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透明  作者: 文月
第一部 出逢い編

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第57話 みーくんと家族になりたいの

 

「寝間着と歯ブラシと……泊まりって他に何が必要だっけ」


 泊まるか泊まらないかの悶着(もんちゃく)は、すでに無意味と化した。


 とりあえず必要なものを考える。


 その最中、持っていた携帯が振動し、母親からのメールを受信した。


「オソロイのパジャマ買っちゃう?」

「やめて、絶対やめて」


『ちくわ買ってきてくれる?』


 返ってきた内容に、何でちくわ? と思う。


 けれど、軽いつまみを作るつもりなのかもしれない。


「んー……じゃあ、オソロイの歯ブラシとかは?」

「それくらいなら……」


『了解』


 それだけを打って送信する。


 帰ったら、また手伝わなくちゃいけない。


 そう思うと、今から気分は憂鬱だ。


 みーくんと海が接触しないようになんて、確実に無理な状況になる。


「オソロイのマグカップとか?」

「それもまぁ……許容範囲かな」


 なんやかんやと言っているみーくんに、おざなりな返事をしながら携帯を閉じる。


「――卒業したら、一緒住む?」


 とにかく、ちくわを買う。


 みーくんのお泊まりセットも買う。


 帰ったら手伝いをして、神経をすり減らさなければいけない。


「まぁ……それも、って、なに? 何か違う質問だったね」

「なんでもなぁーい。楽しみぃ」

「何が? ねぇ何が?」


 適当に返していたせいで、質問を聞き逃した。


 大したことでもなかったのか、みーくんは飄々と笑って受け流した。


「……本日は突然お伺いして申し訳ありませんでした」

「いやいや、そんな……かしこまらなくても。今日はありがとうな」


 ――お母さん、この天変地異は何なの?


 ━────── •●• ──────━


 午後10時半。


 ようやく怒涛(どとう)の食事配膳が落ち着いた。


 お酌に回っていた母親も、私も、みーくんもお役御免となる。


 みーくんの凄いところは、窮地(きゅうち)をさらりと切り抜けてしまうところだ。


 配膳をしっかり手伝いながらも、羽柴充の素性はほとんど明かさない。そのうち親戚は酔い始めた。


 私にくっついて回っていた詩音と、海と遊んでいるらしい譲も、いつの間にか居間から離れていた。


 久しぶりに見た譲は、記憶の中よりずっと大きくなっていた。


 私を姉だと気づきながらも、決して話し掛けては来なかった。


 どう接していいか分からないのは、きっとお互い様だ。


 譲のことは海が引き受け、詩音は部屋で写真集を読んでいる。


 落ち着きを取り戻した私と母親、それから皿を片付けてくれていたみーくん。


 3人で、父親が待つ2階へ向かった。


 最初はぎこちない雰囲気で向かい合っていたはずだった。


 みーくんを紹介し、交際していることを説明する。


 そのあと、2階の部屋に置いてある写真にみーくんが気づいた。


 それから、なぜか父親が若い頃に乗っていたバイクの話になる。


 次第に会話が弾んでいった。


 だけど、私は知っている。


 バイクの知識は、きっとタキからの受け売りだ。


 みーくんはバイクにあまり興味を持っていないはず。


 父親とみーくんを見て、母親は困ったように笑う。


 私も所在なさげに苦笑した。


 こうやって一緒にいると、何だか家族みたいだ。


 家族には違いないのに、私はそんなふうに思っていた。


「――ところで、就職先というのは?」


 バイクの話が一段落し、核心に近い部分へ話が移る。


 やっと来た。


 すでに話に辟易(へきえき)していた私を見て、父親はみーくんへ問い掛けた。


「いやね、ただの交際なら聞かないが……鈴子と婚約となると、やはりその先の話も聞いておきたい」

「就職先は喫茶店です。社員として働かせてもらうことになっています」


 にっこり笑って答えたみーくんに、母親は難しそうに眉を寄せた。


「喫茶店……そうなの」


 私そっちのけで会話する両親とみーくん。


 並々ならぬ複雑な空気を出していて、居心地がとても悪い。


 喫茶店に就職とか、いつ決まったんだ。


 もしかして酒田さんのお兄さんのところ?


 森のカフェ?


 疑問はたくさんある。


 けれど、ここで口を挟んではいけないような気がして、口をつぐむ。


 今はとにかく、みーくんに任せよう。


 余計なことは言わない方がいい。


 忙しくて打ち合わせなんてする間もなく迎えた、ぶっつけ本番の対面。


 ひやひやする反面、認めてもらえたらと期待もする。


 交際の承認ではなく、婚約の承認。


 なかなか難しい。


 けれど、私の家族さえクリアすれば、私とみーくんの繋がりは今以上に確かなものになる。


 『喫茶店』と聞いて不安そうな顔をした母親へ、みーくんはにっこり微笑んだ。


 それから、持ってきていた黒いバッグからクリアケースを取り出す。


 A4サイズよりわずかに大きい。


 透けて見えた中には、『正社員雇用契約書』の文字があった。


 初めて目にした書類に、私は目を見開いて絶句した。


 そんな私なんてお構いなしに、みーくんはそれを開く。


「昨夜、こちらへ来る前に受け取ってきたものです。確認していただいて構いません」


 愛想よく笑うその顔が、詐欺師にしか見えない。


 私の先入観からだろうか。


 どう考えたって、1日2日で準備できるものじゃない。


 作らせたの間違いなんじゃないか。


 ジト目を送った私に、みーくんは穏やかに微笑んでみせた。


「羽柴くんは……随分としっかりしているのね」


 母親のその声は、なぜか沈んでいた。


 目を合わせた直後、真意に気づく。


 ――疑ってる。


 あまりにも手回しがいいみーくんを、母親は恐らく疑っていた。


 19歳で、この用意周到さ。


 もし私が母親でも、疑いたくなるのは当たり前だ。


 だけど、やっぱり羽柴充はどこまでも上手で、ずる賢い。


「――両親が、いないものですから。自分のことは自分でできるように、学校の先生方や役場にも何度もお世話になりました」


 だから、こんなにしっかりしてるんです。


 そんなニュアンスで悲しそうに語ったみーくんへ、母親は気の毒そうに目を伏せた。


「そう……大変だったのね」


 母親を騙すな。


 生い立ちのトラウマはすでに克服しているくせに、うまいこと使うみーくんに呆れさえ湧いてくる。


「鈴子は……」


 父親が何か言いかけて、止めた。


 先を促すように私は頷き、続きを聞こうと目を合わせる。


「鈴子は充君と婚約をしたいのか? まだ2人とも若い。そんなに急ぐ必要が……」

「……お父さん」


 頭を掻きながら、父親は続ける。


 けれど母親がそれを止め、小さく首を横に振った。


「鈴子ね、今まで色々なことを考えていたみたい。私たちが気づいてあげられなかったことを、羽柴くんが気づいてあげたのよ」

「気づいてやれなかったこと? それは……何のことだ?」

「ずっと鈴子はお姉ちゃんだったの。私たちのことをいつも考えて……我慢もたくさんしてくれた。ほら、覚えてるでしょう」


「1人だけ、いつもお菓子をねだらなかったこと。おもちゃも、買ってあげたのは2歳のときだけよ。何かを欲しいって全然言わなくて……。やりたいことも、行きたい所も鈴子は2度言わなかったでしょう」


 母親は、まるで思い出したばかりのように目を細めてそう言った。


 うろ覚えでも、気づいてくれたことに胸が震える。


 私は確かに、この人たちと一緒に過ごしていた。


 多少なりとも家族だった。


 酷い両親というわけじゃない。


 ただ、食い違って、すれ違った。


 愛情の深さに、仕方なく優劣がついた。


 海がもしやんちゃでなければ。


 詩音がもし障害を持っていなければ。


 譲がもし生まれていなかったら。


 私はもっと愛情を分け与えられていたんだろうか。


 もしもの話に意味はない。


 現実にはなり得ないからこそ、例え話にしかならない。


 だけど、それでも。


 ここに少しの愛がある。


 私とみーくんが並んで座るこの場所へ、両親から向けられた瞳に私への愛が見える。


「みーくんと家族になりたいの。そのために一歩進みたい」


 ずっと言えなかった『わがまま』を、言ってみようと思う。


「お願いします。もうこんな無茶は、これから絶対言わないから」


 真っ直ぐに見据えた両親は、昔よりずっと優しそうに見えた。


 海が独り立ちして、私がいなくなった。


 詩音が養護学校へ行き、譲が大きくなった。


 苦労が前より減ったからか、記憶の中にいる2人より顔立ちが柔らかくなっているように感じた。


「……今までだって、お前は無茶を言ってないだろう。これから言わないっていうのはおかしいな」


 ふっと目尻を緩めた父親に、母親も同意して頷く。


「好きにしなさい。ただ、婚約は許すが……すぐに結婚は駄目だ」

「分かってる」

「これなら卒業してからすぐに結婚してもいいかも」


 さらりと言い放った母親に、父親と私の視線が集中した。


 いきなり何を言い出すんだ。


 私と父親の顔には、きっとそう書いてあったはずだ。


「なっ……!」

「喫茶店って案外しっかりしてるのよ。ほら、見て。これなら安心よ。でも、そうね……せめて何か月かは働いてからじゃないと駄目ね」


 『正社員雇用契約書』と書かれた、かしこまった書類を見ながら、母親はいたずらっぽく笑ってみせる。


「母さん……ちょっと待て!」


 焦る父親に、呆然とする私。


 契約書を読んで話を聞くうち、ころっと態度を変えた母親。


 唐突過ぎる許可を出して、場を混乱させた。


「だって羽柴くん、いいじゃない」

「ありがとうございます、お義母さん」


 すかさずお礼を言うみーくんに、ハッとして意識を取り戻す。


「みーくん!」

「母さん!」


 なぜか二対二で結論が分かれた。


 私と父親、みーくんと母親チーム。


 手が止まっていた食事を再開し、何とか折り合いをつけた結果。


 早くても最低1年は婚約を維持することが決められた。


 何で私とみーくんが戦ったんだろう。


 後々、このときの話は私とみーくんの間で何度となく語られることになる。


 食事を終え、しばらくみーくんと話したあとの入浴後。


 父親の部屋で眠ることになったみーくんと別れ、詩音の部屋へ向かう。


 母親はすでに詩音の横に転がっていた。


 その隣に敷かれた布団へ、私は入る。


 いびきをかきながら眠る詩音は、天使のように安らかな寝顔を見せている。


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