第28話 理由のない悪
「みーくん、怪しいとこに行く予定だったりします?」
「……」
「みーくん?」
「……」
「ダーリン」
「なぁに?」
なんて面倒な男だ。
顔を引きつらせながら言い直した私に、みーくんは口角を上げる。『それでよし』と言わんばかりに満足げな顔をして、私の手を握った。
「んー……キケンなトコだと思う?」
「裏路地ってところが危険で怪しいと思いますが。バイトあるから、それまでには帰してね」
「りょーかい」
繋いだ手を微妙に振りながらみーくんは歩き、筆記体でtrumpと書かれたプレートの前で足を止めた。
プレートの横にある扉は、鉄製に見せかけたアルミ製だった。みーくんは難なく引いて開ける。
大道具みたいな造りのドアに感嘆しそうになったけれど、怪しげな雰囲気がプンプンするので気は抜けない。
案の定、中のカウンターに立っていたのは、ワックスで髪を立てた眉ピアスが特徴のオニイサン。
私より年上に見えるその人をちらりと見つめ、すぐに視線を逸らす。
「久しぶりだねぇ、久住」
みーくんは片手を緩く挙げて、カウンターの椅子に座る。
隣の椅子を軽く叩かれ、座るように促された。私はなるべくオニイサンと目を合わせないように席につく。
「何か用か?」
片眉を上げ、久住と呼ばれたオニイサンはみーくんを睨む。
どうやら友達ではないらしい。
険悪な雰囲気が漂う中、久住さんはみーくんと私の前に紙製のコースターを置いた。
「なぁに言ってんの、けしかけたのは久住でしょーが」
にやりと笑って、みーくんはカウンターを指で叩く。
久住さんは眉間にしわを寄せて舌打ちをしながら、ひっくり返していたロンググラスを上向きにした。
「……何の話か分からないな。羽柴、何にする?」
「んー……何でもいーよ。りんちゃんは?」
え、何があるか分からないんだけど。
しばらく考えて、無難に答える。
「お茶、お願いします」
「……ここは一応バーなんだがな」
久住さんはため息混じりにそう言って背中を向けた。けれど、真っ昼間からお酒を飲むつもりはないので、お茶で正解だ。
というより、やっぱりバーなんだ。
いや、そんな雰囲気はあったけど。
「久住ぃ、そんなにタキが気になる?」
カウンターに腕を置き、その上に顔を乗せたみーくんは、久住さんの背中を射抜くようにじっと見つめる。
……タキ?
急に出たタキの名前に私が目を丸くしている間にも、みーくんは話を続けていく。
「そぉんな心配しなくても、タキは久住みたいにはならないからぁ」
久住さんはロンググラスに液体を注ぐ。
それほど待たずに差し出されたグラスの中身は真っ黒だった。みーくんはへにゃりとした顔で、久住さんに笑いかける。
「……へぇ。バーなのにぃ、アイスコーヒーが出てくるんだぁ。今日はマトモじゃーん」
探るような目を向けたみーくんに、久住さんは無言で背を向けた。
数秒して振り向いたときには手にグラスを持っていて、丁寧に私の前へお茶を置く。
「……ありがとうございます」
浅く会釈してみたけれど、久住さんはすっと視線を逸らし、無感情なまま私に見向きもしなかった。
「監視、止めてあげたらぁ?」
「何の話だ?」
「タキ、こないだキレかかってたしぃ」
「羽柴には関係がないことだ」
素っ気ない久住さんとみーくんには、温度差が激しい。
何も知らずに連れてこられた私は、それを黙って見ていることしかできなくて、出された麦茶にそっと口をつけた。
「俺が気づいてナイとでも思ったぁ? あの時はぁ、りんちゃんが居たから良かったけど。次はどうなるか分かんなーいよ」
みーくんがポケットから取り出したコーヒーシロップは三つ。
そのすべてをアイスコーヒーに入れて、備え付けられていたマドラーでくるくると中身をかき混ぜた。
もしかして、久住さんはみーくんがシロップを入れることに気づいていたのだろうか。
用意周到につけられたマドラーが、その考えを裏付けていた。
「……りんちゃん?」
久住さんのいぶかしむような呼び方に、弾かれて顔を上げる。
みーくんがうっすらと笑って、私に視線を向けた。
「俺のカーノジョ。りんちゃんが居なかったらアイツ死んでたかもねぇ?」
アイツ、とは誰のことなのか。
久住さんとみーくんを見比べて、目を細める。
何の話をしているのか掴めない。
タキ、アイツ、監視。
そこから引き出せるものは、私の中には見当たらない。
「み、……ダーリン。何の話か分からないんだけど」
「かぁわいいでしょ、うちのハニー」
平然と自慢するみーくんに、恥ずかしさと恨みがましい視線をお見舞いする。それでも話の先を促した。
「で、何のこと?」
少しだけ私の名前が出てきたことが気になって尋ねてみる。回答が返ってくるかどうかは分からない。
「羽柴にオンナができたってのは本当の話だったんだな」
さっきまで私を眼中に入れなかった久住さんが、興味深そうにこちらを見た。
「りんちゃんが居なかったらぁ、久住が吹っ掛けたヤツけっこーヤバかったよぉ」
――吹っ掛けた?
私を見ながら言ったということは、多分みーくんなりに説明しているつもりなんだろう。
タキと、吹っ掛けられた男?
それなら思い当たる節がある。
売人だとか言っていた、腰が抜けていたあの男。
「それって、カラオケのときの?」
「せいかーい。アイツ、久住が吹っ掛けたんだよねぇ?」
「……何のために?」
売人を吹っ掛ける理由が分からない。
タキを怒らせたかったのかと久住さんを見る。けれど、久住さんのつり上がった眉は微動だにしない。
「久住がぁ、タキが買うかどうか試したってコト。ねぇ、オニイチャン?」
「……さぁな」
グラスを拭きながら、久住さんは目を逸らした。
もしかして、兄弟?
口には出さずにみーくんを見ると、浅く頷いて肯定された。
「久住はぁ、自分の二の舞にならないよーにタキを試してんの」
ってことは、久住さんはやっちゃいけない違法なモノをやっていたということで。
まったくそんな兆候が見えず、疑問に思う。
私が知っている中毒者の傾向が、全然見られない。
「――今はやってない」
静かにこぼした久住さんに驚く。
前は、ということだろうか。
よく抜け出せたなと、失礼ながら目を丸くする。久住さんはそんな私へ薄目を向けた。
「今でも突発的に発作は起きる。……羽柴のオンナにしては、あまり煩くないな?」
……なるほど。今までの彼女は煩かったわけですね。
それで私を眼中に入れなかったのか。
そんな話を久住さんがしても、みーくんは止める気配が一切ない。
龍がばらそうとしたときは怒ったくせに、今のはいいなんて、みーくんがよく分からない。
「でしょ? 自慢のカノジョだからぁ」
煩くない彼女は自慢らしい。
残りの麦茶を飲み干して、グラスをコースターに戻す。
「そろそろ止めようかと思ってたからな。次はもう無い」
「ならイイけどぉ。巻き込まれた槙原が全治二週かーん」
「槙原に言っておくんだな。今より鍛えるように」
「自分で言えばぁ?」
つまり、タキがクスリに手を出さないか試していたということらしい。
けしかけたのは、タキのお兄さんの久住さん。みーくんは、それを止めさせに来た……ということか。
巻き込まれたらしい槙原さんの話は、まったく知らなかった。あの後、姿を見なかったのは、もしかして病院に行っていたからなのかもしれない。
すべてを語らないみーくんは、私に曖昧なヒントを落とすだけ。
知っても知らなくてもいい話ではある。けれど、聞かされていないことに多少は不快感を覚える。
槙原さんとは顔見知りになっているのだから、それくらいは知っておきたかった。
「――私、思ったより聞き分けのいい女じゃないみたい」
突然口を開いた私に、みーくんが驚く。
これで縁が切れてしまうとは思わない。けれど、言いたいことを我慢しなくてもいい環境にしたのは、みーくんだ。
「知りたいって思う私が『煩い女』になるなら、私はそれでいい。何も知らないまま、知り合いが怪我したのを通り過ぎたくない」
偽善とか、そんなんじゃない。
ただ、『知り合い』になった以上は心配するし、気にもする。
それは人間として普通だと思う。
恭平と達哉みたいに、槙原さんから嫌な思いをさせられたわけではない。無視することに罪悪感を覚えないわけでもない。
友達とはいかなくても、顔を知った人の変化を知りたいと思う。それは、そんなに『煩い』ことなのだろうか。
「――槙原とか酒田は、りんちゃんの中に入れてくれるの?」
みーくんが真顔で私を見る。
中に入れる、という表現は微妙に違うかもしれない。けれど、少なくとも他人じゃない。
「……他人とは思ってない」
いくら最低でも、お世話になっている酒田さん。それに、会話を交わした槙原さん。
二人を他人だと切り捨ててはいない。
嫌悪感をあらわにして答えた私に、久住さんは薄く笑った。
「なるほどな、クイーンか」
「クイーン?」
「ただの羽柴のオンナじゃないらしいな。自分をアイツらに組み込んだか?」
「……意味が分かりません」
グラスを拭く手を止めて、久住さんは私を見つめる。
さっきのいぶかしむような顔とは打って変わって、みーくんのような含みのある嫌な笑い方。
「アイツらは『健全』な高校生じゃない。大人しくはないだろ。クスリはやってないが、それ以上に人を傷つける」
久住さんは一度言葉を切った。
「暴力を悪いことだと思ってないだろうしな」
「無差別に通行人に殴りかかったりしますか?」
「はっ……そりゃしないだろうな」
「誰彼構わずに刃物で急所を切りつけたりしますか?」
「さぁな。羽柴に聞いてみたらどうだ」
つい、と向けられた視線を、みーくんはしっかりと受け止める。
自然と見つめ合うことになった。
「理由もなく人殺しをする?」
「りんちゃんのためならするかもねぇ」
「それは『理由』になるよね。私のためにやったっていう動機になる」
「気分が晴れなかったからやった、とかあるかもねぇ」
「それも理由になる。『気分が晴れなかったから』っていう動機」
「りんちゃんの中で、理由のない悪ってなぁに?」
「――無いよ」
多分、ない。




