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透明  作者: 文月
第一部 出逢い編

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第26話 笑顔の花

「りんちゃんは働いてるときはちょっと冷たいカンジで、寝る前には美脚ストレッチするしぃ?」

「びきゃくってなんですか?」

「足をキレイにするヤツかなぁ」

「姉ちゃんはキレイです!」

「知ってるしぃ?」


 私を置き去りにして会話する2人は、理解の範疇(はんちゅう)を越えて言い合う。


 頭がついていかないのは私だけで、唖然としたまま動けない。


 ――何で、会話してるの。


 詩音の存在を知られたくないと隠した私は、惨めになった。


 みーくんから離れることが、自分を守るためだった。


 酷い姉だと罵(ののし)られて、間違いなく私はみーくんとは終わると確信した。


 それが、どうしてこうなった。


「ぜぇんぶ貰うって言ったじゃーん。りんちゃんが誰を隠そうが嫌おうが、それは俺らの弊害(へいがい)にならないし?」


 みーくんが、私に笑ってみせる。


「だぁいっきらい、キミのこと」


 詩音に向かって、にやりと笑う。


 それは私の感情で、決してみーくんが抱いたものなんかじゃないのに。


 言われた詩音は首を傾げて、無垢な瞳でみーくんを見つめた。


 私が嫌いな、透明なその瞳。

 何も分かっていない、ただ純粋なきょとんとした顔。


「りんちゃんはぁ、なーんにも考えなくてイイよ。嫌いな感情は俺が引き受けてあーげーるー」


 詩音には普通にしていていい。『嫌い』な気持ちはみーくんが貰うから。


 そう言われたような気がして、胸が締め付けられた。


 大嫌いだ。

 お母さんもお父さんもみんな、詩音に取られた。


 学校でも詩音のことばかり。家でも詩音のことばかり。


 彼氏も友達も詩音に取られた。

 生まれてから寂しさが消えたことなんて、ただの1度もなかったのに。


 だから嫌いになったのに。


 みーくんは私の『嫌い』をさらっていく。


 軽度知的障害に自閉症。


 詩音が抱えたハンディキャップは、いつでも周りを味方にした。


 そんな妹を嫌う私は最低で、人間としても最悪だ。


 だけど、詩音がいたことで、私の心は孤独に埋もれた。


 抱き締めてほしかった両親は、海と詩音に掛かりきり。


 譲が生まれて、さらに私は1人になった。


 ――姉ちゃんは偉いね。


 ちっとも偉くなんてない。

 わがままを言わないように、口を閉じただけだった。


 本当はいつも誰かに愛されたくて、誰かに私だけを見てほしくてたまらなかった。


 ――今ならきっと、詩音に笑える。


 嫌いな気持ちが一瞬だけでも消えたから。

 詩音を大嫌いだと、みーくんが言ってくれたから。


 何も考えずに、私は笑って詩音を見られる。


「ほんとは、好きだよ。ずっと守らなくちゃって、いいお姉ちゃんにならなくちゃって、思ってた」


 私が初めて自転車に乗れたとき、誰も褒めてはくれなかった。


 けれど、詩音が初めて自転車に乗れたときは、すごいねって泣きたくなった。


 私は褒めてもらえなかったのに、と悔しくて、詩音が妬ましかった。


 あのときは言わなかったけれど、私が嫌いなものを食べても、誰も褒めてはくれなかった。


 それでも、詩音が嫌いなものを食べたときは、えらいねって頭を撫でてあげたくなった。


 絶対に顔には出さなかったけれど、詩音が何かしたときは、いつでも私が一番に褒めてあげたかった。


 お姉ちゃんだから。

 詩音のきょうだいだから。


 いつでも詩音を抱き締めたかった。


 幼い私は、その気持ちを認めることができなかった。


 みんなから優しくされる詩音に嫉妬して、羨望のままに私はひねくれた。


 絶対に褒めてなんかやらない。


 私はみんなに忘れ去られた。


 詩音なんか大嫌い。


 その思いで胸がいっぱいだった。


「電車、乗れるようになったんだね。……すごいね」

「はい。なりました!」

「1人でよくここまで来れたね。えらかったね」

「姉ちゃんのお祝いにきました!」

「――詩音。……ありが、とう」

「はい!」


 じんわり瞳の中に涙が溜まる。


 こんなふうに褒めてあげることは、一生ないと思っていた。


 でも、それでも。


 私が過去にしたことは、一生消えることはない。


 それこそ何度も、何度も私は、詩音に対して罪を犯した。


 迎えに来た母親は、私が元気そうでよかったと笑った。


 皮肉なことに、家を出てからの2年間、連絡なんて数えるほどしか来ていない。


 『心配している』という言葉を素直に受け入れられないのは、我慢し過ぎて心が曲がってしまったからだと思う。


 詩音が置いていった私への誕生日プレゼントは、ミミズが這ったような字で書かれたメッセージカードと、下手くそな似顔絵。


 それを見て嬉しいと思う反面、やっぱり妬ましくも思った。


 計算は足し算と引き算が限界で、話にはまったく脈絡がない。


 いつも笑顔で、誰かを恨むことなんてない詩音は、私が小学校に入学する前日に自閉症だと診断された。


 その傾向は、2歳を過ぎた頃から見られていたらしい。


 私は入学式から帰ったその日、詩音に障害があると知らされた。


 小学1年生だった私に、それを理解することはできなかった。


 ただ、母親がこっそり泣いていたことだけが衝撃的で、その光景が頭にまとわりつくようになった。


 ――お母さん、笑って。


 その願いを、私が叶えることはできなかった。


 晴れやかな顔をする詩音と、赤ちゃんだった譲だけが母親の笑顔を取り戻した。


 できないはずのことができる。


 詩音と譲は、いつもそうやって母親を笑顔にした。


 自閉症だから。

 赤ちゃんだから。

 まだ難しいかもしれない。


 そう思っていた母親に、2人は予想外にできることを見せた。


 そうして、私の居場所はなくなった。


 詩音は私にとても懐いた。


 だから母親は、私に詩音の面倒を見るよう言い聞かせた。


 それが私の劣等感に火をつけた。


 私にもちゃんとできるよ。


 そう言った私に、『当たり前でしょ』と笑った母親が脳裏に焼き付いて離れない。


 親不孝の海、自閉症の詩音、幼い譲。


 ――普通の、私。


 普通だったからこそ、私は我慢した。


 海みたいに非行に走ったりなんかしない。

 詩音のように癇癪(かんしゃく)を起こして泣き叫ばない。


 譲みたいに甘えてべったりもしない。


 いつしか私は、家族の輪からはみ出るようになっていった。


 普通だから。

 特徴がないから。


 だから母親はこう言う。


 ――姉ちゃんは偉いね。


 詩音を見送って部屋に帰ると、みーくんは無言で私を抱き締めた。


 沈黙が続く中、視界に詩音の下手くそな絵が入る。


 苛立ちはどこにぶつけたらいいんだろう。


 私が抱えた寂しさの塊は、どうすればいいんだろう。


 複雑に入り交じる心の中は、だんだんと黒く染まっていく。


「みーくん」

「なぁに?」

「私、見えてる?」


 消さないで。

 私はここにちゃんといる。


 一呼吸おいて、みーくんは私の髪を耳に掛けた。


 指先は低体温のせいで少し冷たい。


「ちゃんと見えてる。俺の可愛いりんちゃんが」


 しっとりと落ちた声色は、ミツルともみーくんとも取れない中間のものだった。


「会いたく、なかった……」


 どっちにも。


 詩音にもみーくんにも、会いたくはなかった。


 そうすれば、こんなに苦しくなることはなかったのに。


「そのままのりんちゃんでイイよ。犯罪者になってでも、俺がりんちゃんの代わりに手を下してあげる」

「みーくんが言うと、それ冗談にならないから」

「――冗談なんか、言うかよ」

「……ありがとう」

「愛してるよ、りーんちゃん」


 ――それは嘘か本当か。


 私に見分けはつかないけれど、みーくんの流した涙は信じたい。


 あれだけは、私のために流されたものだと思わせて。


 重苦しくみーくんが紡いだ愛の言葉は、私の中で幻想に変わる。


 ――『アイシテル』だろ? なぁ、ミツル。


 頭の中で龍が嘲笑っていた。


 ━────── •●• ──────━


「みっつんとより戻したのかよ!」


 タキと龍に呼び出されて行くことになった森のカフェ。


 相変わらず森っぽさはまったくないけれど、アイスティーが美味しいから気にならない。


 ボックス席に4人で座り、私の隣にはみーくんがいる。


「別れてないしぃー」


 ストローをくわえて遊ぶみーくんは、タキにしれっと答えながら私の腰に腕を回す。


 とりあえずは現状維持で、みーくんと離れる話はうやむやになっていた。


 面倒くさそうに私を睨む龍は、コーヒーの入ったマグカップをすすってひと息つく。


「馬鹿なんじゃねぇのかお前ら」

「龍さん、口が悪いと思います。……馬鹿らしいのは自覚してるけど」

「さっさとミツルの手綱を握れ」

「みーくん馬じゃないんで」


 攻防戦を繰り広げながら龍に対抗する。


 からかうような視線を向けてくるタキには、知らん顔を突き通した。


「俺はてっきり、りんごに男がデキたと思ったんだけどな」


 タキの言葉にピタリとフリーズしたみーくんが、私の方をぎこちなく見る。


 いや、完全にタキの思い込みだから。


 首を振って否定すると、通常装備のにやにやに戻った。


 私はみーくんみたいに軽くありません。


「みっつんの発情期は終わったのか? そういえばこの間、光渦にオンナ来てたぜ!」

「……コメントがしづらいので、そういう話は控えてください」

「棚高の回しもんだったけどな! あのオンナ経験値高そうだったよなー」


 背もたれにもたれながら話すタキは、しみじみと語りながら私を見る。


「そういえば、棚高ってどうなったの? チロルちゃ……千歳ちゃんのお兄さん大丈夫だった?」


 すっかり忘れていたことに気づき、今さらながらに聞いてみる。


 だけど、案の定、非道な男子高校生たちはあっけらかんとして突き放す。


「知るか。入院してんじゃねぇ?」

「……龍って何でもかんでも放置してそうだね。いつの間にか何か消えても気づかなそう」

「あ?」

「何でもありません。みーくん知ってる? 千歳ちゃんのお兄さんがどうなったか」

「んー……生きてる、多分ねぇ」

「多分って……まぁいいや」

「いいのかよ!」


 珍しくタキからツッコミを入れられて、一応頷く。


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