第21話 赤は嫌いじゃない
「タキが気遣ってんだろ。りんごが女だからじゃねぇ?」
「あ、私が血を気にすると思ってるってこと?」
それなら納得できる。
つまりタキは、女の子に血だらけになった姿を見せるのをためらっていて、それは私じゃなくても同じなんだろう。
だから、カラオケをしたいがために我慢してる、と。
「っていうか、何でこんな状況に?」
「そいつが売人だからじゃねぇの。タキに売り付けようとして、タキがキレた」
今回はちゃんと答えてくれた龍に「なるほど」と返事をしながら、腰を抜かしているらしい男を見る。
タキの拳は微かに震えていて、かなりムカついたんだと思う。
「みーくん、ちなみに君ら、クスリは?」
「あ?」
「やってなぁーい」
やっていないだろうなとは思ったけれど、一応、聞いてみる。
クスリに関しては、クソみたいな兄の友達に詳しい人がいたから、知っている。
高校生が常用するとなると、かなりの金額がかかる。疲労は溜まるし、そのせいで症状も割と明らかになる。
どう見ても、タキはやっているようには見えない。
「……タキ」
タキの服の裾を引いて、名前を呼ぶ。
「りんご?」
ぴくりと反応したタキは無表情で、噛んでいた唇の端には血がにじんでいた。
「私には何も『関係ない』し、何も『知らない』けど……『赤』は、そんなに嫌いじゃないよ」
お馬鹿に見えて、実は猫被りのタキなら、きっと意味は分かると思う。
一瞬だけタキの瞳がぐわっと開いて、次の瞬間には、すでに足を振り上げていた。
「かっ……!」
言葉にならない音を口から漏らした男は、タキに顎を蹴り上げられたらしい。
まじまじと喧嘩を見る趣味はないので、回れ右をして、みーくんの元へ戻る。
三歩もない距離に立っていたみーくんは、私の顔を見るなり眉尻を下げた。
――泣きそうな、顔。
それも見間違いかというほどに消されてしまったけれど、隣に並ぶ龍は、みーくんと同じような顔をしたままだった。
「……タキを煽んじゃねぇ」
「煽ったつもりはありませんが」
「馬鹿が」
「トーテムポールのくせに……」
「あ?」
龍の威嚇に、慌てて顔を逸らし、みーくんに笑いかける。
くわばらくわばら。
トーテムポール龍を怒らせたら、倒れてきそうだ。下敷きにされたら堪りません。
「みーくん、コンビニ行かない?」
「イイっすよー」
「野球部か」
「タキの方が野球部っぽいでしょー」
持ち込みが大丈夫かどうかは知らないけれど、無性にアイスティーが飲みたくなった私に、みーくんは律儀に付き合ってくれた。
コンビニに行こうと方向転換した私に、愛想も何もない、可愛くない声がかかる。
「りんご」
「……なに?」
「コーラと牛乳、買ってこい」
「ちなみに、龍はどっち?」
「……」
黙ったということは、龍が牛乳だ。
確実にそうだ。
みーくんは肩を震わせ、口を覆いながら笑った。
「分かった。買ってくるよ」
「金はミツルに出させろ」
「はーい」
いや、いいよ、とか言うべきだったかな。
一瞬よぎった考えは、すぐに掻き消される。
どのみち、みーくんが出すことになるし、遠慮するのも今さら過ぎる。
何だか年上らしさがないけれど、それも楽だから、案外よかったのかもしれない。
笑っているみーくんの手首を引いて、ようやくコンビニへ歩き出す。
「あー……笑った! 腹がねじれるかと思ったぁ」
「牛乳って低脂肪? 普通の?」
「気にするところ、そこじゃないよねぇ」
「低脂肪って、あんまり美味しくないような気がしない?」
「ちょー分かるー」
「女子高生か」
軽口を叩きながら歩いて、間近のコンビニへ入る。
みーくんは籠を手にして颯爽とドリンクコーナーへ向かうけれど、その姿は違和感だらけ。
世の中には、最強に籠が似合わない男というのもいるらしい。
「……りんちゃん?」
「タキが気にするなら、いるでしょ」
遅れを取りながらも追い付いて、籠にガーゼを入れる。
服はどうしようもないけれど、手や顔についた血くらいは、これで落ちるだろうし。
「ハンカチ持ってないんだぁ?」
「……え、何で分かったの」
「なぁんとなくぅ?」
「女として失格になりそうだから、秘密にしてよ、ダーリン」
「はぁーい」
みーくんは鋭い。
目ざとく気づかれてしまった私は、ぎくりとしながらも口封じの約束を取り付けた。頼まれたコーラとアイスティーのペットボトルを取る。
「牛乳って、小さいパックだよね? 1リットルじゃないよね?」
「……1リットルにしよっかぁ」
にやにやしながら1リットルを手にしたみーくんに、噴き出しそうになったけれど、確実に龍がキレると思う。
念のため小さいパックも入れておいて、噴火しそうになったら、こっちを差し出そうと回避策も立てておいた。
「みーくんは?」
「これー」
みーくんが手にしたのは、ペットボトルの珈琲牛乳。
またしても甘いやつだ。
「似合うから?」
「そう、似合うからぁ」
喉の奥を鳴らして笑う姿に微妙な視線を送りつつ、レジへ向かう。
精算はやっぱりみーくんがさらりと済ませて、コンビニ袋もみーくんが持つ。
さっきの場所に戻りながら、さりげなく繋がれた手は低温で、私の手の温もりが、みーくんに吸収されていくような気がした。
「りーんちゃん」
「なに?」
「勝てるとイイねぇ」
忘れかけていた勝負の話を持ち出すみーくんは、さながら悪魔。
だんだんと焦っていく私に、みーくんはおかしそうに目を細めた。
「思ったよりも豪快でした」
感想を棒読みする私に、タキが白い歯を見せて笑う。
どういう喧嘩をしたら、鼻の頭まで血が飛ぶんだろう。
私がいない間に片は付いて、槙原さんが、さっきの男を回収したらしい。
槙原さんに会いたかったような、そうでもないような。複雑なこの気持ちは、何だろう。
「あ、りんご! 俺のコーラは?」
「みーくんが持ってる袋の中」
血気盛ん過ぎるタキにジト目を送り、とりあえず、晴れやかな笑顔に誤魔化されてあげようと思う。
我慢なんて、タキにしては偉かったんじゃないの。
上から目線で思いながら、みーくんの持つ袋をがさがさと漁るタキの頭を撫でてみる。
「……りんご」
「何でしょう」
「見直した!」
「は?」
「アレだ! たまにはデレたりんごもいいもんだな。うん。だから、その、なんだ……とにかく、ううう、嬉しかったぜ!」
「……そう」
ちょっとタキが可愛いとか思ってしまうのは、実はタキの策略なんじゃないだろうか。
みーくんはにやにやしているし、龍はうっすら意地悪く笑っているしで、いたたまれない空気になっている。
こうして気恥ずかしそうに目線を合わせようとしないタキを見ると、やっぱり年下なんだなぁと、改めて感じる。
コーラを取り出してキャップを開けたタキは、勢いよくそれを飲みながら、そっぽを向く。
それを一瞥した龍が、ポケットから煙草を取り出し、中を見た。
「……入ってねぇし。タキ、行くならさっさとしろ」
「おう! りんご、こっちな! みっつん、コーラありがとよ!」
さりげなく龍へ、みーくんが自分の煙草を投げる。
歩き出したタキに、なぜか私が腕を引かれる、異様な状況に。
「ちょっとタキさん。腕が痛いんですけど、もうちょっとゆっくり行けません?」
「しょうがねぇな!」
しょうがないのは、お前だ。
龍とみーくんは、私とタキの後をマイペースに歩きながらついてくる。
ひらひらと手を振るみーくんに何か言ってやろうと口を開いたら、見事に先手を打たれた。
「浮気しちゃーダメだからねぇ?」
「……」
そう言うなら、タキのお守りを任せるんじゃない。
呆れた表情をした私に、みーくんは笑うばかりだった。
けれど、手首に感じるタキの温もりと、ほんのり赤くなった耳に免じて、許してあげてもいいかもしれない。
「もしかして、照れてる?」
「うっせーバカ!」
「はいはい、バカですよっと。あ、もしかして、あれ?」
前方に見えてきた看板には、華々しく『カラオケ』と書いてある。
ここまで来るのにやけに時間を食ったな、と他人事みたいに思った。
カラオケに入り、カウンターへ向かうタキに記入やら何やらを任せて、追い付いてきた龍とみーくんを迎える。
にこやかなみーくんとは対照的に、龍は顔に『不機嫌です』と書いてある。
「……りんご」
眼光を強めた龍が、私の頭をわしづかみにした。
「痛い、龍、痛い!」
地味にみしみしと鳴る私の頭蓋骨なんてお構いなしに、龍は圧力をかけてくる。
何事だと目を見開いた私の視界に、一本の牛乳。
長細いパックの1リットル。
あ。やっぱり怒るよね。
「ごめん! ほんの遊び心っていうか……みーくん! 共犯なのに何で笑ってるの!」
けらけらと私を見捨てて笑うみーくんに足を振り上げてはみたけれど、一歩下がって見事に回避された。
「さすがに2回目はナシでしょー。ねぇ、りんちゃん」
急所を狙ったことを、根に持っているらしい。
不意に龍へ視線を戻せば、ひくひくと青筋を立てた顔と再会して、背中に冷たいものが走る。
「ほら、カルシウム取って、今よりもっと大きく……」
なるのは、どうかと思う。
自分で言っておきながら何だけど、もう大きくならなくていいと思う。
そう思った私に気づいたのか、龍はさらに睨みを強くした。
「馬鹿にすんじゃねぇ」
「してないから! 私も牛乳好きだし!」
「あ?」
「ごめんって! 龍にそんなに強く掴まれたら、私の頭が砕ける!」
「ごめんなさいは」
「ごめんなさい」
「次からは鉄分入りにしろ」
「怒ってたの、そこなの!?」
量じゃなくて、まさかの成分が問題だったとは知らなかった。
先に言ってくれなかったみーくんに、またしてもはめられたと悔しく思う。とりあえず、龍の手のひらが離れたことにホッとした。
「……みーくん。私がこうなるの、分かってたんじゃないの」
「さぁねぇ。でも、りんちゃんが苛められてる姿は好きだよ」
「ほんっとに最低」
「りんちゃんは、やっぱり可愛いなぁ」
いつもの意味が分からない返事を聞いたところで、タキから呼ばれた。
必ずあとでやり返すと誓いながら、部屋へ向かった。




