第130話 知識が人を守れなかった
ドルフは、死ななかった。
毒は肘の紐と洗浄とニガヨモギモドキで、手首より上に回らなかった。
夕方、彼は作業台の脇に座れるようになった。顔に色が戻った。だが、右手は動かなかった。
彼の妻が来た。小柄な、静かな女だった。彼女は夫の右手を見た。見て、何も言わずに、その手を両手で包んだ。
「……四十年、いつかこうなると思ってた」
彼女はそれだけ言った。それだけ言って、夫を連れて帰った。
解体場に、私とユルゲンが残った。ユルゲンは山の手前で木札を刺していた。刺しながら、鼻を啜っていた。
私は作業台の前に座って、板を開いていた。
板には四十日分の記録があった。毒腺の位置。毒の三分類。虫の卵。井戸の石灰。献立。五十G。百人。
全部、知識だった。
私は前世で百七の資格を取った。医師免許もあった。その知識で、私は今日、ドルフの命をたぶん救った。紐と、洗浄で。
だが、右手は救えなかった。
(……手袋、二百G)
私は知っていた。ドルフの手袋が破れていることを。ユルゲンから聞いた。
聞いて、私は板に書いたか。書いていない。書く前に彼は奥に行った。私は止めなかった。止めるより先に、「毒が強いぶん壁がしっかりしている」という彼の理屈を、私は正しいと思った。
正しかった。理屈は。
理屈が正しいことと、人が無事なことは、別だった。
前世のまな板。理論上、死角がなかった。
「……知識が、人を守れなかった」
私はそれを口に出した。
解体場の小屋の中で。鉤に明日の肉が吊るされている前で。
四十日、私はここで知識を積んだ。積んだ知識は井戸を消毒し、葬式を減らし、献立を作った。だが、隣にいた一人の、四十年の手を守れなかった。
守れなかったのは、知識が足りなかったからではない。二百Gの手袋を買わなかったからだ。
買えなかったのでもない。私の財布に練習用の肉の三千Gはなかったが、二百Gはあった。
考えなかった。それだけだ。
「……魔法士様」
ユルゲンが来た。木札を持ったまま。
「……親方の手、戻る?」
「……分からない。神経の麻痺は、時間で戻ることもある。戻らないことも」
「治癒士なら」
「……三十万G」
ユルゲンは木札を握った。木片が、指の中で鳴った。
「……俺、鑑定士、取る。五百G。……三か月で貯まる。……鑑定士になったら、奥の肉、俺が判定する。親方の代わりに。魔法士様の代わりに。……俺は、手袋、買う。最初に」
彼はそれを宣言のように言った。十二歳の、口の達者な、手はまだの少年が。
私は板を閉じた。
「……ユルゲン。明日、手袋を買いに行く。……二百G。私の金で。三つ。親方と、お前と、私の分」
「……三つで、六百」
「六百」
一万五千Gまで、あと四千五百だった。六百払えば、あと五千百になる。二日、遅れる。
二日遅れて、四十年の手を守れるなら、遅れればいい。
もっと早くそうすべきだった。板に書くべきだった。書いていれば、私は考えたはずだ。書かなかったから、考えなかった。
板の最後の行に、私は書いた。
『手袋。二百G。……書かなかったことは、考えられない。だからこれからは全部書く。人のことも書くことにする。』




