第22話 何も聞こえなかった
思えば、4人で出掛けた中では、これが一番印象に残っているような気がする。
一瞬だけ輝いた私の楽しい時間は、あまりにもあっけなく幕を閉じた。
だけど、色濃く残ったこの瞬間は、何物にも代え難い。
カラオケの一室で、小さなミラーボールがくるくると回りながら、私たちを彩ったこと。
タキがトイレに立った隙に、みーくんが教えてくれた、タキが我慢しているときは唇を噛む癖。
龍がぼそっと話してくれた、みーくんが実は動物のドキュメンタリーにだけ涙もろいという弱点。
タキが面白おかしくばらした、龍には溺愛している歳の離れた妹がいるという、シスコンで可愛い一面。
案外照れ屋なタキ。ちょっと意地悪な龍。
舌舐めずりをして私を見た、蛇みたいで不気味なみーくん。
捕まえられてみたいと思う反面、逃げなくちゃと心が騒ぐ。
確かに、私は笑っていた。
作り笑いじゃなくて、本物の笑い。
楽しい瞬間は、確かに私の胸を温かくした。
カラオケは、やっぱり私とみーくんの負けだった。
チームにした意味がないくらい圧倒的に叩きのめされたけれど、タキと龍、みーくんの美声は、目を見張るほどすごかった。
タキは、どちらかといえばアップテンポな曲ばかりで、高音も難なくこなす、少年的なテノールの声音。
龍は反対に、しっとりとしたバラードを正確に歌い上げるうまさがあって、いつもより低いバリトンの声音だった。
みーくんは中性的かと思えば、案外低い声で歌える器用な一面も垣間見えて、不覚にも3人全員にどきどきしてしまった。
一番下手なのは、言わずもがな私で、歌った曲も合唱曲や童謡ばかり。
これでも合唱コンクールでは、ソプラノリーダーをやったこともあったのに、見事に自信は打ち砕かれてしまった。
カラオケが終わった、深夜3時。
解散を前にして、みーくんが言った「泊まってイイ?」の一言にタキが便乗して、仕方なく家に招くことになった。
自分の部屋に達哉を入れることが、あんなに嫌だったのに。
『仕方ない』と思えたことは、自分でも驚きだった。
「みっつんとりんごは負けたから、罰ゲームだからな!」
酒田さんが迎えに来てくれて、バンに乗り込んですぐのこと。
突如、タキが言った一言に、私は眉を寄せた。
「罰ゲームってなに。変なことは絶対しないからね」
「変なコトって、なぁに?」
「……揚げ足取らないで。そもそも、みーくんのいう変なコトってなに」
「んー……聞いちゃう?」
妖しげに笑みを浮かべたみーくんに溜め息を吐き、首を振る。
やっぱり聞きたくありません。
どうせ、下ネタに走るから。
私の肩に凭れたみーくんを見て、タキが労るような視線を私に向けた。
「みっつんは変態だから、りんごがカワイソウだな」
「……タキ、変なふうに同情するのやめて。そんな関係じゃないし」
「さっさとミツルとヤれ」
横からいきなり衝撃発言をする龍の顔色は、まったくの無表情。
真顔でエロトークを始めたそのギャップに、またか、としかめっ面をした。
「だから、そういう……」
「ミツルは女とヤるときだけは変わる。だらしねぇ」
「……それって、どういう意味?」
何度も聞いたその言葉は、経験したことのない私にとって、不可解でしかない。
「何だっけ。チロルが最初来たときに言ってたよーな……あ!」
視線を宙に浮かせたタキは、それほど苦労せずに思い出せたのか、すぐに表情を明るくした。
「ヤる前とヤったあとがやさしいー! とか言ってたぜ、確か」
ぶっちゃけ、経験のない私にそう言われても、想像すらつかない。
何ともコメントのしようがない。
複雑な表情をした私に、龍が横槍を入れた。
「『アイシテル』だろ? なぁ、ミツル」
嘲笑うように言った龍に、息が止まりそうになる。
龍の目には不快感と嫌悪感が溢れていて、みーくんを責め立てるものにしか見えない。
「――黙れ」
鼓膜を揺らす声色は、深く私の胸を抉る。
怖いというより、痛い。
悲痛を交えたみーくんの言葉には、ありありと圧力がかかっていて、一瞬にして車内は重苦しい空気で満たされた。
「龍、お前、調子付いてんのか?」
みーくんは目に見えない雰囲気をまとい、龍を直視した。
慣れたはずの私でさえ、その雰囲気には胸の奥がぞくりと冷える。
にやりとつり上がった唇は、いつもと違っていびつだ。
すぐにでも手が出そうな至近距離で、みーくんと龍は互いに目を逸らさない。
「りんごは、知りたいんじゃねぇ?」
ハッと笑った龍は、みーくんに負けじと挑発的で、馬鹿にしたような笑みを向けている。
「――過去は捨て置け。リンにそんなこと言って、何がしてぇんだ」
「言わねぇのは、お前……ミツルにとって、都合が悪ぃからじゃねぇの」
「あ? だから何だよ」
何でいきなり修羅場。
というか、何でタキはそんなに楽しそうなの。
みーくんのどす黒い笑みに、龍の試すような笑み。
冷や汗を流しているのは、私と酒田さんの二人だけだ。
みーくんの女癖は悪いと聞いていたし、チロルちゃんを追い払った辺りで、最低なところがあるのにも気づいた。
別に知ったって、どうということはないのに、やけにみーくんはそれに苛立っている。
知られたくない、とか?
今さら過ぎるだろ……と言いたいのは山々だけれど、みーくんも、開けっ広げな下半身事情はあまり知られたくないのかもしれない。
できるなら、このまま黙ってやり過ごしたい。
だけど、一触即発な二人をどうにかするのは、楽しんでいるタキと、冷や汗だらだらな酒田さんじゃ無理だ。
そう思いながらも、私だって、気を抜いたら走って逃げ出してしまいたくなるくらい、心臓は激しく鼓動しているけれど。
とにかく、場を和ませてみるしかない。
「……みーくん。そういう事情は別に気にしないから、大丈夫。ほら、年頃の高校生って、みんな」
「黙ってろ」
「……だから、私は気にしてないし」
「リン」
さあっと血の気が引いていくのは、勘違いじゃないはず。
さらに、みーくんの機嫌を損ねたらしい。
「りんご、さすがにそりゃねーぜ」
「……墓穴掘った感じですか」
「おう。みっつんがギラギラしてんぞ。責任取れよ」
ちら、と見たみーくんは、確かに目が笑っていない。
むしろ龍から私に標的を変えたかのように、無言で見ていた。
「落ち着こう。まずは落ち着こう」
「ミツルは、抱いた女全員に『アイシテル』って囁いてんだとよ」
最大級の地雷を踏んだ龍は、一瞬でシートへ飛ばされた。
思わずタキがのけ反って、顔を青くしたほどの一瞬。
私は、それをすべて視界に捉えることができなかった。
ぶれたみーくんの右腕と、シートに叩き付けられた龍の姿。
それだけで、何が起こったのかを漠然と理解した。
「痛ぇ」
そりゃ、痛いでしょうよ。
みーくん、いまだに真顔だから。
笑ってるの、口元だけで、目はマジになってるから。
内心大慌ての私に、タキが手を伸ばす。
ぐいっと引かれて後ろへ下がった私に、早口のアドバイスが囁かれた。
「機嫌取れ。すぐに、今すぐに! ……みっつん待て、俺はなにもっ……」
ダンッ、と鈍い音を立てて、豪快にタキが窓に当たる。
もはや、みーくんの独壇場と化した車内で、私は思い出した。
そういえば、初めて二人に会ったときも、確か、みーくんは一方的に殴っていたような。
しかも、龍とタキは倒れていた。
それを見下ろして楽しそうに笑ったみーくんを、私は狂気そのものだと思ったわけで。
何がみーくんの怒りに触れたのか、分からない。
ただ、抱いた女の子に『アイシテル』と囁く行為とやらが、みーくんにとって、言われたくないことだったということなのかもしれない。
「みーくん」
とりあえず、腕を封じ込めることにして。
まずは身体を拘束するのが一番だと思いながら、みーくんの両手を握る。
威嚇するように後部を見ている顔を戻して、目線を合わせてみる。
「みーくん、こっち向いて。酒田さん、泣きそうだから。龍も唇切れてるし、タキもたんこぶできてる」
服の袖で唇にじんだ血を拭う龍と、坊主だからこそはっきり見えるたんこぶができたタキ。
地雷を踏まないようにするには、どうしたらいいんだろう。
「みーくん。私、何も聞いてない。何も知らない」
聞かなかったことにすれば。
あるいは、知らなかったことにすれば。
どうにかなるんじゃないかと踏んだ私に、みーくんは身体の向きを元に戻した。
「……りーんちゃん」
はぁ、と漏れた悩ましげな溜め息に、ホッと安堵する。
どうやら、正解だったらしい。
やっぱり、他人に知られたくなかったことなのかもしれない。
「大丈夫。今日は耳が休みなんだって。だから、残念ながら何も聞こえなかった」
ここまで言えば、分かってくれるだろうか。
私は一切何も聞いていません、という姿勢で、みーくんを見つめる。
だから、抱き寄せられても、抵抗せずに黙ってあげた。
「マジでイきそー……」
――え、なに?
どう考えても、この場に似つかわしくない発言をしたような気がするのだけれど、吐かれた吐息には、確かに熱が籠っていて官能的。
絶句して固まった私に、お馬鹿なタキが拍手をした。
「これが、りんごの調教テクか!」
「違うから!」
お前、たんこぶどうした。痛いんじゃなかったの。
突拍子のないタキに噛み付くように声を上げ、否定する。
さっきまでたんこぶを押さえて痛そうな顔をしていたくせに、この変わり身の早さ。
「みーくん、もうダメ。りんちゃんに溶かされそう」
「お願いだから、固形物のままでいて」
「ぶっ……!」
「もう、さすがに飽きました、酒田さん」
このパターン、何回目。
酒田さんも青かった顔を元に戻し、笑っていた。
ひと悶着はあったものの、無事に家に着いて、ようやく私は一息ついた。
なに、この問題児たち。
龍は仏頂面のままだったけれど、お馬鹿なタキを小突いているくらいだから、さっきのことはもう切り替えているのだろう。
殴り合って、殴られて。
そうやって男子は仲良くなるんだと、改めて実感した。
タキと龍は、私の家に来るのが初めてで、最初こそ興味津々に周りを見ていたけれど、すぐに落ち着いた。




