第129話 ドルフ、倒れる
奥は、暗かった。
積まれた部位が壁のように高く、日の光が入らない。甘い匂いが、手前の三倍濃かった。
その壁の根元に、ドルフが膝をついていた。右手を左手で押さえて。
彼の右の手袋が破れていた。破れた場所から赤黒い液が滲んでいる。
オークの丸ごとの死骸が山から崩れて、彼の上に落ちかけていた。彼はそれを右手で受け止めた。受け止めた手が、死骸の毒腺の傷んだ場所に触れた。
「……親方!」
「……来るな。……毒だ」
彼の声は平らだった。平らすぎた。
私は行った。彼の右手を見た。手袋を剥いだ。
手の甲が赤黒く変色していた。変色は指先から手首へ、見ているあいだにも広がっていた。
(神経毒。皮膚から。……傷口は)
手の甲に古い傷があった。四十年分の傷の一つだ。そこから入った。
頭の中で前世の医学が開いた。毒物の経皮吸収。処置。洗浄。冷却。吸収を遅らせる。解毒剤――ない。聖水――ない。
「――ユルゲン! 水! 桶で! 全部持ってきて!」
私は叫んだ。社交性九の私が、叫んだ。
「それから、ヒルダの草! 溝の端の! 束で!」
ユルゲンが走った。
私はドルフの右腕を取った。肘の上。そこを自分の上着の紐で縛った。強く。
前世の教科書のとおりだ。毒の全身への回りを遅らせる。完全に止めてはいけない。緩めながら。
水が来た。私は彼の手を桶に突っ込んで洗った。『消毒Lv3』が私の手の動きを導いた。毒の三分類。二、洗浄で除去できる毒。表面の毒は洗える。だが、傷口から入った毒は――
草が来た。ニガヨモギモドキ。私はそれを噛んだ。噛んで、傷口に当てた。
前世の根拠は薄い。薬剤師の教本の公開部分にあっただけだ。「魔素性の毒に、ニガヨモギモドキの生葉を」。それだけだった。
ドルフの顔から色が引いていた。
「……レオン」
「喋らないでください」
「……手が」
彼は自分の右手を見ていた。桶の中の、赤黒い手を。
「……感覚が、ない」
私は彼の指を押した。強く。
「……分かりますか」
「……分からん」
もう一度押した。爪の根元を。痛いはずの場所を。
「……分からん」
図鑑を向けた。
名前:ドルフ 年齢:58歳
HP:34 / 70
状態異常:神経毒(魔素性・中度)/右手、神経麻痺
右手、神経麻痺。
私はそれを見た。見て、板を思った。
板に、私は毒の三分類を書いた。衛生管理士の答案に。除去不能の毒。切除以外に方法がない。
手は、切除できない。
「……ユルゲン。……冒険者ギルドに走れ。ガルムに。……治癒士を。金は後で」
ユルゲンは走らなかった。彼は桶の脇で膝をついていた。
「……三十万G」
彼は言った。
「治癒士、三十万G。……親方、三人の葬式で貯金使った。……魔法士様の金も、一万五千、ない」
私は彼を見た。ユルゲンは泣いていた。木札を握ったまま、声を立てずに泣いていた。
私の板には毒の三分類が書いてある。井戸の消毒の術式が書いてある。百人の献立が書いてある。
三十万Gは、書いていなかった。




