ベアトリーチェ・ディ・メディチの肖像7
「こんな所でいったい何をしておいでだい、ミケランジェロ?」
冷たい手で首筋を撫でられたような気がして、倭文は後ろを振り返った。回廊の柱の影にはマリーアが幻影の魔女のような風情で立ち尽くしていた。
「こっ、これはマリーア様。私は殿様のご命令でこの東方のお客人をお部屋にご案内するところでして…」
「客間に行くのならこの回廊を通るわけはない」
「そっ、それは近道で…」
「ミケランジェロ、卑しい者同士気が合うのは勝手だが、そのように得体の知れぬ者をジョヴァンニ様のお部屋近くに近づけることは許しません。あの方に大事あったらそなたが死んでも償いきれぬ」
一方的に決めつけたマリーアはそれきりもうミケランジェロには一顧だにせず、まっすぐ頭を上げて去っていくかに見えたが…。
「そなた…ヴェネツィアかトルコか、いずれの間者かは知らぬがー立ち聞きが見つかるとは何とも間抜けな話じゃの」
倭文とすれ違った時に不意に放たれた悪意の滴る言葉。驚いた倭文はただ通り過ぎていくマリーアの横顔を見送っていたのだが。
「もう、我慢できない」
追いかけてマリーアの後ろ姿に飛びかかろうとしたミケランジェロの姿を見て我に返った倭文は慌ててその腕を掴んだ。
「止めないでくださいよッ 、倭文様!私はここを追い出されたって構いやしませんてば!いくら公女だからって、あの性格は悪すぎる。リーチェ嬢様なら絶対あんな…」
「じゃ私のために納めてくれないか、ミケランジェロ?」
「へっ?」
ミケランジェロは毒気を抜かれたように倭文を見る。倭文はその手を緩めながら微笑んだ。
「君が私のことでマリーア殿と争ったなど大公様のお耳に入ったら、私はせっかく手に入れた宿を手放さなくてはならなくなってしまう。君は私に路頭に迷えと言うのかい?」
「あ…」
この端っこい芸術家はすぐに倭文の言わんとしたことを理解したらしい。プッと吹き出しながらおどけた口調に戻った。
「そうでしたね。倭文様を追い出した張本人が私だと知れたら、ベアトリーチェ様に二度と口を聞いてもらえなくなってしまう。そんなのまっぴらだな。倭文様、ありがとうございます、思い止まらせてくださって。どうも私は頭に血が昇りやすくて…危うく貴重な東方の話を聞き逃すところでしたよ」
「そういえば君やベアトリーチェ姫は東方の話を聞くために中庭にいたのだったね」
「ええ、今朝はゆっくりお話が聞けるかと思ったんですけど、ジョヴァンニ様の茶々が入るし、リーチェ嬢様はお輿入れの準備で早々に退がられてしまうし…」
「もしロレンツォ様のお許しがあれば、旅の徒然などを君達に聞いてもらいたいが…」
「本当ですか!」
ミケランジェロの表情は陽が差し込んだように輝いた。
「きっとですよ、倭文様!ええ、殿様のお許しはきっと頂きますとも。さぁ、そうと決まったら早速殿様に…っとその前にお部屋へご案内しなけりゃね」
ウキウキとした雰囲気を体全体に漂わせて小走りに歩くミケランジェロを追って、倭文は回廊を歩き出した。




