第20話 羽柴充という名前
私の頭に顎を乗せたみーくんは、頭上で微かに笑った。
身長差のせいで、みーくんが私を抱き締めるのは難しそうに思える。けれど、難なく腕を回すから、たまに身長差を忘れてしまいそうになる。
こうして頭が飛び出したり、隣に並んだりすると、改めて背の高さを実感するけれど。
「あ、カラオケ、どこのお店か聞くの忘れてた」
「俺が知ってるからダイジョーブ」
「光渦の近く?」
「そーそー。酒田呼ぼーっと」
ちょっと待った、みーくん。
今、午後9時。
完全に夜の9時ですが。
「……酒田さんって、パシりなの?」
「んー……そんなもんかなぁ」
哀れな酒田さんに内心同情しながらも、車はありがたいので、手を合わせておく。
運転手さん、ありがたや。
今度、何かご馳走します。
「りんちゃん、なぁにやってんの? 拝み中? ――あ、俺。リンのマンションな」
「……」
「……ん?」
「え、通話終わり? それだけ?」
「十分でしょー」
「いやいや、まったく十分じゃないって……」
相手が酒田さんじゃなかったら、絶対に来てくれないよね、と遠い目をしながら思い出す。
そういえば、酒田さんもMっぽかったっけ。なら、いいんだろうか。
「それよりさぁ、りんちゃん、その格好で行くつもりぃ?」
みーくんが、私の着ているルームワンピースの裾をつまんで、ひらりとまくる。
下には短パンを穿いているので、パンチラなんてイベントはないけれど、とりあえず、まくった手を叩いておく。
悪戯禁止。
「着替えてきます」
「見ててイイ?」
どうしてそうなった。
さらりと変態発言をしたみーくんに、ちらっと視線を送って少し考える。
いつもみたいに変態呼ばわりしても、効果はまったくない。
それなら、ちょっと恥じらってみせようかと、みーくんから一歩離れてじっと見つめる。
「……みーくんのえっち」
「…………イイ!」
口元を覆いながらソファーをバンバン叩くみーくんに、冷めた視線を送りながら後ずさる。
ノリがいいのはありがたいけれど、若干変態的なみーくんは気持ちが悪い。
それでも珍しく赤くなったので、まぁ、顔色を変えたという点では勝ち……のような気もする。
喜ばせた感が、非常に強いけれど。
みーくんを置いて、さっさと寝室に入り、着替えを適当に選んでいく。
どうせなら、今日はボーイッシュ路線でいってみようとテーマを決め、いくつか手にする。
キャスケットにサングラス……サングラスは、みーくんと被るか。
ペアルックと思われる可能性があるかもしれない。
それは却下。
結局選んだのは、カーキ色のサルエルパンツと、控えめな迷彩柄のシャツ。
ワンサイズ上のカーディガンは緩めで、全体的にラフっぽく見える。
これなら、あの3人の中にいても男の子らしく見えるかな、と、髪をまとめてキャスケットを被る。
寝室から出ると、みーくんはすでに準備をしていて、私を見るなり、きょとんとした。
「かぁわいいー」
すっと目を細めて笑ったみーくんは、テーブルの上に置いていたサングラスを取り、私にかける。
その瞬間に、触れただけの軽いキス。
「私、外国人じゃないから、そういう習慣分からないんだけど」
自然な動作でキスなんて、かなりやり手なみーくんに、しらっとした態度を見せながら背伸びをして、身体をほぐす。
よし。打倒タキ。
そういえば、カラオケなんてどれくらいぶりだろう。
酒田さんから連絡が来たらしいみーくんは、一言二言話して電話を終わらせた。
「んー……行こっかぁー」
軽いノリで基本的に緩いみーくんは、少しだるそうに首を回して、玄関へ向かった。
目にするのは3回目になる黒いバンに、今度は躊躇なく乗り込む。
最初のときはあんなに怖く感じたバンも、顔見知りの酒田さんが運転しているというだけで、どことなく愛着が湧いてくる。
眉なしの槙原さんは、今日は助手席にいなくて、シートにはレンタルビデオショップの小さな手提げバッグが置かれていた。
「こんばんは、酒田さん。DVD鑑賞の予定だったんですか?」
「あ、お疲れ様です、りんごさん。そうですよ。借りに行った帰りで、タイミングよかったです」
「その『りんご』っていうのは、定着してるんですか」
「いやぁ……あ、でも槙原は『鈴子さん』って呼んでますけどね」
「鼻息荒いんだよねぇ、槙原のヤツ」
走り始めたバンの中で雑談をしながら、しみじみ思う。
人柄をまったく知らなかったら、みーくんも酒田さんも、ただの危なそうな不良という印象しかなかったんだろうな、と。
出逢った当初は、最悪な出逢いだと思っていた。
けれど、2週間も一緒にいれば、だんだんと人となりは分かってくる。今では、みーくんに会わせてくれたことに少しだけ感謝もしている。
本当に、少しだけだけど。
売られたことは一生忘れない。酷く恨んでいるわけでもないけれど、顔を見たくない程度にはショックだったし、腹も立った。
それでも、みーくんが傍にいるようになってから、片頭痛は嘘みたいに減った。
だから少なくとも、こうなったこと自体を後悔はしていない。
こてん、とでも聞こえてきそうな仕草で、みーくんは私の肩に頭を乗せる。
座高の違いで首が痛くなりそうな体勢にもかかわらず、目を細めて笑うみーくんに、こっちも笑みが滲んだ。
にやにや顔も見慣れたら、たまに可愛く見える。
挑発的で獰猛な瞳は切れ味のいいナイフみたいで、ある意味頼もしい。
「首、痛くないの」
「んー……ちょい眠たいカンジ」
「答えになってないんだけど」
「……ちゅーしてイイ?」
「いけません」
「ぶっ……!」
「だから、何で酒田さんは見るんですか! 運転に集中して!」
妙にみーくんと私のいちゃつく姿を見たがる酒田さんは、また今日もちらちらとこっちをうかがっている。
慣れて恥ずかしさが薄れたかといったら、案外そうでもない。
毎回気恥ずかしさがあって、つい、みーくんを突き放してしまう。
「いやー、羽柴君の日常的ラブシーンって貴重ですから。大体は連れ込んで、ヤるだけヤって放置ってパターンですし」
「……それは治るものなんでしょうか、羽柴さん」
「りんちゃんいたらぁ、そぉんなコトしなーいよ」
さて、それはどうだか。
私を巻き込まない程度の女遊びにしておいてほしい。
どうも龍は、みーくんが女の子と関係を持つのをよく思っていないみたいで、私に睨みを利かせてくる。
本人に言っても効果はない、らしい。
しばらくすると、酒田さんの運転するバンは、カラオケやコンビニが建ち並ぶ賑やかな路地の手前で止まった。
ドアを開ける酒田さんと、長い足を地につけて降りるみーくん。
手を伸ばされ、またもや溜め息を吐いた私に、みーくんが鋭い視線を向けた。
――違う。
この感じは『言うことを聞け』だ。
それに気付いて、渋々みーくんの手を握る。
なんちゃってお嬢様になりながら降りた私に、押し殺したような悲鳴が届いた。
ハッとして顔を上げた私に、すかさずみーくんが腰を引き寄せ、腕を回したままの密着スタイルで歩き出す。
押し殺した悲鳴は、女の子から発せられたものらしい。
「――何でこんなことになってるの?」
「んー……誰か暴れたかなぁ?」
黒いバンを見てぎょっとしている男の子と、みーくんを見て高い声を上げる女の子。
どちらも、中学生から大学生辺りの年齢層で若く見える。
道を空けるように避けた人の真ん中を、ためらいもせず、みーくんは歩く。
開いた道の先で、龍とタキがだるそうに立っている姿が見えた。
光渦の近くだからか、あちこちから遠慮なく『羽柴充』という声が聞こえる。
それと同時に、龍とタキの名前も出てきて、ちょっとした違和感に片眉を上げた。
龍とタキがいるにもかかわらず、男女が口にする名前の大半が、みーくんの名前。
「何で、みーくんのことばっかり言われてるの。あそこにいるの、龍とタキだよね?」
「何でだろうねぇ、ふっしぎー」
「龍が頭なんじゃないの?」
「アタマは龍だねぇ」
どうやら、答える気がないらしい。
圧倒的に多いのは、みーくんの名前だった。
しかも、男の子……と呼んでいいのか分からないくらい大人びた男子の集団は、身を小さくして、みーくんが過ぎるのを待っていた。
近寄ったタキの足元には、髪をつんつん立てた男が座っていて、その表情には、どこか怯えが走っている。
座っているというより、腰が抜けているといった方が正しいような気がした。
喧嘩、にしてはおかしいか。
男は一人だし、何より、どこも傷付いていない。
ただ、タキが黙ってその男を見下ろしているだけだ。
「……みーくん、あれはなに」
「さぁねぇ。タキになぁんかしたんじゃなーい?」
さらに近寄って隣に並ぼうとした私を、龍が止めた。
「龍?」
「タキに近寄るんじゃねぇ」
ドスの利いた声音に、思わず背中が伸びる。
高いトーテムポール龍を見上げた私の頭に、みーくんの手が乗った。
「んー……我慢中?」
みーくんがこぼした呟きは、感心したようなものだった。
龍は、それを肯定するように頷く。
「面倒くせぇ。りんごとカラオケするからとか言ってやがる」
私? と目を丸くして龍を見てみるけれど、その先に言葉は続かない。
龍もみーくんも言葉足らずで、まったく意味が分からない。
眉をひそめると、みーくんは機嫌を取るように、私の頭へ自分の頭をこつんと当てた。
「……真っ赤になっちゃうもんねぇ、タキがヤると」
みーくんが出したヒントらしき言葉から、いろいろなことを考えてみる。
『赤くなる』は、確実に顔色じゃなくて血のことだと思う。
『我慢』は、喧嘩を我慢しているということだろうか。
「つまり、汚れてカラオケができなくなるから、喧嘩しないってこと?」
「少し違ぇ。『りんご』と、だ」
「汚れて、私とカラオケができなくなるから喧嘩しないの?」
「ばっちぐー」
みーくんのOKサインが出され、とりあえず意味を理解する。
だけど、そこにこだわるほど、私はタキと過ごしていないような気がする。
私とカラオケをしたがっている、ということなんだろうけど、何だかすっきりしない。




