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透明  作者: 文月
第一部 出逢い編

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第19話 長女の我慢

 考えてみれば、甘かったのかもしれない。

 私が賑やかで楽しい場所に浸っていることが、間違いだった。


 どうやっても、私はそんなふうに笑っていい人間なんかじゃない。


 薄汚い私が、みーくんという安心できる相手を見つけられたこと自体がすごいことで、そこに甘えていてはいけなかった。


 いつだって簡単に蘇る。

 私が犯した罪の数々は、誰が聞いてもドン引きするレベルだろう。


 可哀想な悲劇のヒロインを気取っているわけじゃない。常識を持っている人間なら、私の犯した行為を聞いて、私を軽蔑するだろう。


 私がしでかしたことは、一生許されていいものじゃない。


 本当なら、罵倒されて蔑まれて、立ち上がれないくらいにされてもおかしくはない。


 そうされなかったのは、単純に相手が『それら』を悪いことだと思っていないからだ。


 誰にも責められなかったから、自分で自分を責める。


 そうしないと、息苦しくて死にそうになるから。


 四人兄弟の長女に生まれて、何不自由なく暮らしてきた。


 贅沢できるような余裕はなかったけれど、貧乏でもなかった。


 どこにでもある普通の家庭。

 中身は普通なんかじゃなかったけれど、外から見たら至って普通。


 そんな家族が大嫌いだった。


 長男の海《うみ》は、フットワークが軽くて活発。活発過ぎて、迷惑を被るくらいに自分勝手だった。


 次女の詩音《しおん》は少し人と違って、いつも母親がべったりだった。


 次男の譲《ゆずる》は結構な歳が離れていて、どう接していいか分からなかった。


 何よりも、私はわがままだった。


 言葉には出さないだけで、内心、一番わがままだったのは間違いなく私。


 共働きだった両親は、日常的には割と愛情を注いでくれた方だと思う。


 やんちゃ過ぎた兄の海は、骨折、喧嘩、親呼び出しが当たり前。


 小学生のときから何かと親を呼ばれては、怒られる毎日。


 そんな兄はいつの間にかムードメーカーの地位を築き始めて、悪くない顔立ちで、恋愛関係も派手に広げた。


 母親は海の素行であたふたするようになり、小さい詩音を抱えながら、必死に海を躾けた。


 ただ、描いた絵を褒めてほしかった。


 ただ、楽しかったことを話したかった。


 次第に神経質になっていく母親に、ただ笑ってほしくて。


 笑顔になってもらいたいと、足元にまとわりついた幼い私。


 ――お願いだから、鈴子は大人しくしていて。

 ――お母さんを困らせないで。


 子育てに疲れていた母親は、隈を作った顔で私に言い聞かせた。


 幼い私はただ、母親に嫌われたくない一心で絵を描いて、勉強して、何かを手伝おうと必死になった。


 海は次第に激しくなっていった。


 喫煙、飲酒、暴力。


 中学1年生ながらに問題を起こして、さらに母親は気力をなくした。


 だけど、笑わなかったわけじゃない。


 詩音はいつだって、母親を笑わせることができた。


 私には一生できないやり方で、母親は笑顔を取り戻していく。


 譲も成長するたびに、何かができるようになるたびに、母親を笑顔にさせた。


 できなかったのは、私だけ。


 海が活発になり始める前に私は生まれて、物心がついたときには、母親はすでに海にかかりきりだった。


 タイミングが悪かっただけ。


 海と詩音に挟まれて、私は大人にならざるを得なかった。


 今でも海は、好き放題して生きている。


 私はそれが羨ましい。


 それと同時に、海のようには絶対にならないと決意した。


 実家に金の無心を当たり前のようにして、行かせてもらった大学を遊び呆けて中退。


 挙げ句の果てには、荒れた女性関係のせいで私が迷惑を被ったことも、一度や二度じゃない。


 友達によく言われた。


 ――格好いいお兄さんだね。

 ――優しそうなお兄さんだね。


 先輩からよく言われた。


 ――お兄さん、紹介してくれる?

 ――仲、取り持ってくれない?


 上っ面だけはよくて、最低な兄。


 ムードメーカーな兄に、劣等感を抱く私。


 みーくんに似ているようで、まったく違う。


 嫌悪感しかない最低な兄と、安心感のある最低なみーくん。


 だけど、海だけのせいじゃない。


 というより、海のことは私のきっかけに過ぎない。


 やんちゃな海で手がいっぱいになる母親を困らせたくなくて、イイ子になった。


 詩音が成長してからは、母親は詩音に付きっきりになっていった。


 つまり、何が言いたいかというと、私の思春期はすべて我慢で作られていたということだ。


 そんな環境で過ごした私は、人に甘えることが下手くそだ。


 甘えさせて、と人に言えない。


 片頭痛は酷くなる一方で、それが私の心境によるものだと気付きながらも、治らないままだった。


 寂しい。助けて。私を見て。


 そう言えなかった思春期は、あまりにも酷く私の性格を侵食した。


 相談一つできない私に、みーくんは笑うだけで何も聞かなかったのに、私の不注意で漏らしてしまった。


 きっと、無意識のうちか、寝言か。


 どちらかで名前を呼んでしまったんだと思う。


 柏木、詩音。


 私の妹。


 根本的な劣等感の原因は、詩音にある。


 ━────── •●• ──────━


 休日を前にした水曜日の夜。


 私はソファーに座って、隣にいるみーくんの肩に頭を預けていた。


 みーくんは辟易《へきえき》とした様子でスマートフォンを耳から離し、唐突に私へ尋ねた。


「んー……ねぇ、りーんちゃん。カラオケ行かなぁい?」


 一体なに、と顔をみーくんに向けた私に、黒いスマートフォンが近付けられる。


 耳を澄ませなくても聞こえる。ぎゃんぎゃんとうるさく騒いでいる、タキの声。


 どうやら、カラオケに行こうと駄々をこねているらしい。


「……みーくん、行ってきていいよ?」


 こうなったら、タキはしつこいんじゃないだろうか。


 そう思って言った言葉に、みーくんは笑みを深める。


「りんちゃん連れてこいってぇ」

「……なぜに私?」

「電話代わるぅ?」

「拒否します……」

「『拒否ってなんだこら! りんご! カラオケ行くぞ!』」

「うわぁ、聞こえてるし……」


 タキの張り上げた声は、スピーカーをバリバリ言わせて音割れした。


 隣でしかめっ面をしているであろう龍が、目に浮かぶ。


「行かない」

「『行くぞ!』」

「行かないって」

「『ポテチ頼んでいいからよ!』」

「ポテチ、別にいらないから」

「『んだよ、ちくしょー! 音痴だからか! だから来ないのか!』」


 ……うっわ。今、かっちーんときた。


「今、なんて言った?」

「『音痴なんだろ! それじゃ来られないのもしょーがねーな! ははっ!』」


 タキの安い挑発に乗る私もどうかと思うけれど、頭では挑発だと分かっていても、気持ちは正直で、ぶっちゃけ腹が立つ。


 どうしようもなくイラッとしてこめかみをひくつかせた私の首筋に、みーくんが軽いリップ音を立ててキスを落とす。


 ひやりとした唇に、少しだけ一呼吸して。


 落ち着けってことですよね。挑発だからってことですよね。でも。


 分かってはいるんだけど、だけど!


「タキこそ、どーせ音痴なんじゃないの」


 やっぱりムカつくので、ちくりと嫌味を言ってみる。


 隣でみーくんが「あーあ、言っちゃったぁ」と呟きながらも、唇が弧を描いたのを一瞥して、とどめとばかりに受話口へ宣言する。


「喉潤して待ってろ、ばーかばーか!」


 幼稚園児のような言い方で、さらにタキを煽り、事前に苛立たせておく。


 怒り狂って待っていればいい。そうしたら、多分、冷静な私が勝てるから。


 スマートフォンをみーくんに突き返し、勢いのまま立ち上がる。


「みーくん、タキって歌うまい?」


 私の質問に、みーくんは視線を宙に浮かせ、思い出すように眉を寄せた。


「平均点が95くらいじゃなぁい?」


 もたらされた情報は、どう考えてもマイナスだ。


 平均95って、結構うまいよね……。


「……早まったかな」


 これは先に聞いておくべきだった。


 さっきとは打って変わってクールダウンした私を、みーくんがぎゅっと抱き締める。


「りんちゃん、得意曲はぁ?」


 得意曲。


 何かあったかな……と過去に覚えた歌を引き出して、びっくりした。


 自分で自分にびっくり。


 歌える曲といったら――


「……歌える曲といったら、合唱曲?」

「あちゃあ。不利だねぇ」


 どう考えても不利でした。


 じゃらじゃら付いたみーくんのピアスは、数が多い割にはスタッドピアスばかり付けているからか、あまり音がしない。


 チェーンが付いたものは絡まるとかで、ほとんどしないらしい。


 たまに指でなぞったりして遊ぶけれど、やっぱりおしゃれ以外には、まったく意味をなさない10個のピアス。


 テレビや漫画でも、不良はピアスホールを開けていることが多いけれど、みーくんは数が多過ぎて、むしろ芸術的。


 軟骨や舌なんかは開けるのが痛いと、高校生のときにうっすら噂で聞いたことがある。


 みーくんは1個じゃなくて数個も開けているし、その勇気にちょっとだけ尊敬したりもする。


 『10個もよく開けたね』と感心した私に、みーくんは赤い舌を出して『イタいのばっちこーい』と言った。


 本格的にドM疑惑が発覚した。


 ドン引きならぬ、ガチ引き。


 みーくんとそういう関係になった女の子は、女王様にならなきゃいけないのかな、と考えて思い出す。


 抱くときだけは女に甘いとか、龍が言ってたような。


 私の身体を器用にくるりと回し、みーくんは正面から私を包んだ。


 みーくんの腕の中に収まりながらも、不安はうなぎ登りになっていく。


 うーん、負けたらどうしようか。


 タキは、なんか吹っかけてきそうだ。


「ダイジョーブ。俺が味方になぁってあげる。チームで行こー」


 心強いみーくんの言葉に顔を上げて、小さく笑う。


 それじゃあ、みーくんは龍の相手になってもらって、と。


「ちなみに、龍ってうまいの?」

「……やべぇ、ちょっと自信ねぇかも」

「ミツル出るほどヤバいの!? そんなうまいの!?」

「……もし負けたら、俺がたっぷり慰めてあーげーるー」


 すでに負けたときのことを考える辺り、自信はあまりないらしい。


 どうしたものか。


 というより、むしろそんなにうまいんだったら、聞いてみたい。


「恐るべし、トーテムポール……高身長は歌にも影響するんだね……」

「それはどーかなぁ」


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