第116話 寄生虫の卵
「見えん」
解体場の作業台で、ユルゲンが言った。彼はゴブリンの腸を手に持って、目を細めていた。顔を近づけて、鼻の先が触れそうになって、慌てて離した。
「魔法士様は、この腸に虫がいるって言うけど。……見えねえよ。どこにも」
「卵だ。虫じゃない。……卵は小さい。目には見えない」
「見えないもんを、どうやって、いるって言うんだよ」
もっともだった。
私の『魔物鑑定Lv1』は「寄生虫、有」と表示する。だが、表示は私にしか見えない。ユルゲンには腸が見えるだけだ。ドルフも同じだった。四十年、彼は虫を見なかった。見えないものは、見なかった。
見えるようにしなければならない。
前世の生物の教科書。顕微鏡。レンズ。ガラスを磨いて光を曲げる。この世界にガラスはある。上町の窓に嵌まっている。だが、レンズを磨く技術は――
(……水だ)
水は光を曲げる。水滴は丸い。丸い水滴はレンズになる。前世で、理科の実験で見た。水滴の下の新聞の文字が、大きく見える。
「――エルフィーナ。水魔法で水の玉を作れますか。……小さい玉を。豆ほどの」
彼女は解体場に来ていた。エルフが魔物の解体場に来るのは四十年で初めてだと、ドルフが言った。彼女は匂いに顔をしかめながら、しかし帰らなかった。緑の衣の裾を片手で持ち上げたまま、三十分も立っていた。
「水の玉。……作れる。だが、何に使う」
「レンズです。……光を曲げて、小さいものを大きく見せる」
彼女は指先で空を撫でた。精霊は来なかった。だが、水魔法は精霊なしでも使えた。
指の先に水の玉が浮いた。豆ほどの、透明な丸い玉。
「……その下に、腸を」
私はゴブリンの腸の内側を薄く削いだ。削いだものを板に載せ、水の玉をその上に近づける。
窓からの光が玉を通った。玉の下の腸の表面が――
大きく、見えた。
「――うわ」
ユルゲンが覗き込んで声を上げた。
腸の表面に点があった。無数の、小さな楕円の点。点は規則正しく並んでいた。
その並び方を見て、私はそれが卵だと分かった。教科書の絵と同じ形だった。
「……これ、なに」
「卵だ。虫の」
「……これが、腹に入るのか」
「入って、腹の中で孵る。孵って、育つ。育って、腹を食う。……トビの腹が膨れたのは、これだ」
ユルゲンは水の玉を見ていた。見て、それから腸を見て、それから――
小屋の外へ走った。走って、吐いた。
ドルフがいつの間にか作業台の後ろに立っていた。彼は水の玉を覗き込んだ。四十年、腸を手前に置いた男が。
「……これか」
彼はそれだけ言って、長いあいだ覗いていた。太い指が、板の縁を掴んでいた。
「四十年、これを見ていなかった。……見えなかった。見えないものは、いないと思っていた」
彼は水の玉から顔を上げた。
「レオン。……これを俺の目で見せてくれ。毎日。分ける前に。……俺の勘は四十年だ。だが、この玉は、四十年の勘が見ていないものを見る」
エルフィーナが水の玉を消した。消して、少し震える声で言った。
「……エルフの森の湧き水に、これはいるか」
「……分かりません。湧き水にも、卵はあるかもしれない」
「……調べる。帰ったら。……いや、帰れんのだった」
彼女はそれ以上言わなかった。




