表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鈍色の空、狐舞う時  作者: ささかま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/10

第九章 闇夜の戦い

(やみ)は、味方になるはずだった。


森の入り口に立った時、ユナは目の前に何も見えなかった。月がない。星は木々のこずえ(さえぎ)られ、空すら見えない。ただ、前を行く者の背中の気配(けはい)だけがあった。


カルラの鳥は、夕暮(ゆうぐ)れとともに帰った。ここからは、鳥の目は届かない。


キランが先頭にいた。


足取(あしど)りに迷いがない。(えだ)()け、()を踏まず、闇の底を歩くように、(よど)みなく進んでいく。あの山越(やまご)えの時と同じだった。だが、今は後ろに二十人がいた。革鎧(かわよろい)の擦れる音。土を踏む足の重み。誰かの(のど)が、小さく鳴った。


キランが、足を(ゆる)めた。


振り返らず、低い声が落ちてきた。


「歩くことは、(いの)りだ。わたしはここに来ることが(さだ)まっていたと、今にして感じる」


ユナは、唐突(とうとつ)な言葉にとまどった。


「それは、道案内(みちあんない)をしてくれただけなのに」


()には、わたしに見えないものが見えていた。ユナが、私の体の中の(いと)が見えないように」


キランの声が、闇に()けた。


それだけのやり取りだった。


ユナは、キランの背中を見つめた。見つめた、というより、感じた。闇の中では、目は役に立たない。足元(あしもと)の土の匂い。(あせ)が冷えていく首筋(くびすじ)。前を行く者の気配。枝を踏む小さな音。


背後(はいご)に、セイリョウの気配がある。タクトの低い声が私兵(しへい)たちに伝わっていく。「合図があったら目をつぶれ」。声は(おさ)えられ、人の手から手へ、闇の中を()うように伝わった。


キランが、立ち止まった。


空気が変わった。


木々の隙間(すきま)、遠くに、松明(たいまつ)の光が点々と揺れている。見張(みは)りの灯り。


タクトが前へ出た。目を()らし、闇の中に(しず)む建物の輪郭(りんかく)を、記憶(きおく)と照らし合わせている。


「東だ。あの灯りの左手。囚人(しゅうじん)施設(しせつ)は、あの奥にある」


低く、確信(かくしん)のある声だった。


二十人の足が、再び動き始めた。音を殺し、息を殺し。一歩、また一歩。


闇の底を、進んだ。


* * *


セイリョウが、前に出た。


拠点(きょてん)外縁(がいえん)。見張りが二人、松明を手に、建物の角に立っている。


「目を閉じろ」


セイリョウの声が、低く(するど)く落ちた。


ユナは、目をつぶった。


まぶたの裏が、白く燃えた。一瞬、熱を感じるほどの光が、闇を焼いた。


声が上がった。見張りの、うめくような(さけ)び。


「行け」


タクトの指示(しじ)が飛んだ。


目を開けた時、見張りは地面に(ひざ)をつき、両手で顔を(おお)っていた。松明は地面に転がり、(ほのお)がちろちろと揺れている。


私兵たちが駆け、見張りを(しば)り上げた。


タクトが、石壁(いしかべ)に沿って進み、(てつ)(とびら)の前に立った。


扉は(じょう)が降りていたが、私兵の一人が鉄梃かなてこを差し込み、力任せに引いた。金属(きんぞく)きしむ音。錠が(はじ)け、扉が開いた。


鉄の匂いが、流れ出した。


ユナは、足を()み入れた。


(いし)廊下(ろうか)。低い天井(てんじょう)。壁は白い漆喰しっくいで塗られ、松明の光が(にじ)むように反射(はんしゃ)している。空気は冷たく、湿っている。


白い部屋。鉄の匂い。


星市(ほしいち)の男が言った言葉。少年イルハが(ふる)えながら語った言葉。それが、今、ユナの目の前にあった。


扉が並んでいた。鉄の扉。小さな格子窓(こうしまど)がついているものもあった。


タクトが、最初の扉を開けた。


中に、人がいた。


壁に背を(あず)けるようにして座っている。目は開いているが、焦点(しょうてん)が合っていない。こちらを見ているのか、何も見ていないのか、わからなかった。


ユナの足が、止まった。


糸繰(いとく)人形(にんぎょう)のようだった。


兄と同じだ、と思った。


あの朝、囲炉裏いろり(ばた)で湯を口に運ぶ兄の姿。手は震えず、目も()らさなかったが、何かが決定的(けっていてき)()けていた、あの姿。


首筋に、(きず)があった。(ほそ)瘢痕はんこんが、何筋も走っている。(はり)(あと)だった。(ふと)い針を、何度も、何度も()した跡。ここから(くすり)を入れたのだ。ユナは、兄の首筋に見えた傷を思い出した。同じだった。


次の部屋。また、次の部屋。


焦点の合わない目。動かない体。言葉を失った口。


兄と同じ傷を持つ人々が、そこにいた。


タクトが指揮(しき)を執り、私兵たちが囚人の腕を取った。立てる者は立たせ、立てない者は背負(せお)った。


廊下の奥、西側(にしがわ)へ続く通路(つうろ)の壁に、(はた)が一枚()けられていた。紺色(こんいろ)布地(ぬのじ)に、銀糸(ぎんし)(もん)が縫い取られている。


ユナは、その紋を見た。


見覚えがあった。黒漆くろうるし(さや)こじり()たれた、あの紋様(もんよう)と、同じだった。


ヒイノ国の紋。兄の荷袋(にぶくろ)から取り出した鞘と、ここが、(つな)がっている。


通路の脇に、(たな)があった。石の(だい)の上に、白く(にご)った石が三つ、転がっていた。光を失った夜光石イェシル。星市の男が並べていたあの石と、同じ色をしていた。


(こぶし)を握った。(つめ)(てのひら)に食い込んでいる。


まだだ。まだ、ここにいる人たちを、出さなくてはならない。


ユナは、囚人の一人の腕を取り、廊下を戻った。


* * *


それは、唐突だった。


角笛つのぶえが鳴った。


(みじか)く、(たか)く、二度。続いて、叫び声。松明が次々と灯り、闇が崩れた。


「見つかった!北へ!森へ入れ!」


タクトの声が、石壁に()ね返った。


囚人を連れた私兵が先行(せんこう)し、建物の(かげ)()って走り出した。足の動かない者を背負い、()きずり、それでも前へ。


松明を手にした(へい)が、建物の間から現れた。一人、二人、五人。さらに増える。


ユナは、(ゆみ)(かま)えた。


()つがえる。暗闘(あんとう)の中で、松明が(まと)になった。


放った。


松明が弾かれ、地面に落ちた。炎が散り、闇が戻った。兵たちの混乱(こんらん)する声がこだまする。


もう一本。つがえ、引く、放つ。松明が消えた。混乱はより一層大きくなった。


「松明を射抜(いぬ)け」


カルラの声が、耳の奥で響いた。


セイリョウの(じゅつ)が再び炸裂(さくれつ)した。目をつぶる。白い光が闇を()く。(てき)の叫び声。


目を開けた時、タクトが長剣(ちょうけん)敵兵(てきへい)を押し返していた。キランが、囚人を担いだ私兵に方角(ほうがく)を指し示し、「北だ、そこを真っすぐ」と低い声を投げた。


数が多い。多すぎた。


建物の向こうから、さらに兵が現れる。松明の列が広がっていく。


乱戦(らんせん)の中、ユナの視界(しかい)の端に、影が映った。


細い目。長身(ちょうしん)()せた体。


石橋(いしばし)ですれ違ったと聞いた男。峠道(とうげみち)で気配を感じたあの夜の影が、(かさ)なった。


縄使(なわつか)いの男が、そこにいた。


()余裕(よゆう)はなかった。


「森だ!撤退(てったい)!」


タクトの声が、最後の命令(めいれい)を飛ばした。


セイリョウが殿しんがりに立ち、閃光せんこう(だん)とは(こと)なる術だろうか、敵を(とど)めている。キランがユナの腕を引き、「走れ」と言った。


走った。


建物の間を抜け、(さく)を越え、木々の中へ。松明の灯りが背後に遠ざかるのを感じながら、ユナは弓を背に回し、全力(ぜんりょく)で走った。


* * *


森に入った途端(とたん)、闇が深くなった。


ユナは走った。枝が顔を打つ。根につまずく。構わない。後ろに、音がある。


タクトの声が、遠くなった。


セイリョウの気配が、消えた。


私兵たちの足音(あしおと)が、ばらばらに散っていく。方角がわからない。木々は同じにしか見えず、闇は均質(きんしつ)で、どこを向いても同じだった。


声が遠ざかり、やがて、消えた。


荷袋も、影も、すべてなくなった——あの朝と、同じだった。


ユナの足が、止まりかけた。


闇の中で、低い声がした。


「こっちだ」


キランだった。


闇の中にいても、方角を見失(みうしな)わない者。()の底にいても、わかる。その足が、ユナのそばにあった。


「キラン」


「黙って走れ」


キランの手が、ユナの腕を(つか)み、方角を示した。北。北へ。追手(おって)から離れる方角へ。


背後に、足音。枝を踏む音。松明の光が、木々の間を縫って揺れている。追手が、森に入ってきていた。


走った。


キランが先を行き、ユナが続く。足元が見えない。根を踏み、石に当たり、枝を(はら)い、それでも走る。(いき)が上がる。喉が()ける。足が(おも)い。


だが、キランの気配は消えない。闇の中で、唯一(ゆいいつ)道標(みちしるべ)だった。


どれほど走ったか、わからなかった。


背後の足音が、少し遠くなったのを感じた頃、キランの(あゆ)みが、(にぶ)った。


速度(そくど)が、落ちた。


ユナは、最初、気づかなかった。キランが、深手(ふかで)を負っていることに。


* * *


追手の気配が、まだあった。


ユナは、立ち止まり、背の弓を取った。矢筒やづつに手を伸ばす。(のこ)りは少ない。


闇の中で、音だけが頼りだった。枝を踏む足音。こちらに近づいてくる。


つがえた。引いた。音の方角に向けて、放った。


短い叫びが、闇の奥で上がった。


もう一本。つがえ、引く。息を止め、耳を()ませる。足音が、左に()った。そちらへ向け、放った。


矢が何かに当たる音。


もう一本。


ユナの意識(いしき)は、弓と敵だけに(そそ)がれていた。手は動き、目は闇を(さぐ)り、耳は音を追った。


何かが、横で起きていた。


うめき、大きく息を吸い込む気配。だが、ユナの耳には届いていなかった。(つる)振動(しんどう)と、自分の心拍(しんぱく)だけが、頭蓋ずがいの中を()たしていた。


追手の足音が、散った。遠ざかっていく。しばらくは、来ない。


ユナは、息を()き、横を見た。


キランの歩調(ほちょう)が、変わっていた。


いや、歩いていなかった。木に片手をつき、もう片方の手は、脇腹(わきばら)を押さえている。


「キラン」


返事がなかった。


ユナは、気配を探して駆け寄った。キランの腕を取った。


手のひらに、(あたた)かいものが触れた。(ねば)り気のある、温かさ。


()だ。


「キラン、そんな」


ユナは、キランの腕を自分の肩に回し、支えようとした。


重い。キランの体が、重い。足を踏み出そうとしても、膝が折れかけている。だが、ユナは構わずに引きずるようにして、太い木の(みき)の陰に入った。


「ここに——」


足が、止まった。


キランの足が、止まった。


歩くことが祈りだった人の、足が。


膝が、地面についた。


手が、地面に触れた。


(たお)れたように見えなかった。足が止まり、膝が折れ、手が地面についた。ゆっくりと、祈りの姿勢(しせい)のように。


ユナは、キランの前にしゃがんだ。


「キラン」


声が、震えた。


キランの目が、ユナを見た。


闇の中だった。何も見えないはずだった。だが、ユナには、キランの目が見えた。


言葉はなかった。


キランの目は、(わず)かに、(うなず)いた。


それだけだった。


ユナの声が出なかった。手が、動かなかった。耳の奥で、何かが遠くなった。


それきり、キランは、動かなくなった。


手が地面に触れたまま。膝が地面についたまま。


ユナも、動かなかった。


追手の足音が遠ざかったのか、それとも、ユナには聞こえなくなったのか。


音はなかった。


時間が、消えた。


* * *


どれほどの時が過ぎたのか、わからなかった。


ユナは動けないでいた。キランのそばに。闇の中に。


手が、自分の背負い袋の中に触れた。無意識(むいしき)だった。指先が、(かた)い、小さなものに当たった。


木彫(きぼ)りの護符(ごふ)


イルハが渡してくれた、あの護符だった。


ユナの指が、それを握った。


形が、違っている。


真ん中から、()れていた。二つに分かれた破片(はへん)が、掌の中で、がたりと()み合わない。いつ割れたのか、わからなかった。背負い袋の中で、いつの間にか。


ユナは、割れた二つの欠片(かけら)を、両手で(つつ)んだ。指の先に、ほんの一筋、ぬくもりが触れた。


空が、白み始めた。


東の空。木々の隙間から、鈍い光が差した。()れではない。(くも)りでもない。夜と朝の境にだけある、鈍色にびいろの光。


ユナの目に、木々の輪郭が浮かび上がった。


キランの姿が見えた。動かない。手は地面に触れたまま。膝は地面についたまま。


鈍色にびいろの空が、その背後にあった。


一羽(いちわ)の鳥が、鳴いた。


短い音。


ユナは、最初、それが何かわからなかった。音として聞こえたが、意味(いみ)が結ばない。耳の奥で、何かが遠くなったままだった。


もう一羽、鳴いた。


また一羽。


森の上を、鳥たちが飛び始めた。影が、白みかけた空を横切(よこぎ)った。


声が増えた。


やや長く、上がり調子(ちょうし)の音。()り返される。


カルラの庭で、同じ声を聞いた。


「集まれ」。


仲間(なかま)を呼ぶ声。


ユナの耳が、それを(とら)えた。あの時は、(ちが)いがわかるような気がしただけだった。今は、違った。体が、聞いていた。(あたま)ではなく、耳が、首筋が、背中が、その音を受け止めていた。


続いて、鋭い上昇音(じょうしょうおん)が三度。


「戦え」


カルラの鳥ではなかった。


カルラが長い年月(としつき)をかけて訓練(くんれん)した鳥たちではない。()の鳥だった。森に()む、名もない鳥たちが、自らの声で鳴いている。


「集まれ」と。「戦え」と。


ユナは、護符を握りしめたまま、顔を上げた。


鈍色にびいろの空に、鳥の影が飛んでいた。一羽、また一羽。声が重なり、途切(とぎ)れ、また始まる。高い声、低い声、短い声、長い声。


ユナの口が、開いた。


最初は、小さかった。


「集まれ」


鳥の声を真似(まね)たのではなかった。人の言葉だった。鳥が鳥に呼びかける声を、ユナは人の言葉に置き換えた。


「集まれ」


もう一度。今度は、大きく。


「集まれ!」


さらに大きく、叫んだ。そして、立ち上がった。


弓を取った。矢筒やづつを探った。一本。背負い袋の底に落ちていた一本が、指に触れた。


弦につがえた。


「戦え!」


叫んだ。


「集まれ!戦え!」


もう一度、叫んだ。


その声が、鈍色にびいろの空の下で、森を(つらぬ)き、こだまする。


木という木から、鳥や(けもの)()え出した。


その時、追手が……木の陰から姿を現した兵の影が、ユナの叫び声に振り返った。


ユナは、叫びながら突進(とっしん)し、矢を放った。


矢は、闇を抜け、兵の(かた)()い込まれた。男が(くず)れ落ちた。


弓を構えたまま、ユナは耳を澄ませた。


森中が(さわ)ぐ中に、整然(せいぜん)とした音が来た。


馬蹄ばていの音だった。


遠くから、地面を震わせて。重く、速く、大量(たいりょう)ひづめが、土を(たた)いている。


角笛つのぶえが鳴った。一度ではない。何本もの角笛つのぶえが、応え合うように()かれていた。


人の声。命令を飛ばす声。隊列(たいれつ)(ととの)える声。


ユナの目には見えなかった。森の中にいて、木々の向こうの音を聞いているだけだった。だが、音は大河(たいが)のように押し寄せ、森を包み、拠点を覆った。


カルラが動かした(ぐん)だった。


カルラの嘆願たんがんと、ガイ・トウジンの(みやこ)での騒乱そうらん計画(けいかく)密告みっこくが、(おう)を動かしたのだ。だが、ユナには、鳥の声が呼び、自分の声が呼び、それに応えて大地(だいち)が動いたように、感じられた。


馬蹄ばていの音が、拠点を包囲(ほうい)していく。角笛つのぶえが止み、代わりに兵の怒号どごう剣戟けんげきの音が響いた。敵の兵が追い散らされていく音が、森の中にまで届いた。


やがて、(べつ)の声が聞こえた。


散り散りになっていた仲間の声だった。


タクトの声が、遠くから上がった。指示を出す声。生きている声だった。


セイリョウの声が、それに応えた。


私兵たちの声が、一つ、また一つ、森の中から立ち上った。


生きている。


ユナは、弓を下ろした。矢は()きていた。


足元に、キランがいた。祈りの姿勢のまま、もう動かない。手と頭が、地面に触れたままだ。


ユナはキランを抱き、そのままそこにいた。


鈍色にびいろの空に、鳥たちが舞っていた。


(あさ)の光が、少しずつ、森の中に降りてきていた。


* * *


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ