六月のプライド(後編)
「なんか最近、合わないね私たち」
これは数日前、私が彼女にいった言葉だ。私は彼女との同棲を求めていて、だけど彼女からは、よい返事をもらえていなかった。夜のスターバックスで、私は彼女と話している。
「ごめん、ごめん。最近は予定が合わなくてデートもできてないよね。でも今は大事な時期なの、新曲ができてさ。これでいいライブができれば、きっと私のバンドはプロとしてデビューできる。インディーズとしてでもプロになれれば、私もまともに稼げるだろうからさ」
向かいの席にいる彼女が、軽い調子で私をなだめる。彼女は私が、最近デートできていないことに不満があるのだと思っていた。あるいは、そう思っているように私へ見せているのか。だけど私の不満は、もっと根深いところにあって、それも決して彼女の落ち度ではない部分であった。
「……プロになったら、今より忙しくなるよね。ツアーで全国に行ったりするんでしょ」
「そうかもしれないけど、今から心配してても始まらないよ。大丈夫だって。私は貴女を永遠に愛してるから」
彼女が笑って、私も納得した振りをする。ちなみに彼女のバンドは、彼女以外は全員が男性だ。ライブ以外で会って話したことはない。私は男性恐怖症ぎみで、着崩したファッションのバンドメンバーたちが怖くて仕方なかった。彼女のほうは当然ながら、平気で一緒に音楽活動をしている。
「ええ、そうね。私は世界一の幸せ者だわ」
皮肉めいた言葉になってしまって後悔した。彼女の顔が曇って、取り繕うように私は笑ってみせる。「明日も仕事だから、そろそろ帰らないと。ライブ、楽しみにしてるね」と伝えて、私は先にコーヒー店を出た。彼女はバイトをしていて、収入は私以下だけどその分、朝の通勤電車に乗る必要もない。彼女の自由さは羨ましくもあった。
私には、何の才能もない。彼女は私が、彼女の将来性を心配していると思ってるみたいだけど、そうではなかった。私は彼女の才能を信じている。彼女はプロになって、多くの人々に愛されるのだろう。そんな彼女にとって、きっと私の存在は重荷になっていく。
アイドルは恋愛禁止、というのが今も業界の掟であるらしい。彼女はアイドル路線ではないけれど、じゃあ同性の恋人がいるという事実はプロデビューのメリットになるだろうか。そんなわけはなかった。
業界の怖い男性が出てきて、別れるように強要してくるんじゃないのか。嫌な想像をしてしまって、それが本当に怖い。なにより彼女の音楽活動をサポートできない、自分自身が一番、情けなかった。
彼女のことを思えば、私のほうから別れを切り出すべきではないのか。そう考えて、それができないこともわかっていた。私の内面は梅雨の六月のようにジメジメしていて──だから私は、六月が嫌いなのだ。
ライブハウスで鬱々としていると、やっと他のバンド演奏が全て終わってくれた。ライブハウスに来ておいて、演奏を“やっと終わってくれた”としか思えないのだから、本当に私は嫌な客なのだと思う。彼女のライブ姿は楽しみで、それが観られれば明日の仕事にも身は入るだろう。
ところが最後の、彼女のバンドが出てくる番になっても、なかなかメンバーが出てこない。どうしたんだろうと思っていたら、ステージ中央に彼女が一人で出てきた。え、他のメンバーは? 疑問顔の観客席に、マイクを持って彼女が話しかけてくる。
「えー、説明するのも馬鹿みたいな話なんですが……。バンドは昨日、解散しました。演奏はUSBに入れてるんで、私が一人で歌います。作詞作曲は私なんで、権利はあるかと」
当然ながら会場がどよめく。「ふざけんな、生演奏を聴かせろ!」などといったヤジが飛んだ。それに彼女が「はぁ? ふざけてねーよ! むしろ被害者はあたしだっての!」と怒鳴り返す。彼女は本来、女性的すぎるくらい女性的な性格なのだが、ステージに上がると荒ぶる傾向があった。
「仕方ねーだろ! バンドのリーダーがさ、交際相手を妊娠させたんだと! 相手の親から『まともな職業に就いて、娘と結婚しないと殺す』って言われたんだとよ。それで今月中に結婚予定なんだってさ。いいよなぁ、結婚できる奴らはよぉ! 他のメンバーもそれで結婚を意識してさ、『バンド、辞めようぜ』って団結しやがった! あんな奴ら、こっちから願い下げだっての!」
マイクを片手に、荒ぶる彼女のメンバー批判が止まらない。会場にいたのは多くがバンドのファンで、決して彼女のファンではなかったから、一人また一人と客がライブハウスを去っていく。私は信じられない想いだった。彼女の歌は世界一なのだ、聴かずに帰るなんてありえないのに!
もう客は一組のカップル客と私くらいで、彼女にとって、これほど屈辱的な光景はないだろう。思わず涙が出て、手で顔を覆っていると、ステージ上から声がした。
「……困ったなぁ、泣かないでよ。私なら平気だからさ、新曲を聴いてから元気に帰って」
彼女の声に、顔を上げる。いつもならライブハウスで、観客全員へと向けられる彼女の愛が、今は私だけに向けられていた。残された一組のカップル客に申し訳なく思っていると、更に彼女のMCというのか、語りが続く。
「私はさ……、自分がプロになれれば全部うまくいくって、そう自己暗示をかけてた。貴女と問題なく仲良くなれて、一生、楽しく幸せに過ごせるって。そんな単純じゃないのにね。たとえ私たちがベストを尽くしたって、たぶん結婚はできない。だからこそ忙しさにかまけて、貴女とのことを後回しにするべきじゃなかったのに。同棲の件とかね」
声にならなくて、ただ首を横に振ることしかできない。彼女はなにも悪くなかったのに。もっと私が、彼女を支えてあげられれば良かった。ステージからのMCは更に続いている。
「今の時期の梅雨って、うっとうしいね。前に話したこともあったっけ、私も貴女も、今の季節が嫌いだってさ。六月生まれの人や、違う意見の人には申し訳ないけど。……今の私たちってさ、土の中にいる、セミの幼虫みたいなものだと思うんだよ。夏に精一杯、輝くために、今は地中で力を貯めているの。……だからさ、理屈になってないけど、きっと大丈夫だよ。私たちは人間なんだから、これから何回でも夏を迎えられる! 未来がどうであっても、ずっと一緒に生きていきましょう。じゃあ新曲、歌うからね!」




