迷子の魔法使い
時は1時間ほど前に遡る。
ヨミチは不可侵だったはずの世界「アントリア」で、たった一人迷子になっていた。あちこちに目を向けながら歩き、気がついたら共に来たはずの護衛役が、どこにも見当たらなくなっていた。通信装置による連絡を試みるも応答は無く、どうやら壊れているらしい。丈夫なはずのそれもヨミチの手に一度渡れば、かなりの高確率で不良品へと変身してしまう。はあ、と大きく溜息をつきながら、耳から外した装置を眺める。
――ここでも僕は運が悪いまま、か。
運が悪いのはいつもの事だし、迷ってしまったものは仕方がない。一人で犯人を捜索しよう。そう考えながら、ヨミチはおそらく魔法が発動されたと思われる大まかな範囲の中で、適当に目のついた大きな建物へ向かい歩き出した。相棒は一人でも大丈夫だろうし、最早ヨミチがいない今の方がきっと安全だとすら言える。彼への心配はするだけ無駄だ。速やかに頭から消えていった。
そこは学校のようだった。門や建物内の雰囲気は、ヨミチの世界のそれとさほど変わらない。大抵の部屋の中には誰も居なかったから休日なのかと思ったが、数部屋だけぎゅうぎゅうに人が詰まっている部屋があった。開いている扉から覗き見ると、机にはまだ十代前半の子供が、後ろの壁際には彼らより二、三十歳は歳上に見える大人が並んでいた。全員に魔法の青い膜が張っており、氷漬けにされているようにも見える。
――何をしていたところだったんだろうか。
違う年代の人間が集まっている、その状況を不思議には思いつつも、気配が無いか探るに留め、またブラブラと長い通路を歩く。
しばらくして、ふとある部屋の前で立ち止まった。なんの気配もしなかったが、ここは詳しく調べてみようか、と唐突に思ったのだ。何かに導かれるように、そっと引き戸を引いて中に入る。
その部屋は窓一面から淡く白色の光が溢れている。正体は丁度建物に沿うように植えられているらしい、大きな木の花だった。ヨミチの世界には無い、不思議な花だ。風が吹くと、薄くて儚い花びらが次々と攫われていく。吸い込まれるように放心してただ眺め続ける。美しいのに見れば見るほど何故か寂しさが心に降り積もる、そんな景色だった。取り憑かれたようにしばらく見つめ続けてしまう。
――ああ、この花を持ち帰れたらいいのに。
長い間そうやって窓の外を眺めていたが、自身のやるべきことをふと思い出した。惜しみながらも他のものに目を向ける。黒板や掲示物に書かれているのは見慣れない文字だが、ヨミチにはすらすらと読めた。魔法使いは特別だから、普通の人ではありえないことができるものだ。『入学』、『おめでとう』、『一年生』·····。文章を指でなぞりながら考える。ここにいる子供たちは、今日この学校に入学したばかりだったのだろうか。きっと、美しい季節と共に始まる、新生活への期待で胸を膨らませていただろう。初めて見るものに興奮していた頭が急に冷めていく。
魔法は体系化されている魔術とは違い、魔法使い独特なものだ。本人以外が解除するのはとても難しい。そのために、今のままだと彼らの時が再び動き出す可能性は限りなく低い。死んでいるも同然だろう。そのため一刻も早く犯人を確保しなくてはならない。魔法によって危機にさらされている限り、この世界の人々の幸せや安全を守ることもヨミチの仕事だ。
その時、突然背後から声がした。
「先生」
振り返って声の主を探す。先程までは感じなかった、刺さるような視線の方に目を向けると、まるで人形のような少女がいた。白い顔を肩口で切りそろえられたさらりとした黒髪が囲み、湖面のように凪いだ大きな瞳はじっとこちらを見つめている。すっと通った鼻や、引き結ばれた薄い唇が小さな顔に全てバランスよく配置されている。息を呑むような美しい少女だった。パニックになってもおかしくない状況で、こちらを観察する梟のようなその目から、賢さが伝わってきた。瞬きをしていなければ、生きているとはとても思わなかった。常人の何倍も感覚が優れているヨミチが気付かないほど、彼女の気配は静かだ。
一瞬、緊張が走る。この子が犯人か?と思うが、すぐに考え直す。この魔法を使うには、彼女は幼すぎるからだ。どれだけ優秀であろうと、この規模の魔法を使うにはそれなりの才能と年月が必要だ。それに着席している他の者たちと同じ制服を着ているということは、ここの生徒だろう。何故かは分からないが、この世界の住人のうち彼女だけ魔法をかけられなかったと考えるしかない。
もし犯人の仲間だったとしても、ヨミチの『祝福』ならば全てが分かる。怪しまれないように深く息を吸い、全ての五感の感覚を研ぎ澄ます。
「僕はここの教師ではないが·····。君はここの生徒で間違いないな?」
少女が座っている席にゆっくり近づくと、あちらも立ち上がる。その顔にはなんの表情も浮かんでいないが、目には警戒心が滲んでいる。自分は危険な存在ではないとアピールをするように、右手を差し出して笑む。
「挨拶をしていないな、僕はヨミチ・エリジウムだ。こんな状況を招いた犯人を探している·····あー、魔法使いだ。と言っても、こちらの世界には魔法も魔術も存在していないんだよな?君は信じられないかもしれないが·····」
魔法使い、という言葉を聞いた瞬間、少女は驚いたように目を見開く。しかしすぐにそれは隠され、そっとヨミチの手を握った。これで今後一切ヨミチには嘘が通じない。
「私は臨堂 澄河です。今日この高校に入学したんですが・・・。お兄さんのお仲間が、こんなことをしてくれたんですか?」
どの言葉にも嘘がないことが分かる。これで彼女、澄河は何も知らないこちらの世界の人間だということが確定した。しかし、安堵するどころかヨミチの背中には冷や汗が伝っていた。手を握ったことではっきりと分かった。彼女には、膨大な量の魔力が流れている。アントリア人であることに嘘はないのに、なぜ彼らが持ちえないはずの魔力をこの少女は有しているのか。顔に微笑を貼り付けたまま、混乱する頭を必死で落ち着かせて考える。
「·····魔法とか信じられませんけど、私、その犯人の声を聞いたかもしれません」
静かに衝撃的な言葉が続けられた。
「本当か?!頼む、詳しく教えてくれないか!」
先程までの混乱はどこかへ吹き飛ぶ。掴んだままの手をつい強く握りしめると、顔を顰められた。嫌そうにヨミチの顔から、窓の外へと視線を移す。
「·····外で座って話しませんか。そこで色々説明してください」
次回はまた一週間後に




