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透明  作者: 文月
第一部 出逢い編

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第31話 また私は取り繕った

 どこから別人になったのか分からないけれど、多分りんもスズコも私だと思う。


 一体、久住さんは何をどう言ったんだろう。


 まぁ、違う『りん』がいる可能性もあるだろうけど。


 顔に出さなかった自分を褒めてやりたい。


 言いたいことを言ったのか、女の子は鼻息荒く出ていった。


 相棒の松山さんは、カウンター下にあるプラスチックのスプーンを出しながら苦笑いしていた。


「大変だね。なにかあったの?」

「……分かりません」

「良かったら帰りは送ろうか」

「大丈夫ですよ。……多分」

「今日も彼氏が来てくれる?」

「それは……分かりません」

「じゃあ来なかったら送るね。あ、いらっしゃいませー」

「いらっしゃいませ」


 無駄に忙しい。


 雑誌コーナーに横一列で並んでいる集団は、私をちらちらと見ていてうっとうしい。レジに来る人も、あからさまに喧嘩を売っているような態度でイライラする。


 だけど、これくらいで怒っていたら私が疲れきってしまう。


 淡々と業務と接客をこなす。

 夜が明けた頃には、好き勝手に停まっていた車も、立ち読みしていた感じの悪い若者もいなくなっていた。


「お疲れ様でした」

「お疲れ様。柏木さん、裏に停めてあるから一緒に行こう」

「え? いやいや、本当にいいですよ」

「いいからいいから」


 人の良さそうな笑みを浮かべている割には、強引な松山さん。


 そういえば、松山さんってよく送ってくれるらしい。


 夜勤のもう一人の子が、そんなことを言っていたような。


 人柄を知っているからか、あまり警戒はしていない。


 身体をほぐすように背伸びをして鞄を持つと、松山さんがにっこり笑って頷いた。


「じゃあ、すみません。お願いします」


 軽く頭を下げてお願いし、バックヤードを出る。


 松山さんの私服はラフで、おじさんにしてはおしゃれな色合いだった。


 ダークブラウンのジャケットは、落ち着いた松山さんによく似合っている。センスがいいなと思わされた。


 いつものようにドリンクコーナーへ向かおうとすると、前を歩く松山さんが驚いて足を止めた。


「柏木さん?」

「あ、つい」

「そういえばいつもお茶買ってるよね。買う? ……って言っても、彼が買うかな」

「はい?」


 松山さんは私を通り過ぎて、後ろを見た。


 茶目っ気たっぷりに笑った松山さんに首を傾げて振り向くと、ガラスの向こう側に見覚えのある姿。


「……なんで」


 明らかに私を睨んでいる龍が、そこにいた。


 松山さんに挨拶をして、早足にコンビニを出る。


 立っていた龍に近寄ると、不機嫌な眼差しで見下ろされた。


 さすがトーテムポール、目線が高い。


 頭のてっぺんは、背伸びしても見えない。


「……連絡がつかねぇ」

「なに?」

「タキとミツル」

「……二人とも、電話出ないの?」

「お前も知らねぇのかよ……」


 はぁ、とため息を吐いた龍はコンビニの壁に背中を預け、ポケットから携帯を取り出した。


「りんご、お前も掛けろ」


 そう言われて、鞄から携帯を出して開く。


 着信履歴……1件。


「……どうした」

「着信きてる……」

「あ?」

「みーくんからの着信」


 かけ直して携帯を耳に当てるけれど、通話状態にはならずコールが続く。


 辛抱強く鳴らしてみても、みーくんは電話に出ない。


「出ない。タキに掛けてみる」


 一旦切って、タキの番号を呼び出す。


 三コール、四コールと待ってみたけれど、こっちも出なかった。


「……龍」

「とりあえずタキは問題ねぇ。が、ミツルの所在が掴めないってのは面倒臭ぇことになった」

「なんで?」

「久住んとこに行ったんじゃねぇのか」

「昨日行ったけど……」

「久住はミツルの話をしなかったか?」

「ジョーカーだとか、そういう話はしたと思うけど」


 龍が妙に焦っている。


 その理由が分からなくて眉をひそめると、舌打ちが鳴った。


「お前、ミツルに何かしただろうが」


 責めるような龍の口調が、私の耳にダイレクトに響いた。


 私が何かした?


 みーくんが何かしたんじゃなくて?


「昨日の夕方、女の人がみーくんに会いに来た。ナオって言ってたけど」


 思い当たるのは、それくらいしかない。


「誰だその女。……で?」

「誰だって、知り合いじゃないの? みーくんとはそのまま別れたけど」

「知らねぇよ。それで?」


 どうやら、私を挑発していたナオさんは知り合いじゃなかったらしい。


「タクシー乗って二人で消えていった」

「ミツルが女抱いたら面倒臭ぇって言っただろうが。……何で止めなかった」

「何でって言われても……みーくん別に嫌がってなかったし」

「アイツは嫌がったりしねぇッ!」


 怒鳴られて、反射的に肩が跳ねた。


 ドクドクと心臓が早鐘を打ち、私は龍から一歩後ずさる。


 何で怒鳴られなくちゃいけないのか分からない。


 瞬間的に自分を守ろうとして、身体が勝手に後ろへ下がった。


「……悪ぃ。怒鳴るつもりはなかった」

「……」


 ばつが悪そうに眉を寄せた龍を見ても、私の心は落ち着かない。


 背筋に冷たいものが流れる。逃げ出そうとする身体は、緊張のせいで固く強張った。


 龍から少し離れたことで余裕ができたのか、理不尽な苛立ちが胸の奥で膨らんでいく。


 昨日から溜まりに溜まっていたストレスが、一気に決壊したように口から流れ出た。


「……何も言わなかったのは、何も私に知らせなかったのはそっちじゃないの!? 聞かなかった私も悪いかもしれないけど、そんな問題があるなら言っておいてよ!」


 吐き出しても、まだ足りない。


「知らないままじゃ、私にだってどうしようもできないから!」


 文句の塊は消えなくて、龍の顔を見られない。


「大体、みーくんが誰と何してようが私には関係ない! ちゃんと付き合う手順を踏んだわけじゃないし、何よりみーくんだって私に何も言わない!」


 それでも止まらなかった。


「そうやって、みーくんを私に押し付けないで!」


 売られた私を助けてやると言っただけで、そこに告白があったわけじゃなかった。


 お互いが好きになって、付き合っていたんじゃない。


 みーくんはいつも本心を隠して、私に踏み込ませようとはしなかった。


「お前が何も聞かなかったのは、自分にミツルを重ねただけなんじゃねぇのか」

「……何が言いたいの」

「自分が何も聞かれたくねぇから聞かなかっただけだろうが。ミツルのせいにしてんじゃねぇ」


 龍は私を睨んだ。


「ミツルはお前に『何も話したくねぇ』って言ったかよ」

「……言って、ない」

「女が好きなんじゃねぇよ。ミツルは誰でもいいから愛してぇだけだ」


 龍の言葉が反芻《はんすう》した。


 ずしんとのしかかった、みーくんが女を抱く『理由』が、私の中で分解されていく。


 女が好きなんじゃない。


 その意味がよく分からない。


「一回しか言わねぇ。ミツルが女を抱くのは『与える』ためだけだ」

「意味、分かんない……」

「とにかくミツルに電話を掛けろ。出るまでずっと掛け続けろ。俺は光渦で心当たりを探す」


 背中を向けた龍を、呆然と見つめながら立ちすくむ。


 動けない。


 脳が正常に働いていないような混沌とした頭の中で、遠ざかる龍の背中だけが妙にリアルだった。


 分からないことが多すぎて、私の心が考えることを拒絶する。


 分かりたくないと思っているからか、一向に目の前は明るくならない。


 知ってしまうのが怖かった。


 深い部分に触れたら、後戻りできなくなるような気がして。


 龍の正論は図星だった。


 聞かれたくないから、聞かない。


 みーくんに自分を投影して、私は知ることを放棄した。


 見破られた考えが、どんどん色褪せて茶色く染まる。


 私はみーくんのことを何も知らない。


 かき混ぜられたように濁った頭で、漠然《ばくぜん》と考えながら歩いた。


 その間も携帯は耳に当てたままで、みーくんへの発信を続けている。


 龍が光渦に戻ると言って去ってから、一時間くらい動けなかったような気がする。


 実際は、十分程度しか時計は進んでいなかったけれど。


 与えるために女の子を抱く。


 誘われても嫌がることはない。


 それは多分、みーくんの中にある『何か』がそうさせるんだと思う。


 私は無条件で、『詩音の面倒を見なくちゃいけない。詩音を守らなくちゃいけない』と思うように刻み込まれた。


 みーくんにも、また何かが刻み込まれている。


 マンションのエントランスはがらんとしていて、静かだった。


 ちらほら通勤するサラリーマンが横切っていくけれど、私は誰の目にも映らない。


 見つめ合って話してくれて、私をちゃんと映してくれる人は、世界中にほんのわずかしか存在しない。


 興味を引かれて見るだけじゃなく、私を知ろうとして理解しようとしてくれる人は、滅多に現れない。


 そんな希少《きしょう》な人は、みーくんくらいだ。


 目の奥はいつも冷え冷えとしている。それでも、いつでも『私自身』を気に掛けてくれた。


 それなのに私は、それを見ないふりして、傷つかないようにみーくんを遠ざけようとして。


 エレベーターに乗った瞬間、ふっと一場面が浮かんできた。


 ――笑っていた。


 あのグラマラス美女がみーくんにキスをした瞬間、みーくんは笑った。


 口元を緩めた、おかしいところなんて一切ない『普通』の笑みだった。


 回転が早いとも遅いとも言えない頭で考える。


 何がおかしかった? 何が違った?


 大きな波の中で、唯一逆流していたものは何だった?


「笑って、た……? 普通に?」


 バンッ! と「開」ボタンを押して、乗り込んでしまったエレベーターの扉を開く。


「違う。あれは、あんなのは……」


 私の知っているみーくんじゃない。


 みーくんは意地悪そうに笑う。

 みーくんは何かが欠けている。

 みーくんは捕食するような目をする。


 ――みーくんは、良い人じゃない。


 どうして気づかなかったんだろう。


 みーくんが、あんなに普通に笑うわけがなかったのに。


 そこには何もこもっていなくて、無意識のうちに作られた笑みだった。


 人形みたいに代わり映えしない普通の笑顔で、みーくんはあの美女にされるがままになっていた。


 私はそれを見過ごして、笑顔でそんなみーくんを送り出した。


 結局、私は逃げただけ。


 みーくんに置いていかれたと勝手に寂しがって、何も気づこうとしなかった。


 ありのままの私なら、きっと言えたはずだった。


 寂しいから、置いていかないで。


 そう言えたはずなのに。


 また私は取り繕った。


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