2話 崩壊前夜
白い壁に囲まれた取調室で、レオンは一人、椅子に座っていた。
正面には警備主任。
その隣には、記録端末を持った警備兵が二人いる。
室内にあるのは、机と椅子。
そして、天井に取り付けられた監視カメラだけだった。
逃げ場はない。
レオンは膝の上で拳を握りしめた。
「もう一度聞く」
警備主任が端末を操作する。
「昨夜、第七ドックで殺人事件が起きた」
「……」
「事件発生時刻は二十三時から二十三時三十分」
レオンの表情が強張る。
「この三十分間、君は何をしていた?」
「寮にいました」
「どこに?」
「自分の部屋です」
「一人で?」
「ルームメイトがいました」
「起きていたか?」
「……寝ていました」
「つまり、証人はいない」
「でも、本当に部屋にいました」
警備主任は淡々と記録を入力する。
「二十三時から二十三時三十分まで、部屋から出ていない」
「はい」
「それを証明できる人間は?」
「……」
レオンは言葉を詰まらせた。
「ルームメイトはいました。でも寝ていたので、たぶん覚えていません」
「つまり、君の行動を証明できる者はいない」
「そうですけど……」
「それは君自身の証言だ」
警備主任が顔を上げる。
「では、もう一度聞く」
「……」
「二十三時から二十三時三十分まで、君は何をしていた?」
「部屋にいました」
「何をしていた?」
「……機械をいじってました」
「何の機械だ?」
「自分の端末です」
「記録は?」
「残ってると思います」
「調べた」
レオンの顔が動く。
「……え?」
「二十三時から二十三時三十分の間、君の端末には有効な操作記録が存在しない」
「そんな……」
「それだけではない」
警備主任が画面をレオンへ向ける。
「二十三時十二分」
表示された時刻の横に、第七ドックの認証記録が表示される。
「レオン・アークライトの認証情報で、第七ドックへ入っている」
レオンの目が見開かれた。
「……俺じゃない」
「二十三時二十六分」
次の記録。
「同じ認証情報で、第七ドックから退出している」
「だから俺じゃない!」
レオンが身を乗り出す。
「俺はその時間、部屋にいました!」
「では、なぜ君の認証情報が使われている?」
「分かりません!」
警備主任の表情は変わらない。
「現場の監視映像にも君が映っている」
「それも俺じゃないです」
「そうか」
短い返事だった。
警備主任は一度画面を閉じる。
「現場から遺体が一体発見されている」
「……遺体?」
再び画面が表示された。
黒い布をかけられた遺体。
しかし、その映像だけでも異常さが分かる。
胸部から肩にかけて。
本来なら肉体が存在しているはずの部分が、不自然に消失していた。
切断されたようにも見えない。
焼けたようにも見えない。
まるで、その部分だけが最初から存在していなかったようだった。
「胸部、左肩、左腕の一部が完全に失われていた」
「……」
「現場には大量の血液が残っている」
レオンは映像から目を逸らせなかった。
「だが、凶器は発見されていない」
「俺は知りません」
「分かっている」
「え?」
「だから聞いている」
警備主任が別の映像を表示する。
第七ドックの床。
壁。
そして、黒い痕跡。
「これは現場に残されていたものだ」
「……何ですか、これ」
「分からない」
「警備部でも?」
「分からないから調べている」
警備主任は画面を切り替える。
一人の少年が、第七ドックの通路を歩いている。
レオンだった。
少なくとも、映像の中では。
「君だな?」
「違います」
「顔も一致している」
「俺じゃない!」
「では、誰だ?」
「知りません!」
レオンの声が取調室に響いた。
画面の中の少年は、まるで感情がないように歩いている。
その歩き方。
姿勢。
顔。
すべてが自分と同じ。
それなのに、レオンは直感的に理解していた。
あれは自分ではない。
「俺の姿を使ってる……」
警備主任がレオンを見る。
「何のために?」
「分かりません」
「誰が?」
「分かりません」
「では、君はあれを何だと思う?」
レオンは答えられなかった。
画面の中の自分が、こちらを見ているような気がした。
ぞっとする。
まるで、自分の知らないところで、自分ではない何かが生きている。
「現時点では、君を解放する理由がない」
「待ってください」
「殺人容疑は継続する」
「違う!」
「担当官が来るまで、ここで待て」
「俺はやってない!」
扉が開く。
警備兵がレオンの腕を掴んだ。
「離してください!」
抵抗するレオン。
「俺は本当に何も知らない!」
だが、扉は無情に閉じられた。
静寂。
取調室に一人残されたレオンは、しばらく扉を見つめていた。
「……何なんだよ」
答える者はいなかった。
◇
同じ頃。
エリシュオン中央区画。
巨大な商業施設の中を、一人の少年が歩いていた。
レオン・アークライト。
同じ顔。
同じ髪。
同じ制服。
すれ違う人々は、誰も疑問を抱かない。
「レオン君?」
女性が声をかけた。
少年が振り返る。
「何でしょう?」
「学校帰り?」
「はい」
「今日は早かったのね」
「そうですね」
少年は笑った。
完璧な笑顔だった。
女性が去っていく。
その瞬間。
少年の表情から笑顔が消えた。
完全に。
何の感情もない顔になる。
少年は人通りの少ない路地へ入った。
そして足を止める。
誰もいない。
少年の身体が揺らいだ。
輪郭が歪む。
顔が変わる。
髪が白く染まっていく。
身体が細くなり、少年の姿が崩れていく。
数秒後。
そこに立っていたのは、一人の白髪の少女だった。
少女は自分の手を見つめる。
指を曲げる。
開く。
もう一度、曲げる。
「……動く」
自分の頬に触れる。
「……温かい」
少女は淡々と呟いた。
「これが……人間」
その声に、恐怖も喜びもなかった。
ただ、確認するような響きだけがあった。
少女は路地から出ようとする。
そして足を止めた。
遠くに一人の男が立っていた。
黒い軍服。
長い銀髪。
顔を覆う鉄仮面。
男は、少女を見ていた。
「……」
少女は男に声をかける。
「あなた」
男は答えない。
「私を知ってるの?」
「ああ」
低い声だった。
「知っている」
「じゃあ、私は誰?」
男は黙っている。
「名前は?」
「ノエルだ」
「そう」
少女は男をじっと見る。
「あなたは何者?」
「ヴァイス」
「ヴァイス……」
ノエルはその名前を記憶するように呟いた。
「あなたが私をここに連れてきたの?」
「違う」
「じゃあ、誰?」
「それを知る必要はない」
ノエルはわずかに目を細めた。
「意地悪」
ヴァイスはノエルを見る。
その視線には、警戒も驚きもなかった。
まるで、目の前にいる少女が現れることを、ずっと前から知っていたかのようだった。
「お前はここにいてはいけない」
「どうして?」
「見つかる」
「誰に?」
「人間に」
ノエルは街を見る。
そこには何万人もの人間が暮らしている。
笑っている者。
話している者。
子供と手を繋いで歩く者。
ノエルはそれを不思議そうに眺めた。
「人間って、変なの」
「そうだな」
「あなたも人間?」
ヴァイスは答えなかった。
「……まあ、いいや」
ノエルはヴァイスを見る。
「私、どうすればいい?」
「ついてこい」
「どこへ?」
「安全な場所だ」
「どうして助けてくれるの?」
ヴァイスはしばらく沈黙した。
「お前が必要だからだ」
ノエルは首を傾げる。
「必要?」
「ああ」
「何のために?」
「それはまだ教えられない」
「そう」
「そうだ」
ノエルは少し考えた。
そして、淡々と告げる。
「じゃあ、ついていく」
ヴァイスは背を向ける。
「来い」
ノエルはその背中を追った。
その姿を、誰も気に留めなかった。
だが。
ヴァイスだけは知っていた。
この少女が何者なのか。
なぜ生まれたのか。
そして――
彼女が、これから始まる戦いの鍵になることを。
◇
同じ頃。
エリシュオン管制室。
警報が鳴り響いていた。
「観測機より報告!」
「何だ!」
「高次元空間に異常反応!」
艦長が立ち上がる。
「ネメシスか?」
「確定できません!」
「なら何だ!」
「分かりません!」
モニターに波形が映し出される。
それは、ゆっくりと増えていた。
「反応数、三」
「四」
「五……十……」
数字が増えていく。
「二十!」
「まだ増えています!」
艦橋にざわめきが広がる。
「方向は?」
「全方位です!」
「……何だと?」
艦長がモニターを見る。
エリシュオンを中心に、無数の反応が発生している。
「まさか……」
誰かが呟いた。
「包囲されているか?」
その瞬間。
警報音が変わった。
より低く。
より長い警告音。
『高次元干渉を確認』
『DARS未接続領域に異常発生』
『空間構造の変質を検知』
管制室の全員が凍りつく。
「……DARS?」
艦長が立ち上がる。
「誰が起動した?」
「起動していません!」
「なら、なぜ反応している!」
答えはなかった。
ただ、モニターの一つに異常な映像が映し出された。
星空。
その中央が、歪んでいる。
まるで宇宙そのものに穴が開こうとしているようだった。
◇
拘束区画。
レオンは椅子に座ったまま、遠くの警報を聞いていた。
「何だ……?」
廊下を兵士たちが走っていく。
「ネメシスだ!」
「防衛区画を閉鎖しろ!」
「民間区画を隔離!」
レオンの顔から血の気が引いた。
「ネメシス……?」
窓のない部屋。
外の様子は見えない。
だが、建物全体がかすかに震えている。
その時。
通信端末が一瞬だけ点灯した。
ノイズ。
そして、誰かの声。
『……レオン』
「え?」
聞き覚えのある声だった。
「リア?」
しかし返事はない。
通信は途切れた。
「リア!」
レオンが立ち上がる。
だが拘束具がそれを許さない。
「待ってくれ!」
その声は、誰にも届かなかった。
◇
エリシュオン中央区画。
ヴァイスと白髪の少女は、地下へ続く通路を歩いていた。
突然。
少女が足を止めた。
「……来る」
ヴァイスも止まる。
「何がだ?」
少女は天井を見上げる。
その瞳に、初めてわずかな感情が浮かんだ。
「分からない」
「……」
「でも、知ってる」
ヴァイスが少女を見る。
「何を?」
少女は胸元に手を当てる。
「怖い」
ヴァイスは黙った。
少女が初めて見せた感情だった。
「これが……怖いってこと?」
「ああ」
「そう」
少女は空を見上げる。
その向こう側から。
何かが近づいている。
人類が長い年月にわたって恐れてきた存在。
文明を滅ぼし、魂を奪い、エーテルの光を追ってくる異形。
ネメシス。
ヴァイスは静かに呟いた。
「始まったか」
少女が振り返る。
「何が?」
「終わりだ」
その瞬間。
エリシュオン全域に非常警報が鳴り響いた。
空を覆う人工の雲が、歪んだ。
青かった空に、黒い亀裂が走る。
そして。
その向こう側から。
巨大な何かが、こちらの世界へと姿を現そうとしていた。




