第15話 俺の世界へ
きっと、みーくんは気づいた。
私が『汚い』ことに。
だから付き合うことにした。そうすれば、思う存分暴れられる。理由を見つけ出せる。
止めたりなんかしない。
私は薄汚い女で、本当は誰よりも不確かな存在だから。
私の中に眠る汚い感情は、みーくんにとって格好の餌になる。
私の猫被りは年季が入っている。20年間生きてきたうち、その3分の2以上を猫を被って過ごしてきた。
だからかもしれない。
人が真っ白でありたいと思う当たり前の感情が、私の中から抜け落ちた。
都合の悪いことに目を瞑り、自分の犯した過ちをなかったことにして、あっけなく他人を悪者にする。
そんな浅はかさが、いつの間にか私の中から抜け落ちた。
そのあとに残った私はグレーに染まり、白とも黒ともつかない狭間で眠っていた。
それを起こしたのは――
「りーんちゃん」
間違いなく、みーくんだ。
「私に千歳ちゃんとは何もないってことを見せたかった?」
「そうだねぇ」
「それとも、みーくんが喧嘩する場面を見せて、どう思うか知りたかった?」
「……どう思ったぁ?」
「真っ黒だなって思った。どす黒くて、最低だって思ったよ」
「それなのに、よく笑えるねぇ?」
「結局のところ、私も白くはなれないってことだね」
泣きじゃくる千歳ちゃんの傍で、私はうっすらと笑った。
あまりにも簡単に誰かを悪にしてしまう純粋さは、案外、私よりも狂っている。
千歳ちゃんは一生あのままで、私も一生このまま。
今回のことを千歳ちゃんが『悲痛なこと』だと思うなら、私は『自業自得なこと』だと思うだろう。
千歳ちゃんとお兄さんがモノクロに見えて、みーくんがカラーに見えた。
私はどうやったってみーくん側の人間で、綺麗な世界には入れないことを知った。
「ようこそ、りんちゃん。俺の世界へ」
「……気持ち悪いから、にやにやしないで」
何をもって正義というんだろう。
みーくんに一方的に振り回された千歳ちゃんは、お兄さんを使ってみーくんを手に入れようとした。それが正義なら、私には理解できない。
原点に戻れば、棚高と光渦の全面戦争を引き起こしたのは千歳ちゃんなのに、みーくんはそれを自分が仕掛けたという。
そうやって真っ黒な感情を隠しもしないところが、本気で羨ましいと思えた。
森のカフェに戻ると、酒田さんがようやくお代わりのアイスティーを出してくれた。
「遅いよね。絶対にそんなにかからないよね? 注文してからどんだけ経ってるの」
ついツッコミを入れた私に、酒田さんは生真面目な顔をして頷く。
「茶葉から採りに行ってましたんで」
「絶対嘘。みーくん、酒田さん、こんな顔して嘘吐いたよ」
「そりゃあお仕置きだねぇ」
「ちょ、りんごさん、冗談通じない……!」
いつの間にか『りんご』が定着してしまっているらしい酒田さんを薄目で睨みながら、アイスティーを飲む。
それがさっきより甘く感じて、妙に気持ちが落ち着いた。
「で、結局やんのか?」
龍が唐突に切り出したのは、多分、棚高とのことだ。タキがうきうきしながら腕をまくる。
「派手に行こうぜ! 最近チロルのせいで大人しくしてたから、身体なまっちまう」
タキの言葉で、ようやく合点がいった。
喧嘩を邪魔されるから、大人しくしてたわけだ。
なるほど、と一人頷いていたら、不意にみーくんと目が合った。
「仕掛けちゃったしねぇ。ヤるよ。ね、りーんちゃん」
「何で私に聞くの……」
結局のところ、私は素直に黒にはならないらしい。
高校生の喧嘩の規模がどれくらいかは分からない。けれど、核兵器を使うわけでもない、ちゃちな全面戦争とやらに肯定も否定もできなかった。
ただ、イイ子になって『そんなこと止めようよ』とは言わないけれど。
「……明日から、棚高の奴らを見つけても勝手に動くな。こっちの指示を待て」
龍が厳かに下した言葉は、血気盛んな男子高校生たちを沸き上がらせる。
その中で唇を舐めたみーくんは、やけに落ち着いて見えた。けれど、内心は楽しみで仕方がないんだろうなって予想できた自分が嫌だった。
「……ちょっと待った」
店内が沸き上がる中、私は水を差して戸惑う。
考えてみれば、そんなことになるなら、私に被害が及ぶ可能性も無きにしもあらずだ。
「あ?」
龍の威嚇も何のその。
それよりも、安全の保証は絶対にしてもらわないと困る。
私は学生じゃなくて、アルバイトで食いつないでいる、しがないフリーターだ。
「私、狙われたりしない?」
「りんごは自意識過剰だな!」
「いやいやいや。自意識過剰でも何でもいいから、私の安全は保証して。働かないと食べられないから」
そりゃ、あんたたちはいいでしょうよ。
喧嘩に明け暮れて、やられたりやったりして楽しいんだろうけど、私はやるのもやられるのもまったく楽しくない。
「りんちゃんは俺が何とかするからダイジョーブ」
「……具体的には?」
「危なそうなのを見つけたら、俺らで対応するー、ってサクセンでぇ」
「アウト! 時間かかるし効率悪い。そんなんじゃ逆恨みされる」
「じゃあ、他人のふりぃ?」
「……私、千歳ちゃんに顔見られてるんですけど」
「りんごも参戦したらいいじゃんかよ」
なぁ? と、きょとん顔のタキが当たり前のように言い放つ。
周りもなぜか一斉に頷く。
馬鹿だ。やっぱり不良って馬鹿なんだ。
「……そんな喧嘩スキルがあったら、格闘家にでもなりたいもんだよね」
「なったらいいじゃねーか」
「タキくんはお馬鹿さんなのかな?」
「おっ! りんごがタキって呼んだ!」
「……」
私の嫌味がまったく通じない。
同類で猫被りのくせに……!
わざとらしいタキは置いておくとして、とりあえず対策を考えてみる。
私はみーくんの彼女だという立場上、まったく関係ないとは言い切れない。
もし狙われたら迷わず警察を呼ぶけれど、問題は呼ぶまでの間にある。
みーくんと一緒だったら、恐らく警察は呼べない。みーくんが手を出さないとは言えないし、私が止める権利もない。
私を巻き込みたくないなら、私の前では喧嘩しないで。
とは言えるかもしれないけれど、しないでと言って、しない男なわけがない。
『しないで!』と言ったら、『何で?』とか言いそうだ。
とにかく、みーくんは私の言うことを素直に聞くような優しい男じゃないわけで。
だったら、自分で何とかするしかない。
ここで大事なのは、守ってもらえると思ってはいけないということだ。
確実にみーくんは私を放っておく。そんな気がしてしょうがない。
「みーくん、とりあえずは、その問題が終わるまで接触しないということで」
「……逢わない間になぁーんかあるかもしんないよ?」
みーくんさえいなければ警察を呼べるし、なるべく一人にならないようにすれば、何とかなるような気もする。
真っ昼間は基本的に家にいるし、夜はコンビニにいる。
一応は社会人の私に、高校生が人目につくようなところで、あからさまに何かしてくるようには思えない。
そもそも、何かあるかもしれないって何。
「……みーくん、どういう意味?」
「俺が浮気しちゃう! とかぁ」
「……どうぞご自由に。自分の身が一番なので」
「ぶっ……!」
「酒田さん、聞こえてますよー。噴き出さないでください」
ツボがおかしい酒田さんがカウンターの向こうで噴き出したのを、見過ごさずにツッコミを入れておく。
みーくんが浮気しようが喧嘩しようが、私に危害が及ばないなら、それはそれでいい。
みーくんと一緒にいることがなくなったら、喧嘩に巻き込まれることはないだろうし、一人にならなければ何かされることもない。
「何人か、お前の周辺に回す」
龍からびっくりな提案をされて、目が丸くなる。
いきなり何を言い出した、こいつ。
疑わしい目を向けた私に、タキが噴き出して笑い出す。
「りんご、顔やばいぜ!」
「失礼なこと言わないで。最近かなり傷付きやすいの!」
やっと言う機会に恵まれた。
タキを睨み付けて主張してみると、案外素直に、驚いたような顔をされた。
「……え、マジ? なら早く言えよー。ごめんな」
うわぁ……男子高校生って意外と素直。
そう思ったのが分かったらしく、タキはちょっと恥ずかしそうに唇を尖らせた。
「いや、ちょっと意外で……」
「傷付きやすいやつに、傷付くようなこと言わねーし」
「そうなんだ……」
微妙に痒くなりながらも、悪い気はしない。
ちゃんと謝ったタキは、そこそこ普通の男の子に見えて、少しだけおかしくなった。
笑った私に気づいて、みーくんは囁く。
「バカだけどアホじゃないからねぇ。悪いと思ったら、ちゃあんと謝るよ」
馬鹿イコール頭の働きが鈍い人、阿呆イコール愚かな人。
馬鹿なタキは若干作られているように見えるけれど、建前上だったとしても謝ったのでよしとする。
「聞いてんのか」
龍の不機嫌極まりない声が店内にじんわり響き、話を元に戻す。
何だっけ。ああ、周りになんちゃらだったっけ。
「……いらない。火種になりそうだし」
誰かが私の周りにいると棚高生が気づいたら、それこそ狙われる原因になると思う。
「お前を心配してんじゃねぇ。ミツルの気苦労があると面倒くせぇからだ」
「みーくん、気苦労なんかあるの?」
「んー……別にぃ?」
「……言い方を変える。ミツルが女のところに行ったら面倒くせぇからだ」
「みーくん、女のところに行くの?」
「暴れたあとは、誰かと遊びたくなるよねぇ」
最低だ。かなり最低だ。
私を守るどうこうじゃなくて、つまりは、みーくんを確保しておけということだ。
「そういう意味だって分かった自分が何か嫌だ……」
「喧嘩したあとって妙にテンション上がるよな! あと、騒いだあととか!」
タキがまた余計な話をぶっ込んできたのは、まあ分かるとしても。
「女と遊ぶときだけ、ミツルは妙に甘い。変な女に調子に乗られるとうぜぇ」
まさか龍までそういう話をするとは、ちょっと予想外。
というか、みーくんと今以上に深い関係になるつもりは、私にはないわけで。
どうせなら、勝手にしてほしい。
そう考える私も最低だけれど、イイ子にならなくてもいいと私に示したのは、みーくんだ。




