プロローグ
夕日に照らされる校庭で、ヨミチ・エリジウムはただただ困惑していた。
たった一時間ほど前に保護したはずの少女が、胸倉に掴みかかってきたからだ。黒く長いまつ毛に縁取られ、憂うように伏せられていた青の目は、今や怒りに染まり、ヨミチを睨みつけている。そして、スラリとした細身の身体からは想像もできないような力がその腕に込められ、彼女よりも背が高いはずのヨミチは、危うく持ち上げられそうになっていた。
微かに震える足で一歩、また一歩と後退ると、相手は更に大きく踏み込んでくる。バランスを崩して転びそうになるが、すんでのところで踏ん張った。
「テメェ・・・ッッ!!!俺の可愛い『澄礼』に、傷がついたらどうしてくれんだよ!!!」
唸るような低いその声には、つい数分前までの静謐な雰囲気は、最早面影も無い。慌てて胸の前で手を振る。
「いや、いやいやいやいや!!!ちょっと落ち着いてくれ!何を言ってるんだ、君は?!咄嗟に手を引っ張ってしまったのは申し訳ない、謝る!!だ、だが、それはやめろというのに君が杖を吸収してしまうから・・・というか、これから一体どうする気だ?!もう君はただじゃ済まない、殺されるぞ!!」
そうだった、と思い出し、逆に少女にずいっと顔を近づけて声を荒らげると、「うるせぇ!!!」と、胸倉を掴んだままに投げ飛ばされる。砂埃が舞う中で素早く体制を直そうとするが、相手の方が一枚上手だった。少女はドカッとヨミチの腰の辺りに跨り、両肩を痛いほどの力で地面に押さえつけた。
「さっきから言ってんだろうが!!お・ま・え・がっっ!!俺を『魔術士』にするんだよ!この世界を台無しにしてくれたそのクソ魔法使いは、俺の手で絶対にぶっ殺す・・・!お前らにその役目は渡さない!」
そう言うと、彼女はチッ、と舌打ちをこぼし、目を細める。
「だから、僕はそんなことしないと・・・!!」
身体にかかる圧迫感から掠れてしまう声をなんとか絞り出し、拒絶の意を伝えるが、両肩にかかる力は強まるばかりだ。堪らず呻き声が漏れる。負けじとこちらも睨み返していると、ふと静かに上半身を倒し、真上から顔を覗き込まれた。
視界は彼女の黒い髪に遮られ真っ暗になる。ぼんやりと白く浮かび上がる顔のその口元は、ゾッとするほどに美しい微笑み湛えていたが、視線には有無は言わせないという強い圧が込められていた。
「あなたにとっても決して悪い話じゃない、でしょ?私を、助けてくれますよね。・・・先生?」
ヨミチ・エリジウムは脅されていた。
全ての生命の時が何者かによって止められたこの世界で、おそらく唯一その毒牙から逃れ、そしてこちらの住人は決して持ち得ないはずの魔力も有していた謎の少女―「臨堂 澄河」の手によって。
――コレは、もうどうにもならない。何とかするしかない。
ヨミチは諦めたように大きくため息をつくと、ぽんぽんと彼女の肩を叩く。
「・・・わかった、わかったから・・・。取り敢えず、体を起こしてもいいか?」
完全に力を抜いたのが分かったのか、澄河は素直に身体をどける。
「ハッ、やっと俺を認めたなぁ!」
立ち上がってスカートを軽く叩き、砂を落とすとヨミチに手を差し伸べてきた。それを握りながらヨミチは軽く顔を顰めた。
「せめて、先程までのように品良く立ち振る舞うことはできないのか?美しい少女が、突然粗暴な態度を取ったら誰だって驚く。別に僕の前ではどのように振舞ってもいいが、敬うべき人の前や神聖な場ではだな・・・」
くどくどと文句を言い始めたヨミチの言葉を、澄河は馬鹿にしたような笑い声で遮った。
「グチグチうるっさいな〜。俺は澄礼を守るためにいるんだから、危なくなったら『素』で抗うに決まってんだろうが!お前があんなことしなかったらずーっとおしとやかなままでいるつもりだったしな」
彼女が何を言っているのか、ヨミチには全くわからない。彼女と話した中で、『澄礼』という人物は一切登場しなかった。せいぜい母親の話をしただけだ。その時は悲しそうに俯いていたが、『澄礼』の名を出す時は、誇らしげに、幸せそうにみえる。
一瞬の静寂の後、耐えきれないとでも言うように澄河が噴き出し、またケタケタ笑う。
「てか少女って。いくら『顔』が美しいからって、俺は男だぞ?もうとっくに分かってると思ってたけど。・・・先生、もしかして気づいてなかったんですか〜?」
そう言って、自信満々に唇を歪めてこちらを見下ろす彼女――いや、彼は、まるで世界の支配者のように見えた。
再再始動です。週に一、二回、21:00頃に出します。




