-31- 対局
囲碁や将棋に言えることですが、対局する一局一局に価値の違いはあるのか? などと、このクソ暑い中に考えてしまいました。当然、対局されている棋士の方々は、そんなことを考えず対局に臨まれているんでしょうが、私のようなド素人には気になってしまう訳です。^^
「二十秒…二十五秒…」
棋院の幽霊の間で、とあるタイトル戦の対局が行われている。先手[黒]番の長九段が石音高く、相手の勢力圏の内側に厚かましく侵入した。
「黒、十七の三、三々…」
AIが登場して以降、よく用いられるようになった布石の早い段階での手筋である。後手[白]番の木本九段は、そう来られますか…といった気分で静かに白石を盤上に置いた。
「白、十七の四…」
女性の記録係が流暢な声で棋譜を読み上げる。このときすでに、対局には異変が起こっていた。長九段はこの日、腹具合が悪く、対局前に下痢止めを飲んでいたが余り効果なく、対局前に病院へ行くつもりだった。ところが生憎、交通渋滞に巻き込まれて病院に行けず、ギリギリのタイミングで棋院へ滑り込んだのだった。そんなことで、次の一手を考えるというよりは、如何に漏らさずに対局を終えるか? という辛抱の対局になっていたのである。
「珍しいですね…。長九段、この対局では考慮時間を一度も使われていませんが…」
別の部屋ではこの対局の大盤解説がプロ棋士によって行われていた。
「そうですよね…」
解説するもう一人の女性プロ棋士が、訝しげに返した。
その頃、対局している長九段は我慢の限界に達していた。そしてついに、まだこれから中盤に差しかかろうという早い段階で長九段は軽く頭を下げた。さらに、黒石を無造作に片隅へ置いて投了を無言で告げ、席を足早に去った。長九段にとって、腹具合の価値の方が対局の価値より勝っていたのだ。トイレへ駆け込んだ長九段の心の声である。
『漏らさないで、よかった…』
かろうじて、長九段は大恥を掻かずに済ますことが出来たのだった。
まあ、対局の価値よりは体調の価値の方が高いですよね。恥も書きますし…。^^
完




