第125話 一ミリ
ドルフは、絵を描いた。
作業台の上に板を置いて、木炭で。オークの肩。肩から首へ斜めに走る筋。筋と筋の間に、細い一本の線。
「これが毒腺だ」
彼の絵は教本の図よりずっと上手かった。四十年触ったものの絵は、四十年見たものの絵と違う。線に迷いがなかった。炭を持ち替えもせず、一息で引いていた。
「太さは糸だ。麻の糸、二本分。……これが筋の間を走る。途中で二度曲がる。一度目は肩の、この骨の下。二度目は首の付け根だ」
彼は線の二か所に印をつけた。
「毒腺の壁は薄い。糸の皮ほどだ。……包丁の刃が壁に触れれば破れる。破れれば毒が出る。出た毒は周りの肉に滲む。滲んだ肉は赤黒く変わる。……それが『汚染』だ。試験官は切断面の色を見る」
一ミリ。
「一ミリ外せば壁に触れる。一ミリ内側なら毒腺を切り残す。切り残せば毒が肉に残る。……外しても、内側でも駄目だ。毒腺の壁の外側、ぴったりに刃を入れる。ぴったりだ。それを肩から首まで。二度、曲がって」
彼は木炭を置いた。
「俺はこれを三年で覚えた。三年、毎日切った。切って、捨てた。……お前は二十日で位置を当てた。位置は当てた。だが、位置を当てるのと、壁の外側ぴったりに刃を入れるのは、別だ」
私は絵を見ていた。線。二度の曲がり。壁の外側。
「……親方。手が震えていても、切れますか」
「切れる。……震えを止めようとするな。震えたまま、震えの幅を、一ミリより小さくしろ」
震えの幅を、一ミリより小さく。
私は右手を見た。震えていた。幅は――分からない。だが、一ミリより大きいことは分かった。
その日、私は初めて包丁で毒腺を切った。
ドルフが裏の山の手前から肩肉を一つ持ってきた。廃棄のものだ。毒腺は少し傷んでいた。練習には向かないが、と彼は言った。
私は位置を当てた。触って、分かった。二十日の成果だ。
刃を入れた。
震えた。刃が毒腺の壁に触れた。触れて、破れた。毒が出た。周りの肉が赤黒く変わっていった。切断面の上で、色が広がるのが見えた。
「……汚染」
ドルフが言った。責める声ではなかった。事実を言う声だった。
「捨てろ。次だ」
次は明日だった。練習の肉は、一日に一体。
夜、板に書いた。『一ミリ。震えの幅、一ミリ以上。……壁に、触れた』
書いて、私は初めて、ある言葉を板に書きかけた。書きかけて、止めた。
その言葉を板に書いたことは、一度もなかった。前世でも。




