度も出ないことに気づいた。気づいて、板の右の欄に一行書いた。『配膳は、誰がしてもよいのか』。


 確かめていない欄の、六行目である。


 答えを確かめられれば、この疑問を左の「分かったこと」の欄へ移せる。


「第八条。有毒部位の処理は、魔物調理師C級以上の監督下で行う。処理は、私がしました。第十五条。流通先を資格院に届け出る。届けは、受理されました」


 私は顔を上げた。


「第一条から第二十四条まで、『配膳』に関する規定は、一つもありません」


 神官長は動かなかった。


「配膳は、規程の対象外です。……つまり、誰が配膳しても合法です。ミラでも。ルナでも。神官長ご自身でも」


 後ろの痩せた神官が、口を開きかけた。


 開きかけて、閉じた。閉じた理由は、反論が思いつかなかったからではないように見えた。

「規程の話をしているのではない。教義の話を」

「教義は、資格院の規程に優先するのですか」


 私の声は、まだ震えていた。条文を暗記していても、向かいに人が立てば、それだけでは足りない。


 背後で、椀がそっと置かれる音がした。


 私は振り返らなかった。今ここで振り返れば、誰かに代わってほしくなる。最後の一文まで、自分の声で言った。


◇◇◇


 路地が、静まった。


 賭けだった。


 資格神殿と資格院。三千年、共に歩いてきた二つである。どちらが上かは、図鑑にも書かれていなかった。


 書かれていないものを、私は人の口から聞こうとしていた。


 長い沈黙があった。


 沈黙のあいだ、列は動かなかった。桶屋の女房が椀を数える手を止めていた。マーサが戸口で木の匙を持ち直した。


 持ち直して、彼女は一歩前に出た。


「神官長様。うちの店の軒下でやってることです。文句があるなら、うちに」

「女将」


 私は彼女を止めた。


「規程の話をしています。店の話ではありません」

「……店の話にしたほうが、早く済むよ」

「早く済んだら、来年も来ます」


 彼女は口をつぐんだ。つぐんで、匙を下げた。


 早く済ませる方法と、来年も来させない方法は、別である。


「……優先せぬ」


 彼は言った。


 声の大きさは、さっきと同じだった。小さくしなかったのが、この老人の誠実さだと思う。


「資格の刻印は、神殿が行う。だが資格の運用は、資格院が行う。三千年前、神がそう分けた」


 彼は白い袖を少し上げた。


「教義は、刻印に及ぶ。運用には及ばぬ」

「では、配膳は」

「……運用だ」


 認めた。


 認めて、彼は動かなかった。


 列の中で、誰かが息を吐いた。


 長く止めていた息だった。吐いたのは、ヨナスの倅だったと思う。椀を二つ抱えたまま、肩が下がった。


◇◇◇


「そなたの言い分は、正しい。規程上は」


 彼はそれを先に言った。言ってから、一歩だけ近づいた。


「だがレオン・シラハネ。そなたはなぜ、その娘を庇う」


 庇う。


 庇っているのか、と私は考えた。考えて、答えが出なかった。


 出ないまま、答えた。


「……庇っていません。ミラが配膳しなければ、この百人にスープは届きません」


 私は鍋を見た。


「私は鍋を持っています。二つの手で、鍋と匙は持てません」

「他の者に配膳させればよい」

「他の者は、二十三人の名前を知りません」


 椀を指した。ルナの椀である。底に『ルナ』と書いてある。


「ミラは、全員の名前を知っています。名前を椀に書いたのは、ミラです。誰がどの椀か、ミラしか分かりません」


 神官長が、椀を見た。


「取り合いがなくなったのは、ミラが字を覚えたからです。覚える前は、毎晩、椀の取り合いで一人か二人が泣いていました」


 泣いた子の数を、私は三日だけ数えた。三日で五人だった。


 五人のうち三人は、同じ子である。小さい子は、押されれば後ろに行く。後ろに行けば、鍋が空になる。


 名前を書いたのは、ミラが自分で思いついた方法だった。


 彼女は夜、食堂の裏の壁で字を覚えた。覚える順番は、子どもの名前の順だった。一番小さい子の名前から覚えた。


 神官長は、それを聞いていた。


 聞いて、しばらく何も言わなかった。


「……字を教えたのは、そなたか」

「私です」

「なぜ」

「名前を書けば、取り合いが減ると、彼女が言ったからです」


 正確には、彼女はそう言っていない。


 彼女は「名前があれば、分かる」と言った。その一言から、椀に名前を書く方法まで、彼女が自分で組み立てた。


 組み立てた方法に、私は字を貸しただけである。


「……組み立てたのは、娘か」

「はい」

「そなたではなく」

「私は、四十の字を教えました。……椀に書くことは、思いつきませんでした」


 白い髭が、動いた。


 動いた形は、笑いに似ていた。似ていたが、笑いではなかったのだと思う。


◇◇◇


「……レオン・シラハネ」


 彼は私の名を、初めて呼んだ。


「そなたは、規程を読む」

「読みます」

「読んで、どうする」

「隙間を探します」


 正直に答えた。隠す意味がなかった。


「隙間に入って、通る。……通ったものは、次の者も通れます」

「隙間は、塞がれる」

「塞がれる前に、通った記録が残ります」


 記録が残れば、次の者はそこから始められる。


 三十年、誰も使わなかった第八条第二項を、私は原文で見つけた。見つけられたのは、原文が公開法規の棚にあったからである。


 棚に置いた者がいる。置いただけで、誰にも読まれなかった。


 読まれなかったものを読むのが、私の資格の使い方だった。


 神官長は、しばらく黙っていた。


 黙ってから、経典のことを言わなかった。


 言わなかったのは、言っても届かないと分かったからだと思う。


 届かないものを繰り返さない老人は、三千年の番人としては、珍しいのかもしれない。


 彼は拙い字を見ていた。


 七つの子の手で書いたような、太くて、端が震えた三文字である。


「……字を」

「二か月で。四十の字を」


 私はミラを見た。ミラは匙を握ったままだった。


「資格はありません。願書で弾かれます。測定の欄に『対象外』と書かれているからです。……それでも、字は覚えました」


 彼はしばらく椀を見ていた。


 それから、ミラを見た。


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