第45話 上塗り、して
みーくんは私の目を自分の手のひらで覆い隠してから言った。
「たまに、悩む」
「何を?」
「リンを俺に夢中にさせるにはどうしたらいい?」
「はい……?」
「逃がすつもりも離すつもりもねぇけど、リンが俺に心酔するのが一番手っ取り早ぇだろ」
心酔ってこれまた難しい言葉を使ってきたな……。
ざっくり言ってしまえば、私がみーくんにメロメロになるにはどうすればいいかと悩んでいる、ということなのか。
「それで遠慮してる意味がわからない」
真っ当なことを口にしたと思う。
どうして遠慮する必要があるのかまったくわからない。
「……リンに嫌われたくねぇからだろ」
――ああ、もう。
衝動的に起き上がった私にみーくんは驚いて目を見張った。
それに構わず抱き締める。
みーくんの首に回した腕は、そうすることを知っていたみたいにすんなり首回りを抱え込み、
鎖骨にこつんと当たった頭だけが地味に痛かった。
「携帯見られたって、迎えがいらない理由聞かれたって、嫌いになったりしない。別に、そういうのって嫌じゃないし」
「……リン」
みーくんが遠慮していた根底には嫌われたくないという意識があった。
取り繕うことができないから何も言い出せない。
口に出してしまったら嫌われるかもしれない。
とても澄んだその気持ちはみーくんらしからぬ『純』なもの。
嫌いになりたかったらなれよ、などと言っても不思議じゃないくらいに飾らないみーくんが初めて私へ躊躇いを覚えた。
「――言ってなかったね。そのままでいいって私も思ってる。大体、そんなの今さらじゃないの?」
「……ああいまさらだよ。そうだよ、悪ぃか。リンが俺のもんだって思えば思う程に……すげぇ臆病になる。――いっそ、俺しか見えないようになれ」
「うん、結構無茶なこと言ってるよね。みーくんしか見えないってどんな不便な生活……っていうか、初めて年相応なみーくん見たかも」
「……俺も初めてこんなこと思った」
「私ばっかり甘やかされるのもなんか違うと思う。みーくんはちょっと……いや、かなり大人びてるから、少しは私に甘えてもいいんじゃないの」
出逢ってから言われた言葉はどれも高校生らしくないものばかりだ。
ダブってるから多少は仕方ないとしても、十代には思えない発言ばっかりだった。
――俺と付き合ってみなぁい?
――助けてやるよ、俺が。
――頭のイイりんちゃんが好きだよ。
――リンのトラウマ、消してやるよ。
――そんなイイ子は嫌いになっちゃうかもねぇ?
ミツルとみーくんは真逆のようで同じだと思う。
軽いノリで適当なみーくん、我が道を行く力強いミツル。
「みーくんのこと、ちゃんと知りたい」
「――教えてやるよ、いくらでも」
ぼそっと呟いたみーくんに笑みが漏れた。
お互いがスタートしたのは今からなのかもしれない。
みーくんは秘密が詰まったびっくり箱だ。
だけど、みーくんからしたら私もきっとそう見える。
実感する。
みーくんの『ナカ』に入って行っているのだと。
そしてまた私もみーくんに胸のうちを晒すようになってきていると。
じわじわ変わっていく関係は心地が好くて高鳴りもする。
――言え。
今、ここが勝負どころ。
今しかないこのタイミング。
「私、みーくんと、」
「……」
「……」
「……電話、鳴ってるねぇ」
「……うん」
――一世一代の告白をかき消す着信音。
空気をまったく読まない私の携帯電話を恨めしく思いながら、そっとみーくんから身体を離す。
間が悪すぎる。
どんな嫌がらせなんだと携帯を睨み付けて手に取った。
「――もしもし?」
「『鈴子?』」
だから、油断しちゃいけないんだ。
実家から掛かってきたから、電話の向こうは母親だと油断していた。
可能性がなかったわけでもないのに、まったく警戒しなかった。
そんな馬鹿な私に届いた低い声は――
「海……」
間違えようのない、実の兄のものだった。
ぶわりと湧き上がる嫌悪感は吐き気すら催し、胸をむかむかさせる。
気持ち悪い。
美崎一美なんて霞むほどに気持ち悪い。
高揚していた気持ちは急降下し、海の声音に心が軋んだ。
「『元気か?』」
挨拶すらぎこちなく、親しさの欠片もない私と海は、互いに距離を計りかねている。
「……何の用?」
絞り出した言葉は冷たかった。
そうしようとしなくても自然にそうなるくらい、拒絶する姿勢が染み付いている。
「『……お前、兄貴に向かってその態度は何だよ』」
「……いいから用件だけ話して」
「『ナメた口利くようになったな?』」
「ナメた口利かれる原因が自分にあるって気づかないの」
「『あ?』」
「そうやってすぐ威嚇する。人を脅すことしかできないの?」
「『……鈴子、いい加減にしろよ。それ以上言ったら』」
「それ以上言ったらなに? 殴るの? それともまた追いかけ回して、髪の毛掴んで引きずるの?」
「『お前なッ……!』」
「もうたくさんだよ。海に迷惑かけられるのも、八つ当たりの相手にされるのも。もう二度と連絡してこないで!」
一息で続けざまに言ってやった。
海が言われたくないであろうことばかりを選んで、挑発した。
実際、海が私の髪を掴んで引きずり回したのは一度だけだ。
海が関わった女に巻き込まれたことも、濡れ衣で罵倒されたことも、一度ずつだった。
海が喧嘩を売った相手から、私が仕返しの対象にされたことだって一度。
『まったく同じこと』はなかった。
追いかけられたり、物を隠されたり、閉じ込められたり、殴られたり。
されることは毎回違った。
ただ、共通するものはあった。
『海が助けてくれなかった』こと。
そして、『海から掛けられた迷惑』だということ。
感情のままに切った電話は、折り畳まれたまま手のひらの中で窮屈そうに握られている。
「――リン、相手は」
ハッとして顔を上げる。
ああ、みーくんがいたんだった。
目を細め、怒っているような顔をしたみーくんの傍へ寄る。
――また私の気持ちを攫った。
みーくんが代わりに怒ってくれる。
みーくんが代わりに憎んでくれる。
そう思いながら顔を見るだけで、すっと高ぶっていた胸が落ち着いた。
みーくんは私の保冷剤か鎮痛剤か。
「……私の、兄」
「嫌いなのか」
「大っ嫌い。声聞いただけでも吐き気がする。思い込みだって分かってても、気分が悪くなるくらい嫌い」
「分かった。なら、」
「無理」
『止めて』でも、『だめ』でもない。
無理なんだよ。
「アイツ、神出鬼没で、同じ場所に一時間もいないんじゃないかってくらい行動力があるから」
県外にいるのか、海外にいるのかすら分からない。
たまにふらりと帰って来ては、また出ていく。
所在は安定しない。
だからこそ、これまで関わらずに済んだ。
どこで何をしているか分からない以上、みーくんでも簡単にはどうにもできないはずだ。
「……リン」
「いない存在って思ってる。近くにいないなら害はないし、みーくんと会わせるのも絶対に嫌。アイツに近寄らないで」
――気が合いそうな予感がする。
きっと、予感だけじゃない。
会ったら現実になってしまう。
みーくんが私の代わりに海を嫌悪したとしても、その感情とは別に、みーくん自身の気持ちは存在する。
当然、みーくんは超能力者なんかじゃない。
私が抱いた嫌な感情をさらに膨らませて、私の代わりに行動してくれているだけだ。
私が黒く染まりそうになる前に、その感情をさらって自分へ反映し、一時的に私を落ち着かせているだけ。
私がいなかったら、みーくんと海は友人になっていてもおかしくないくらい、気が合うと思う。
考え方や好み、物の見方や解釈の仕方。
多分、お互いに馬が合うと思うはずだ。
だから会わせたくない。
どちらにも、お互いのことを見せたくない。
――取られる。
海に、みーくんを取られる。
そんなことにはならないと頭では理解している。
けれど、気持ちが追いついていかない。
異常なまでに『家族』が弱みになっている私からすれば、こうなることは避けられなかった。
いつか海とは接触する。
それは将来的に、必ず起こることだと思う。
――家族という鎖は、切ろうとしても簡単には切れない。
流れている血が海と同じだと思うだけで、ぞっとする。
詩音には少なからず愛情がある。
可愛いと思う。
頭を撫でたいと思える感情も、ちゃんとある。
だけど海には――
「……海を好きだって思えない。遡って思い返しても、嫌いだとしか思ったことがないの」
『遠くにいる生死不明の兄』だと思えば、冷静に考えられる。
だけど、『近くにいる大嫌いな兄』だと思うと、苛立って仕方がない。
好戦的な口調になってしまうのも止められなかった。
自由奔放。我が道を行く。
無神経で、考えなし。
幼い頃は、やりたい放題できる海が羨ましかった。
だけど今は、好き放題した人間の『裏側にいる人間』として海を嫌悪している。
妹に迷惑を掛けない。
それだけ気をつけてくれていたなら、私はここまで海を嫌いにならなかったと思う。
「……ほーら、こっち見て。よしよしってしてあげる」
みーくんが私の頬に両手を当てて目を合わせる。
「――俺にちょうだい。……溢れそうになったら、ぶつけてイイよ?」
「……ばか」
それじゃあ海が私にした八つ当たりと同じになる。
平然とそんなことを言うみーくんはやっぱりネジが狂ってる。
だけど私も同じくらいずれている。
「上塗り、して」
「……りんちゃん?」
「嫌な感情あげるよりも、今は……」
――愛を与えられたいと思うから。
みーくんに上から塗り潰してほしい。
もしくは嫌な感情が全部こぼれてしまうくらいに目一杯の愛情で満たしてほしい。
今持つ嫌な気持ちが消え失せて、みーくんでいっぱいになったならどれだけ私は幸せだろう。




