第149話 飽食の卓
宴は続いた。
オークの三十切れは消えた。消えた後に、商会の料理人が本来の料理を運んできた。
ワイバーンの卵。熟成させたドラゴン肉。南方の香辛料をかけた魚。白パン。果実。ワイン。
料理人は宴のあいだ、広間の隅に立つ。それが作法らしかった。
立って、私は運ばれてくる皿を数えていた。
一人前が、目測で二千G。三十人で六万Gである。
次々と運ばれ、半分は皿に残った。残った皿は従者が下げた。
隅に立っているのは、落ち着かなかった。前世の職場で、会議の後ろの壁際に立っていたときと似ている。
立っていると、見えるものがある。
誰が何を残すか。残し方に癖がある。白パンを半分で置く者。果実の皮だけ器用に剥いて、果肉を二口で止める者。ワインだけを三度注がせる者。
レオポルドは、皿を空にしていた。十九歳の食欲というより、残さない習慣に見えた。
ワイバーンの卵が運ばれてきた。
割って、中を茹でたものである。黄身が中央で固まっていた。固め方は、湯に長く入れる方法だろう。
三十年ぶりに課題二を通った卵と、同じ種類の卵である。
殻を割らずに加熱する方法を三千年、誰も通さなかった課題の卵が、割られて、半分残されて、下げられていった。
◇◇◇
下げた皿が、どこへ行くのかを見に行った。
厨房の裏に桶が三つあった。桶は庭の隅に置かれる。
桶の中に、ワイバーンの卵が半分あった。ドラゴン肉が三切れ。白パンが五つ。果実が山になっていた。
(……一人五千G)
栄養管理士の試験で、老役人が言った言葉を思い出した。「貴族の献立は、計算するまでもない。何を食っても足りる」。
足りて、余って、桶に入る。
下町の献立は一人五十Gである。麦粥一杯を三人で分ける家がある。トビの「もっと」がある。
桶の中の白パン五つは、五人分の明日だった。
「あれは、どうなるんですか」
従者に聞いた。
「豚の餌です。裏の農家に売ります。桶一つ、百G」
「人には」
「格が落ちます」
彼は即答した。
「アシュベリー家の宴の残りを、下町が食べたと噂が立てば。旦那様はそれをお許しになりません」
「農家は、いくらで豚に食わせるんですか」
「桶一つ、百Gで買っていきます。豚が十頭いる家です」
「豚は、白パンを食べますか」
「食べます。よく育つと聞いております」
よく育つ。
白パン五つで、豚が育つ。同じ五つで、子どもが五人、明日を越える。
どちらも事実だった。事実の差は、格だけだった。
「ハンスさん、でしたか」
「ハンスです」
「この家に、何年」
「二十二年です。先代の旦那様の頃から」
「二十二年、桶は毎回出ますか」
「宴のある晩は、毎回。……年に六度ほどです」
年に六度。桶三つで、十八桶。二十二年で、三百九十六桶。
白パンに換算する計算を、私は途中でやめた。
やめたのは、数えても桶が減らないからである。
数えて減るものと、減らないものがある。井戸の数は数えれば減った。報告書を書いたからだ。
桶は、書く先がない。衛生局は宴の残飯を扱わない。
扱う部署を、私は図鑑で探した。
『食糧配分』で引くと、資格院の管轄に一つだけ項目があった。『飢餓時の配給に関する規程』。
飢餓時。
今は飢餓時ではない。下町に麦粥があり、カビを削れば黒パンもある。削って食べられる以上、それは飢餓ではないと、規程は数えている。
数え方の外にあるものを、数える欄がない。
板の右の欄に、一行足した。
『飢餓ではない飢えを、
数える欄はあるか』
右の欄の、十二行目である。
十二行のうち、答えが出そうなものは三つしかない。残りは、聞く相手がまだ見つかっていない。
聞く相手が見つかっていない行を、私はそれでも書いている。
書いておけば、相手が現れた日に思い出せる。思い出せなければ、現れたことにも気づかない。
四十日前、ユルゲンが手袋の穴の話をした日に、私は板を開かなかった。
開かなかった日のことを、私は板に書いてある。書いてあるので、忘れない。
忘れないようにするために書く行が、板には三つある。
三つとも、誰かの手か、誰かの明日が関わっている行だった。
自分のことだけを書いた行は、忘れても誰も困らない。困らない行は、忘れる。十一年、私はそういう行だけを紙にしてきた。
格。
豚の餌、百G。人には渡さない。
「オークは宴に出すものではない」と同じ理屈が、桶の中の白パンを豚の餌にしていた。
同じ理屈が、逆向きに二度働いていた。下町の肉は上に行けない。上町の余りは下に行けない。
上下を分けているのは、毒ではなかった。
◇◇◇
「――レオン」
レオポルドが、宴を抜けてきていた。
彼は桶を見た。中身を見た。しばらく見ていた。
「父は、許さん」
彼はそれを先に言った。
「父は許さんが」
それから、従者を見た。
「ハンス。桶を裏門に出せ。豚の餌だ」
「……若様」
「農家が来るのは、朝だろう」
「朝の、鐘の前です」
「鐘の前までは、桶は裏門にある」
レオポルドはそれだけ言って、しばらく桶を見ていた。
見ているあいだ、彼は何も付け足さなかった。
決闘の朝、彼は自分の家の名を背負って木剣を構えた。構えた腕が震えていたのを、私は覚えている。
今、彼の腕は震えていなかった。
震えない腕で、彼は父の許さないことを、父の知らない形にした。
「豚の餌を誰が拾おうと、父は知らん。知らんことは、許すも許さんもない」
従者は一礼した。
「若様のお言いつけ通りに」
レオポルドは桶を見たまま言った。
「礼は言うな。俺は桶を裏門に出しただけだ。お前の荷車が裏門を通るかどうかは、俺の知ったことではない」
彼は広間に戻った。
戻る背中は、決闘の朝より薄く見えた。絹ではなく、革の胴着を着ていたからかもしれない。
彼は宴の席でも、革の胴着のままだった。三十人のうち、絹を着ていないのは彼と私だけである。
中庭で鍋を沸かすようになってから、彼はその胴着を脱いでいない。
板に書いた。
『アシュベリー邸。残飯、桶一つ百G。豚の餌。
……裏門。荷車。
……格』
格という字を、丸で囲った。
丸で囲った字が、板の上に二つになった。『金』と、『格』である。




