第35話 僕の名前は美崎一美
「とりあえず、あなた誰ですか?」
「ああ、そうだね。まずはその話からしよう。僕の名前は美崎一美と言って、美しいという漢字が2つ使われているよ」
美崎……ミサキ……!
都波の変態だ!
みーくんを超える変態だ!
気持ち悪いってタキが言っていた、あの変態……。
瞬時に思い出して慌てて手を引き、後ずさりする。
確かに気持ち悪い!
というか、気持ち悪い以外の何者でもない。
ドン引きした私に何を勘違いしたのか、美崎一美は恍惚とした表情で、派手なゼブラ柄の中折れハットを脱いだ。
「――大丈夫、怖くないよ」
いやいや怖いから、怖過ぎるから!
顔が良くても雰囲気がだめだ。
私が受け付けないナルシストタイプの美崎は、引かれていることに気づいていないらしい。
トップはほぼショートで、襟足だけが長いダークブラウンの髪を手櫛で整え始めた。
「室内で帽子は失礼だったよね。気づかなくてごめん。改めて握手をしよう。ほら……手を出して」
無理。本気で無理。
受け付けられない。
なんか待ってるし、手を出して笑ってるし!
何が改めてなのか、なんで握手なのか、まったく分からない。けれど、ここで手を出したら私の中の何かが終わる気がする。
「ほら、いいよ。握手しよう。りんちゃんと出逢えた記念に……」
全身で拒絶反応を示しながら、残念なイケメン代表になってもおかしくない美崎から顔を逸らす。
こういうときに限って、店長はバックヤードで作業をしている。
誰か助けて。本気でこの人は怖い。
「もしかして手を洗っていないと思っているのかな? 心配なら洗ってきようか」
「そういう問題じゃないから!」
つい反射的にツッコミを入れてしまって、ハッとする。
嬉しそう。
ものすごく嬉しそう!
なんか美崎一美の顔が輝いている。
「あの、帰ってください。仕事中なので、握手とかそういうのだめなんで……」
なけなしの気力で、美崎の顔を見ずにそう答える。
「もしかして照れてるのかな? 怖くないから、さぁ、手を出してごらん」
――店長、店長!
早く、早く帰ってきてヘルプ。
魔法の言葉『仕事中』を使って撃退しようとするも、レジの前から立ち去る気配はない。
どうしたものかと頭を抱えたくなった。けれど、バックヤードの入り口から店長が顔を覗かせた瞬間、レジを出る。
必死の形相で近寄った私に、店長は目を見開いてのけ反った。
「すみません、お客さんに絡まれたので交代お願いします! ちょっと早いですけど、ドリンク補充に入ります」
「えっ? あ、うん。分かりました。クレームじゃないよね?」
「違います。雑談を持ちかけられました。若い男の子で……」
「なるほどね。分かった」
二つ返事で頷いてくれた店長に、ほっと胸を撫で下ろす。
ロッカーから鞄を取り出した。
本当はいけないけれど、今回限り。
携帯でみーくんを呼び出し、コールする。
仕事中に電話してごめんなさい。店長、本当にすみません。
コールはなかなか途切れず、みーくんは電話に出てくれない。
仕方なく1度終了し、焦りながらメールを打つ。
『変態来てる助けてコンビニ』
それだけ打って携帯を鞄にしまい、ドリンクの補充を始める。
肌寒いのを我慢しながら、まんべんなく空いたところを埋め、隙間から目を凝らして店内を見渡す。
まさか店長とも雑談を始めたりしていないだろうか、と一瞬考えた。
けれど、店長はレジに1人で、美崎一美の姿は見当たらなかった。
補充を終え、戦々恐々としながらバックヤードを出る。それでも美崎は店内におらず、心底安堵した。
よかった。本当によかった。
確かにあれは変態だ。
紛れもなく、自意識過剰な変態だった。
握手しようとするところが一番怖かった。
初対面にもかかわらず、あだ名で呼んで馴れ馴れしい。
せめてみーくんの友達だったりすれば気にならなかったかも……いや、やっぱりいきなり握手は無理だ。
みーくんは、はっきりと美崎を『嫌い』だと言っていた。
それなら逃げても問題ない。
店長はにこにこしながら作業をしている。申し訳なく思いながら、私もレジに入って近づいた。
「すみません、ありがとうございました。あの人帰りましたか?」
「うん。すぐに出ていったよ」
「そうですか……」
そんなにあっさり引き下がるなら、わざわざみーくんにメールをしなくてもよかったかもしれない。
少し気まずく思いながら、休憩になったらもう1度メールをしようと決める。
それから数時間経っても、美崎は現れなかった。
しばらくひやひやしていた私も、休憩に入る頃には落ち着いていた。
腹ごしらえのために菓子パンとミルクティーを買い、バックヤードの椅子に座る。
着信が2件とメールが1件。
どちらも、みーくんからのものだった。
『回収したからもうだいじょーぶ』
緩いひらがなの文面に安心して、ミルクティーにストローを刺す。
冷たいそれで喉を潤しながら、片手でメールを作っていく。
『ありがとう。休憩入りました』
送信して、ひとまず携帯を置く。
カスタードクリームとホイップクリームが入った菓子パンはとても甘く、一口目で失敗を悟った。
しまった。
ミルクティーにはまったく合わない。
甘過ぎるパンに眉をしかめ、振動した携帯を手に取る。
『電話していーい?』
短い文面を見て、着信履歴からみーくんを選ぶ。
通話ボタンを押したら、すぐに電話は繋がった。
「もしもし?」
「『あ、りんちゃん? ごめんねぇ、気持ち悪かったでしょー』」
「うん、かなり。怖かった。いきなり握手しようとか言い出して」
「『――へぇ。そんなコト言ったんだぁ。ちゃーんとお仕置きするからねぇ』」
「……ちなみに、どんなお仕置き?」
「『坊主にしとくー。それがイチバン利くんだよねぇ』」
うわぁ……確かに利きそうだ。
あっさり効きそうなお仕置きを決めたみーくんは、よほど美崎が嫌いなのだろう。
「あの人、変な人だよね……」
「『あ、タキがバリカン持ってきたぁ』」
「今から!? 今からやるの?」
「『アイツ、坊主にされるのもう3回目なのに全然懲りてナイんだよねぇ』」
「3回目って……」
美崎一美の不思議が深まるばかりで、怪しさは倍増する。
前の2回は一体何をしたんだろう。
というか、3回ともみーくんたちが坊主にしたのかな……。
「『芝原も詫び入れたしぃ、しばらくはなぁんもないんじゃないかなぁ? 美崎が暴走しない限りぃー』」
「……そっか」
恭平と達哉はどうなったんだろう。
聞きたい。けれど、やっぱり聞きたくない気もして、つい黙ってしまう。
そんな私に気づいたのか、みーくんは電話口で少し笑って教えてくれた。
「『入院したりしない程度だからぁ、心配しなくてもだいじょーぶ』」
「……みーくん」
「『なぁに?』」
「バイト終わったら、会える?」
「『――迎えに行く』」
「……ありがとう。じゃあ、また」
電話を終え、閉じた携帯を数秒間だけ見つめる。
みーくんに会ったら、何か気持ちが変わるだろうか。
それとも、答えが出るだろうか。
胸を渦巻くもやもやは甘い菓子パンのせいにして、残りを食べてしまおうと思い切りかぶりついた。
アルバイトを終えて外に出ると、みーくんは黒いバンにもたれてスマートフォンを触っていた。
高い身長に軽薄そうな髪色、細身の身体のあちこちで煌めくアクセサリー。
ごつごつした無骨なものばかりを身につけた姿は、チャラいと形容される外見だ。もし中身を知らなかったら、絶対に近づきたくはなかっただろう。
みーくんの隣には酒田さんが立ち、煙草を吸いながら何か話しかけている。
2人とも私が出てきたことには気づいていないようだった。
酒田さんが大袈裟におどけてみせた瞬間、みーくんは酒田さんの脛に靴底を当てた。
「ってぇ! 痛いですよ、羽柴さん! でもマジな話、りんごさんとの話、どこまで――」
「酒田さんッ!」
今その話は結構デリケートな部類に入るので、先手を打って止めておく。
私に気づいたみーくんはスマートフォンをしまい、ひらひらと手を振った。
「おはよう、りんちゃん。お疲れ様ぁ」
「うん。おはよう。なんで酒田さん?」
珍しく酒田さん同伴で迎えに来たみーくんに、首をひねって聞いてみる。
脛を擦りながら涙目になった酒田さんは、私を下から見上げた。
「移動のアシを持ってきたんですよ。今日は羽柴さんが運転するんで、俺は持ってきただけです」
「……え?」
みーくんが運転?
純粋に驚いて、思わず凝視する。
それを別の意味に取ったのか、みーくんは財布から免許証を取り出して私に差し出した。
「だいじょーぶ。免許あるしぃ。ちょーっと遠出に付き合ってくれる?」
「あ、うん。それはいいけど……この車って酒田さんのじゃないの?」
そんな貸し借りをしていいものなのかと心配になった。けれど、酒田さんは至って普通に頷いている。
「そこらへんは大丈夫です。羽柴さん、運転上手いんで心配してないですから」
運転に上手い下手があるというのも不思議だ。
器用、不器用ならなんとなく分かるけれど、つまりみーくんは器用だと思っていいのだろうか。
免許証の写真に写るみーくんは、今よりもっと明るい色の髪で別人みたいに思えた。
じゃあ、と酒田さんはすぐに帰ってしまった。
みーくんは何事もなかったかのように運転席に乗り込む。
後ろに座るか前に座るか少し悩んで、助手席に座ることにした。
何も言わないってことは、多分これでよかったんだろう。
走り出した車の中には、クラシック音楽が小さく流れていた。
不釣り合いなそれは、どうしてもみーくんとイコールで結ばれない。
うずうずしながら、聞いてみる。




