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透明  作者: 文月
第一部 出逢い編

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第50話 拉致、らち、らっち

 拉致、らち、らっち。


 体験するのは2回目で、今回はタキがサポート役とばかりに私の足を持ち上げた。


「知ってる? 拉致って犯罪なんだよ」

「知ってるぅー」


 私の肩へ腕を回してくっついているみーくんが、耳元で笑う。


 暑苦しいその体勢から抜け出すために、みーくんを引き離して肩を落とした。


「りんごの足ほっせーな! 鹿でも目指してんのかよ」

「まったく目指してません」


 にぎにぎと、私の腕を持っていた両手のひらを握ったり開いたりするタキ。


 その感想へ努めて冷たく返事をして、龍を見る。


「せめて手土産くらい買おうよ。酒田さん、コンビニ寄ってもらえますか?」

「了解です」

「……何もいらねぇ」

「そりゃあ……龍は自宅だしいらないかもしれないけど、初対面の私が手ぶらで行くのは気が引けるし」

「みっつん、俺コーラな!」

「そうだ、しまった……! 今日はみーくんが居るんだった!」


 今さら気づいて脱力する。


 財布うんぬんのみーくんの話により、私がみーくんと一緒にいるときは、お金を出さないことになっていた。


 手土産だ何だと格好いいことを言いながら、みーくんに買わせるなんて……どんな策士だ。


「これは自分で買わせて。っていうか、みーくんは車降りないで。コンビニは私だけで行く」


 それならどうだ、とみーくんを見る。


 感情の読めない蛇みたいな笑顔を浮かべていて、何とも察しがたい雰囲気を醸し出していた。


「……いい?」

「『みーくんお願い』って言って」

「……みーくんおね、」


 ちょっと待った。


 何で自分でお金を出すのに、お願いする必要がある?


 元はと言えば、みーくんが男が払うという見栄を張りたがったからだ。


 私が遠慮する必要はないはず。


 乗せられるところだった。


 危ない危ない。


「とりあえず買ってくる。お菓子とか飲み物とかで大丈夫かな? ナギサちゃんの好物ってなに?」

「……チョコレート」

「分かった」


 笑いたいなんて思ってないよ。


 大丈夫。


 龍がチョコレートって言ったのが面白いなんて、思ってないよ。


 噴き出したくなるのを我慢して、何でもないように頷く。


 すると、タキが口を押さえて俯いているのが見えた。


「タキ、アウト!」

「アウトだねぇ」


 龍がタキを視界に入れた瞬間、私は宣言してあげた。


 振り上げられた拳はタキの頭へ落ち、みーくんがマイペースに頷く。


「っだぁー! りんごこの野郎、何でバラすんだよ!」

「笑うなんて酷いよタキ。チョコレート、チョ……チョコレートの何がおかしいの?」

「りんごも笑ってんじゃねーかよ!」


 停車したバンのドアを開け、タキから逃れるようにひらりと身を翻す。


 車から降りて地面へ足をつけた。


 追い掛けては来ないだろう。


 軽快なステップでコンビニへ向かい、自動ドアをくぐってから振り返る。


『ばーか、あーほ』


 タキの口がそう動いた。


 笑いを噛み殺しながら、ドリンクコーナーへ向かう。


 待機するようにお願いしたみーくんは、ちゃんと車に留まっていた。


 出てくる気配もない。


 チョコレートは、どれがいいんだろう。


 とりあえず適当に1.5リットルの飲み物を3つ選び、チョコレートを何種類かかごへ入れていく。


 こうやって誰かのことを考えながら買い物するのは好きだ。


 スナック菓子に箱クッキー。


 有名どころのお菓子を選び、レジへ向かうと店員のおばさんが引いていた。


 コンビニでかごいっぱいになるくらいお菓子を買う人間なんて、なかなかお目にかかれない。


 私も、数回あるかないかくらいだった。


 金遣いの荒い人間だと主張しているようなもので、苦笑いしながら増えていく金額を見る。


 だって、まだスーパー開いてない時間だし……。


 内心言い訳をしながらも、こうして無造作にお菓子を買うことが楽しくもあった。


 買い物でストレスを解消する人は、こんなすっきりした気持ちなんだろうか。


 束の間の爽快感を覚えながら、財布を出す。


 必ず最低1万円は財布に入れる。


 そんな自分ルールのおかげで、急な出費も大丈夫。


 気づけば袋は2つにもなっていて、1万円札を出してさくっと会計を済ませた。


 恭平がいなくなってから、無駄な出費がみるみる減った。


 みーくんが買ってくれることになって、少なからず買い物を遠慮していたせいもある。


 以前より、財布には余裕ができた。


 だけど、みーくんがお金を出すからといって、欲しいものを我慢しているわけでもない。


 元より我慢体質だったからか、物欲というものがとことんなくなった。


 今では、無駄な買い物だと判断したらすぐに手を引いてしまう癖がついている。


 我慢しなくてよくなったのに、その状態へ慣れ過ぎた。


 そのせいで娯楽の買い物をすることがない、というのもなんとなく複雑だ。


「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


 おばさんへ浅く会釈し、袋を持って車へ戻る。


 近づいたら内側からドアが開けられ、自動かとツッコミたくなった。


「みーくん、ありがとう」

「いいえー」


 本当にできた彼氏だと思いながら乗り込む。


 座る前に、みーくんが袋を引き受けてくれた。


「酒田ぁ。助手席置いとけ」

「了解です」


 至れり尽くせりな彼氏と友人。


 恵まれたものだと他人事のように感じながら、後ろに座るタキと龍を振り返る。


「どれがいいか分からなかったから、何種類か買ったけど……」


 龍に向けた言葉は、ちゃんと届いたらしい。


 腕を組み、背もたれに体重を預けていた龍は身体を起こして頷いた。


「わざわざ悪ぃな」

「ナギサちゃんが好きなのがあればいいんだけどね……」


 こればっかりは好みの問題だ。


 龍がメーカーや種類を指定しなかったということは、多分そんなにこだわりはないはず。


「買い過ぎだろ。あれか、社会人だから青田買いか!」

「なんか言ってるし……。みーくん、タキがなんか言ってる」

「んー……馬鹿だからねぇ」

「じゃあしょうがないね」

「何だとこのやろう!」

「タキ、うるせぇ」


 ゲンコツが来ると構えたタキを、龍は鼻で笑って馬鹿にした。


「フェイントかよ……!」

「たまにはな」


 ふん、と顔を背けた龍は機嫌が良さそうで、みーくんと顔を見合わせる。


 なんか悪いものでも食べたんじゃないの……?


 失礼なことを思いながら、車が動き始めたタイミングで前を向いた。


「……でも、ちゃんとした社会人って言えないよ。バイトだし」


 今さらながらタキに返事をして、ため息を吐く。


 本当なら、大学へ行くべきだったんだろう。


 けれど、養護学校はそんなに安くない。


 行けとも行くなとも言われなかった私は、自ら行かないと両親へ告げた。


 進む道が分からなかった。


 そう言えば、ただの言い訳になる。


 結局のところ、私は『母親が望んだ長女』になることを選んだだけの話だった。


 そうすることで母親が喜ぶと知っていたから、それを選択した。


 ……後悔もしていない。


 それに、今は卑屈にならずにいられるから、とても気が楽だった。


 みーくんはうっすら笑って、私の髪を耳に掛ける。


 すっと引き寄せられ、囁かれたのは優しくも厳しくもない一言だった。


「俺はりんちゃんが何してようと気にならないけどねぇ」


 バリバリ働いて、スーツの似合う女。


 という経験も、1度くらいはしてみたかった。


 だけど、あくまでそれは『叶わなくてもいい希望』だ。


 大層な夢には及ばない。


 だから、みーくんがそう言ってくれると、私の気持ちは驚くほど穏やかになる。


「俺は大学行かねーでどっかにシューショクするぜ。……できるとこねぇとか言われてっけどな!」

「タキさん、それあんまり笑い事じゃないと思います」


 危機感のなさ過ぎるタキへ真顔で答える。


 それでも、慰めているのかそうでないのか分かりづらいタキに、気恥ずかしさを感じてしまう。


「なるようにしかならねぇ。タキ、就職決まんねぇなら配管やってる知り合いに口利いてやる。俺もそこで働くしな」


 達観した発言をする龍も、進学はしないつもりらしい。


 それでも一応、卒業後のことを考えている。


 真面目なのか不真面目なのか、判断ができない。


「……みーくんは?」

「んー……まだヒミツ」


 曖昧に笑ってそう言ったみーくんは、真剣さの欠片もない態度で首を傾げた。


 私が歩んできた道のりは、誇れるほど素晴らしくはない。


 でも、悲観するほど酷くもない。


 良くも悪くもない。


 就職していないということだけを見るなら、悪いのかもしれない。


 けれど、お金を稼いでいるという現状は『いい』方だと思う。


 龍の自宅は2階建てで、薄茶色の敷石が洋風な雰囲気を醸し出していた。


 けれど、家自体が洋風というわけではない。


 玄関はしっかりと日本風だ。


 全体的に、和洋が入り交じった感じの家だった。


 3台は停められるであろうガレージへ、酒田さんは迷いなく車を納める。


 いつもどおり後部座席のドアを開けた。


 カラカラと音がして、玄関から飛び出してきたのは、愛らしいリボンで髪を括った2つ結びの女の子。


 フリルのついたピンク色のスカートに、パフスリーブの白いTシャツ。


 花が咲いたような可憐(かれん)な笑みを浮かべ、真っ直ぐこちらへ向かってくる。


「ママ! リュウちゃんかえってきたぁ!」


 後ろを振り返ってそう告げた女の子は、はやる気持ちを抑えられないとばかりに小走りで近寄ってきた。


 一歩後ずさった酒田さんとみーくんは、私の背中へ隠れるように身を屈める。


「いやいや、2人して何してるの?」


 パタパタとサンダルを鳴らし、近づいてくる龍の妹。


 私の顔を見るなり目を丸くして、1メートルほど手前で立ち止まった。


 私の身体の3分の2くらいしかないナギサちゃんに、少しだけ緊張する。


 それでも、ゆっくりしゃがんで微笑んでみせた。


――あの頃は、純粋に笑い掛けることさえ、意地を張ってしなかった。


 本当なら、抱き締めて頭を撫でてあげる優しいお姉ちゃんになるはずだった。


 大好きだよ、と慈しんであげたかった。


 ふっと重なったナギサちゃんと詩音に、目の奥が熱くなる。

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