第145話 宴への招待
招待状には、封蝋がついていた。
アシュベリー家の紋章である。レオポルドの父の家だった。
『魔物調理師レオン・シラハネ殿。
来る刻印日の夜、当家の宴において、
料理を一品、供されたし。
食材は当家より用意する』
「……宴、だってさ」
マーサが鍋を掻きながら言った。
「ゲテモノ資格が、初めて役に立ったね」
「初めて、では」
「下町の炊き出しは、役に立ってるんじゃない。あんたが勝手にやってるんだ」
彼女は鍋から目を上げなかった。
「役に立つってのは、金になるって意味だよ」
皮肉ではなかった。事実として言っていた。
三年、この厨房で二十三人分の鍋を掻いてきた女の、金の定義である。
彼女は鍋を掻く手を止めずに、続けた。
「……で、行くのかい」
「行きます」
「あんた、宴の席で何を言うつもりだい。貴族の前で、井戸の話をするんじゃないよ」
「します」
「するのかい」
彼女は匙を鍋の縁に置いた。
「……言っとくけどね。上町の宴で平民が口を開いて、良いことになった話を、私は三十年聞いたことがないよ」
三十年、彼女はこの下町で店を開けてきた。開けてきた三十年のあいだに、上町で何が起きたかを、彼女は客の話で知っている。
客の話は、たいてい誰かが黙らされた話である。
◇◇◇
招待状を、ミラとアンナに見せた。
封蝋つきの紙である。アンナは紋章を見て、少し後ろに下がった。
「……アシュベリー家です。学院の、三年のレオポルド様の」
「知っているのか」
「学院の廊下で、見ます。……平民枠の生徒は、道を譲ります」
譲る、という言い方だった。決められているわけではないらしい。決められていないことを、全員がやっている。
「レオン。……行くんですか」
「行く」
「食材が、五万Gです」
「……読めたのか」
アンナは招待状の裏を見ていた。裏に、商会の添え状が留めてあった。
「読めます。……数字は、読めます」
ミラは紋章を見なかった。見たのは、私の右手だった。
「……手、震えるでしょ」
「震える」
「震えたままでいいの?」
「震えたまま切る方法は、覚えた。……焼く方法は、まだ覚えていない」
アンナが招待状を畳んだ。畳み方が丁寧だった。封蝋を潰さないように、折り目を紋章の外に取っていた。
「……レオン。板は、持っていきますか」
「持っていく」
「宴の席に、板を」
「書く場所がないと、考えられません」
彼女は少し笑った。
「……私も、持っていきます。実習に」
平民枠の生徒が板を持って実習に出るのを、学院の誰かが止めるかもしれない。止められたら、彼女はまた縦線を引いて、右の欄に書くのだろう。
『板を持って実習に出ていいか』。
確かめていない欄の行は、確かめた者がいなければ、いつまでも右に残る。残った行の数が、その学院の決まりの数である。右に残った行は、誰かが怒られる形で左へ移る。怒られた者が二人目になれば、三人目は怒られない。
なぜ呼ばれたのかは、ルドガーが教えてくれた。
彼は荷馬車を解体場の門に止めて、御者台から降りずに喋った。
「三十年ぶりの課題二の合格者! 貴族というのはね、珍しいものが好きなんだ」
彼は指を三本立てた。
「魔法士C級の首席。魔物調理師。震える手で卵を膨らませた、平民。……三つ揃っているのが珍しい。アシュベリー様が『見たい』と」
見たい。
珍しいものを見たいという言葉を、私は前世でも聞いたことがある。百七枚の額を、職場の誰かが見たいと言った。見て、笑った。笑い方は悪意ではなかった。
悪意ではない笑いのほうが、思い出す回数が多い。
「食材はうちの商会が出す。ドラゴンの舌だ」
「……ドラゴン」
「推奨はB級だよ。C級でもやれる。やれれば、坊やの名前は上町に届く。届けばうちの商会に――」
「行きません」
「まあ、宴で決めなさい」
彼は手綱を取った。
「舌は一つ、五万Gだ。失敗したら弁償だよ」
五万G。
魔物調理師の受験料の三倍である。解体場の日当で、七百五十日。
払えない額だった。払えない額の食材を預けるのは、失敗したときに縛るためである。
縛られていることを分かったうえで、私は行くと答えた。
行く理由は、財務理事が来ると聞いたからだった。
◇◇◇
刻印日の夕方、上町のアシュベリー邸へ行った。
三階建てだった。窓にガラスが入っている。下町でガラスが入っている窓は、資格院の受付棟だけである。
庭に噴水があった。
水に手を入れると、温かかった。湯気が立っていた。温水魔法である。
庭の噴水に温水魔法を使う家だった。
同じ術式で、下町の井戸の水を温めれば、冬に子どもの手が切れなくなる。切れた手から入る病があることを、私は衛生管理士の答案に書いた。
答案は、受かった。受かった答案は、地下の棚に行った。
噴水は、庭にある。
玄関で、従者に止められた。
「料理人は、裏口から」
裏口へ回った。回る途中で、噴水の湯気が顔にかかった。
◇◇◇
厨房は、銀のスライム亭の五倍あった。
竈が六つ。作業台が四つ。鉄の鍋が壁に十二掛かっている。料理人が十人いて、全員が商会の紋章をつけていた。
「震える手の平民か」
一人が顎で奥を示した。
「舌はあそこだ。頑張れよ。五万Gだ」
奥の作業台に、赤黒い肉の塊があった。
私の腕ほどの太さで、背丈ほどの長さがあった。
魔素の匂いが、厨房の他の匂いを全部押しのけていた。十人の料理人が、誰もその作業台の近くで仕事をしていなかった。
近づかない理由を、私は『毒判定Lv2』で確かめた。
表面の粘液が、赤く光っていた。触れれば皮膚が爛れる濃さである。奥の山の、上の尖った木札三枚と同じ色だった。
「……手袋は、ありますか」
「厨房に手袋はない。料理人は素手だ」
「では、私のを使います」
私は懐から手袋を出した。二百Gの、新しい革の手袋である。
三つ買ったうちの、一つだった。
【ドラゴンの舌(レッドドラゴン・成体)】
毒性:極大(表面粘液・内部魔素)
可食部:中心部の筋組織。
外層二センチは除去必須。
推奨処理:魔物調理師B級以上
外層、二センチ。
オークの毒腺は、糸二本分だった。これは、二センチである。
包丁を握った。
震えた。




