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異世界資格マスター ~最弱村人から始める資格無双。試験分析EXで世界をアップデートします~  作者: 東雲 諒杏
第四章「魔物調理師試験と、スープ一杯」

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第139話 ワイバーンの卵


 作業台の上に、灰色の卵が九つ並んでいた。


 拳ほどの大きさで、殻に艶があり、血管のような筋が浮いている。隣の受験者が指で弾くと、石を弾いた音がした。


「――課題二。ワイバーン卵の調理。殻を割らずに、内部を加熱調理せよ。方法は問わない。制限時間、二十分」


 試験官は、そこで一度、言葉を切った。


「なお、本年度より、課題二は厳密に採点する。卵液が凝固した状態に達していない場合、不可とする」


 調理場がざわめいた。


「……厳密に?」

「去年までは、試みれば可だって」

「三年、それで取った先輩がいるぞ」


 商会の料理人が手を挙げた。胸の紋章に指がかかっていた。


「試験官。本年度から、というのは、規程の改定ですか」

「改定ではない。採点の運用だ。……上からの指示だ」


 料理人は手を下ろした。それ以上は聞かなかった。聞かないのが商会の作法なのだろう。


 下ろした顔に、諦めがあった。今年の合格者はゼロである。彼はそれを理解していた。理解して、聞くのをやめた。


 理解して聞くのをやめる人間が、この部屋に八人いた。


 八人のうち五人は、商会に戻れば仕事がある。資格がなくても厨房に立てる。規程は「監督下で行う」と書いてあるだけで、監督する者が一人いれば、下で切る者に資格は要らない。


 残る三人は、予備校へ戻る。来年また一万二千Gを払う。


 来年また払えば、予備校は儲かる。儲かる仕組みの中で、課題二は三十年、緩かった。


 緩いことに、誰も文句を言わなかった。言えば、自分が落ちる。


◇◇◇


 試験官が、私の前に来た。


 彼は記録板を見た。書記が持っているのとは別の、試験官用の板である。


「レオン・シラハネ。……お前の備考欄には『規程外の術式』が五つある」


 五つ。井戸の石灰。煙突の風の陣。回路の測定。三角の三語。手のひらの炎。


「方法は問わない。……問わないが、殻を割れば不可だ。殻に傷をつけても不可だ。殻の内側が凝固していなければ不可だ」


 彼は私にだけ、それを言った。


 言い方は、脅しではなかった。条件を並べる言い方である。


 三つの条件を並べた男が、午前に私の毒腺を光にかざして、三十年で初めてだと言った。


「……試験官」

「何だ」

「三十年、課題二を『試みた』で可にしてきたのは、どなたの判断ですか」


 彼は記録板から目を上げた。


「……私だ」

「上の指示では」

「指示はなかった。三十年、誰も課題二のことを聞いてこなかった。……聞いてこない課題を、私は緩くした。緩くしなければ、魔物調理師が一人も増えん」


 彼は記録板を閉じた。


「増えなければ、解体場に監督がいなくなる。監督がいなければ、肉が止まる。……三十年、私はそれを止めたくなかった」


 三十年、この男が一人で、規程の運用を曲げていた。


 曲げていたものが、今年、上から戻された。


「……今年は、曲げられん。上が見ている」

「承知しました」

「……方法は、問わない」


 彼はもう一度、それを言った。


 方法は問わない。三千年前に書かれた一行である。


 書いた者は、方法を知っていたのかもしれない。知っていて、書かなかったのかもしれない。知らずに、書いただけかもしれない。


 どれであっても、一行はそこに残った。残った一行が、三十年、緩められてきた。


 緩めていた男が、今日は厳密に採点する。


 厳密な採点は、本来の運用である。本来の運用に戻すことで、誰かが解体場を閉じようとしている。


 規程を守ることで、人の手が止まる。


 板に書くなら、こうなる。『正しいことを正しくやると、人が困る場合がある。……困るのは、正しさの外にいる者だ』。


◇◇◇


 私は卵を一度、両手で持ち上げた。


 重かった。人の頭ほどの大きさで、鉄の音がする殻である。中に何リットル入っているのかを、私は測っていない。


 測らなくても、液だということは分かる。


 液は、押した力を伝える。エルフの泉の底の砂が動くのと、同じ理屈である。


 泉は上が開いている。卵は閉じている。


 閉じたものの中を動かす方法は、八百年、森になかった。


 森になかったものが、三千年前の課題表にはあった。


 エルフが八百年持たなかった問いを、人間は三千年、紙の上に置いていた。置いただけで、誰も解かなかった。


 置いておくのと、解くのは、別である。


 私は卵を作業台に戻した。戻すとき、底が木に当たる音がした。


 鉄を置いた音だった。


 この殻は、刃物では歪まない。歪まないものを、空気で揺らす。空気は殻より弱い。弱いものを、速く動かす。


 速さだけが、私の持っているものだった。魔力三十七は、学院の首席の数字としては低い。


 低い魔力で勝つ方法を、私は回路の測定で一度覚えている。数字を上げるのではなく、数字の使い方を変える。変え方は、毎回、別の場所から持ってくることになる。回路のときは鉱山の秤から持ってきた。今日は、森の泉からだった。持ってくる先は、たいてい、資格の教本の外にある。教本の中だけで解ける問題は、もう誰かが解いている。三十年誰も解いていない課題は、教本の外に答えがある。


「……承知しました」


「――始め」


◇◇◇


 十三本の手が動いて、止まった。


 火魔法を使った者から、順に止まった。殻は温まらない。炎を当てても、殻の表面の艶が少し変わるだけである。


 予備校の受験者が出力を上げた。殻の一部が白く焼けた。焼けた場所を指で触って、彼は手を引いた。殻だけが熱い。中は冷たい。


 商会の料理人は、湯を沸かした。沸かした湯に卵を入れて、蓋をした。三日浸ければ、中は少し固まる。二十分では、何も起きない。


 彼はそれを知っていた。知っていて、入れた。「試みた」形を作っているのだった。


 十年の手の男は、卵を両手で包んでいた。包んで、自分の手の熱で温めようとしていた。無理である。無理だが、彼はやめなかった。


 私は卵を作業台の真ん中に置いた。


 手のひらをかざした。


 風の陣を、閉じた形に書き直したものである。空気を流すのではなく、卵の周りに閉じ込めて押す。


 押した。


 卵の周りの空気が縮んだ。『気流制御Lv1』が、縮んだ空気の動きを指の先に返してきた。


 緩めた。魔力を抜いた。


 空気が戻った。殻が戻った。


 押した。緩めた。


 脈が、始まった。


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