第43話 鈴子に用があっただけだ
捕まえて何をするのかなんて、簡単に察しがつく。
何をするか、その内容までは分からない。けれど、見ていて気分がいいものじゃないことだけは確かだ。
それに、そういう現場にいたら私も巻き込まれるかもしれない。
万が一、私に何かあったら仕送りができなくなってしまう。
感覚が麻痺して恭平に何も言えなくなっていた私は、もう消えたんだから。我慢してそんな現場に行く必要はない。
「――じゃ、俺もいかなぁーい」
軽いノリで笑ったみーくんに、それでいいのかと思ったりもする。
けれど、行けとも行くなとも私からは言えない。
行かなくてもいいとみーくんが思っているなら、それでいいんだろう。
居心地のいいその関係に、人知れず私はほっとした。
右目を覆い、視力の悪い左目でぼやけた世界を見つめていた。
見たくないものばかりが、視界の中に存在している。
けれど、現実は見なくてはならないから。
せめて、と視界をぼやけさせていた。
みーくんと出逢ってから、そんな癖も出なくなった。
いつしか私は、自分の両目でしっかりと現実を見るようになっていた。
━────── •●• ──────━
昼下がりの森のカフェで、二人は互いを睨み付け、険悪なムードを醸し出していた。
「……何の用だよ」
「お前に用があったわけじゃない。鈴子に用があっただけだ」
ハードワックスでツンツンに立てられた髪、眉のピアス。
見た目はいかにも怪しいオニイサンだ。
滝川久住――タキのお兄さんは、鼻で笑ってそう言った。
「りんごに何の用だよ」
タキは久住さんを睨み付け、不機嫌そうに顔をしかめる。
普段、おちゃらけているばかりで真面目にならないタキが、本気で怒った顔というのは少し、いや、かなり新鮮だ。
この空気には不謹慎ながらも、興味深くなってしまう。
「鈴子への用件を、わざわざお前に言う必要があるのか?」
冷めた声。
実の弟への態度とは思えない。
「……んだと?」
「――お前に用はない。鈴子と話すためだけに来たんだからな」
涼しげな顔で、久住さんはタキをかわす。
だけど私は知っている。
そして、みーくんも龍も知っている。
久住さんはタキに会いたくて、顔を見たくて、たまらなかったんだと。
「りんごに関わんなよッ! みっつんのオンナだぞ!」
「だからなんだ?」
「仲間がほしいなら他当たれよ!」
これはみーくんから聞いた話だけれど、久住さんは『完全に辞めた』とタキに言っていないらしい。
まだ完全に落ち着いたわけではなく、ごく稀に禁断症状が現れてしまうことがある。
だから、すでに薬物を絶ったことを言っていないんだとか。
かつて、久住さんは誘惑に負け続け、家族に散々迷惑を掛けたらしい。
久住さんとタキを特別可愛がっていたお祖母さんが、1年前に心労で倒れたとみーくんは教えてくれた。
それからタキは久住さんを訪ね、うっとうしいくらい何度も、以前の久住さんに戻そうとした。
龍が、そうぼそりと語った。
だけど久住さんはなかなか変われなくて、しびれを切らしたタキが言ったらしい。
――俺の兄貴はもっと格好よかったはずだ。
毎日のようにtrumpへ足を運び、そういう仲間との接触を邪魔しながら、久住さんを見張っていたというタキ。
どれだけ語りかけても変わらない久住さんに、がっかりしたようにそう言ったらしい。
久住さんが変わり始めたのは、タキのその呆れたような、落胆したような言葉を聞いてからだったそうだ。
ずずず、とコーヒーをすすりながら、無表情でタキを挑発する久住さん。
事情を知る私たちから見れば、どこか可愛らしい。
身内が元中毒者なんて、タキはたまったものじゃないだろうけれど。
それでも、不器用な久住さんが可愛らしく見えてしまう。
タキの言葉で目が覚めた久住さんは、まだ完全に元へ戻ったわけじゃない。
だから自分から『やめた』と言えず、タキに会いたいとも素直に言えなかった。
自分のようにはなってほしくない。
そう言いながら、タキに仕掛けたちょっかいも一度ではないと、みーくんは呆れがちにため息を吐いた。
私が遭遇したあのとき、さすがにタキが我慢の限界を迎えそうになっていると気づいたみーくんは、久住さんへこれ以上ちょっかいをかけるなと注意しに行った。
そこに、私が居合わせた。
――りんちゃんがいたからよかったけど。
あの言葉には、ちゃんと意味があったと知らされた。
我慢の限界を迎えたにもかかわらず、タキはそれを耐えようとしていた。
怒りに我を失う寸前だったらしい。
だけど、私が背中を押したから。
いわゆるガス抜きのような状態になり、怒りの中でも意識を保つことができた。
相手は『龍が思っていたよりも』ずっと軽傷で済んだ。
そのうえ、タキは私へ気が逸れたことで、久住さんが仕掛けたということを頭の隅に置くことができたんだとか。
――あのままだったら、久住を殺しに行ってもおかしくねぇ状況だった。
龍が暴露した裏事情に、楽観的だった私もさすがに血の気が引いた。
タキが久住さんの企みだと気づいていたのか、そうでないのか。
それははっきり分からないと龍は言った。
けれど、恐らく気づいていただろうと私は思う。
喧嘩を助長したつもりはない。
そのおかげで落ち着くことができたと言われても、やっぱり反応を返しづらい話だ。
そんなに切羽詰まった状態のタキへ、私は気軽に話しかけていたのか。
あのときの自分の無鉄砲さに驚きもする。
でも、それと同時に自分へ言いたい。
ナイス判断だった、自分。
年上としても社会人としても、……人間としても、喧嘩を勧めるなんてやっちゃいけないことだ。
だけど、タキの友達としてはいい判断だったと思う。
久住さんは間違いなくタキが好きで、タキもきっと久住さんが好きだ。
多分、タキは落ちぶれた久住さんが許せないだけ。
根底にある『お兄さんである久住さん』を、嫌いになったわけじゃない。
私のように『兄である海』も『海という人間』も嫌いなら、打つ手はきっとない。
そうじゃないなら、何とかなるような気がする。
「さっさと話して帰れよな! お前がいると苛々すんだよ」
ストローを何度も噛みながら、苛立ったタキは久住さんの足を蹴る。
ちなみに今回は、私とみーくん、龍の三人でカウンターに並んで座っている。
つまりボックス席には、久住さんとタキの二人が向かい合う形で座っているわけだ。
「……鈴子」
「はい?」
久住さんは私の方を向いて話しかけてきた。
けれど、多分どんな話をするのか決めていなかったんだと思う。
それも当然で、今日二人を引き合わせたのはみーくんだ。
しかも、いきなり。
森のカフェの前で隠れるようにちらちら覗いていた久住さんは、『今日は』タキに会うつもりがなかったんだと思う。
無理矢理に近い状態で連れてきたから、話なんてあるわけがない。
だけど、『鈴子に会いに来た』と言った。
ということは、遠からず久住さんは私をダシに、タキへ会いに来るつもりだった。
私はそう確信している。
でなければ、みーくんに捕まえられても逃げるはずだ。
久住さんに助け船を出すという、ちょっとした優越感に浸りながら、小さく笑って口を開く。
「そういえば、噂ってどんな内容だったんですか? 鈴子とリンが別の人間みたいになってましたけど」
聞きたかった話を出せて、私としてもラッキーだ。
リンという人間が他にもいるんじゃないか。
そう思って引いていた予防線は、もう必要がなくなった。
みーくんは当たり前のように、私だけを見てくれている。
だから聞くことにためらいはない。
心構えも必要なかった。
今なら言える。
みーくんが傍に置いているのは私だけだと、自信を持って。
というか、むしろ四六時中くっついて私にべたべたするみーくんが、他に労力を割いているとしたら。
よっぽどべたべたした恋愛が好きで、元気が有り余っているんだろうと思えるくらいにうっとうしい。
みーくんなら、器用に隠して浮気ができるかもしれない。
そう思ってはみても、日々のいちゃつき具合を振り返ると、とてもじゃないけれど浮気をする気力も体力もないと思う。
言い換えれば、それだけ私の気力と体力が削がれているということだ。
一緒に寝て、一緒に起きる。
送り迎えは以前よりも回数が増え、離れていても何かと電話やメールが来る。
休憩中には必ず電話をしたがるし、休日も常にみーくんと一緒だ。
龍はそんなみーくんを見て満足している。
タキは仲間に入れろと、ことあるごとに訴える。
たまには三人で遊んだら?
そう私が勧めてみても、龍が一番嫌そうな顔をする。
タキに至っては、むさ苦しいと文句を漏らす。
毎朝、起き抜けにメールは見せられる。
掛かってきた電話も、私に出るよう頼むことが多々ある。
――どうやって浮気を疑えと。
そんな暑苦しくてうっとうしいみーくんに、疑うような隙はない。
『俺をリンにくれてやる』
そう言ったあの日から、本当にみーくんは私のものになった。
だけど、そのわりにみーくんは私を束縛しない。
四六時中くっついてくることを除けば、携帯を見ようともしないし、迎えはいらないと言っても深く追及しない。
信用されていると思えば、嬉しいことなんだろう。
けれど、みーくんは私に遠慮しているようにも見えた。
ありのまま、そのままのみーくんからしたら、それはちょっと違和感がある。
「りーんちゃん?」
「あ、うん。それで、久住さん」
つい余計なことを考えてしまった私を、みーくんが呼び戻す。
なぜか、その手のひらは私の頬に添えられていた。
突っ込まない。
何で触っているのかとは、突っ込まない。
突っ込んだら負けだ。
多分、理由がないから。
あったとしても『触りたいから』とか言われて、自分が恥ずかしくなるだけだから。
「……ああ。それは」
「……」
「……羽柴」
「なぁに、久住」
「その手を離してやったらどうだ」
私の顎をくすぐるように撫でるみーくんに、猫扱いはやめてほしいと言いたかった。
でも、久住さんが話を始めると思ってタイミングを逃し、言いにくくなっていた。
それでも気づいてくれた、髪の毛ツンツンのオニイサン。




