第46話 そういうこと、したい
「みーくん、さっき、言いかけたこと……あれ、今言っていい?」
かなり恥ずかしいけれど。
逃げ出したいくらい今さらな感じで言いにくいけれど。
離れてほしくない、一緒にいたい。
ぎゅっと締め付けられるような痛みが私の胸を襲う。
「――そういうこと、したい」
「そういうことってなぁに?」
え……鬼畜がいる!
こんな羞恥プレイをしているのにさらに追い打ちをかけてくる鬼畜がいる!
さっきまで雰囲気は上々だったのにここに来て急に意地悪になるみーくんに歯切れ悪く言い返す。
「だから、つまり……みーくんと」
言わせるの?これ本気で言わせるの?
「うん、つまり?」
うわぁ……本気だ。なんか目が期待してる。
ギラギラしてる。
みーくんは舌舐めずりをして、瞳の奥にわずかな獰猛さを孕み私を見つめていた。
「……や、りたい、です」
「――リンのお望み通りに」
もっと言い方があったんじゃないの、もっとシチュエーションを大事にするべきだったんじゃないの、なんて後悔はするけれど。
『抱いて』とか『繋がりたい』とか綺麗に飾った言葉より私らしい言い方ができたとも思った。
私の着ていたルームウェアはベッドの下に落とされて、何かを言うよりも先にみーくんの引き締まった身体へと視線が奪われた。
雑に脱ぎ捨てられた黒いパーカーと裾を持ち上げて色っぽく脱いだシャツ。
上半身裸になったみーくんは男にしては白い綺麗な肌を私に寄せた。
「リン」
耳に触れた艶のある声に思わずノックアウトされて目を閉じる。
直視できないくらい恥ずかしく、目を合わせられないくらいみーくんは格好良く見えた。
蛇だ。みーくんは、蛇。
よく見て、ちゃんと見て。
格好いいなんて言葉よりも、危ないという言葉が似合う男の子。
分かっているのに心臓は激しく鼓動する。
私の肌をぬめりと滑った生暖かい舌が、真ん中だけに硬さを感じさせた。
口内の温度をそのままに、温まった舌とピアスは、小刻みに震える私の首筋を這って艶かしい音を奏でていく。
――全身に、キス。
頭によぎったその言葉に強張ってしまった私の身体を、慈しむように、ほぐすように、みーくんは何度もやさしく触れた。
「……同じようになんかしねぇ」
「みーくん……?」
「リンには、リンだけには、ちゃんと刻み込む。忘れんなよ、絶対……忘れるな」
「……初体験だから、忘れようが、ないんだけど、」
「――噛んで、いいよな?」
「ちなみに、どこを?」
「全身」
刻み込み過ぎだと思います。
……言わないけど。
「いっ……!」
予告通り噛み付かれた肩はびっくりするくらい痛いのに、それが気持ちよく感じた私は危ないかもしれない。
「……どうしよう、どえむって酒田さんを馬鹿にできない……」
「俺の本物の愛情込めてんだ。イイに決まってんだろ」
さすが、経験者は余裕がある。
ジト目で見つめた私に、みーくんはふっと唇を緩めて魅惑的に笑った。
「こんな風に噛みついたの初めてだ。グチャグチャにしてぶっ壊してぇと思うのも、リンだけだ」
――危ないよこの子。
なんで他にはやさしくて甘くて、私にはこんなに狂暴で鬼畜な思いを抱くの。
「可愛い……すげぇ、可愛い」
連呼しないで。
言われたことが社交辞令でしかないから普通に照れる。
しかもそんなに愛しそうに見つめないでほしい。
顔が見れない。
記念すべき初めてなのに、相手の顔が見られないってどういうこと。
「――愛してるより上って、なんだ」
「わかんないし……!」
「言葉じゃ表せねぇよ。――なぁ」
「いっ……たいから……!」
だからって噛み付くのはどうなんだ。
それがみーくんにとって愛してるよりもさらに上を行く愛情表現なの。
肩と二の腕、耳朶に首筋。
次々と噛んでいくみーくんは絶妙な強弱をつけて私の身体に歯形を刻む。
耳朶は優しく甘噛み、首筋は軽く吸って犬歯を立て、肩には強めの歯形を残し、二の腕は柔らかいところに歯を立てた。
考えることも難しくなってきた私の頭は、徐々に感情的になっていくことしかできなくて。
言葉に表せないっていうのは、みーくんだけが感じたことじゃない。
私もなにを言っていいか分からなくて、どんな顔をしていいか分からなくて。
「綺麗な、リン」
言われたことないよ、そんなこと。
みーくんが私の目尻に人差し指をあてた。
静かに『それ』を掬って、舐める。
「俺の、可愛い……リン」
目前に控えたみーくんの顔は悔しいくらい満たされていた。
絡めた指先が熱くなる。
爪先が痺れて、下腹部に鈍い痛みと生暖かさがじんわり深く染みついた。
銀色の玉がついた赤い舌は、私の目元にそっと触れた。
溢れ出したこの幸福感を一体何に例えたらいいだろう。
刹那の快楽だと生々しく、愛の享受だと神聖すぎる。
私とみーくんらしく言うなれば、
これはそう。
――狂気の沙汰。
「……みーくん、歯形ついてますけど。耳もいたいし」
「んー……かぁいいからしょーがない」
「どこが。まったく可愛くない」
「ええー」
「……ずるい」
「――っい、……りんちゃーん」
「これでおあいこだからね」
「もー……やだ、りんちゃん。なんでそんな可愛いの」
「……ネジ探して来よっか」
食べ物じゃないんだから、お互いに噛むのはよくないと思う。
だけどふたりとも多分正気じゃない。
それなのに歪な雰囲気はなくて、部屋中に充満したのは緩やかに曲線を描いた光だった。
涙が、溢れる。
私の視界が光の雫で一杯になる。
みーくんは私の目尻からつうっと垂れたそれを舌で掬い、
とても愛しそうに目を細めて、かすれた声で囁いた。
――ほら、透明。
私の涙はやさしく吸われ、みーくんの瞳からこぼれた涙はそっと私の頬に落ちた。
全身が震えて言葉にできない。
だけど、今、確かに。
「きれいだね……」
心が歓喜の声を上げた。
その透明に、私とみーくんの透明に。
「やぁっと手に入れた」
王子様みたいに爽やかでも正義感に溢れてもいないけれど。
ちゃんと見つけた。
私だけの、愛しい人。
何が凄いかって、やっぱりみーくんの気遣いだと思う。
初体験なのに慌てることも戸惑うこともなくて、ただされるがままに受け入れたというだけで心配していた『痛み』も『気まずさ』も感じなかった。
そりゃあ痛みは多少あるけれど、行為中は他の場所の方が痛くて、思っていたよりもずっと辛くなかった。
噛み痕の方が痛いって……まぁ、いいか。
だって、みーくんだし。
アフターケアも抜かりなし。
筋肉質なのに暑苦しさのない細身なみーくんは私を包んで額に口付けた。
終わったからと言って離れることもなく、正直お風呂に入りたかった私はどう言い出していいか分からなくて眉を寄せた。
動くのが辛い。だけど、さっぱりしたい。
くっついてにやにやしているみーくんに『お風呂入りたいから離れて』とも言えなくて、小さく息を吐いた。
そしたら
「ちょっとだけ、確かめさせろ。……あと、ちょっとだけでいいから」
かすれた切なげな声に私の顔は真っ赤になって、年甲斐もなく悶えたくなった。
「リン」
「……はい、何でしょう」
「可愛すぎて、胸が痛ぇ」
「そういうこと言わないで……。なんかもう『うあー!』ってなるから!」
額をくっつけて真面目に言うみーくんに頭突きをかましてシーツに顔を押し付けた。
「……フツーに痛いから、ガチで現実?リンちゃんと俺ヤった?ヤったよねぇ?」
「たった今ね!」
何を言ってるんだこの男。私を羞恥で殺す気らしい。
「自慢してイイ?」
「だれに?」
「みんなにぃ」
「止めて」
うつ伏せになった私の後頭部に小さくリップ音が鳴ってキスが落とされた。
『いつか』はと想像していた初体験。
私が思っていたよりも、ずっと幸せな心地になれた。
いつも素直じゃなくて意地っ張りで、庇護欲をそそるような女じゃないけれど。
目いっぱい刻まれた愛は、一生もの。
好きだよ。
今までの自分じゃ信じられないくらい、みーくんが好き。




