第100話 アンナの願い
夏の終わりだった。
アンナの母は床を離れていた。咳は減った。窓は開いたままだ。彼女は洗濯屋の仕事に戻った。
戻ったが、以前より痩せていた。赤腹病は身体から何かを持っていった。持っていかれたものは、麦粥では戻らなかった。
「――レオン。……治癒士の受験料って、いくらですか」
夜の実技場で、アンナが言った。彼女は床の陣の前に座っていた。魔力四。風の炎。もう百四十秒ではない。二百秒。彼女は毎晩、五十回それを繰り返していた。手のひらの皮が、少し荒れていた。
「八万Gだ。B級」
「……八万」
彼女はそれを口の中で繰り返した。
「母の洗濯の給金は、月に三千G。……二年と少し。全部貯めて、二年と少し」
「……受験条件もある。薬剤師B級か、魔法士C級。魔法士なら来年取れる。特待生だから、学院が出してくれる」
「薬剤師は」
「八万G」
彼女は笑った。乾いた笑いだった。
「……レオン。私、治癒士になりたいんです」
彼女はそれを、初めて言ったときと同じ声で言った。食堂でライ麦パンをちぎりながら言ったときの声。
だが、今回は続きがあった。
「母のためだと思ってました。三十万Gの診察を、自分でできるように。……でも、この夏、西区で匙を運んで。ミラが歌って。レオンが窓を開けて。……母は、治癒士なしで床を離れました」
彼女は手のひらの炎を見ていた。炎は細く、揺れずに立っていた。
「治癒士は要らなかった。……要らなかったのに、私はまだなりたいんです。理由が変わったのに」
「……どう、変わった」
「……分かりません。でも、西区の路地に、まだ座ってる子がいます。匙が届かない子が。……匙で届かない場所に届く方法を、知りたい」
匙で届かない場所。
私は板を開いた。『治癒士(B級)』。受験料、八万G。合格率、九パーセント。試験内容、『魔力神経の縫合』。
その下に、『公衆衛生士(A級)』。受験料、八十万G。
届かない。私にも、まだ届かない。
魔法士C級は学院の金で取れた。だが、その先は学院も出さない。首席の推薦枠は、大魔導士の一枠だけだ。
「……アンナ。一つ、約束できることはない。金は俺にもない」
正直に言った。
「でも、一つ分かったことがある。……八万Gは、二年で貯まる。月三千Gずつ。二年後、アンナは十八だ。十八で治癒士を受ける。受かるかどうかは分からない。でも、受けられる」
「……二年」
「二年で、風の炎をもっと育てる。魔力四で治癒士の実技が通る方法を、二年で探す。……俺も探す。今はまだない。ないから、探す」
アンナは炎を見ていた。長いあいだ見てから、頷いた。
「……二年」
その夜、板に書いた。『アンナ、治癒士、二年後。八万G。……金』。
金。
その一文字を、私は丸で囲んだ。
四千Gの村の金。学院の一万五千G。私はまだ一度も、自分の金でC級を取っていない。
次の資格は、金が要る。金を作る資格は――図鑑にある。




