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異世界資格マスター ~最弱村人から始める資格無双。試験分析EXで世界をアップデートします~  作者: 東雲 諒杏
第四章「魔物調理師試験と、スープ一杯」

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第137話 壁を破らずに


「――時間」


 十四本の包丁が、まな板の上に置かれた。


 試験官は魔導ランプを手に、作業台を一つずつ回った。白い光を断面に当て、覗き、短く言う。


「汚染」「可」「汚染」「可」「可」


 声に抑揚はなかった。四十年続いた仕事の、三十年分を担ってきた声である。


 商会の五人は、全員が可だった。予備校の六人のうち、可は二人。地方から来た二人のうち、可は一人。


 私の作業台が、最後だった。


 彼はランプを断面に近づけた。近づけて、覗いた。長かった。角度を変えて、もう一度覗いた。それから皿の上の毒腺を指でつまみ、光にかざした。


 灰色の管が、白い光に透けた。


「……壁が、破れていない」


 低い声だった。


「三十年、この試験をやっている。壁を破らずに腺だけを出した受験者は、初めてだ」


 彼は管を指の上で転がした。


「商会の連中は、壁の外側を大きく切る。周りの肉ごと落とす。それで汚染はない。採点は通る。……だが、肉が減る」


 肉が減る。


 一体の肩肉から、商会の切り方では三割が落ちる。三割は廃棄の桶に入り、桶は裏の山へ運ばれ、山には木札が刺される。四角の木札である。


 四十日、私はその木札を数えてきた。四角の木札が刺された肉は、埋められる。埋める穴を掘るのはユルゲンで、穴は毎月、山の裏に一つずつ増えていた。


 試験官は、商会の五人の作業台を順に見た。


 五つの作業台の端に、落とされた肉が寄せてあった。どれも握り拳ほどである。五つ合わせれば、椀に五杯は入る。


「……三十年、この部屋で落とされた肉の量を、私は数えたことがない」


 彼はそれを、誰にも言っていないような声で言った。


「お前は、肉を減らしていない」


 彼は管を皿に戻した。


「……可」


◇◇◇


 隣の作業台から、人が覗きに来た。


 地方の、日焼けした男だった。彼は私の断面を見て、それから自分の断面を見た。彼の断面も白かった。白いが、毒腺の周りの肉が、親指ほど一緒に落ちていた。


「……あんた、どうやった」

「毒腺の位置が、見えます」

「見える」

「資格のスキルです。……見えない人には、使えない方法です」


 彼は少し黙った。


「……俺は十年、村で切ってきた。見えんから、大きく切る。大きく切れば破らん。破らんが、肉が減る。村で、それを『もったいない』と言われる」

「言われても、破るほうが怖い」

「怖い」


 彼は自分の手を見た。指の節が太く、爪が短く削られていた。十年、肉を押さえてきた手である。


「……あんた、歳は」

「十五です」

「十五か。……十五で、見えるのか」


 彼は自分の断面に戻っていった。戻って、落ちた親指ほどの肉を、まな板の端にきちんと寄せて置いた。


 寄せて置く仕草は、ドルフと同じだった。十年の手と四十年の手が、同じ場所に肉を寄せる。


「……待ってください」


 私は彼を呼び止めた。社交性九の人間が、自分から人を呼び止めた。


「方法を、紙に書きます」

「……は」

「見えなくても使える部分があります。刃の上下を震えに任せて、深さを左手で作る。……それは、見えなくてもできます」


 彼は口を半分開けた。


「……あんた、俺に教えるのか」

「書いて、送ります。村の名を教えてください」

「……なんで」

「教える者がいなかった場所で、三年かかった人を知っています。……三年は、長い」


 彼は村の名を言った。北の、麦と羊の村だった。字は読めるのかと聞いたら、読めると答えた。妻が読めると。


 私は板に村の名を書いた。板の、右の欄に。


 確かめていない欄である。紙が届くかどうかを、私はまだ確かめていない。


◇◇◇


 試験官が調理場の中央に立った。


「課題一、可の者は九名。不可の者は、本年度の受験は終了である。……退出せよ」


 五人が前掛けを外した。


 予備校の揃いの前掛けが、四枚。一か月分の給金で買った十分を、使い切った者たちである。そのうちの一人は、外した前掛けを畳んでから、作業台の断面をもう一度見た。


 見てから、出ていった。


 残った九人のうち、八人は商会と予備校だった。あとの一人が、十年の手である。


 私は十人目だった。


 退出する五人のうち、一人が私の作業台の前で足を止めた。予備校の前掛けの男である。


「……あんた、どこの予備校だ」

「行っていません」

「独学か」

「解体場で、二か月」

「解体場」


 彼は自分の手を見た。爪が綺麗だった。肉を押さえてきた手ではない。


「……俺は三か月通った。一万二千G。図を百枚覚えた」

「図は、実物とずれます」

「……ずれるって、予備校では言わなかった」


 彼は何も言わずに出ていった。


 出ていく前に、作業台の自分の断面をもう一度見た。赤黒く染まった面である。


 図を百枚覚えた男が、実物の波打ちを一度も見ていなかった。見る機会が、三か月の授業の中になかった。


 予備校は図を売る。図は売れる。実物は売れない。売れないものを教えない仕組みが、一万二千Gで三か月回っていた。


◇◇◇


 調理場に残った九人が、昼のために外へ出た。


 私は作業台に残って、板を開いた。


 開いて、午前の十分を書いた。刃を当てた時刻。止まっていた時間。震えの幅。左手で深さを作った瞬間。


 書いているあいだ、書記が記録板を持って近くを通った。通って、少し覗いた。


「……それは、何を書いているのですか」

「今日のことです」

「合格のことですか」

「切り方のことです。……合格は一行で済みます。切り方は、二十三行あっても足りません」


 彼は記録板を抱え直して、少し笑った。


 笑ってから、備考欄のことを言った。


「……備考欄は、一行です。一行に入らないものは、全部落ちます」

「落ちたものは」

「消えます。……十二年、私はそれを見ています」


 二十三行は、一行には入らない。


 入らないものを残す場所を、私はまだ一つしか持っていない。腰に下げた、炭で書く板である。


 板は、濡れれば消える。


 消えないところに置く方法を、私はまだ持っていない。持っていないことを、板の右の欄に書いた。


『書いたものを、濡れない場所に残す方法』


 右の欄の十行目だった。十行のうち、九行は三日以上そこにある。動かない行が増えるのは、確かめる速さより、気づく速さが上回っているからだ。


 退出する五人の足音が消えてから、試験官が言った。


「午後、課題二を行う。……昼を取れ」


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