第142話 廃棄肉の引き取り
「――廃棄部位の、払い下げ?」
ガルムが言った。狼の耳が、片方だけ動いた。
冒険者ギルドの奥の部屋である。壁に討伐依頼の板が三枚。床に剣が立てかけてある。獣人の体臭と、油の匂いがした。
「魔物調理師が、解体場の廃棄部位を引き取りたいと。無償で」
「はい」
「廃棄部位は毒だ。引き取って、どうする」
「調べた廃棄部位のうち、およそ七割は処理できる見込みがあります。ただし全部ではありません。毒腺を取り除き、表面の毒を洗い、加熱で無害になる毒だけを処理します。危険が残る肉は使いません」
彼は鼻の先で息を吐いた。
「同じ肉。……貴族の宴に出る肉と」
「同じ魔物から取れた肉です。もちろん毒の種類と処理の確認は必要ですが、処理できる部位まで一緒に埋めています。毒腺一本を安全に除けるかどうかで、食卓に載るか、穴に埋まるかが変わるんです」
彼は依頼板を見た。それから、私の腰の木札を見た。
木札は四つ下がっている。衛生管理士。栄養管理士。魔物調理師。それから調理士である。
取得した資格は、今回の魔物調理師C級を含めて全部で十四種類。そのうち、食材の取り扱いに関わる四つの木札だけを、今日は腰に下げていた。
「お前、これを取るのにいくら払った」
「一万五千Gです。解体場の日当で、五十二日」
「五十二日」
「手袋で、二日遅れました」
彼は手袋の話を知っていた。ドルフの手のことも知っていた。
何も言わなかった。言わない代わりに、依頼板から白紙を一枚剥がした。
◇◇◇
「払い下げの依頼書だ」
彼は羽根筆を取って、太い字を書いた。獣人の指で持つ筆は、短く見えた。
『依頼 処理可能と確認した廃棄部位の引き取り。
引き取り報酬なし。
運搬は、埋設費用の削減分を上限にギルドが負担する』
「……埋設費用」
「解体場の穴掘りはギルドの金で出てる。月に三百Gだ。四十年で十四万四千G。土に払った金だ」
彼は筆を置いた。
「お前が引き取れば、埋める肉が減る。穴掘りの費用が浮く。その浮いた金で、荷車の運搬をまかなう。……解体場から東三番通りまで、毎日運ぶ荷車だ。車はギルドが貸す」
狼の印が、紙に落ちた。
「レオン。ブレナで、俺はお前に『試験が開かれる場所に行け』と言ったな。お前はその言葉どおり、試験を受けに行った。剣士だけじゃない。衛生も、調理も、魔法も。そうやって、一つずつ資格を増やした」
ガルムは私の腰の木札を指した。
「今じゃ十四種類も持っているそうじゃないか。しかも、最新の一つは魔物調理師C級だ」
彼は印を押した紙を私に押し出した。
「取った資格で、下町に肉を運ぶのか。……変わってるな」
また「変わっている」と言われた。ブレナで初めて顔を合わせたときから、ガルムは私の選ぶ道を不思議がっていた。
「変わってるが」
彼は椅子の背に体を預けた。
「獣人は、魔物肉を食う。昔からだ。北の砦で、俺たちは討伐した魔物をその場で焼いて食った。毒を抜いて。獣人の鼻は、毒を嗅ぎ分ける。資格はない。鼻で分ける」
彼は自分の鼻を指で叩いた。
「人間はそれを『野蛮』と呼んだ。……お前が下町に運ぶ肉は、俺が砦で食った肉だ」
野蛮と呼ばれた方法に、三千年前の課題表は、一行も触れていない。
「ガルムさん。鼻で分ける方法は、書いてありますか」
「書く?」
「獣人の方の、毒の嗅ぎ分け方です。……どこかに、書き残したものが」
「ない」
彼は即答した。
「鼻は教えられん。覚えるのは子どものうちだ。砦では、親が子の鼻に毒を近づけて、嫌がったら褒める。……それだけだ」
「文字では」
「文字にする者がいなかった。……獣人に、字を書く習いがない」
三千年、鼻で分けてきた方法が、一行も残っていない。
残っていないから、人間はそれを野蛮と呼べた。
「ガルムさん。書いてもいいですか」
「書く? 何を」
「鼻で毒の危険を見分けるとき、何を確かめているのかです。……砦で子どもに何を教え、どんな匂いを避けさせるのか、分かる範囲で聞かせてください。私が紙に書きます。ただし、匂いだけで安全だと決めるための手順にはしません」
彼の耳が、両方動いた。
「……字にして、どうする」
「下町の子どもにも読める形にします。獣人ほど鼻が利かない人間にも、どんな危険があるかは伝えられます。匂いだけで判断できなくても、慎重に調べるきっかけにはなります」
「鼻のない者に、覚えて何になる」
「覚えた者が、次に覚える者に渡せます。……鼻は渡せません。紙は渡せます」
彼は長いあいだ答えなかった。
「……考える」
それだけ言った。考えると言った獣人を、私は初めて見た。
ギルドを出るとき、依頼板の前に冒険者が三人立っていた。三人とも獣人だった。
板の依頼書は、全部、人間の字で書かれている。
◇◇◇
翌日、荷車が来た。
二輪の、荷台の低い車である。古いが、車軸に油が差してあった。ギルドの倉から出してきたものだという。
積んだのは、裏の山から選び出し、処理できると確認した部位だけだった。
オークの肋肉。肩肉の切れ端。ワイバーンの翼の付け根。ユルゲンが丸の木札を刺した部位。虫の卵のない部位。
四十年、ドルフが山の手前に置いてきた肉である。
手前に置くというのは、彼の分け方だった。毒の強いものは奥、弱いものは手前。手前のものも、結局は埋めた。埋めたが、彼は四十年、手前と奥を分け続けた。
分け続けた理由を、彼は一度も言わなかった。
今朝、聞いた。
「親方。手前と奥を分けていたのは、なぜですか」
「……分けんと、仕事にならん」
「埋めるなら、分けなくても埋まります」
彼は鉤を見た。それから山を見た。
「……いつか、誰かが取りに来ると思っとった」
四十年、彼は取りに来る者を待っていた。待っていることを、誰にも言わなかった。
言わなかったので、三人の弟子は三月で辞めた。
ユルゲンが荷車の引き棒を握った。十二歳の体で、荷台いっぱいの肉を引く。
「……重い」
「半分にするか」
「しねえ。……二回往復すると、昼になる」
ドルフが右手を吊って、それを見ていた。
「……持っていくか」
「はい。百人分です」
「……百人」
彼は荷台の肉を見た。見て、山を見た。四十年分の、埋められた穴がある山である。
「四十年、ここに積んだ。……初めて、運ばれていく」
彼は左手で荷車の縁を叩いた。
二度叩いた。合図のようだった。
荷車が動いた。車輪が石を踏んで、軋んだ。
四十年の解体場から、荷車が一台、門を出た。
◇◇◇
路地に入ると、匂いが先に行った。
荷台の肉は血を抜いてあるが、魔素の匂いは残る。三軒目の家の窓が閉まった。五軒目の窓も閉まった。
七軒目で、窓が開いた。
桶屋の女房だった。彼女は荷台を覗いて、肉の量を見た。
「……それ、食えるのかい」
「毒を抜けば食べられます」
「どのくらい」
「百人分です」
彼女は窓から引っ込んで、しばらくして出てきた。手に椀を十枚持っていた。
「貸すよ。前と同じ分」
西区の子どもが三人、荷車の後ろを追いかけてきた。追いかけながら、荷台の肉を見ていた。
ユルゲンが引き棒を握ったまま、後ろへ声を投げた。
「触るな! 毒だ!」
「食えるって言った!」
「抜いてからだ! 抜く前は毒だ!」
十二歳が、三人の子どもに毒のことを教えていた。教え方は、ドルフのものだった。




