第32話 私、探しに行きたい
――みーくん。
汚くなった履き潰しのスニーカーだけど、可愛くないジーンズと灰パーカーだけど。
あんな美女とは、まったく勝負にならないけど。
私、探しに行きたい。
みーくんに会いたい。
気づいてあげられなくてごめん。
まだ臆病で心積もりもないけれど、直接会って話したいことがある。
急に駆け出した私は、見る人によってはきっと変人だ。
全力疾走なんてするもんじゃない。すぐに息切れしてしまう。
行き先は近く。
思い当たるのは、だっさい名前のラブホテル『カーニバル』。
もういないかもしれない。もしかしたら、まだお楽しみ中かもしれない。
……迎えに行かせて。
ねぇ、みーくん。
電話を掛けるのはやめた。そんな余裕はない。
――とりあえず酸素が欲しい。
名前に反して、建物の造り自体は普通。
ただ、外壁の色は目に痛いオレンジだ。
到着したカーニバルの入り口で、少し立ち止まって考える。
中に入るのは論外。そんなお金はないし、確実に会えるとも限らない。
騒ぎにしないためにも、従業員には何も言えない。
それなら最終的には、待つしかない。
いない、という可能性はひとまず先送りにして、隠れられそうな壁際に寄って待ってみる。
そういえば、タキのほうは見つかったんだろうか。
三十分待って、出てきた客は二組だけ。
中年夫婦と若いカップル。
どちらも当然、みーくんじゃなかった。
昨日の夕方からホテルに向かったなら、やっぱりコトを済ませて夜のうちに帰ったのかもしれない。
だけど、あのグラマラス美女は、みーくんが好きで好きでたまらないようにも見えた。私を挑発した態度から、嫉妬深くも見える。
そんな女が、すぐにみーくんを手放したりするだろうか。
朝方までイチャイチャするラブラブコースを選びそうな気がしないでもない。
低すぎる可能性に賭けて、ため息混じりにホテルの壁にもたれる。
シュールだ。かなり、虚しい。
こうしてホテルで出待ちするなんて初めての経験だし、今後は絶対にやりたくない。
いっそ帰ってしまおうかと頭をよぎったのも、三十分で六回だ。
だんだん眠たくなってくる頭を働かせ、下りてきそうになるまぶたを持ち上げる。
ここで寝てしまうのは、あまりにも恥ずかしい。
頻繁に携帯で時間を確認しながら、今か今かと待ち望む。
いつも受け身だった自分が、こんなふうに行動することになるなんて。人生って分からないものだ。
ストーカーのように待っていた私に、天からのご褒美が下ったのかもしれない。
自動ドアが少しもたつくように開き、グラマラス美女が姿を現した。
――来た。やっと来た!
自分でも引くくらいテンションが上がり、息を潜めながら美女を見る。
向こうは当然、気づいていない。
バクバクと鳴る心臓を押さえながら、美女の周りへ目を配る。けれど、みーくんの姿は見えなかった。
「もしかしてもう帰った、とか……?」
小声で呟き、落胆のあまり眉が下がる。
すでにみーくんは夜のうちに帰って、美女だけが残っていたのかもしれない。
それか、美女が先に出ただけ?
……でも、みーくんからすんなり美女が離れたというのも考えにくい。
とにもかくにも、まずは電話をしてみたほうがいいのかもしれない。
履歴からみーくんを選んでコールする。
「――やっぱり、出な……」
「りんちゃん?」
「うわっ、出た!」
びっくりした。
今度はちゃんと、出てくれた。
ホッとしながら胸を撫で下ろす。
「みーくん、今どこ?」
「んー……なんかあったぁ?」
「質問を質問で返さないでください」
いつもどおり過ぎて、肩の力が抜けた。
龍にも電話してあげないといけない。
多分、まだ探してるだろうし。
「あのね、みーくん。今から会える?」
「……りんちゃん、迎えに行かなかったから、怒ってる?」
「何で怒ってると思ったの?」
「りんちゃんから電話して来るのって珍しいしぃ?」
「そうだね。で、会える?」
「……りんちゃん」
やけに渋るということは、どうやら私に会いたくないらしい。
まぁ、あれだしね。他の女を抱いた後だしね。分からんでもないです、うん。
でも、ごめん。
珍しく凄く後悔してる。
貰うばっかりで、何もあげようとしなかったこと。
「私、カーニバルの前にいる」
それだけ言って通話を切る。
会いたくない、とはっきり言われたくなかった。
多分、みーくんは言わないだろうけれど。
自動ドアの付近に出て、じっと待つ。
これでもし、みーくんがすでに帰った後だったら、脱力するほかない。
こう思うのも、ある意味彼女としてはおかしい。けれど、どうかまだホテルにいますように。
このタイミングを逃したら、またいつもみたいに口を閉ざしてしまうかもしれない。
いなかったら――という不安は杞憂に終わった。
みーくんは慌てた様子で現れた。
ボサボサになったライトブラウンの髪に、片方へまとめて流した金メッシュ。
毛先は濡れたままで、シャワーを浴びたんだろうなと一発で分かった。
鎖骨に光るチェーンネックレスのトップは、一回転して後ろ向きになっている。多分、走って来たんだろう。
「りんちゃん……」
ぐにゃりと曲がった眉は徐々に下がり、情けなくも泣きそうな顔を作る。
その表情が怯えたうさぎみたいで、少しだけ笑いそうになった。
「みーくんの好きな食べ物って、なに」
「え? ……麻婆豆腐?」
「じゃあ、嫌いな食べ物は?」
「……えっと、生のタマネギ」
どうしたの? とでも言いたげに、みーくんは緩く首を傾げる。それでも律儀に私の質問へ答えてくれた。
――あれ? 言いたいことは何だったっけ。
みーくんを見たら、考えていた言葉が吹き飛んで、内心ちょっと焦る。
私はさっきまで、何を言おうとしてたんだろう。
気づいてあげられなくてごめん。
何も聞こうとしなくてごめん。
それだけじゃなくて。
伝えたかった言葉は――。
「利害が一致したって、思わない?」
「……りんちゃん?」
「与えたいなら、私にちょうだい」
これじゃ、みーくんと同じだ。
汚い感情をくれと私に言った、あの言葉。
「みーくんの持て余してる愛情は、私が全部貰ってあげる」
こんなことを言うつもりじゃなかった。
それでも、すらすらと私の口から流れ出ていくのは、紛れもなくみーくんと同じ言葉。
『りんちゃんの汚くてイヤな感情を、残さず全部ちょーだい』
「みーくんの持て余した愛情を、私に全部ちょうだい」
生ぬるい風が、やさしく私の頬を撫でた。
砂ぼこりが巻き上げられて、反射的に目を閉じる。
私の身体をぎゅっと抱き締めて包むのは、低体温のみーくんだった。
「――好き、……好きだ」
馬鹿な私にでも分かる。
これが『本物の告白』だって、ちゃんと身に染みて分かる。
「一番、誰よりも、リンが――」
焦がれるように紡がれた告白に、ときめきなんて甘酸っぱさは含まれていない。
これは、この感情は、私も知っている。
嫌になるほど、身に覚えがある。
「――リン、愛してる」
みーくんの告白も、みーくんの囁きも。
――許してほしい。お願いだから。
そう願って、赦してもらえたときに安堵する。そんな感覚なら、私にも身に覚えがある。
何度も私は経験した。
自分が犯した罪を許されたとき、こうして焦がれるように誰かに縋りたくなった。
もどかしくて、歯がゆくて、焦れったい。
許さないでくれと願う反面、許してくれと強く願う。
「私が、許してあげる。みーくんが私に、良い子にならなくていいって思わせてくれたように。私もみーくんを許してあげる」
やっぱり世の中は上手くできてる。
出逢う人間は自分と同じ。
濁って汚れた、私とみーくん。
「あのさ、さっきから言おうと思ってたけど、みーくん香水臭い」
「みーくんちょーショック! んー……シャツ脱いだらイイ?」
「半裸で歩くつもり? とりあえず離れてくれないかな」
ぐい、とみーくんの胸板を押して離れる。
グラマラス美女の香水がぷんぷん香って、鼻を刺激する。
どんだけつけてたんだ。
「……あ! 龍に電話! みーくん、龍が探してるから早く電話してあげて」
しまった。先に連絡しておけばよかった。
つい後回しにしてしまったせいで、すっかり頭から抜け落ちていた。
みーくんはマイペースにスマートフォンを操作して、優雅な態度で電話を掛ける。
その仕草が妙に爽やかに見えるのは、朝だからだろうか。それとも、精神的に一線を越えたからだろうか。
バイトが終わったら連絡すると言っていたタキに、私も一応掛けてみる。
タキは問題ないと龍がはっきり言っていた。それでも、心配する気持ちはもやもやと燻ってしまう。
「――生きてる。じゃあ」
え? とみーくんを見上げれば、すでに通話を終えたらしい。
二言。
あんなに心配していた龍に、たった二言しか言わずに電話を切ったみーくんは、悪魔以外の何者でもない。
龍が可哀想に思えてきた……。
でも、女を抱くみーくんが面倒だと言っていた理由は、なんとなく理解できた。あの必死さにも頷ける。
多分、みーくんはベタベタに甘やかして女の子を抱いていたんだと思う。
だから、千歳ちゃんみたいな女の子が出てくる。
龍はそれが嫌だったんじゃないだろうか。
耳元でコールが鳴り、タキの電話へ呼び掛ける。
出るかどうかは分からない。もし出なかったら、龍に聞いてみるつもりだ。
「りーんちゃん、だぁれに掛けてんの?」
「タキ。行方不明らしいから。――あ、もしもし? タキ?」
みーくんへ簡単に答え、コールが切れたタイミングで口を開く。
声は聞こえないけれど、がさごそと雑音が聞こえてくる。
「もしもし? ……これ、繋がってるよね?」
不安になってきたけれど、雑音が大きくなったり小さくなったりしている。多分、繋がっていると思う。
「みーくん、タキに電話してるんだけど、雑音しか聞こえない」
はい、とみーくんに渡して電話を代わる。
もしかして何かあったのかも、と一抹の不安が頭に浮かぶ。
私の携帯を耳に当てたみーくんは、みるみる間ににやにやして電話を切った。
折り畳んで返された携帯を受け取り、回答を待つ。




