第115話 魔素と栄養
「魔素とは、何だ」
夜の禁書棚で、エルフィーナが言った。共同研究の第二題目。『魔物由来食材の、有毒部位と、魔素の関係について』。彼女はそれを本気でやるつもりだった。
「教本は『魔王領から流れ込む、汚れた力』と言う。魔物はそれに汚染された獣だと。……だが、汚染とは何だ。魔素は、魔力とどう違う」
私は板に二つの言葉を書いた。魔力。魔素。炭の線が、途中で一度掠れた。
「……分かりません。ただ、解体場で二十日、肉に触って分かったことが一つあります」
「言え」
「魔素の匂いは、部位で違います。肝臓が一番強い。次に毒腺。筋肉は弱い。……私の故郷の理屈では、肝臓は毒を溜める場所です。身体に入った毒を肝臓が集めて処理する。処理しきれなければ、溜まる」
「魔素は、毒か」
「毒の一種だと思います。魔物の身体が処理しきれずに溜めた毒。それが魔物を魔物にしている。……だから、肝臓と毒腺に集まる」
エルフィーナは板を見た。指の先で、「魔素」の字をなぞった。
「では、筋肉は」
「魔素が弱い。弱いということは、毒が弱い。……そして」
私は板にもう一つ書いた。前世の栄養学の教科書から。『鉄』。
「オークの筋肉は赤い。赤いのは血の色です。血には鉄がある。……下町の魔力欠乏症は、鉄の欠乏です。私はそう思っています。麦粥に鉄はほとんどない。オークの筋肉には、ある」
「……魔力欠乏症が、鉄?」
「魔力回路の萎縮は結果です。原因は、血が薄いこと。血が薄ければ、身体中に力が届かない。魔力回路にも届かない」
エルフィーナは長いあいだ板を見ていた。灯りの油が切れかけて、炎が一度細くなった。
「エルフに、魔力欠乏症はない」
「エルフは、何を食べますか」
「果実。蜂蜜。木の実。……それから年に一度、世界樹の実」
「木の実に鉄はあります。……人間の下町は、麦粥だけです」
彼女は髪を払った。
「……お前の理屈が正しければ、魔物調理師はゲテモノ資格ではない。……下町の、薬だ」
「はい」
「気に入らんが、書け。論文に。……私がエルフの栄養の記録を出す。八百年分ある」
その夜、板に仮説を書いた。
『魔力欠乏症=鉄・たんぱく質・ビタミンの欠乏。魔物の筋肉は鉄が豊富。毒は肝臓と毒腺に集中。筋肉の毒は弱い。……弱い毒を抜く方法が分かれば、下町に鉄が届く』
書いて、もう一つ思い出した。ブルーノの村。魔導農薬で死んだ土。
あれは魔素で土が死んだのではないか。魔素は毒だ。毒が土に溜まった。
板の隅に小さく書いた。『魔導農薬=魔素?』
まだ繋がらない。だが、書いた。




