↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
透明  作者: 文月
第一部 出逢い編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/62

第37話 私、詩音を見殺しにした

 正直に言えば、それでよかった。


 私はただ、認めたくなかっただけだ。


 みーくんを好きになりかけていることを、自分でも認めたくなかった。


「そんなに心配しなくても、多分もう離れられない」


 脅迫なんて必要ない。


 捕まえる必要もない。


 きょとんと目を丸くして、年相応の表情を見せたみーくんに、思わず声を上げて笑う。


 私はみーくんに離れてほしくなかった。


 だから踏み込まなかった。


 自分の話に触れられたら、離れなくちゃならなくなるから。


 みーくんは私に離れてほしくなかった。


 だから過去を利用してでも、無理やり脅して縛り付けようとした。


「りんちゃん……?」


 みーくんは困惑したように眉を下げ、急に笑い出した私の名前を呼ぶ。


「どっちも性格がひねくれ過ぎて、両想いだって気づけてない」


 『好かれている』という自信がなかった。


 お互いに。


「生い立ちとか、環境のせいもあるだろうけど……恋愛するの下手くそ過ぎる……」


 もう笑うしかない。


「好きだよ、みーくん。多分、みーくんが思ってるよりずっと好き」


 驚きに見開かれた瞳が、だんだんと熱を帯びていく。


「俺のこと、好きなのかよ」

「みたいですね」

「いつからだよ」

「さっきから、かな」

「早く言え」

「いや、だからさっき実感したんだって」

「――本気で、好きなのか」

「好きになったと思う、多分」

「多分とか付けんな」

「好き好き連呼しないでよ。なんか恥ずかしいから」

「――すげぇ嬉しい」

「……うん」


 本当の意味で『恋人』になれることが、こんなに胸を温かくするものだとは思わなかった。


 どっちも相手の気持ちを信じられなくて、普通よりずっと遠回りをした。


 それでも今、私とみーくんはやっと『両想い』だと気づいた。


 まだ不安はたくさんあるし、こんな幸せな気持ちを味わうことに罪悪感も抱く。


 だけど、私はみーくんと出逢って少し変わった。


 吐き出すことが、楽を求める罪になるとずっと自分を戒めていた。


 でも、その戒めこそが『いい子』でいようとする意識そのものなんじゃないかと、最近は思う。


 罪を背負うことに意固地になっている方が、よほど偽善なんじゃないだろうか。


「みーくんに話したいことが、ある」


 嫌われたくない。


 知られたくない。


 誰かに話したらいけない。


 一生悔やんで生きていけ。


 そう思っていたけれど、そのすべては『上っ面』だった。


 責められたかった。


 お前は最低だと言われたかった。


 それこそが偽善だった。


「――なぁに?」


 話して楽になるんじゃない。


 正直になって、自分を隠さず語るだけ。


 みーくんがしたように、打ち明けるんじゃなくて『説明』するだけだ。


 これは忠告。


 本当に私でいいのかと問うための話。


「私、詩音を見殺しにした」


 記憶を言葉にするだけなら簡単だ。


 ためらわなければ、きっと最後まで伝えられる。


 だから、ためらわない。


 言うと決めたら引き下がらない。


 それでどうなったとしても構わない。


 ……覚悟なんて決まってないよ。


 依存してからじゃ離れられなくなるから、先に忠告したいだけ。


 ねぇ、みーくん。本当に私でいいの?


 引き返すなら今だと思う。


 そんな意味を込めて明かす。


「初めて詩音に怒鳴ったのは、小学生になったばかりのときだったと思う。多分、もうそのときには嫌いになってた。――うっとうしかったから」


 嘘は言わない。


 取り繕うつもりもない。


 正直に、思っていたこと、感じていたことを口に出すだけだ。


 四六時中、私の前に立ち塞がる。


 私が読んでいた本も、遊んでいた人形も、詩音は欲しがって大泣きした。


 母親は決まって『お姉さんなんだから』と、譲ってあげるよう私を促した。


 詩音は癇癪《かんしゃく》を起こすと泣きわめきながら暴れた。


 それを防ぐには、穏便に済ませる必要があった。


 一番手っ取り早いのは『私が詩音に譲ること』だったから、母親はいつもそうしようとした。


「私もいい加減、我慢の限界だったんだと思う。そのとき小学生だったし、自分ばっかりがなんで我慢しなきゃいけないのって思ってた」


 そこまで言って、思い出す。


 そういえば、みーくんにちゃんと説明したことはなかったかもしれない。


「詩音はね、自閉症っていうんだって。それに軽度知的障害。自閉症も知的障害もどっちも軽いものらしいけど……軽度でも、私にとっては違和感がたくさんある妹だった」


 こつん、とみーくんの肩口に額を預ける。


 紐解く思い出は、まったくやさしくない。


「喋るときはいつも単語だった。今は普通に……っていうか、母親の癖が移って敬語を使うようになってるけど」


 姉ちゃん、お茶。


 違う、やだ。


 ともだち、なんで。


 姉ちゃん、して。


 何が、どうして、どうなった。


 という組み合わせができない詩音は、主語がなかったり述語がなかったりする。


 そんな詩音を叱るときだけ、母親は自分が冷静になるために敬語を使った。


 自閉症の子供を怒鳴り付けることはしちゃいけない。


 さらに癇癪を起こすだけだからと、あえて冷静に叱る母親。


 詩音にとっては『素晴らしい母親』だったと思う。


 向き合う姿勢はいつも真剣で、愛にあふれていた。


 その矛先を少しでも私に向けてくれていたら、と思ったことも一度や二度じゃない。


 ただの妬みにしかならないけれど。


「私、詩音のことも他の家族のことも大嫌い」

「……うん。どうして?」


 初めて相づちを打ってくれたみーくん。


 ちゃんと聞こうとしてくれていることに、少しだけほっとする。


「両親に対しては、ただ自分をもっと見てほしかったっていう八つ当たりだと思う。海……兄には色々迷惑かけられたし、弟の譲は正直ちょっと分かんない。今、何年生なのかも知らないし」


 他のきょうだいのことなんて、引っ越してから一度も母親に聞かなかった。


 知ろうともしなかった。


 自分から母親に電話を掛けることさえ、用事以外ではほとんどない。


 譲が今どうしているのかも知らない。


「自由で自分勝手な海にムカついてたっていうのもあると思う。だから、当て付けみたいに突っぱねた。……詩音が小学生になったとき」


 ――横断歩道。倒れた詩音。叫び声。


 思い出すだけで身震いする光景だった。


 それを引き起こしたのは、私だ。


「母親から、詩音と一緒に登校するように言われたの。私か海のどっちかが、絶対に行き帰りは一緒になるようにって」


 いったん、みーくんから身体を離す。


 細部まで漏らさないよう、しっかりと思い出すために。


 ――鮮明に、まだ覚えてる。


「今日から一緒に帰ってね」


 母親からお願いされたのは、詩音と行き帰りを共にすること。


 小学生になった詩音と一緒に帰る。


 それはつまり、友達とは一緒に帰れないことを示しているわけで。


「俺やだよ。友達と帰るし」


 兄の海がそう言った。


 先手必勝とばかりに言われて、私は黙る。


 お母さんは私を見て、一緒に帰ってくれる? と目で訴えた。


 そうやって、また私に。


 そんな気持ちから出た、小さな抵抗だった。


「私も、……やだ」


 友達と一緒に帰りたい。


 それは海と同じ気持ちだった。


 詩音とは帰りたくない。


 友達と帰る方が楽しいし、詩音は寄り道が多くて疲れるから。


「――じゃあ、交代にするよ。今日は鈴子、明日は海。明後日は鈴子で、その次はまた海。分かった? お願いよ、お母さんを困らせないで」


 不満そうに、私と海は膨れっ面をして嫌々頷いた。


 交代制に決まってから、数か月。


 私も海も、詩音と一緒に帰る役目を押し付け合うようになった。


 昨日は私だったから、今日は海だから。


 そんなふうに当て付けがましく詩音へ言って、私は海の教室まで連れていった。


 そんな日の帰り道だった。


 自宅の近くにある横断歩道に、不自然な人だかりができていた。


 興味を引かれた私は、そのまま近寄った。


 手には木の棒。


 探検した帰り道だった。


 人が多くて、輪の中心は見えない。


 背伸びをしていた私は、ふと気づいた。


 ――下からなら見える。


 身体を屈めて人の隙間から覗いた先に、詩音がいた。


 横断歩道に倒れ、泣いていた。


「詩音ちゃんッ!」


 近所の人が詩音を見つけ、名前を叫んだ。


 その声が遠く響く。


 詩音は一人で帰っていた。


 海は勝手に帰ってしまい、詩音を置いていった。


 その帰り道で、詩音は交通事故に遭った。


「しおん……?」


 私がこぼした震える声に、詩音が涙を流しながら、うっすらと笑った。


「ね、え、ちゃ」


 ――痛いでしょ。


 なのに、どうして笑ってるの。


 こんなにたくさんの人がいるのに、どうして私を見つけるの。


 見ないで。私を見ないで。


 ごめんなさい。


 もう一緒に帰らないなんて言わないから。


 一人で帰らせたりしないから。


 だから、そんなふうに笑わないで。


 私を追い詰めないで。


 膝が震える。


 声が震える。


 涙が出る。


 そんな顔しないで。


 お願いだから。


 私、あんたの大好きなお姉ちゃんなんかじゃない。


 そこからどう走ったのかは、ほとんど覚えていない。


 気づけば、ふらつきながら家へ向かっていた。


「お、おかあさん、詩音が、詩音が……!」

「どうしたの?」

「詩音が、詩音が!」

「鈴子、落ち着いて。それで、詩音がどうしたの?」

「じ、じこに、横断歩道! おかあさん、はやく、はやく! わたしをみてるッ――! しおんがっ、わたしをっ……」


 放つ言葉が文章にならなかった。


 上手く伝えられない。


 伝える余裕がない。


 お願い、お母さん。


 早く行ってあげて。


 詩音が泣きながら笑ってる。


 伝えられなかった言葉から、母親は何かを察した。


 弾かれたように飛び出した母親は、サンダルと靴を片方ずつ履いていた。


 私は靴を履くだけでも時間が掛かった。


 横断歩道に戻ったときには、詩音は担架に乗せられていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。