第24話 詩音からの着信
眠気眼で記憶を巡る。
構ってほしくてたまらなかったあの頃、確かに私はここにいるよと何度も主張した。
寝返りを打って目を閉じる。
コンビニの入り口で色をなくしたみーくんが立ちすくんでいた。
あんな顔をさせたかったわけじゃない。
「――みーくん」
この声が、どうか届きませんように。
情けなくて涙が出そうだ。
切り捨てたのは私だったのに、どうしてこんなに苦しいのかな。
みーくんの手には、私がいつも飲むお茶が握られていた。私はそれを素通りした。
振り返った一瞬で、みーくんが私を無表情で見つめているのが見えた。
時計の針は午前9時を示していた。
起き抜けに頭痛薬を飲んで、ベッドに戻る。
お願い、消えて。
そう何度願っても、私の中の詩音は笑ったままだ。
耳障りな着信音が、寝室の中でひどくわめいた。
電話に出ろ、と主張するそれに重たい頭を上げ、ベッドサイドへ手を伸ばす。
ディスプレイには見覚えのない番号が並んでいて、アルバイトの誰かだと薄ぼんやり思う。
「はい」
ズキズキと痛むこめかみを押さえて、電話に出る。
「りんご?」
その一言で、タキだと分かった。
ああ、電話に出たのは失敗だ。
おぼつかない思考を働かせて、言い訳を総動員する。
「何でみっつん拒否ってんだよ?」
あの日を境に私はみーくんを着信拒否していた。
それにまったく躊躇いはなく、拒否リストに登録するのが当たり前かのように指は軽やかに動いた。
チャイムが鳴っても無視、メールが届いても無視。
コンビニで待ち伏せされても無視を決め込み、会話と呼べるものは一切していない。
「……いま、みーくん傍にいる?」
「いねーよ。男が他にできたかー?」
「ちがう」
「じゃあ何だよ。みっつん暴れてんぞ、性的な意味で」
「……発情期の猿だね」
「龍ちゃんキレてっし。管理しろっつっただろ、だってよ」
こうして話せるのは、猫被りの同類だからかもしれない。
本当はもう3人と話すつもりなんて無かったのに。
「……タキ」
「あー?」
「みーくんに別れるって言っておいて」
「理由は?」
「……」
どう説明したらいいかも分からない。
触れられたくない場所に触れられたから、別れて。
その場所は何だって話になる。
知られたくないというよりも、誰かに話して楽になることが嫌だった。
自分だけが抱えて、自分だけが忘れない。
人に話したらその重みは消えてしまう。
「りんごさぁ、別れてぇならそれでいーけどよ。きっちり片つけるってのが当たり前なんじゃねーの」
「……それもそうだね」
「だろ? 中途半端はやめようぜ。みっつんと直接話せって、な?」
「発情期終わったら話す」
「終わんねーよ、むしろ別れたら更に発情すんじゃね」
「……とりあえず、話してみる」
「おーよ」
タキと通話を終えた携帯電話は、力なく手から滑り落ちた。
誰か一緒にいて、抱き締めて、ただ傍にいてくれるだけでいい。
私の中で寂しさは増幅して、前よりもっと苦しくなった。
始まりはすべて、あの一言から。
――詩音はね、*******だから。
いつの間にかそれは大きくなって、私の心に根を張った。
着信拒否を解除して、震える指で番号を呼び出す。
みーくん、会いに来て。
そう言いたくなるのを我慢して、唾を飲み込む。
それはあまりにも卑怯だ。
コールが鳴ったと思ったら、私の電話はすぐに切られた。
ツーツーツーという何の感情もない機械音が、私の中で黒く染まる。
そりゃあ出たくないよね。いきなり着信拒否した女だし。
ベッドに丸くなった私の耳にチャイムが響き、身体を起こす。
……え? もしかして、と思い、ふらつく足でリビングへ向かった。けれど、ディスプレイに映ったのは配達業者のおじさんだった。
「もう1日……?」
毎月1日に送られてくる、実家からの荷物。
日付の感覚が狂ったフリーターの私からすれば、もう1日? と驚きしかない。
荷物の中身は、私が好きな味噌や家庭菜園で作った野菜といったものばかり。
開錠してから数分後、鳴ったチャイムにドアを開ける。
「――はい」
印鑑片手に玄関へ向かった私の横を、一陣の風が吹き抜ける。
すり抜けるように横切ったそれを確認する前に、視界へ配達業者のおじさんが入った。
「すいませーん」
そのまま目を奪われて、あれよあれよという間に荷物を渡される。
立ち去ったおじさんの背中を呆然と見つめていると、後ろから聞き覚えのある声がした。
「オジャマしまーす、りーんちゃん」
振り返らなくても分かる。
不法侵入だと言ってやりたいけれど、あいにく声がまったく出ない。
小型の段ボールを抱えたまま立ちすくむ私を、後ろから抱き締めたのはやっぱりみーくんで。
1週間ぶりの温もりに、私の心はきしんだ。
「見せるって言ったじゃーん?だから着てきちゃった」
お腹の上で重ねられたみーくんの腕は、袖が黒。
多分学ランを着てきたみーくんに私の嗚咽はひどくなった。
「――なぁんでシカトしてたか教えてくれるぅ?」
かぷり、と私の耳をくわえたみーくんの声は鼓膜に響いて浸透する。
「――答えろ、リン」
ミツルもちょっと振りだね、なんて。
呑気にそう思わないと、涙が止まらない。
「……おっと、」
段ボールを落として泣き崩れた私をみーくんは器用に受け止めて、そのまま膝の裏に手を入れる。
第2回目のお姫さま抱っこだというのに、私はちっとも堪能できなかった。
会いたかったけど、会いたくなかった。
発情期はもう終わったの。
何で会いに来たの。
言いたいことも聞きたいこともたくさんある。
だけど、何よりも先に出てきた言葉は謝罪だった。
「ごめん、なさい」
笑いながら神経を尖らせ、静かに怒っているみーくんへ向けた言葉だった。
「……落ち着いたぁ?」
みーくんは私をベッドに下ろしてそう聞いた。
浅く頷いて見せると、たちまち押し倒されて腕を拘束される。
両手の手首を片手で押し付けて、みーくんはにやりと笑った。
「みー……」
くん、と名前を呼ぼうとした私の唇が塞がれる。
噛み付くような激しいキスは私の唇に犬歯を立てた。
口内を犯す舌には硬い感触。
いつもはシンプルな玉のピアスだったそれが、やけにゴツゴツして私の歯に当たる。
遠慮のないディープキスは私の酸素を容赦なく奪って息を短くさせる。
もう無理、そう思って身を捩るのに、みーくんは解放してはくれなかった。
最終手段でみーくんの舌を噛んだら、歯にピアスが当たってカチッと音を奏でた。
その拍子に一瞬離れたと思ったのに、生温い舌はキスが終わっても唇を執拗に這う。
「みー、くん……!」
「んー?」
飄々とした態度で、
私の輪郭を舐めるみーくんはさながら蛇みたいだ。
顎を這った温もりに背中がぞくりと粟立って熱を持つ。
かなり怒ってる。
というか、もしかしてキレてる?
みーくんの瞳は濁っていて、今まで見たことがないくらい冷たかった。
それが狂気を増長させて、私の瞳を捕まえる。
「……リン、」
切ない吐息で溢した名前はかすれていて、
みーくんは私の右肩にゆっくりと顔を埋めた。
「――――ぶっ壊してぇ」
それは、とんでもない重さを含んでいた。
「グチャグチャにしてやりてぇ」
突き刺さるようなみーくんの本音に、私は目を瞑った。
聞き逃さないように、声だけに集中する。
「――好きだよ、りんちゃん」
みーくんの力が緩んで、私は腕を解放される。
自由になった腕を伸ばして、みーくんの首筋を引き寄せた。
どうして抱き締めようと思ったのか、自分でも分からなかった。
それがまるで正解みたいに、みーくんは肩を震わせた。
「みーくん」
「……ん、」
「――何で泣くの」
じんわりと私の肩口に染み込んだ涙は温かい。
「なんで、だろ」
せっかく泣き止んだのに、みーくんからもらい泣きする私。
会いたくないと避けたくせに、この温もりに涙が出るのはどうしてだろう。
頭じゃ分かっていても、心が納得していないっていうのは、こういうことなんだろうか。
離れなくちゃいけないと強く警報は鳴っているのに、私の腕はみーくんをしっかりと抱き締めて離せない。
「知らない振りをしたら、離れなくてもイイ?」
「そう、だね」
「じゃあ、聞かない。もう2度と聞かないから、俺の傍にいて」
「それ、私のセリフでしょ」
ああ、情けないなぁって、思った。
みーくんにこんなことを言わせて、私は心の内をすべて隠している。
それでも、一切を話さない私をみーくんは求めてくれた。
ごろんと横に仰向けになったみーくんは、私の手を取って優しく繋ぐ。
そうやって、みーくんが過去に触れようとしたことを私は忘れようとした。
ラインは越えていない。そう思おうとした。
なのに。
簡単にそれを許してくれるほど、神様っていうのは甘くないらしい。
私の傷口はえぐられ、内側から漏れたのは楽しかった記憶。
それは粒子のように広がって、空気に溶けた。
きっと、やり直せるよね。
そう思った私に、来訪を知らせるチャイムが鳴った。
「りんちゃん、俺が出よっか?」
そう言ってくれたみーくんに薄く笑って、首を振る。
流れた涙の跡を、ルームウェアにしていたジャージの裾で拭った。ベッドから起き上がる。
リビングへ踏み出した私の後ろを、ヒヨコみたいについてくるみーくん。
小さなディスプレイを覗くために顔を上げた瞬間、私は身体が凍ったように動けなくなった。
――なんで、どうして。
それだけが頭の中でぐるぐると回る。
何がいけなかったんだろう。
なかったことにしようとしたから?
私が楽しい時間を過ごしたから?
膝が震えて、私は崩れた。
恐怖で、背中にひんやりと汗がにじむ。
全身の血の気が、一気に引いていくような気がした。




