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透明  作者: 文月
第一部 出逢い編

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第17話 越えてはいけないライン


「なったんじゃねーの? りんごとはアレだ、妙に気が合う仲……」

「仲間じゃない」


 誰がそんな仲間になった。いつなった。


「お前……マジで」

「違う! 龍までそういうこと言わないで。イメージ崩れるから」

「ほぉら、仲良しぃ」


 私の右耳のすぐそばで、みーくんが低く笑う。


 不機嫌な声音は直接頭に響くようで、変に意識してしまった。


 不貞腐れていると言ったから、甘んじて密着には何も言わなかったのに、これはやり過ぎだと思う。


「みーくん」

「なぁに」

「酒田さんが見てますが」

「ちょっ……! りんごさん!」

「……私、りんごって名前じゃないんですけど」


 慌てる酒田さんに、みーくんはちろりと舌を出して、ミラーに向かって笑った。


「――酒田ぁ。見んな」

「見てません! あれがあれしたんで、見てません!」


 また訳の分からない言い訳をした酒田さんに、つい笑ってしまったけれど、不意に酒田さんの隣を見て、私は言葉を失った。


「……」

「……」

「……みーくん」

「なぁに」

「……槙原さんって」

「んー?」

「何で眉毛ないの」

「罰ゲームかなぁ?」


 ごっそり眉毛を剃られている槙原さんは、ただ無表情で座っていた。


 今まで眉なしに気づかなかった私もちょっとおかしいけれど、槙原さんの存在を紹介してくれないというのも不親切。


 眉毛を全剃りなんて、とんでもない人だ。


「あの、槙原さん……」


 とりあえず話しかけてみる。


 槙原さんは無表情だけれど、耳だけがぴくりと反応した。


「すみませんが!」


 うわ、喋った。


 槙原さん、喋った……!


 どきどきしながら続きを促す私に、槙原さんは厳かに切り出した。


「はい?」

「――りんごさんの、本名を、お聞きしても……よろしいですか!」

「柏木鈴子です」


 何だ、名前か。


 あんなに溜めて話したから、すごいことを言われるかもしれないと、ちょっと期待もしてみたけれど、意外と普通だった。


「すずこさん……」


 はぁ、なるほど。ほぉ、なるほど。


 そう言いながら頷く槙原さんは、見た目どおり濃い性格っぽい。


 言ってはいけないけれど、ナマケモノみたいな気持ち悪さがあった。


 みーくんが蛇だとしたら、タキは子猿。龍は……トーテムポールかな。


 そんなことを考えていたら、みーくんの溜め息が落ちてきて、小さな声で脅された。


「――浮気したら針千本、だろ?」


 恐ろしい。


 指切り拳万(げんまん)をした覚えはまったくないけれど、みーくんの冷ややかな声は心臓に悪い。


 反射的に頷かされて、理不尽な嫉妬にもかかわらず、なぜか私は縮こまった。


 もう嫌だ、このチャラ男。


 見た目どおりチャラチャラしていればいいのに。


 とは、当然、内心で思うだけに留めておく。


「着きました」

「え?」


 酒田さんが向かっていたのは、どうやら私のマンションじゃないらしい。


 到着したのはファミレスで、送ってもらえると思っていた私は目が点になった。


「私、帰るって言わなかったっけ……?」


 言ったよね。


 疲れたから帰るって言った。


「よし、りんご! パフェ食おうぜ!」


 いやいや、食べないし。


「タキ。パフェは食後にしろ」


 そういう問題じゃないんだけど。


「りんちゃん、なに食べるぅ?」


 だから、食べない……って。


「みーくん、分かったから離して」


 逃がさない、と、みーくんのにやけた顔が言っているような気がしてならない。


 渋々車を降りた私に、普段は光渦の生徒が溜まり場にしているから安心だと、タキが教えてくれた。


 別に聞いてない。


 むしろ、もっと帰りたくなった。


 槙原さんと酒田さんは、私たちのボックス席から1つ離れた席に腰を落ち着けた。


 こちらは私とみーくんが並び、向かいにタキと龍が座っている。


「りんごー、なに食う? やっぱパフェにしようぜ!」

「それはどうでもいいから、何とかして」


 店に入ってからずっと突き刺さっている視線が、痛くて堪らない。


 森のカフェでも体験した興味津々の視線は、迷わず私に向かっていて、気まずい。


 聞こえてくる『誰の女?』という台詞は、ことごとく女の子の声だった。


 光渦は共学だ。


 そりゃあ女の子もいるよね。そりゃそうだよね。


 今さらながらに気づいて、メニューで顔を隠す私に、そっと手が伸びた。


「触るなキケン。爆発するからね」


 予想どおり、みーくんは私に向けて手を伸ばしていたけれど、事前に察知して釘を刺しておく。


「タキさん、私、明太子パスタ」

「げ、マジかよ。パフェは? なぁ、パフェは? チョコとイチゴと」

「チョコにするから早く頼んで。早く食べて帰らせて」


 早口で喋る私に、タキは「仕方ねぇな」と呟きをこぼす。


 いや、それ、こっちの台詞だから。


「りんちゃん、おいで」

「無理」

「りーんちゃん」


 さっきから、私が離れているのが気に食わないらしいみーくんは、しつこく私の名前を何度も連呼する。


 それがあだ名だからいいものの、本名だったら力の限り口を塞いだと思う。


「俺、焼肉定食にする! 龍ちゃんは?」

「……グラタン」


 龍の注文は、私の耳に深く響いた。


 ああ、好きだったな、と。


 いつもグラタンだったな、って。


 ずっと耳にしていなかった『グラタン』という料理名は、シャボン玉みたいに私の前に浮いた。


 ――姉ちゃん、グラタン!


 マカロニをフォークに突き刺して、口の周りにホワイトソースをたくさんつけて。


 拭いてあげたら、にっこり笑った。


 刹那の思い出は、視界をぼやけさせた。


 ――違う。


「りんちゃん?」


 私が右目を覆ったから、視界がぼやけたんだ。


「何でもない。みーくん、何にした?」


 慌てて右目に当てた手のひらを下ろす。


 その拍子に、詩音の笑顔が掻き消えた。


 不思議そうなタキ。訝しむ龍。


 みーくんは目を細めただけで、すぐに私から視線を逸らした。


 ━────── •●• ──────━


 ファミレスを後にして帰った夜。


 みーくんは私の家に泊まったけれど、やっぱり何もしなかった。


 抱き締められる感覚に慣れてきて、居心地がいいと、その温かさに浸る。


 コンビニまでの道を送り迎えしてくれるみーくんは、3日に1度の頻度で泊まるようになった。


 変わったことといえば、黒い格好をしなくなったこと。


 サングラスは頭の上に乗せていたりと、日によって違う。けれど、おしゃれな服装はみーくんらしさに溢れていて、時々入っている蛍光色が何だか好きだった。


 私は気持ちが緩んでいた。


 みーくんと過ごす毎日は、恭平のときよりも楽しくて癒された。


 一線を越えないところや、ご飯を作ってくれるところ。


 喧嘩を始める前に、私を先に帰すところ。


 達哉と恭平がいたときに感じた苦痛なんて、1ミリも感じなかった。


 棚高とやり合っているなんて言いながら、あまり激しくはない状況。


 龍もタキもみーくんも、私を蔑(ないがし)ろにするようなことは言わなかったし、しなかった。


 高校生にしてはそれなりに気遣いなんかもしてくれて、バイトが休みの前の日は、カラオケに行ったりもした。


 そうして2週間、何もなかったはずなのに。


 恭平も達哉も、決して触れなかった。


 私がみーくんたちに甘え過ぎて、気が緩んだとしか思えない。


「りんちゃん」

「うん。なに?」

「シオンって、だぁれ?」


 みーくんは越えた。


 越えてはいけない私のラインを踏み越えて、私を夢から覚めさせた。

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