第41話 助けた結果しか残らない
黒いフードをぱさりと脱いで、サングラスを少しずらしたみーくんは最初の頃とよく似た真っ黒な格好をしていた。
人差し指にぶら下がっているのは私の部屋の合鍵で、これ見よがしにみーくんはそれを回しながら私の隣に並んで見せた。
「――で?何か用」
ちゃっかり私の腰に腕を回し引き寄せながら、ミツルは立ち尽くすふたりを見下ろす。
一番身長が高いみーくんが圧倒的に有利に見えた。
なるほど、これがヘビに睨まれたカエルというやつらしい。
さっきまでの威勢をなくして恭平と達哉は小さくなっていた。
女と男じゃ随分と態度が違うらしい。
というより私とみーくんじゃ態度が違うのか。
「紗季が美崎さんに連れて行かれて……」
恭平はたじたじになりながら本来の用件を切り出した。
「だから?」
「助けて、ください」
「なんで?」
どうでもよさそうに返事をするみーくんに反して、恭平は必死な顔になる。
「羽柴さんは美崎さんより上ですし……お願いします!いきなり拉致られて場所も分からないんです……」
「お前らさぁ、何でリンに会いに来た?」
「リン……?」
不思議そうな恭平と俯いている達哉。
あの血気盛んな達哉が何で急に黙ったのか分からないけれど、みーくんはそんな達哉に何も言わない。
前回何かあったな、たぶん。
「――お前が『売った』女だろ?」
「鈴が、リン……?」
「trumpで聞かなかったか?……そういや、久住も悪いようにしねぇって言ったか」
「じゃあ羽柴さんの本命は、」
「隣にいるのが見えねぇなら、お前は眼科に世話になれ」
なんかこじれて来たような。
多分、久住さんが言った『リン』と柏木鈴子は一致していないんだろう。
悪いようにはしないと言った久住さんに少しだけ感心した。
『リン』と柏木鈴子は別人ということにしてくれていた、ということだろうか。
あっさりみーくんは暴露したけれど、恭平は目を見開いたまま固まっていた。
「――帰れ。お前ら邪魔」
名前すら呼ばずにみーくんはあしらう。
そんな態度に唇を噛んだ達哉は腰を折って深く頭を下げた。
その行動に私はぎょっとして一歩下がる。
達哉が頭を下げる姿なんて私は一度も見たことがない。
達哉に習って恭平も頭を下げた。
ふたりはみーくんを前にして後頭部を無防備に晒す。
「理由、教えてやるよ」
ふたりの後ろ頭を見下ろしたみーくんは、私に向かって一瞬だけ笑った。
「1つ目。直接俺に掛け合えば多少考えてやった。リンを利用しようとしたことは間違いだった」
耳に毒な艶のある低い声が、さらに深みを増してこぼれていく。
幼い子供へ威圧的に言い聞かせるように、みーくんは続ける。
「2つ目。お前らが持ってきた話は都波と光渦に諍いを呼ぶ。休戦破らせるつもりでここに来たなら潰す」
ぞくりとするほど低い声で、みーくんは唸るように言い、ふたりを見下ろす。
その顔は無表情で、興味すら抱いていないようだった。
「3つ目。その女を助けても何の得にもならねぇだろ。リンの機嫌を損ねたらお前ら責任取れんのか」
別にそれで機嫌が悪くなったりはしないけれど、口は出さずに黙っておく。
つまり、話を総合すれば、達哉の妹の紗季ちゃんが都波の変態な美崎に拉致られて行方不明。
それをどうにか助けたくて美崎に物申せるらしいみーくんに話を持って行きたかったけど、直接は無理だから私に会いに来た。
そういうことでいいんだろうか。
またもや私を利用しようとするふたりは実に無神経で厚顔無恥だ。
多分私が頷くと思っていたんだろう。
『都合がいい女』だったから。
「結果、俺にはまったく関係ねぇ。分かったら帰れ」
言い切ったみーくんにゆっくりとふたりは頭を上げた。
その顔は腑に落ちないと言わんばかりで達哉に至っては泣きそうだった。
シスコンだったんだ、意外と。
会話に参加していない分、冷静に観察しながらふたりを見る。
恭平は私が苦手な『捨てられた犬』みたいな目をして見返してきた。
その顔に私が弱いと知っている癖に卑怯過ぎる。
「――紗季ちゃんって、恭平のなに?」
びくっと恭平の肩が揺れる。
さっきからずっと気になっていた。
やけに必死な恭平は、紗季ちゃんを好きなのかと思ってしまうくらいに悲壮感に溢れている。
「……それは、」
「紗季は恭平の女だ」
言い淀んだ恭平に達哉が言葉を被せた。
達哉のその目は威嚇しているように見えて、前から紗季ちゃんと恭平をくっつけたがっていたことを思い出した。
ああ、そういうこと。
彼女だからあんなに必死になったんだ。
――私はあんなに簡単に売られたのに。
紗季ちゃんを助けようとしている恭平にふつふつと浮かぶのは嫌な感情。
醜いよ、……知ってる。
これは嫉妬だ。
恭平に愛されていなかったということはどうでもいい。
誰かに必死で助けてもらえる紗季ちゃんが羨ましいと思っただけだ。
私はたまたまみーくんが助けてくれたけれど、それは運がよかったからだ。
誰かに必死になってもらえることがとても羨ましいと思った。
「――紗季ちゃんは幸せだね」
みーくんが私を抱く腕に力を込める。
「恭平に売られたこと、私は一生忘れないよ」
「鈴……あれは仕方なく、」
「『都合のいい女』だったから、身代わりにするには最適だった?」
「……鈴」
「それとも私と付き合ってるときから既に紗季ちゃんが好きだった?」
「違う!鈴のことはちゃんと」
「変わったって言ったけど、これが私の本当だよ。恭平といるときは気を使ってただけ」
「身代わりにするつもりは無かった!紗季はまだ高一だし子供だったから、」
「ねぇ、恭平」
「……何だ?」
「――やっぱり達哉がいたら謝らないんだね。最初に謝って欲しかった」
許すつもりはさらさらなかったけれど、売った女に謝りもしない恭平と達哉はやっぱり最低だとしか思えない。
私が21歳だとか紗季ちゃんが高校生だとか関係ない。
どちらも『女』で、男にとっては同じだから。
「……頼む、鈴。悪かったと思ってる」
今さら謝っても遅いと思う。
達哉は私を睨んでいるし、結局中身は変わってない。
きっと内心では『調子に乗るな』と思ってる。
「黙って消えろ。俺の気が変わる前に」
放たれた最後通牒はみーくんによるもので、私はただ呆れることしかできなかった。
恭平も達哉も人のことを『使える』としか思っていないだろうし、私の気持ちなんかきっと考えてもいない。
「――鈴子、謝る。嫌なことばっか言って悪かった。紗季だけは大事なんだよ、俺の大事な妹なんだよ」
一瞬、恭平かと思ったその台詞。
間違いなく達哉から発せられたそれに私は思わず口を半開きにした。
え、本気で達哉が言ったの?
鈴子って私だよね?
あまりにも現実味が無さすぎで達哉を凝視してしまう。
睨んでいる目は変わっていないのに、表情だけは必死だった。
その態度に戸惑った私を見て、みーくんはわずかに口元を緩めた。
「――そぉいえばぁ、美崎ってりんちゃんの隠し撮り持ってたんだよねぇ。まぁ、回収したけどぉ?」
「……隠し撮り?」
「そーそー。20枚回収して、俺のコレクション入りしてるよぉ」
「捨てて。すぐに捨てて」
――みーくんが言いたいことは分かる。
美崎を『止める』理由を作ってくれているんだと思うけれど、残念ながら私はそんなに優しくなんてない。
「紗季ちゃんがそんなに大事なら、何で都波に奇襲かけたりしたの?達哉が仕掛けたって聞いたけど」
自業自得だ。
達哉が考えなしで紗季ちゃんは巻き込まれた。
何で都波が片をつけた後に紗季ちゃんを拉致ったのかは知らないけれど、そうなる理由を最初に作ったのは達哉だ。
「理由なんか、ねぇよ。機会があったらやるもんだろ」
高校生の喧嘩事情は私には分からない。
でも、それが悪いことだともいいことだとも言えない。
ただ、問題は覚悟が無かったからこうなったということ。
紗季ちゃんが巻き込まれるかもしれないと一瞬でも達哉が考えなかったなら、それは達哉の落ち度だと思う。
紗季ちゃんに落ち度はない。
だけど紗季ちゃんを助ける義理もない。
私だって売られた身だ。
「――私、いい子ぶるのやめたから、紗季ちゃんを助けたいなんて言わないよ。思ってもないし。可哀想だとは思うけど。それより警察行った方が早いんじゃない?」
「大事になったら紗季に傷がつくかもしれねーんだよ。周りに何か言われたら、紗季だって一生苦しむだろ!」
「ちょっと待って、いつ拉致られたの?」
「昨日の、夜」
「……は?達哉も恭平も馬鹿なの?」
よくそれで呑気に私を待っていられたな。
紗季ちゃんがいなくなったと分かってからすぐに警察に電話するのが当たり前だ。
何かされてトラウマになる方がよっぽど可哀想だと思うのは私だけなんだろうか。
紗季ちゃんを心配しているわりに、恭平も達哉も他力本願でのろい。
もし私が紗季ちゃんだったらと思うと、ふたりが腹立たしくてならない。
警察に連絡して大事になったら傷付くだとか、そういう『後』の話をどうして今するのかまったく理解できなかった。
「――最低。恭平も、達哉も、なに考えてんの?彼氏なんじゃないの?兄貴なんじゃないの?」
必死になっている恭平を見て紗季ちゃん羨ましいと思った私が馬鹿だった。
まったく分かっていない。まったく必死になっていない。
恭平も達哉も焦ってただそこで足踏みしているだけの最低な人間だ。
海は一度も私を助けてくれなかった。
だから私はひとりで頑張った。
苛めも嫌がらせもでっち上げの言いがかりも。
全部自分で何とかするしかなかった。
海から被った被害の数々は私に降りかかったけれど、助けてくれたりしなかった。
紗季ちゃんも似たようなものだ。
恋人も兄貴も頼りなくて弱々しい。
助けようとした努力は報われない。
助けた結果しか残らない。
助けられなかったらいくら努力していても同じ。




