第146話 ドラゴンの舌
外層二センチを、私は一刻かけて切った。
震えを刻む速度に変えて。『毒判定Lv2』が、外層の毒を赤く示した。赤が途切れる場所に刃を当てて、刻んだ。
オークの毒腺と違って、線は太かった。太い線は、位置を探さなくていい。その代わり、長い。
腕ほどの太さで背丈ほどの長さの肉を、二センチの深さで、全周にわたって剥いでいく。
途中で三度、手を止めた。止めて、息を吐いて、また入れた。
商会の料理人たちが、横目で見ていた。見ながら、自分の仕事をしていた。最初に声をかけた一人だけが、途中から手を止めて見ていた。
外層が剥けた。
中に、白い筋組織があった。
毒の赤は、なかった。
息を吐いた。吐いてから、右手が震えていることに気づいた。気づくまで、震えを忘れていた。
剥いだ外層は、桶に入れた。桶一杯の、赤黒い毒の層である。
重さは、可食部の半分ほどあった。半分を捨てて、半分を食べる食材だった。
「……それ、どうする」
「焼いて壊します。灰の上で」
「厨房の灰で焼くのか。匂いがつく」
「では、外で焼きます」
最初に声をかけた料理人が、桶を見た。
「……十五年、俺はこの舌を四度扱った。四度とも、外層は大きく落とした。三センチ、四センチ。……二センチで止めたのは、見たことがない」
「残った一センチは、食べられます」
「残して、誰が食う」
「客が食べます。……気づかずに」
彼は少し黙って、それから自分の作業台に戻った。
戻ってから、一度だけこちらを見た。
「……おい。一センチ分の肉で、何人食える」
「この太さなら、十人分です」
「十人」
「十五年で四度扱ったなら、六十人分です」
彼は何も言わなかった。言わない代わりに、自分の作業台の端に寄せていた切り落としを、桶に入れずに布巾の上へ置いた。
「レオン殿。料理は、広間で供します」
従者が来て、そう言った。
「広間で」
「客の前で、調理していただきます。アシュベリー様のご希望です。……『震える手を見たい』と」
震える手を見たい。
見世物である。
断る理由を、私は三つ考えた。三つとも、五万Gの前では弱かった。弁償できない金は、断る自由を削る。
前世でも、同じ形の削り方を知っていた。辞められなかった二年のあいだ、私は毎朝、辞める理由を三つ数えていた。数えて、職員通用口をくぐった。
「……承知しました」
◇◇◇
広間は、天井が高かった。
壁に絵が掛かっている。天井に魔導ランプの光の輪が三つ。長い卓に白い布。銀の皿。
卓の上に、ワイバーンの卵があった。殻を割って、中身を茹でたものである。南方の果実。熟成した肉。
客が三十人いた。絹の上着。胸に魔導バッジ。
ヴィルヘルムがいた。学院の、あの教官である。
エルフィーナもいた。学院首席として呼ばれたらしい。彼女は私の右手を見て、眉を寄せた。
主人の席に、グレゴール・フォン・アシュベリーが座っていた。細い顎である。レオポルドと同じ顎だった。
その隣に、レオポルドがいた。
彼は私を見なかった。皿を見ていた。
主人の反対側に、もう一人いた。
四十代の、痩せた男である。目が細い。胸に資格院の紋章をつけていた。
財務理事の紋章だった。
三十年前に受験料を五倍にした男の、院の紋章である。禁書棚に柵が付いた年に就任した男。ルドガーの商会の株主。
四十年来なかった監査官を三日で動かした指示は、この卓のどこかから出ている。
出した者の顔を、私は今、見ていた。
細い目は、料理人を見る目ではなかった。見世物を見る目でもなかった。値札を読む目だった。
◇◇◇
卓の端で、エルフィーナが席を立った。
立って、竈のそばまで来た。エルフが貴族の宴で席を立つのは、作法としてどうなのかを私は知らない。彼女も知らないのかもしれなかった。
「……お前は、これを焼くのか」
「焼きます」
「焼いたことは」
「ありません」
「ドラゴンの肉は、魔素を帯びている。帯びた肉は、火を入れると自分で熱を出す」
彼女は鉄板を見た。
「森では、焼かん。煮る。……煮れば、熱が湯に逃げる」
自分で熱を出す肉。
板に書くべき一行だった。書く時間は、もうなかった。
「……どのくらいで」
「知らん。エルフは三百年、ドラゴンを食っておらん」
彼女は席に戻った。戻るとき、客の一人が彼女に何か言った。彼女は答えなかった。
答えない代わりに、席に着いてから、こちらを一度見た。
見た先は、私の顔ではなく、鉄板だった。
鉄板の温度を、エルフの目は見ているのかもしれない。見えているなら、教えてほしかった。
教えてもらう時間は、三十人の拍手の前には、もうなかった。
時間がないときに人は、知っていることだけで組み立てる。知らないことは、組み立てた後に出てくる。出てきたときには、もう火が入っている。
◇◇◇
「――さて、諸君」
主人が立ち上がった。
「本日は、珍しいものを用意した。三十年ぶりに課題二を通った魔物調理師だ。学院の首席でもある。……平民の」
平民の、という言葉に、彼は一拍置いた。
「彼が、ドラゴンの舌を、我々の前で焼く」
拍手があった。
料理への拍手ではなかった。見世物への拍手である。前世の職場で、百七枚の額の話をしたときに起きた笑いと、同じ種類の音だった。
卓の脇に、小さな竈が用意されていた。鉄の板が載っている。
板の上に、舌の可食部を置いた。白い筋組織である。
手のひらをかざした。火の言葉。風の一語。
魔力三で、五倍の火。
鉄板が熱を持った。舌が焼ける音がした。脂の少ない肉の、乾いた音である。
三十人が、私を見ていた。
正確には、私の手を見ていた。
震える手を。
社交性、十二。
前世の私は、三十人の前に立ったことがなかった。立てば、声が震え、手のひらが湿り、頭が白くなった。
今、手は震えている。
震えているが、頭は白くなっていなかった。
鉄板の上の肉の、焼ける音を数えていた。
音は、最初は小さかった。脂の少ない肉が、鉄に当たって水を飛ばす音である。
三十数えたところで、音が変わった。
低く、速くなった。
肉の表面から、白ではない煙が立った。
白ではない煙は、灰の上で外層を焼いたときに立つ煙と、同じ色だった。




