第26話 笑顔の花
「りんちゃんは働いてるときはちょっと冷たいカンジで、寝る前には美脚ストレッチするしぃ?」
「びきゃくってなんですか?」
「足をキレイにするヤツかなぁ」
「姉ちゃんはキレイです!」
「知ってるしぃ?」
私を置き去りにして会話する2人は、理解の範疇を越えて言い合う。
頭がついていかないのは私だけで、唖然としたまま動けない。
――何で、会話してるの。
詩音の存在を知られたくないと隠した私は、惨めになった。
みーくんから離れることが、自分を守るためだった。
酷い姉だと罵られて、間違いなく私はみーくんとは終わると確信した。
それが、どうしてこうなった。
「ぜぇんぶ貰うって言ったじゃーん。りんちゃんが誰を隠そうが嫌おうが、それは俺らの弊害にならないし?」
みーくんが、私に笑ってみせる。
「だぁいっきらい、キミのこと」
詩音に向かって、にやりと笑う。
それは私の感情で、決してみーくんが抱いたものなんかじゃないのに。
言われた詩音は首を傾げて、無垢な瞳でみーくんを見つめた。
私が嫌いな、透明なその瞳。
何も分かっていない、ただ純粋なきょとんとした顔。
「りんちゃんはぁ、なーんにも考えなくてイイよ。嫌いな感情は俺が引き受けてあーげーるー」
詩音には普通にしていていい。『嫌い』な気持ちはみーくんが貰うから。
そう言われたような気がして、胸が締め付けられた。
大嫌いだ。
お母さんもお父さんもみんな、詩音に取られた。
学校でも詩音のことばかり。家でも詩音のことばかり。
彼氏も友達も詩音に取られた。
生まれてから寂しさが消えたことなんて、ただの1度もなかったのに。
だから嫌いになったのに。
みーくんは私の『嫌い』をさらっていく。
軽度知的障害に自閉症。
詩音が抱えたハンディキャップは、いつでも周りを味方にした。
そんな妹を嫌う私は最低で、人間としても最悪だ。
だけど、詩音がいたことで、私の心は孤独に埋もれた。
抱き締めてほしかった両親は、海と詩音に掛かりきり。
譲が生まれて、さらに私は1人になった。
――姉ちゃんは偉いね。
ちっとも偉くなんてない。
わがままを言わないように、口を閉じただけだった。
本当はいつも誰かに愛されたくて、誰かに私だけを見てほしくてたまらなかった。
――今ならきっと、詩音に笑える。
嫌いな気持ちが一瞬だけでも消えたから。
詩音を大嫌いだと、みーくんが言ってくれたから。
何も考えずに、私は笑って詩音を見られる。
「ほんとは、好きだよ。ずっと守らなくちゃって、いいお姉ちゃんにならなくちゃって、思ってた」
私が初めて自転車に乗れたとき、誰も褒めてはくれなかった。
けれど、詩音が初めて自転車に乗れたときは、すごいねって泣きたくなった。
私は褒めてもらえなかったのに、と悔しくて、詩音が妬ましかった。
あのときは言わなかったけれど、私が嫌いなものを食べても、誰も褒めてはくれなかった。
それでも、詩音が嫌いなものを食べたときは、えらいねって頭を撫でてあげたくなった。
絶対に顔には出さなかったけれど、詩音が何かしたときは、いつでも私が一番に褒めてあげたかった。
お姉ちゃんだから。
詩音のきょうだいだから。
いつでも詩音を抱き締めたかった。
幼い私は、その気持ちを認めることができなかった。
みんなから優しくされる詩音に嫉妬して、羨望のままに私はひねくれた。
絶対に褒めてなんかやらない。
私はみんなに忘れ去られた。
詩音なんか大嫌い。
その思いで胸がいっぱいだった。
「電車、乗れるようになったんだね。……すごいね」
「はい。なりました!」
「1人でよくここまで来れたね。えらかったね」
「姉ちゃんのお祝いにきました!」
「――詩音。……ありが、とう」
「はい!」
じんわり瞳の中に涙が溜まる。
こんなふうに褒めてあげることは、一生ないと思っていた。
でも、それでも。
私が過去にしたことは、一生消えることはない。
それこそ何度も、何度も私は、詩音に対して罪を犯した。
迎えに来た母親は、私が元気そうでよかったと笑った。
皮肉なことに、家を出てからの2年間、連絡なんて数えるほどしか来ていない。
『心配している』という言葉を素直に受け入れられないのは、我慢し過ぎて心が曲がってしまったからだと思う。
詩音が置いていった私への誕生日プレゼントは、ミミズが這ったような字で書かれたメッセージカードと、下手くそな似顔絵。
それを見て嬉しいと思う反面、やっぱり妬ましくも思った。
計算は足し算と引き算が限界で、話にはまったく脈絡がない。
いつも笑顔で、誰かを恨むことなんてない詩音は、私が小学校に入学する前日に自閉症だと診断された。
その傾向は、2歳を過ぎた頃から見られていたらしい。
私は入学式から帰ったその日、詩音に障害があると知らされた。
小学1年生だった私に、それを理解することはできなかった。
ただ、母親がこっそり泣いていたことだけが衝撃的で、その光景が頭にまとわりつくようになった。
――お母さん、笑って。
その願いを、私が叶えることはできなかった。
晴れやかな顔をする詩音と、赤ちゃんだった譲だけが母親の笑顔を取り戻した。
できないはずのことができる。
詩音と譲は、いつもそうやって母親を笑顔にした。
自閉症だから。
赤ちゃんだから。
まだ難しいかもしれない。
そう思っていた母親に、2人は予想外にできることを見せた。
そうして、私の居場所はなくなった。
詩音は私にとても懐いた。
だから母親は、私に詩音の面倒を見るよう言い聞かせた。
それが私の劣等感に火をつけた。
私にもちゃんとできるよ。
そう言った私に、『当たり前でしょ』と笑った母親が脳裏に焼き付いて離れない。
親不孝の海、自閉症の詩音、幼い譲。
――普通の、私。
普通だったからこそ、私は我慢した。
海みたいに非行に走ったりなんかしない。
詩音のように癇癪を起こして泣き叫ばない。
譲みたいに甘えてべったりもしない。
いつしか私は、家族の輪からはみ出るようになっていった。
普通だから。
特徴がないから。
だから母親はこう言う。
――姉ちゃんは偉いね。
詩音を見送って部屋に帰ると、みーくんは無言で私を抱き締めた。
沈黙が続く中、視界に詩音の下手くそな絵が入る。
苛立ちはどこにぶつけたらいいんだろう。
私が抱えた寂しさの塊は、どうすればいいんだろう。
複雑に入り交じる心の中は、だんだんと黒く染まっていく。
「みーくん」
「なぁに?」
「私、見えてる?」
消さないで。
私はここにちゃんといる。
一呼吸おいて、みーくんは私の髪を耳に掛けた。
指先は低体温のせいで少し冷たい。
「ちゃんと見えてる。俺の可愛いりんちゃんが」
しっとりと落ちた声色は、ミツルともみーくんとも取れない中間のものだった。
「会いたく、なかった……」
どっちにも。
詩音にもみーくんにも、会いたくはなかった。
そうすれば、こんなに苦しくなることはなかったのに。
「そのままのりんちゃんでイイよ。犯罪者になってでも、俺がりんちゃんの代わりに手を下してあげる」
「みーくんが言うと、それ冗談にならないから」
「――冗談なんか、言うかよ」
「……ありがとう」
「愛してるよ、りーんちゃん」
――それは嘘か本当か。
私に見分けはつかないけれど、みーくんの流した涙は信じたい。
あれだけは、私のために流されたものだと思わせて。
重苦しくみーくんが紡いだ愛の言葉は、私の中で幻想に変わる。
――『アイシテル』だろ? なぁ、ミツル。
頭の中で龍が嘲笑っていた。
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「みっつんとより戻したのかよ!」
タキと龍に呼び出されて行くことになった森のカフェ。
相変わらず森っぽさはまったくないけれど、アイスティーが美味しいから気にならない。
ボックス席に4人で座り、私の隣にはみーくんがいる。
「別れてないしぃー」
ストローをくわえて遊ぶみーくんは、タキにしれっと答えながら私の腰に腕を回す。
とりあえずは現状維持で、みーくんと離れる話はうやむやになっていた。
面倒くさそうに私を睨む龍は、コーヒーの入ったマグカップをすすってひと息つく。
「馬鹿なんじゃねぇのかお前ら」
「龍さん、口が悪いと思います。……馬鹿らしいのは自覚してるけど」
「さっさとミツルの手綱を握れ」
「みーくん馬じゃないんで」
攻防戦を繰り広げながら龍に対抗する。
からかうような視線を向けてくるタキには、知らん顔を突き通した。
「俺はてっきり、りんごに男がデキたと思ったんだけどな」
タキの言葉にピタリとフリーズしたみーくんが、私の方をぎこちなく見る。
いや、完全にタキの思い込みだから。
首を振って否定すると、通常装備のにやにやに戻った。
私はみーくんみたいに軽くありません。
「みっつんの発情期は終わったのか? そういえばこの間、光渦にオンナ来てたぜ!」
「……コメントがしづらいので、そういう話は控えてください」
「棚高の回しもんだったけどな! あのオンナ経験値高そうだったよなー」
背もたれにもたれながら話すタキは、しみじみと語りながら私を見る。
「そういえば、棚高ってどうなったの? チロルちゃ……千歳ちゃんのお兄さん大丈夫だった?」
すっかり忘れていたことに気づき、今さらながらに聞いてみる。
だけど、案の定、非道な男子高校生たちはあっけらかんとして突き放す。
「知るか。入院してんじゃねぇ?」
「……龍って何でもかんでも放置してそうだね。いつの間にか何か消えても気づかなそう」
「あ?」
「何でもありません。みーくん知ってる? 千歳ちゃんのお兄さんがどうなったか」
「んー……生きてる、多分ねぇ」
「多分って……まぁいいや」
「いいのかよ!」
珍しくタキからツッコミを入れられて、一応頷く。




