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透明  作者: 文月
第一部 出逢い編

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第56話 ずっと、さみしかった

 

「もしかしたら、結婚しても家族に言おうとしなかったかもしれない。分からないけど、そうする可能性は高かったと思う」

「どういうことなの……?」

「私、お母さんが望むいい子になりたかった。だから、たくさん我慢して……」


 これを言えば、母親を傷つけることになる。


 そう思うと、ためらう気持ちが現れた。


 少しだけ息を吸って、覚悟を決める。


「ずっと、家族の中で一人ぼっちみたいな気がしてた」


 まっすぐに母親を見つめると、母親も私をじっと見つめ返した。


「お母さんは私をいい子だって、お姉ちゃんだからって口癖みたいに言ってたから……わがままは言っちゃいけないと思って我慢してた」


 こうやって真剣に話を聞いてもらうのは、何年ぶりだろう。


 思わずにじんだ涙に気づいて、みーくんと会ってから涙もろくなったんだと苦笑いした。


「海も詩音も譲も、羨ましかった。私はそんなに構ってもらえないのにって、いつも思ってた」

「鈴子……」

「お母さんは、お母さんで大変だったと思う。ちゃんとそれは分かってる。でも、それでも……」


 ぐっと唇を噛んで我慢した。


 まだ話は終わってない。


 ここで泣いたら、続けられなくなる。


「ずっと、さみしかった……! お母さんが、私を……忘れてしまうって。私を置いてきぼりにしてしまうんじゃないかって……不安だった……!」


 噛み締めた唇がじくじくと痛む。


 本音を言ったら迷惑になると思って、いつも口をつぐんでいた。


 困らせちゃいけない。お母さんは忙しい。


 ずっと胸の中にあった不安は、そのうち孤独へ変わっていった。


 実家を離れてからは、詩音へした仕打ちと自身の恐ろしさを夢に見るようになった。


 本当はいい子じゃなかったから、いい子でいるのが苦しかった。


 だから、そんな私を抱き締めて、私の一部になってくれたみーくんが何より大切な存在になった。


「みーくんが、私の傍にいてくれる。私を一番に考えてくれる。初めて、いい子にならなくていいって思わせてくれた……大事な人だよ」


 言いたかったのは、これだった。


 みーくんが私にとってどれだけ大切なのか。それを説明したかった。


 母親は目元を覆って俯く。


 たくさんの気持ちがあふれる中で、一番伝えたかったことが言えた。


 だから、もう私はしっかり立ち上がれる。


 支えて歩いてくれるみーくんがいる。


 他に誰がいなくても大丈夫だと思えるようになった。


「……鈴子、聞きたいことも言いたいことも、まだ山ほどあるのよ。でも、まずはお祖母ちゃんを送り出してから、あとでゆっくり話しましょう」


 深く息を吸い込んで、母親は静かにそう言った。


 頷いた私に向けられたのは、小さい頃によく羨ましく思っていた、愛情にあふれた母の笑顔。


「打ち明けてくれて、ありがとう。たくさん我慢させて……ごめんなさい」

「……こっちこそ、忙しいときにごめん」

「いいのよ。今日聞けてよかった。羽柴くんのおかげね」

「……うん。みーくんがいなかったら、言えなかったかもしれない」


 くすっと笑った母親は、記憶の中で詩音に微笑んでいたあの頃の母親とまったく同じ顔をしていた。


「あのね、鈴子はお祖母ちゃんとあまり仲良くはなかったから、黙っておこうと思ったんだけど……」


 ――手紙が、あるの。お祖母ちゃんから。


 ━────── •●• ──────━


 葬儀は滞りなく進んだ。


 地元でもわりと大きな会場で、行くときはみーくんに乗せてもらうことになった。


 うっすら赤くなった目を見て、みーくんは一瞬だけ目つきを鋭くした。けれど、私の笑みを見てすぐに気づいたみたいだった。


『かぁわいい』


 いつもの口調で言うみーくんに、私もいつものようにツッコミを入れてあげる。


 到着してからは別行動だった。


 いつ海がみーくんの存在に気づくか冷や冷やしていたけれど、私が言った『会わないで』という言葉に、みーくんは忠実だった。


 どうやって海の顔を知ったのかは分からない。それでも絶妙な距離を保ち、遭遇しないよう気をつけている。


 そんなみーくんが、何だか可愛く思えてしまう。


 香典を包んでいたことには、母親が一番驚いていた。


 受け取ることを拒否していたけれど、母親が呼ばれた隙に出してしまう辺り、みーくんもやり手で恐ろしい。


 母親は祖母が亡くなってから、思いきり泣いて、笑顔で送ると決めたと言った。


 大往生。


 祖母の逝き方は、母親にとって一番優しいものだった。


 出棺が始まる直前、ふいにみーくんが私へ近づいた。


 喪服のポケットを軽く叩いて、何も言わずに頷くだけ。


 どこまで私は見抜かれているんだろう。


 祖母が書いたという手紙が入っていたポケットは、見事にみーくんに気づかれていた。


 あとから聞いた話によると、私はしきりにポケットを触っていたらしい。


 分かりやす過ぎる自分に驚く。


 その場で開いた手紙には、達筆な字で文字が書かれていた。


『鈴子、息災で』


 やっぱり名前、知ってたんだ。


 意地悪で呼んでくれなかったんだ。


 そう分かったのに、それなのに。


 現代的な言い回しなら、


『鈴子、お元気で』


 こんなのって絶対卑怯だ。


 今さらこんなふうに遺すなんて、あまりにもひど過ぎる。


 最後の最後でこう言われたら、私はきっと恨めない。


 好きだとは思えないけれど、大嫌いだと言えなくなった。


 出棺前に読ませたのは、こうなることが分かってたから?


 いやいや、そんなはずはない。


 そう思いながら見上げたみーくんは、小さく私に囁きを落とした。


「りんちゃんの後悔は長いし、俺との時間を減らすからねぇ」


 侮りがたし、羽柴充。


 やっぱりみーくんは、みーくんらしく鬼畜だった。


 祖母のことを引きずったら、みーくんのことがおろそかになる。


 ……よく分かってらっしゃる。


 そうして終わった葬式は、祖母の死に様を表すかのように晴れやかな天気の中で進んだ。


 最初から最後まで、いつになく晴天だった。


 来るとは思っていた。


 絶対に来ると思っていた。


 ずっと海の首から下だけを視界に入れるようにしていたけれど、葬儀が終わって帰宅した瞬間、とうとう近づいてきた。


 狙っていたのかどうかは分からない。


 けれど、確実に私とみーくんを目当てに近寄ったことは、嫌というほど分かる。


 海が近づいたことと、海がつけていた香水の匂いで気分が悪くなった。


 そんな私の手を引いて、みーくんはさっさと家の外へ連れ出してくれた。


 ……話しかけられる前でよかった。


 海には『気づかなかった』で通せる。


「アイツだよねぇ」

「うん……。紹介する前に気づいた?」

「居間にいたときに、ちらっと名前呼ばれてるの聞いたぁ。話してはナイよ。向こうも俺が誰か分かんないんじゃなーい?」

「でも、一緒にいるとこ見られたね……」


 失敗した。


 祖母と母親に気を取られて、警戒心が薄れていた。


 とりあえず歩いて、家の裏側へ向かう。


「あ、りんちゃんのお父さんにはさっきアイサツしておいたよー」

「……え?」

「お母さんがフォローしてくれてぇ。ほら、りんちゃんがトイレ行ったときにぃ」

「早業か……! 目にも止まらぬ早業ってことか!」


 思わずツッコミを入れてしまって、ハッとする。


 これじゃあまた、みーくんのペースに乗せられる。


「と、とりあえず、分かった」

「泊まるか聞かれたから、お世話になりますって言っておいたぁ」

「ちょっ……それは、え!? 本当に? 本当にそう答えたの!?」

「んー……どっちだと思う?」


 駄目だ。


 やっぱり乗せられる。


 にやにやするみーくんに、到底勝てる気がしない。


 ため息を吐いて気持ちを落ち着けながら、ひとまず考えるのはみーくんのこと。


「泊まりの準備してないよね? 夕方になる前に服とか買いに行く?」

「わー、りんちゃん順応早いねぇ」

「鍛えられました。主にみーくんとタキと酒田さんに」

「後ろの二人いらなくなぁーい?」

「……そうですねー」

「鈴子!」


 和やかな空気をぶち壊すように声を掛けてきた相手。


 姿すら見ずに、私は爪先を反対へ向けた。


「……よーい、どん!」


 苦し紛れに、落ちた気分を盛り上げるための合図を出す。


 打ち合わせてもいないのに、しっかり走り出すみーくんがおかしくて、私も笑いを噛み殺しながら足を動かした。


「鈴子ッ!」


 追い掛けてくる海も案外速い。


 体力のない私が太刀打ちできるはずもなく、次第に速度が落ちていく。


 それをみーくんが一瞥した。


 数秒後、足元をすくわれる。


「うわっ……ちょ、危なっ……!」


 走りながら私の身体を抱え上げ、さらに速度を上げるみーくんは、もはやアスリート並みの力がある。


 これで細いって詐欺だ。


 体脂肪何パーセントだと問い詰めてやりたい。


 走りながら横抱きって、難易度めちゃくちゃ高いと思う。


 嫌悪感があふれ出るくらい海が嫌いなのに、みーくんが傍にいるだけで、この状況すら笑える。


 どんな魔法だって言ってやりたい。


 恋した女は地に足がついていないと言うけれど、比喩ではなく現状、足がついていなかった。


「すっ、鈴子ー!」

「呼んでるねぇ」

「海、諦め悪い……」


 60メートルは走ったかという辺りで、みーくんはさらりと小道へ入り、別れ道のある方へ走った。


 鬼畜……むしろ策士レベル。


 曲がると思わせておいて低いブロック塀を越え、来た道を別ルートで引き返すみーくんにドン引きした。


「みーくんとかくれんぼしたら、いつまで経っても私は見つけられないと思う」

「りんちゃんが呼んだら出てくるに決まってるじゃーん。可愛く呼んでくれたらソッコー捕まりにいくしぃ」

「いや、鬼ごっこじゃないから捕まらなくていいよ」

「いっつも捕まえといてぇー」

「……そうだね」


 海に追われているというのに、のんびり噛み合わない会話をする私とみーくん。


 どこかふわふわとした空気を醸し出している。


 とはいえ、みーくんは常にそんな雰囲気を持っているのだけれど。


「先に買い物行こっか」

「りょーかーい」


 緩やかな足取りで実家の方へ戻り、みーくんが乗ってきた酒田さんのバンへ乗り込んだ。


『ちょっと買い物行ってくる。必要なもの何かある?』


 助手席で母親へメールを送り、シートベルトを着用する。


 親戚が夕食を終えて飲み始めてからでなければ、両親は恐らく時間が取れない。


 話し合いは、それからだ。


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