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透明  作者: 文月
第一部 出逢い編

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第23話 酸素のある場所

 ラグに座る私とタキをよそに、なぜか龍がソファーを占領している。


 かなり偉そうだ。


 みーくんは気を利かせて、飲み物を淹れてくれるとキッチンへ入っていった。


 酒田さんも一応誘ってはみたけれど、借りてきた映画の続きを見たいらしい。


 映画鑑賞を邪魔した挙げ句に、みーくんが暴走。


 無性に、酒田さんへ何かを奢ってあげたくなった。


「りんちゃん、お茶でよかったぁ?」

「うん。ありがとう」


 ローテーブルに置かれたマグカップの中身は、私だけ麦茶で、ほかはコーヒー。


「あれ? タキって、ブラック飲めるの?」


 真っ黒なそれはタキには似合わなくて、つい口に出して聞いてしまう。


 龍とみーくんはなんとなく分かるとしても、タキは少し違和感がある。


「飲めるっつの! こう見えて、コーヒーにはうるさいからな」

「絶対、嘘だよね」

「おう、嘘だ!」


 あっさり白状したタキは、なぜかポケットからコーヒーシロップを取り出した。


「ちょっと待って。おかしいでしょ。何でポケットから出てくるの?」

「酒田からもらった!」

「何で酒田さん?」


 タキにコーヒーシロップを渡した酒田さんが意味不明で、首を捻った私に、みーくんが補足してくれる。


「カフェは酒田の兄貴がやってるからぁ、期限が近い消耗品はくれるんだよねぇ」

「あ! それで酒田さんがアイスティー出してくれたんだ」


 今さらながらに疑問が解決して、すっきりした私に、龍が目を細める。


「りんご、お前……ミツルに何も聞いてないんじゃねぇ?」

「だって、教えてくれないし」


 すぐにはぐらかして話を誤魔化すみーくんに聞いても、回答は得られない。


 少しだけ拗ねてみせた私に、みーくんが困ったような顔をした。


「じゃあ、みっつんが頭張ってたのも知らないのか?」

「頭? なにそれ! 聞いてないし!」

「んー……言ってないからねぇ」


 道理で『羽柴、羽柴』とうるさいわけだ。


 そりゃあ、恭平も達哉も怖がるわけだ。


 だけど、みーくんは頭を張って『いた』?


「過去形? ……あ、もしかして」

「ダブる前にねぇ」

「……やっぱり。じゃあ、何で今は龍が頭なの?」

「メンドーだから?」


 呑気にコーヒーをすすりながら答えたみーくんは、悪びれた様子もなく、飄々としている。


 何も知らされていなかったことに、少しだけ腹が立つ。


「何で黙ってたの?」

「だぁって、前のハナシじゃーん。今は関係ないしぃ?」

「私に何かあったら、みーくんのせいだからね」


 そんな立場にいたなら、何かあって私が巻き込まれたって、おかしくないはずだ。


 先に言ってくれたら、もっと男の子らしい格好をしたのに。


 身体のラインがまったく分からない、だぼだぼの服を着たりして、対策をしたのに。


 今日の格好だって、目を凝らせば女だとすぐに分かる、なんちゃって変装にしか過ぎない。


 不満げな私に、みーくんはソファーを降りて、隣に寄り添った。


 だから、機嫌の取り方が間違ってるって。


「そういや、罰ゲームだったよな! みっつんとヤ」

「却下!」

「みっつんとキ」

「却下!」

「なんだよ、りんご。厳しいな」


 デリカシーのない罰ゲームをタキに提示されそうになって、先に却下しておく。


 ヤれとかキスとかは、私にかなり不利な罰ゲームだ。


 むしろ、みーくんにとって罰ゲームにならない。


 変な罰ゲームにしたら承知しない、という意味を込めて、タキを睨む。


「じゃあ龍ちゃんが決めてよ。俺には、りんごを満足させる罰ゲームなんか浮かばねーし」

「りんご、お前、何だったらやんのか言え。そうじゃねぇと話になんねぇ」


 もっともらしいことを龍が口にして、私の答えを待つ。


 何だったらやるのかと聞かれても、本当なら何もやりたくない。


 辛うじてそれを言わないのは、負けた事実があるからだ。


「……ピアス選んであげるとか」

「そんなの駄目だ!」

「ジュース奢ってあげるとか」

「あ?」


 二人して、私の罰ゲームを全否定。


 じゃあ、何をすれば……と考えて、ハッとした。


「何で私が、みーくんにしてあげることになってるの! 二人で負けて罰ゲームになったんだから、みーくんも何かするべきじゃないの?」

「みっつんに何かヤらせたら、あとが怖いんだよ!」

「そんなの関係ない! みーくん、やるよね? あとで何か仕返したりしないよね?」

「んー……どうかなぁ」

「仕返し禁止。タキと龍に何もしないって約束して」

「えー」


 にやにやするみーくんに念を押し、約束を取り付ける。


 しばらく面白そうに笑っていたみーくんも、数分したら私のしつこさに負けて頷いた。


 みーくんの説得を終え、タキに、さあ言えと目線を向ける。


「じゃあ、3回回ってワ」

「――タキ、ヤるか?」

「みっつん、怖い!」


 しばらく押し問答が続き、最終的には、龍が下した『1回パシり』に決まった。


 内容は、私とみーくんがコンビニにパシられるという簡単なもの。


 それくらいならと受け入れて、龍とタキに留守番を任せ、コンビニへ向かうことになった。


「ポテチにコーラに牛乳に……って、まるっきりさっきと同じだよね」


 頼まれたものをリストにして書いた紙を読みながら、みーくんと朝方になりかけた道を歩く。


 この時間を迎えると、アルバイト明けのような気がして、微妙な気持ちになる。


「りんちゃん」

「なに?」

「俺がりんちゃんのコト好きなのって、分かってる?」

「あー……うん。分かってる」


 それが本当かどうかは、知らないけれど。


「りんちゃんに無理強いはするつもりないからねぇ?」

「それも分かってる」

「別れる気も、今のところまったくなぁいよ」


 その言葉には、どきりとした。


 みーくんと過ごす日々は、居心地がよくて、正直、楽だ。


 だけど、本当はいつ別れるのか、ずっと気になっていた。


 飽きやすいと言ったみーくんが、どれくらいで飽きるのかも分からなかった。


 何より、今はまだ別れたくないと思っていた。


 卑怯な女だと思う。


 我慢させておきながら、寄り添ってくれるみーくんを手放したくはない。


「自分でも卑怯だなって思う。ごめん」


 俯きながら謝ったのは、本心だ。


 みーくんには、素直に言葉を吐き出せる。


「俺ねぇ、りんちゃんが卑怯だとは、まぁったく思ってないよ」


 横を歩きながら、みーくんは笑う。


 本気で卑怯だと思っていないらしい。


 その笑みは、愉快そうなものだった。


「利用して、俺から離れられなくなればイイって思ってるしぃ?」


 歪むのは、私の顔だ。


 そんなふうに言われたら、どう返していいか分からない。


 ぱっと、みーくんから目を逸らす。


 いつだって、都合が悪くなったら逃げに走る。


 何も言い返せない私に、みーくんはただ笑うだけ。


 夜明け前の道のりを歩いていた私とみーくんの間に、けたたましい着信音が流れた。


 それはみーくんの携帯から響いていて、ポケットからスマートフォンを取り出したみーくんは、耳に当てた。


 しばらく黙って相手の話を聞いていたみーくんは、一段落して口を開く。


「――で? どうするつもりか言えよ」


 底冷えするみーくんの命令口調に、ただ事ではない雰囲気が流れた。


 コンビニは目の前に迫ってきて、先に行こうとした私を、みーくんが引き留める。


 その視線には『待ってろ』という意味が込められているらしい。


 立ち止まった私に、みーくんが浅く頷いた。


「――潰せ。ヤるなら、徹底的にヤれ」


 指示を下したみーくんは、にやりと弧を描いて、冷酷な表情を作る。


 何度か目にした光景に、恐らく、これが世間一般でいう『悪いこと』なんだと分かる。


 悪いこと、もしくは酷いこと。


 通話している相手が何を話しているのかは分からないけれど、こういうときは、みーくんの瞳の奥が痛いくらいに鋭くなる。


 アタマだった、とタキは言った。


 容赦のない台詞は、次々に私の耳へ落ちてくる。


 『闇討ち』や『報復』。


 どちらからするのかは分からない。


 『鉄パイプ』や『金属バット』。


 どちらが持っているのかは分からない。


 『全治』に『半壊』。


 人間の身体か、建物の話か分からない。


 分からないことだらけの会話でも、一つだけ分かるのは。


 それが、みーくんやあの二人にとっては『楽しい』ということだ。


 私にはできないし、しようとも思わない。


 だけど、止めようとはしないし、偽善者にもならない。


 知らず知らずのうちに、私は右目を隠していた。


 ぼやけたコンビニ。ぼやけたみーくん。


 左目だけになった視界は曖昧で、輪郭もはっきりしない。


 やがて右目から手を離せば、視界は元に戻る。


 それでも、目に映る世界そのものはどこか曖昧に思えた。


 誰もが曖昧な中で生きる中、爛々とした笑みのみーくんだけは、ありのままを晒して生きているような気がした。


 誰にも隠さない、その狂気。


 張り詰めているはずの神経が、酷く緩んで、私を脱力させた。


 肩肘を張って生きなくていい。


 みーくんにそう言われたら、きっと私は納得して頷ける。


 だって、みーくんは肩肘をまったく張っていない。


 そんな人から言われたら、それでいいんだと息がつける。


 例えば、息苦しい山頂や海底で、みんなが苦しさに悶えているとするなら。


 みーくんの隣には、酸素が溢れているような気がする。


「りーんちゃん」

「電話、終わった?」

「終わったぁ。行こっかー」


 私の手を引いて導いてくれるこの人は、誰から見ても最低だけれど。


 私にとっては、綺麗な人だ。


 結局、龍もタキも泊まっていった。


 午前10時を迎える頃に二人は帰ったけれど、みーくんだけは残っていた。


 休日になると片頭痛に悩まされる、私の傍にいるために。


 ――何の前触れもなかった。


 私は3人との時間が楽しくて、久しぶりに夢を見た。


 母親がランドセルを買ってくれた日。

 父親が入学を喜んでくれた、あの日。


 墜落させられる前までの夢だった。


 だから、みーくんが口にしたのは不思議じゃない。


 ソファーで寄り添っていたときに、ふと思い出したように、みーくんが私を見て言った。


「りんちゃん」

「うん。なに?」

「シオンって、だぁれ?」


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