第54話 俺のりんちゃん泣かせたのだぁれ?
「そ、うなんだ」
いや、嫌だ。
海の話をしないでほしい。
そんな嬉しそうに語らないでほしい。
やっぱり私は海より劣っているのだと、改めて思い知らされる。
問題児で自由奔放なくせに、ちゃっかり両親の点数を稼ぐのがうまい海は、過去に起こした問題の数々を上塗りするように生きている。
全国各地から海外まで、行動範囲は幅広い。
その地域の食べ物を実家に送ったり、各地に親しい友人ができたりと、『運が良くて要領もいい』生き方をしていた。
実家から家に送られてくる荷物には、たびたび産地が遠いものが入っている。
私みたいな不器用で下手くそな生き方じゃない。
輝かしくて、楽しさにあふれた眩しい人生。
両親は今、海のことが好きだ。
過去に犯した非行でさえ、『あのときは大変だった』と思い出にできるくらい、今の海が気に入っている。
過去に囚われているのは私だけ。
自分が滑稽に見えてならなかった。
「最近まで沖縄にいたらしいぞ。父さんは行ったことないが、ああいうところは海が綺麗なんだろうなぁ」
その言葉に私がどう答えたか、覚えていない。
気づいたら私は実家の玄関をくぐり、詩音に抱きつかれていた。
昨夜の深夜に病院へ運ばれ、ICUに入れられてから数時間。
衰弱は老いによるもので回復の見込みはなく、それでも大往生だったらしい。
祖母の死に顔は穏やかで、最後の最後まで弱音は吐かなかったという。
自宅に帰ってきたのは先ほどだと、母親は泣き腫らした目をしながら私に言った。
安らかな顔をして眠る祖母は、私に見せたことがないような、幸せそうにうっすら笑んだ顔をしていた。
それを見ても、私の心は固く冷たく凍ったままだ。
涙はちっとも出てこない。
胸に広がるのは虚しさだけ。
悲しみは欠片もにじまなかった。
喪服に着替えて台所へ向かう。
すでに親戚が数人集まり、母親が忙しなく動いていた。
食事の準備に葬式の手配。
打ち合わせをするため、父親は葬祭業者へ電話している。
詩音はずっと私の腕にくっついたままで、引っ越す前は毎日のようにこんな感じだったと、ぼんやり過去を思い出す。
からからと音を立てて玄関が開いた。
その向こうから現れたのは、こんがりと日に焼けた美丈夫だった。
目線が合うなり、私を見て口元を緩めたその男は、確執なんてないかのように私の方へ近づいてくる。
顔、身体、まとった雰囲気。
「すず……」
開きかけたその唇を見た瞬間、私は吐き気に襲われる。
「来ないでッ……!」
叫ぶように拒絶した私に、男――海は立ち止まった。
何だ何だと顔を覗かせた親戚に苦笑いしながら口元を押さえ、海の横を通り過ぎる。
置いてきぼりにされた詩音が不安そうに私の名前を呼んだけれど、答えられる余裕もなく、私は息を止めて外に出た。
背後で、小さく海が呟く。
「まだ根に持ってんのかよ……」
海を見ると、否応なしに思い出される。
いじめられた中学時代。
絶対に助けてくれなかった過去。
私が必死の思いで打ち明けた、海の元カノからいじめられているという話を、アイツはなんて答えたか。
『だから、何だよ。知らねぇし。俺には別に被害ねぇもん』
誰のせいで、と握り拳を作ったけれど、同時に私は気づいた。
何を言っても無駄なら、助けを求めること自体が馬鹿馬鹿しい。
本音を言えば、助けてほしかった。
だけど、もう。
……いらないから。
過去のことだからと思い出にすることが、いまだにできない。
私は海にそう言われたことを、絶対に忘れない。
その場限りの感情で動いて、時間が経てば忘れる人種。
それが海だ。
私は違う。
そうじゃない。
ずっと胸にしこりを残してしまう性格だから、いつまで経っても海を許せない。
一語一句、覚えてる。
私を見捨てた海の言葉。
玄関を出てすぐ左にある、数段しかない石段に座る。
ため息混じりに俯いた。
どうして上手くいかないんだろう。
どうして気持ちを切り替えられないんだろう。
自己嫌悪する自分が気持ち悪い。
手にした携帯に知らせはない。
みーくん、声が聞きたい。
情けなく年下の彼氏を想いながら、私はもう一度ため息を吐く。
軽い息抜きをしてから家に戻ろうと、数分そこに座り込んだ。
眠たくてふらふらになりながら手伝いをしていた私に、母親が気づいたのは通夜が始まる数時間前だった。
目の焦点がゆらゆらとして思考回路が鈍くなった瞬間、手に持っていた湯飲みがガツンと鳴った。
それに気づいた母親が、1時間休むようにと言い、離れの部屋へ私を押し込んだ。
持ってきていた部屋着に着替えるのも億劫で、喪服を汚さないように座椅子へ座る。
思った以上にキツい。
こめかみを揉みほぐしていた刹那、携帯が震えて着信を知らせた。
ディスプレイには、今一番会いたくてたまらない相手の名前が表示されている。
複雑な心境のまま、通話を受けた。
「……はい」
「『りんちゃん?』」
――ああ、駄目だ。
「『電話、出られなくてごめんねぇ。ちょーっと立て込んでたから、すぐ連絡できなくてさぁ……』」
「みーくん」
「『……リン? 何があった?』」
何かあった、じゃなくて、何があったと確定で質問するみーくんに、強張っていた気持ちが緩む。
「なにもないよ。今、実家にいる」
「『……今から行って、会えんのか?』」
「え、いや、来なくていいよ」
「『何があった?』」
「何もない」
「『声がおかしい』」
「いやいや、おかしくないけど」
「『ツッコミにキレがねぇ』」
「何それ」
神妙な口調でそう言うみーくんに、思わず笑みがこぼれる。
「『やっぱ行く』」
「来なくていいってば。大丈夫。ちょっと疲れてるだけ」
「『いや……ちょっと待ってろ。準備してから……あー……明日、また連絡する。少しだけ我慢しろ』」
「みーくん?」
「『イイ子で待ってろ。固めてからそっち行く。何回も会いたくねぇだろ』」
「は?」
「『リンにプラスになんねぇなら、さっさとまとめて俺のとこ来させる方がいい』」
「みーくん? 意味が分かんない。何考えてるの?」
雲行きが怪しくなってきた。
「『また連絡する。なるべく早く済ませるから待ってろ。じゃあな』」
初めて一方的に切られた電話に唖然としながら、寂しく思う。
「何なの……?」
一体何を考えてるのか、まったく私には理解できない。
だけど、そんなことよりもみーくんの声をもっと聞きたかった。
それなのに切れてしまった電話を、また掛け直すには踏ん切りがつかない。
結局、私は諦めることにした。
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事態が急変したのは翌日のこと。
私は突然過ぎる成り行きに、終始慌てることになる。
通夜が終わって翌朝8時。
起床は5時と容赦ない。
親戚みんなで海を囲んで飲んでいたらしいけれど、それを聞いても私の心は初日ほど揺れなかった。
あれは父親から聞かされたから、動揺したのかもしれない。
せっせとおにぎりを握っている母親の横で、たくあんを切る私。
詩音はたくあんをつまみ食いして、にこにこと笑っていた。
「なってます!」
「うん」
「姉ちゃんのでんわがなっています!」
逐一報告してくれる詩音に頷き、携帯を見ればみーくんからのメール。
『着いたぁ』
「え!?」
思わず声を上げた私に、詩音がにっこりと微笑んだ。
「姉ちゃんが、『え』っていいました!」
「うん、いや、は!?」
とりあえず頷いて詩音に返事をしてみるけれど、メールの内容は変わらず意味が分からない。
着いたって、どこに?
「鈴子? どうかしたの?」
きょとんとした顔で母親は私を見た。
けれど、どうかしたのって聞きたいのはこっちだった。
「分からない。ごめん、ちょっと電話してくる」
バタバタとその場を後にして、外へ出ながら番号を呼び出す。
意味が分からない。
むしろ分かりたくない。
家に来たってこと……?
焦りが激しく私を襲う。
「もしもし、みーくん!?」
「『りんちゃん、おはよー』」
「うん、おはよう……ってメール! メールどういうこと?」
「『えー? 着いたから着いたって連絡したんだけどぉー』」
「着いたって……」
ハッとして家の前を見ると、ひらひらと手を振り、こちらを見る姿がひとつ。
高校生にはまったく見えない、その立ち姿。
黒いバンの隣で、みーくんは私に微笑んだ。
「俺のりんちゃん泣かせたのだぁれ?」
黒染めした髪に、白い肌が映えていた。
アクセサリーのないみーくんはひどく大人っぽく見え、着ているスーツがさらに年齢を分からなくさせる。
ふわふわした癖のある髪はストレートに伸ばされている。
ピアスホールを見えなくするためか、耳元に掛かるようにわざと横髪を垂らしていた。
「泣いてない」
「ありゃ、勘違いしちゃった?」
「……何で、喪服?」
「んー……色々調べてさぁ、一応ね」
見た目だけなら20代前半に見えてもおかしくないみーくんは、身長が低い私と並ぶと、さらに年上に見えた。
もう何から突っ込んでいいか分からない。
「あわよくばご両親にゴアイサツしてぇ、そのまま婚約でもイイなって……」
「は……?」
「俺じゃ、力不足?」
唐突なみーくんの言葉は、私の憂いを吹き飛ばすには最高の風だった。
むしろ暴風、嵐と言ってもいいようなその台詞に、ブリキのおもちゃみたいに身体がぎこちなく起動する。
ゆっくり伸ばした手は、みーくんにぎゅっと握られた。
どこから出したのか、相変わらず器用にもギフトボックスを片手で開け、私の薬指に指輪を嵌める。
「いや、ちょっと、待って……頭追いつかない。何で……」
「就職先は決めて来たしぃ、年齢的にも問題ナシ。りんちゃんがよければすぐにでも結婚できるけど……それはイヤかなぁって」
よく分かってらっしゃる……って、そういうことじゃない。
こんなの、いきなり過ぎて絶対に受け入れられない。
みーくんだって私の堅い性格は分かっているはずなのに、こんなに簡単にプロポーズなんて。
「まだ色々やんなきゃだしー、とりあえずは婚約。りんちゃんが心配するコトはなぁんにもナイよ」
ちらりと覗いた舌にも、いつものピアスは見られない。
トレードマークを失った羽柴充は前よりもずっと大人びていて、同時に色気も半端なかった。




