第104話 バルトロメウス:報告書の平民
王立資格管理院の総長執務室は、白い塔の最上階にあった。
窓は四方にある。東に王宮。西に資格神殿の金の屋根。南に上町の石造りの街並み。北に――北の窓だけは、鎧戸が閉まっていた。
北の窓からは、下町が見える。バルトロメウス・グランツは三十年前、この部屋に入った日にその窓を閉めた。以来、一度も開けていない。
机の上に、報告書が三通あった。
一通目は王立魔法学院から。春期特待生、および魔法士C級試験の結果報告。首席、二名。同点。前例なし。備考、『特待生レオン・シラハネ、術式教本外。学院記録更新。分類不能職業、二』。
二通目は資格神殿から。刻印記録。備考、『上記受験者の刻印において、祝福と思われる現象を、複数の神官が確認。村人E級から継続との、本人申告』。
三通目はブレナ領主庁から。閉鎖に伴う試験官の異動報告。ヘルガ、王都下級試験官として着任。備考、『同領主庁において、剣士D級と下水清掃士E級を同一試験期に取得した者、一名。分類不能職業、一』。
三通とも、同じ名前だった。
バルトロメウスは報告書を重ね、机の端に置いた。紙の角を、指先で揃えた。
「――総長。その者を、いかがなさいます」
窓際にハインリヒ・フォン・ロスチャイルドが立っていた。財務理事、四十八歳。彼は金の話しかしない。今日も金の話だった。
「学院の特待生枠を使っております。魔法士C級の受験料、一万五千Gを学院が負担。……平民に一万五千Gを使うのは枠の設計上、想定内ですが、二年目、三年目と同じ者に使い続ける場合は」
「……放置せよ」
バルトロメウスは言った。
「放置。……よろしいのですか。神殿が『祝福』と言っております。祝福などという言葉が平民につくのは」
「神殿は神殿の言葉で言うだけだ。……ハインリヒ。三十年前、私がこの部屋に入ったとき、最初に何をしたか、覚えているか」
「受験料体系の改定です」
「そうだ。上級資格の受験料を五倍にした。……なぜか」
ハインリヒは答えなかった。答えを知っていた。知っていて口にしないのが、彼の財務理事としての資質だった。
「資格は、鎖だ」
バルトロメウスは南の窓を見た。上町の石造りの街並みが、午後の光の中に整然と並んでいる。
「三千年前、神が資格を作った。道標として。……道標は誰でも辿れる。誰でも辿れる道は、道ではない。獣道だ。私は道に門をつけた。門には金がかかる。金がある者だけが通る。通った者は、通れなかった者を見下ろす。見下ろす者がこの国を支える。……それが鎖だ。鎖がこの国をまとめている」
彼は机の報告書を見下ろした。
「その平民は門を通った。学院の、飾りの枠で。飾りは私が作った。飾りから飾り以上のものが出てくることは、設計上ない。……出てきたなら、それは飾りの不具合だ。不具合は直せばいい。だが今は、まだ不具合の大きさが分からん」
彼は羽根ペンを取り、三通の報告書の余白に同じ言葉を書いた。
『備考欄に、記録せよ。措置、不要』
「……放置、ということですね」
「記録して、放置だ。……ハインリヒ。備考欄は無制限だ。書いておけ。書いたものはいつでも読める。読めるものは、いつでも使える」
ハインリヒは一礼して退室した。扉が閉まる音が、広い部屋に短く響いた。
執務室に一人残った。バルトロメウスは羽根ペンを置いて、自分の手を見た。
右手の甲に古い傷がある。白く引きつれた、火傷のような傷だ。石灰で焼けた傷だった。四十年前の。彼はそれをいつも手袋で隠している。今日は外していた。報告書を読むときだけは、外す。
三通目の報告書。『剣士D級と、下水清掃士E級を、同一試験期に』。
下水清掃士。
彼はその五文字をしばらく見ていた。見て、それから手袋を嵌めた。嵌めてから、北の窓の閉まった鎧戸を見た。
開けなかった。
机の隅にもう一通、封書があった。王弟ヴァルター大公爵からの私信。開封済み。内容は王女の教育について。「王女に公衆衛生などという平民の学問を近づけるな」。
彼はそれを、報告書の下に挟んだ。
「……三十年」
誰に向けてでもなく、彼は言った。
「三十年開けていない窓を、平民が外から叩いている。……鎖の音か。それとも」
言葉は続かなかった。
白い塔の最上階に、夕方の鐘が届いた。神殿の鐘だった。三千年、同じ音で鳴っている鐘だ。
(幕間二 了)
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