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透明  作者: 文月
第一部 出逢い編

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第29話 歪な関係

 理由のない暴力、理由のない犯行。それらは私にとって悪いことになる。


 だけど、そこに理由があったなら、私はそれを簡単に悪いことだと言い切れない。


 何をどこまで『悪い』と捉えるかは、人によって違う。


 時代や立場が変われば、正しいとされるものだって変わる。


 被害者と加害者は紙一重で、そこに至った『理由』は必ず存在する。


 だから私には、完全に理由のない暴力も、理由のない犯行も存在しないように思える。


 それが、私なりの解釈だ。


 むしゃくしゃしたからやった。


 じゃあ、犯人をむしゃくしゃさせた人は、まったく悪くない?


「羽柴が誰かに手を下したら、あんたどうする?」


 楽しそうに歯を見せて笑った久住さんは、興味津々に尋ねてきた。


 あくまで私の見解だけれど、答えは決まっていた。


「どうもしません」


 みーくんが何かをしたら、きっとそうする。


 逃げている、と批判する人だっていると思う。


 もしも私がみーくんを止めていたら、と誰かは非難するかもしれない。


 だけど、私はみーくんじゃないし、みーくんも私じゃない。


 人から止めろと言われて止める人間なら、放置していてもきっと止める。


 それを止めなかったと批判するのは『偽善者』だ。


 自分が後悔したくないから、他人がやろうとしたことを止めるだけ。


 私は止めろって言いました、という建前が欲しいだけだ。


「羽柴はよくこんな捨て身なオンナを見つけたもんだ」

「ちぐはぐなトコが俺にばっちりヒットするんだよねぇ。毎日たぁーいへん」

「同じ穴の狢(むじな)ってやつか」


 私を差し置いてくつくつと笑い合う2人に、険悪な雰囲気は見えなくなっていた。


「なんか仲悪そうに見えたんだけど、本当は仲良いの?」

「時と場合による。……アンタ、名前は?」

「……柏木鈴子です」

「鈴子な、覚えとく。お代わりは?」

「もう大丈夫です。飲み過ぎなくらい」


 森のカフェで飲んだアイスティーと麦茶が、お腹の中で海を作っているような気がしないでもない。


 液体ばかりを胃に入れたせいで、微妙にたぷたぷになっている。


「……そういや、羽柴についてたあのオンナはどこ行った?」


 ぴくりと片眉を上げた久住さんは、みーくんにお代わりのアイスコーヒーを入れながら聞いた。


 羽柴についてたってことは、多分チロルちゃん――いや、千歳ちゃんか。


「邪魔になったから捨てたぁ。りんちゃん居るしぃ?」

「棚高の奴等が騒がしかったのはそれが理由か。……で? 次はなにを仕出かすつもりか教えろ」

「タキに聞けばイイじゃーん」

「俺から連絡はしない」

「うん、知ってるぅ」


 からかうみーくんに苛立ちを見せない久住さんは、結構忍耐力があるらしい。


 中毒から抜け出したのも、あながち分かるような気がする。


 隣にいる私でさえ少しイラッとするような話し方も、久住さんは受け流していた。


「芝原とちょーっと揉める予定。タキはそこまで手ぇ出さないんじゃなーい。俺が出るしぃ」


 お代わりのアイスコーヒーに、再びシロップを入れるみーくん。


 何個持っているんだろう。


 さりげなくポケットを見てみたけれど、そんなに膨らんではいなかった。


「羽柴」

「なぁに?」

「何でお前が出る? 連中がお前に何か仕掛けたか?」

「俺じゃなーいよ。りんちゃんに、ね」


 にたぁっと笑うみーくんに面食らった久住さんは、なぜか私の方を見る。


 さりげなくみーくんのポケットに手を突っ込んでみようかと思っていた私は、焦りがちに苦笑いしてごまかした。


「えっと、……何ですか?」

「いや。羽柴が敵討ちするのが珍しいだけだ。冗談でもないらしいな、クイーン」

「それってトランプとかけてます?」

「……よく分かったな」


 店舗名がtrump(トランプ)で、クイーンと言われれば誰でも気がつく。


 王(キング)に女王(クイーン)、それから騎士(ジャック)。KQJは誰でも知っている札だ。


 だけど、思い当たるカードは3つ。


「王様は龍で、タキが騎士? じゃあみーくんは……」


「――joker(愚か者)だろ」


 久住さんは、当たり前だと言いたげにみーくんを見た。


 愚か者。確かに、そうかもしれない。


 店舗にちなんだ呼び方は、しっくりくるような、そうでもないような違和感がある。もう少し考えてみる。


 王様は龍だ。偉そうだし。


 騎士って言えるほど格好良くはないけれど、タキもまぁまぁそれっぽい。


 でも、みーくんがジョーカー。


「久住さん」

「さん付けされたのは久しぶりだ。ついでに言うが、久住は名前だからな」

「それはどうでもいいです」

「……確かに羽柴にピッタリなオンナだ」

「失礼な」


 軽いコントは置いておくとして、ひとまずみーくんをガン見する。


 やっぱり、少し違うような気がした。


「クイーンは私じゃなくて、みーく……ダーリンだと思う」

「自分がジョーカーだと思ったか?」

「愚か者、自分でもそう思うときはあるから」


 答えた私に、しばらく沈黙が宿る。


 しんと静まったバーの中には、私とみーくん、久住さんだけしか存在しない。


 みーくんのアイスコーヒーの氷が溶けて、カランと鳴った。


「――癖になるよねぇ、ホント」


 呆れたように言ったみーくんは、深く息を吐いてカウンターに頭を伏せた。


 じんわりと赤みを増した耳だけが隠れていなくて、私の胸に一筋の衝撃が走る。


 照れてる? っていうか、別に照れるところなかったよね。


 なんて思いながらも影響を受けて、何だかこっちまで恥ずかしくなった。


「単純に考えたら、ゲームではジョーカーが切り札だ。アンタが今言ったのは『自分が切り札だ』ってことになるよな」

「そんなつもりじゃ……」

「羽柴を愚か者じゃないって否定した奴は初めて見た。誰でも言うだろうな、羽柴充は一番厄介なジョーカーだって。光渦じゃtrumpは影響力がある」


 改めて考えてみると、少し恥ずかしいことを言ったような気もする。


 だけど、久住さんがご機嫌になるようなことを言った記憶はない。


 不可解に笑んだ久住さんは、低く私に呟いた。


「『ここ』には光渦の人間しか来ない。理由は1つ、情報の中枢だからだ」


 理解していない私に、久住さんは続ける。


「――羽柴充は切り札だった。でも、アンタはそれを乗っ取った」

「……久住さん?」

「もう1度言う。『ここ』は光渦の情報が集まる中枢、その情報の提供者は……誰だと思う?」


 きらりと眉ピアスがライトを反射した。


 急速に目の前が広がっていく。


 もしかして、私。


「……余計なこと、言った?」


 久住さんが私のことを話せば、たちまち私の存在は広がる。


 それも、みーくんだけじゃなく、龍とタキを含めた4人で。


 自分が口にしたのは『余計なこと』だと、今さらながらに気づく。


「羽柴が気に入る理由が分かる。お前らにとって鈴子は上玉(じょうだま)だ」


 くっと喉を鳴らした久住さんに、ゆらりとみーくんが顔を上げた。


「――言っとけ。ジョーカーには手を出すな、ってな」


 ミツルは癖になっているのか、舌なめずりをして口元に弧を描く。


 出し抜くことを許さない、塵(ちり)も見逃さないような冷たい瞳。


「羽柴がクイーンになったってのは光渦にとってビッグニュースだ。蟻(あり)が集(たか)るだろうな」

「砂糖じゃなくて塩だったって思わせてやるよ」


 ああ、やっぱり余計なことだった。


 口は禍(わざわい)の門(かど)って、よく言う。


 先人(せんじん)のことわざは侮れない。


 見事に禍を引き起こした私に、久住さんがリキュールを掲げる。


「飲むか? ジョーカー」

「いりません……」

「今日の収穫は大漁だ。まぁ、鈴子に不利なことは黙っててやるよ」

「むしろ存在を黙っててください」

「そういうな。羽柴、また連れて来い」

「今日はタキがキレないようにするための牽制(けんせい)だったんだけどねぇ」


 いやぁ困ったと言いながら、アイスコーヒーをあおって飲み干す。みーくんは、ようやく席から立ち上がった。


「またな、鈴子」

「……お邪魔しました」


 ため息混じりに立ち上がって、みーくんの横に並ぶ。


 ジーンズに入れたいくつかの小銭を取り出そうとして、すんでのところでやめた。


 そういえば、みーくんが払うんだった。


「金はいらねぇ。鈴子の話で充分だ」


 久住さんがそう言ったことで、代金を支払う必要はなくなった。


 そのまま背中を向けたみーくんを追って、trumpを出ようとする。


 そのとき、小さなメッセージが届いた。


 聞こえるか聞こえないか、その微妙なところを突く声だった。それでも、私の耳は途切れがちな言葉をちゃんと捕まえた。


 ――悟(さとる)のこと、頼む。


 滝川悟。タキの名前だ。


 まったく似ていない雰囲気だけれど、顔立ちは少し似通っているような気がしないでもない。


 ちゃんとお兄さんとしてそこに存在した久住さんに、クソみたいな兄貴の海(うみ)をぼんやり重ねてみる。


 だけど、アイツが私を心配したことは1度たりともなかった。そう思い出すと、記憶が軋(きし)んだ。


 どこにいるのかも、なにをしているのかも知らない。


 だけど、相変わらず『心配』なんてものを抱いていない自分に、そっと小さく笑った。


 ひどいなぁ。実の兄を気にも掛けない妹。


 私を振り返ったみーくんが、思い出しかけた海の顔を消し去った。


 みーくんがいてくれる。


 今はそれでいい。


 家族よりも私に近づく、軟派で非道な男の子。


 羽柴充は私を連れて、裏路地を抜けた。


 みーくんと私の距離は曖昧だ。


 恋人にしてはぎこちなく、友達とはほど遠い。


 幸せな関係なのか、歪んだ関係なのか。


 微妙に判断が難しい。


 だから――


「充っ!」


 たとえ、どんなにグラマラスな美女がみーくんに抱き着いてキスをしたとしても。


 私は動揺したりしない。


「ねぇ、龍とたっくんは?」


 たとえ、龍とタキの2人を知っているらしいグラマラスな美女が、分かりやすく挑発的に微笑んでみたとしても。


 私は傷ついたりしない。


「――なぁに? ナオちゃん」


 たとえ、みーくんが美女を大事そうに抱き締めてキスしたとしても。


 ――私は揺らがず立っていられる。


 恋愛感情とは言えない、少し歪(いびつ)な関係だから。


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