第14話 酷いと思えない
「上手くやれば、会わせないこともできたんじゃないの?」
「危険分子はない方がイイしぃ? どっかで嗅ぎ付けられてバッタリーなんて最悪じゃーん」
「だからって目の前で見せる? 馬鹿じゃないの」
「そろそろ面倒だったし、いい頃合いってカンジ? りんちゃんが気づいてくれたから、茶番は終ーわーりー」
みーくんはそう言って、軽く首を回しながら立ち上がった。
舌ピアスのついた赤い舌を覗かせ、千歳ちゃんに向けて、にやりと笑う。
「んー……キミ、やり過ぎ。オニイチャンは出しゃばり過ぎ。――龍、りんちゃんよろしくぅ」
ひらひらと片手を挙げて背中を向けたみーくんを、千歳ちゃんは呆然とした顔で見ている。
みーくんはカフェを出ると、外にいた数人の男に近づいていった。千歳ちゃんも慌てて後を追って出ていく。
名指しされた龍は舌打ちをして、ポケットに手を入れた。
「面倒くさぇ」
「……私に言ってる?」
「他に誰がいんだよ」
「……どういうことか教えてくれる?」
「そのためにミツルが俺の名前出したんだろうが」
「みっつん回りくどいかんなぁ。りんご、何も聞いてないんじゃね?」
タキがにひっと笑って天井を仰ぐ。
何も知らされずに千歳ちゃんと会った私にも、一つだけ分かったことがある。
千歳ちゃんは、みーくんの周りをうろついて何かした女の子だ。
前後の説明がまったくないせいで、それ以上は意味不明になっている。
「……何も聞かされてないんだけど、とりあえず千歳ちゃんは何をしたの?」
まずはそこからだ。
龍へ目を向けると、龍は私を一瞥し、タキの隣に腰掛けて偉そうにふんぞり返った。
「ミツルの獲物を横取り」
「……通訳が必要だね。言ってる意味が分からないんだけど」
「みっつんが喧嘩する予定だった奴を、チロルの兄貴が先に止めてたっつー話! 俺らも邪魔されたしなー」
龍の通訳はタキがしてくれるらしい。
千歳ちゃんがみーくんに喧嘩をさせないようにしていた……という解釈でいいんだろうか。
「しかも、光渦の校門で毎日待ち伏せ。チロルの執念はああ見えてすげー」
待ち伏せされるようなことをした方もどうかと思うけれど、千歳ちゃんも結構すごい行動力を持ってるんだ……。
侮るなかれ、女子高生。
「……千歳ちゃんのお兄さんがすごい人ってこと?」
「まぁ、そこそこ? なぁ、龍ちゃん」
「……面倒くせぇ奴」
「面倒くさい?」
「棚高の頭やってんだぜ、チロルの兄貴」
それって、強いってことなんじゃないの?
そう思って、ハッとする。
みーくんが出ていったのって、まさか。
窓ガラスの向こうを見て、今さらながらに気づいた。
みーくんは話をするために出ていったんじゃない。やけに楽しそうだったのも、そのせいだ。
「お、引いちゃった? りんご」
タキがうきうきと聞いてきたけれど、それに答える余裕はなかった。
――みーくん。
笑いながら相手へ向かっていく姿は、遊んでいるようにしか見えない。
顔を覆って立ち尽くす千歳ちゃんと、みーくんへ向かっていく男。
ドラマのワンシーンみたいな光景が、私の中で現実味を帯びていく。
――楽しい?
窓の向こうでは、激しい喧嘩が始まっていた。
ゆるゆると手を上げ、私は右目を覆う。
視力の悪い左目は、みーくんの姿をぼやけさせた。
きっかけは、私が与えたんだと思う。
私と付き合ったから、みーくんは千歳ちゃんを追い払うことにした。
千歳ちゃんのお兄さんは棚高という高校で頭を張っていて、手を出すには面倒くさい相手だった。でも、みーくんは手を出した。
『私』というきっかけを理由にして、面倒くさいはずの相手に手を出した。
頭の中で、みーくんとの会話が蘇る。
――今日は大人しくないの?
――今日から、ね。
そして思い出すのは、あの囁き。
――ぶっちゃけると、ホントは俺が仕掛けたんだけどねぇ。
今回もみーくんが仕掛けた。
棚高との、全面戦争。
窓ガラスの向こうにいるみーくんは、軽やかに身体を捻ってステップを踏む。
踊るように、楽しむように。
それが一種の遊びであると、身体から滲み出ている挑発的な態度。
「りんごー、止めに行くか?」
タキが私を見てにやりとする。
試しているのかと、振り返って睨み付けた。
普通は止めに行くんだろう。止めてと、みーくんに訴えるんだろう。
だけど、考えてみて。私は千歳ちゃんのお兄さんを助けたい?
――そんなこと、微塵も思っていないくせに。
情操教育で植え付けられた『喧嘩はいけません』という常識が、身体を動かそうとする。
殴ることはいけないことだと、漠然と知っている。
だけど、確固たる止める理由が私の中に存在しない。
「行って、どうするの? 行く理由が、私にある?」
みーくんを止めた先に何がある?
千歳ちゃんからの感謝?
誰かを助けたという、偽善の自己満足?
「そりゃあ……彼氏が喧嘩なんてしちゃやだぁ~! とかじゃねぇの?」
「なんで?」
「なんでってまた難しいこと言うなぁ、りんごは。龍ちゃん、なんで?」
「知らねぇよ」
「みーくんの喧嘩を止める理由がない。だって、千歳ちゃんはみーくんが嫌がることをしたんじゃないの?」
みーくんが千歳ちゃんを一方的に振り回したことは、どう考えてもみーくんが悪い。
だけど、千歳ちゃんはお兄さんを使ってみーくんの『楽しみ』を奪った。
その内容がたとえ悪いことだったとしても、みーくんからしたら余計なお世話と邪魔に他ならない。
千歳ちゃんがみーくんに怒るのは当たり前だ。でも、みーくんが千歳ちゃんに怒っているのも理解できる。
どちらも自業自得で、どちらも悪い。
ただ、強かったから。
みーくんは千歳ちゃんよりも強かったから、悪役に見えるだけ。
千歳ちゃんにとっての酷いこと。
みーくんにとっての酷いこと。
それがどれほど酷いことなのかは、本人にしか分からない。
みーくんの喧嘩を阻止したこと。
千歳ちゃんを振り回したこと。
酷さの程度は、本人だけが知っている。
「みっつんが怪我したらイヤ! とか」
「好きで喧嘩してるのに?」
「みっつんが捕まったらイヤ! は」
「捕まったら自業自得」
「りんごって……意外と冷たいんだな」
「イイ子にならなくていいって、みーくんが言ったから」
「ふぅーん。みっつん、りんごに愛されてんだな」
何でそうなった。
驚いてタキを見たら、指を差された。
私じゃなくて、私の後ろ。
窓ガラスの外でひらひらと手を振るみーくんは、いつもと変わらず不気味だった。
カフェに入ってきたみーくんは、何もなかったような顔をしていた。
「りーんちゃん」
「……なに?」
「出てこなかったねぇ? お利口さん」
「千歳ちゃんは?」
「びーびー泣いてるー」
「……ちょっと行ってくる」
ボックス席から立ち上がり、入り口へ向かう。
みーくんは止めなかったから、これは別にいいんだと思う。
森のカフェの前には、喧嘩を終えた男たちが座り込んでいた。
その中の一人に、千歳ちゃんはすがりついて泣いている。
「千歳ちゃん」
「りんごさん……お兄ちゃんが、お兄ちゃんが!」
「うん。あのね、聞いてもいい?」
「羽柴くんに、お兄ちゃんが……」
「――こうなること、分からなかった?」
多分、誰でも気づくと思うけれど。
私の質問に、千歳ちゃんは固まった。
千歳ちゃんが勘違いの激しい、少し天然な女の子だったとしても。この結果をまったく予想できなかったとは思えない。
みーくんの喧嘩を邪魔し続けていたのなら、こうなることもあるって気づかないはずがない。
「まさか、羽柴くんがこんなことするなんて……!」
「優しい人だと思ってたから、お兄さんを使ったら言うことを聞くと思った?」
「こんなこと、する人じゃないって思ってた……」
理想は、いつの間にか押し付けられている。
みーくんを自分の中で勝手に書き換え、優しい人だと思い込んでいた千歳ちゃんは、今こうして泣いている。
けれど、私はそれに同情できない。
「酷い人って思う?」
私の問いに、千歳ちゃんはうなづく。
「だったら、もう近付いちゃ駄目だよ。千歳ちゃんはみーくんとはまったく違うと思う。――相容れないってやつ」
純粋で可愛い女の子には、優しくて格好いい男の子が似合う。
「何であんな酷い人と……?」
千歳ちゃんは、もはやみーくんを『あんな酷い人』呼ばわりだ。
お兄さんとの一件で、印象はがらりと変わってしまったのだろう。微かに問いかけられた言葉に苦笑する。
「――酷いと思えないから」
……羽柴充は狡い。
聞きたかった。
千歳ちゃんが本気でみーくんをイイ人だと思っていたのか。
知りたかった。
みーくんの非道を目の当たりにして、どう印象が変わるのか。
曖昧で、常にグレーに染まった私。
真っ白な千歳ちゃんがみーくんの狂気に当てられたとき、どんなふうに変わるのか見てみたかったんだと思う。
だけど、千歳ちゃんは結局、真っ白なままだった。
『羽柴くんは酷い人』と、あっさりみーくんを悪者にして、自分が汚れない場所へ逃げた。
お兄さんを利用した千歳ちゃん。
みーくんに付きまとっていた千歳ちゃん。
それらをすべてなかったことにして、千歳ちゃんはみーくんを真っ黒に塗り替えた。
自分を振り回した酷い男。自分の兄と争った危ない男。
みーくんは、千歳ちゃんの中で『そう』なった。
それまでの経緯は必要ない。
三葉女子では『羽柴充は最低』と広まるんだろうか。
棚高では『羽柴充が先に手を出した』と、目の敵にされるんだろうか。
そんな状況を作り出しておいて、今もなお、みーくんはにやにやと笑っている。
振り返った先で、みーくんは喧嘩のあとの手を払うようにしていた。
その瞳には、獰猛な生き物みたいなギラついた光が宿る。
濁った目は、私と同じ。
ただ違うのは、みーくんは喧嘩を心底楽しんでいるということ。
私みたいに堕ちるだけじゃない。
やっていることは最低なのに、私はそれを、なぜか羨ましいと思った。




