表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鈍色の空、狐舞う時  作者: ささかま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/10

第五章 夜の星市

人の波が、道を()めていた。


ユナとセイリョウは、隊商(たいしょう)を探しながら歩いたが、誰もが、夜の星市の会場(かいじょう)を目指し、心はここにないようだった。ここぞとばかりに声を張り上げる茶店(ちゃみせ)に、数人吸い込まれては行くが、大方(おおかた)は荷を(かつ)いだり、引っ張ったりして、取引(とりひき)の準備に忙しい。


「今日は、道連(みちづ)れの交渉(こうしょう)どころではないな……」


セイリョウが、取引の大きな荷物を担いだ一行(いっこう)から、身をかわしながら(つぶや)いた。


ユナは、首をしきりに回しては、あたりを警戒(けいかい)して歩いていた。警備(けいび)が厳しく、弓矢(ゆみや)(とが)められると聞いていたが、全く警備が見当たらなく、かえって不安(ふあん)になっていたのだ。


人通(ひとどお)りの少ない路地(ろじ)に入り、二人はやっと一息ついた。


「いっそ、夜の星市の広場(ひろば)まで行くか、戻るか……」


セイリョウが、ユナを見た。


「行きましょう。ギサが、楽しみにしていた(いち)だし、会えたら、隊商の紹介(しょうかい)くらいはしてもらえるかもしれない」


「わかった、進もう」


二人は、再び大通(おおどお)りへ出た。荷物を持った一団は減り、先ほどより、幾分(いくぶん)かは進みやすくなった。


「警備がいないみたいだけど……」


ユナは、周りを見ながら、セイリョウに聞いた。


「そうだな、外から来た取引の人間と、見物(けんぶつ)の者達だけのように見える」


広場まで行けばわかるのでは、とユナが言おうとした時、ようやく()(ぐち)についた。人々の歩みが(ゆる)やかになり、ユナとセイリョウはその後ろに並んだ。


並んでいるうちに、日が暮れてきた。さらにしばらく経った頃、ようやく二人は広場に入ることができた。どうやら、警備が不在(ふざい)で、大きな荷物を持った者同士がかち合い、()()いになっていたことが原因(げんいん)で、中に入れなかったようだった。


ユナは、広場に入って驚いた。


広大(こうだい)敷地(しきち)に、露店(ろてん)がぎっしりと連なっており、全てが黒い立板(たていた)に、夜光石イェシルを使った装飾品(そうしょくひん)を飾っている。夕闇(ゆうやみ)が濃くなるとともに、石は光を増し、まるで星々(ほしぼし)がこの地に一斉(いっせい)()り立ったかのようだった。


「……!」


ユナが、言葉を失っていると、


「美しいな、これは……」


セイリョウが感嘆(かんたん)の言葉を()らした。


二人が、そこに立ちつくしている間に、空は黒さを増し、夜が訪れた。目が慣れていくと、夜光石イェシルの輝きは、どれも一様(いちよう)でないことが見てとれた。


二人は、露店を(めぐ)り始めた。人の波はとうにおさまり、様々(さまざま)な場所で、取引道具(どうぐ)とともに商談(しょうだん)が始まっていた。


「なるほど、夜市となるのも納得(なっとく)できる」


「こんなに、それぞれが違うのね、色も、光の大きさも」


ユナが、そう答えた時、下から、


「そう、だ」


と、くぐもった声がした。


* * *


ユナが、驚いて下を向くと、足元(あしもと)に小さな男が——中年(ちゅうねん)の男が、座って、黒いボロ布に三つだけ、小さな石を並べていた。光は白く(あわ)く、(にご)っている。


「こんばんは……あの、きれいな市ですね」


ユナが、あたりさわりのない挨拶(あいさつ)をすると、


「そうだろう、ぐふっ、そうだろう。俺も、ぐふっ、そう思うよ」


男は、何度も(うなず)きながら、頭を振った。ハラハラと、男の少ない(かみ)の毛から、何かが舞い落ち、布の上に散って、そこだけうっすらと白くなった。


「ぐふっ、ふっ、あんたも、きれいだ……」


男は、濁ってぼんやりとした目をユナに向け、体をゆすって、笑いながら、手を(たた)き始めた。


ユナが、その場に()っ立って、男を見ていると、セイリョウが、ユナの後ろから、


「ご商売(しょうばい)が、うまくいきますように」


と声をかけ、向こうへ行くぞ、と、ユナを(うなが)した。


ユナは、反対にセイリョウをその場に(とど)め、それからしゃがみこんで、男の手をとった。


「あの!この(きず)……」


ユナが、男の首筋(くびすじ)指差(ゆびさ)す。


「ぐふっ、(じょう)ちゃん……やめとくれ、くす、くすぐったい……」


ユナは、男の首筋を凝視ぎょうししているが、周囲(しゅうい)は暗く、セイリョウにはよく見えなかった。


「おじさん、この傷は、どこでついたんですか?」


「や、やめとくれ、離して……」


男は、ユナの手を振り(ほど)いた。


と、向こうから、客との取引を終えたらしい、別の店の年嵩としかさ女店主(おんなてんしゅ)が、()かりを手にやってきた。


「あんた達、その人をいじめるんじゃないよ」


と、厳しい口調(くちょう)で、二人をたしなめた。


「いえ、行方(ゆくえ)知れずになった兄と、この傷がそっくりで……」


ユナは、明かりに照らされた、男の首の傷跡(きずあと)を、じっと()つめた。


「その人が(にい)さんだって言うのかい?最近になって現れて、街をふらふらしとるんだ。なんとかしてあげとくれ。この市のことは知っていて、来たいって言うから連れてきたのさ。もっとも、何言ってるかよくわからないけどねぇ」


女店主は、ため息をつきながらそう言った。


「この石は?」


セイリョウがいぶかしげに、男に向かって聞いた。


「う、()(もの)だ。か、買うかい?でも、他の夜光石イェシル交換(こうかん)……して、欲しい」


男が、先ほど腕を(つか)まれたユナに警戒しながら、答えた。


ユナとセイリョウが、その意味を考えあぐねていると、女店主が口を開いた。


「この人はねぇ、最近、この石持ってうろうろしていたのさ。よっぽどこの市に来たかったのか、()(もの)あげても、たいして手もつけず……。あたしんところの夜光石イェシルが欲しいってんだけど、これと交換じゃあ、ねぇ……」


セイリョウは、向こうの女店主の店に光る夜光石イェシルを見るまでもなく、男が並べた三つの石の輝きが白くぼんやりと濁り、この夜市に(きら)びやかに並んでいるどの石よりも(おと)る、と思っていたところ、ユナが、口を開いた。


「いくらですか?その三つと、向こうの一つを交換で良いですか?」


「お嬢ちゃん、あんた本気かい?」


「ぐふっ、み、三つ、同じ数、欲しい」


女店主と男が、同時に声を上げた。


「三つ、ですね?」


ユナが(ねん)を押すと、男が大きく頷いているのを見て、女店主に顔を向けた。


「驚いたね……。うちの夜光石イェシル一級品(いっきゅうひん)だ。安売(やすう)りはしないよ」


女店主が、ゆっくりと明かりを前にかざして、店へ戻るのに、セイリョウとユナが続いた。男は、黒い布に石を包むと、ひょこひょこと三人の後を追った。


女店主の店は、他より一際(ひときわ)大きく、店の二人の青年(せいねん)が、それぞれ裕福(ゆうふく)そうな商人(しょうにん)と、取引をしているところだった。


この店に並ぶどの品物(しなもの)も、石の光がはっきりと大きく、(かざ)細工(ざいく)精巧(せいこう)だ。


男は、遅れて前に出ると、(まよ)いなく、純白(じゅんぱく)の光を大きく放つ、三つの首飾(くびかざ)りを指差した。


「ご……こ、これが、欲しい。これ……」


ユナは、男の持っていた黒い布を、(ひろ)げさせた。石は変わらず濁った白だった。


「私が買って、交換してあげます。でも、教えて。この石はどこから?」


ユナが聞くと、男は首を振って(うな)った。


「う……、うう……」


「首の傷はどこでついたの?」


ユナが(かさ)ねて聞くと、男は顔を()せ、唸り声は大きくなった。


「うう……わから、ない……暗い、痛い……。白い部屋(へや)(てつ)(にお)い……、わから、ない……」


女店主が、いじめるんじゃない、とまた嫌そうな顔でユナを、じろり、と見た。


「ごめんなさい、あの、その三つ、これで足りますか?」


ユナは、そう言うと、背負(せお)(ぶくろ)から粒脂金リルジィンを一粒、取り出した。


「足りるわけないだろう。ん……」


女店主は、足りない、と呟きながらも、(きん)から目が離せないようだ。


「それじゃ……」


ユナは、粒を更に出し、また引っ込めたりして、女店主と交渉し、結局、手持(ても)ちの粒脂金リルジィンのほとんどと、ジュウビから()()けられた(ぜに)を全て(つい)やしたものの、三つの首飾りを、手に入れた。


「はい……」


ユナは、男に三つの首飾りを渡すと、男は、ユナを(おが)みながら、三つの石を、ユナに(ささ)げた。


「うう……、きれいだ、きれい……」


男は、首飾りの石を()でまわしながら、なおもユナを拝んでいる。


「このままでは、この男が(おそ)われて、せっかくの宝物(たからもの)も、(うば)われるかもしれんぞ」


セイリョウが、この不思議(ふしぎ)な取引を(なが)めながら、女店主に口を出した。


「うちの店で、掃除(そうじ)でもしてもらうかねぇ……」


女店主が、ため息をついた。


「あの、赤い光の、首飾りは、いくらで(ゆず)る?」


セイリョウが、そう言いながら、別の(たな)に目を向けた。男が欲しがった白い夜光石イェシルよりも、更に見事(みごと)銀細工(ぎんざいく)(ほどこ)され、真ん中に()め込まれた石が、(ひん)の良い、明るい赤い光を放っていた。


「あれは……」


女店主が()(よど)んでいると、セイリョウが(ふところ)と袋から銭や金を出し、女店主に渡した。


「いや、店で一番ではあるんだ……でもさ、こんなには、しないよ。……こんな大金(たいきん)、あんた、いったい何者(なにもの)だい?」


女店主が、驚いていると、


「それでは、余った分は、この男をあなたが世話(せわ)する、ということで、()け取ってくれ」


セイリョウはそう言い、赤い首飾りを店の青年に持って来させると、袋に丁寧(ていねい)にしまった。


「さぁ、行こうか」


セイリョウは、何か女店主に聞かれる前に、とでも思ったのか、ユナに声をかけ、店を離れた。


ユナは、男に首の傷のことを、再び(たず)ねていたが、徒労(とろう)に終わっていたため、ついに(あきら)めて、セイリョウの後を追った。


* * *


二人は、連れ立って、夜市を巡りながら、さっきまでのことについて、話していた。


「あの男、首の傷だけじゃない、足を(わる)くしているようだった。心も(こわ)しているようだが、ユナの兄も、同じような様子(ようす)だったのか?」


「うん……、首の傷は同じに見えたけど、兄はもっとちゃんと歩いていた、と、思う。口数(くちかず)も少なくて、もっとむっつりしてた。でも、どこか焦点(しょうてん)の合わない目は、()てる。心は……わからない」


ユナは、兄の様子を(おも)()しながら、やはり、どこか似ていた、と感じていた。


「なぜ石を手に入れようと?」


「それも……わからないけど、何か、()がかりになるかもしれないって、そう思ったから……。兄も、(みょう)なものを持っていたわけだし」


「女店主によれば、あの男は最近現れた。ユナの兄とも、同じような時期(じき)、ということになるな」


「そうね、それも、気になってる」


二人は、夜市の出店(でみせ)を一通り見終わったが、ティルマへの道連れを交渉できそうな相手や、ジュウビやギサ達には、出会わなかった。相変(あいか)わらず警備の姿も見えず、ユナの(ゆみ)が、咎められることもなかった。


「さっき、セイリョウも首飾りを買っていたけど、(おく)(もの)?こうやってお店を見ると、赤い光は珍しいのね」


目の前の美しい景色(けしき)とは裏腹(うらはら)に、殺伐(さつばつ)とした話ばかりしていたことに気がつき、明るい調子(ちょうし)を作って、ユナが聞いた。


「ああ、姉……のような人に、(わた)そうと思ってな。(みやこ)サトへ戻るのなら、会って助力(じょりょく)もしてもらえるだろう」


「そう、ヒイノ国への道も、(ひら)けるのかしら……もう戻って、休んだ方が良いかもしれない。明日は道連れを探しましょう」


「そうだな。宿(やど)へ戻ろう」


まだ多くの人々が、(おも)(おも)いに商談や見物を楽しんでいる、夜の星市の会場を後に、二人はワダンの街の大通りを戻り、宿までの路地へ入っていった。


これまでの明るい会場や大通りとは()って()わって、路地に()はなく、星明(ほしあ)かりを(たよ)りに、道を進む。


先を進んでいたセイリョウが、細い十字路(じゅうじろ)()()かった時、目の前を、三人の大きな人影(ひとかげ)が、何かを担いで早足(はやあし)で通り過ぎた。


すんでのところで、ぶつかるところだったセイリョウは、顔をしかめたが、後ろからユナが緊迫(きんぱく)した声で、(ささや)いた。


(ひと)さらい!」


* * *


セイリョウが()(かえ)った時、ユナはもう(はし)り出していた。


三人の影は、十字路を右に()れ、さらに狭い路地へと入っていく。担がれているのは、人だった。小さな体。布で顔を(おお)われ、手足を(しば)られている。もがく力も弱い。


ユナは走りながら、背中(せなか)短弓(たんきゅう)を左手で掴み、右手で矢筒やづつに手を伸ばした。


路地は暗く、足元が見えない。石畳(いしだたみ)凹凸(おうとつ)に、何度もつまずきかける。


三人の影との距離(きょり)が、(ちぢ)まらない。男たちは大柄(おおがら)だが、足が速かった。このままでは、建物(たてもの)(かげ)に消えてしまう。


ユナは()ち止まった。


()を一本、()()く。(つる)につがえる。


暗闇(くらやみ)の中、(まと)は見えない。男たちの背中が、わずかな星明かりに()かんでは消える。


手が、(ふる)えていた。


盗賊(とうぞく)に襲われた時は、(かま)える(ひま)すらなかった。今は、時間(じかん)がある。だが、当たるかわからない。(はず)れれば、向こうはこちらに気づく。(くら)がりで()いつかれたら——


指先(ゆびさき)が、冷たかった。


担がれた体が、ふっ、と動いた。もがいている。まだ、()きて、(あらが)っている。


ユナは、息を吐いた。短く、細く。


(はな)った。


矢は(やみ)()き、低い音を立てて、先頭(せんとう)の男の肩口(かたぐち)あたりに吸い込まれた。


男は声にならないうめきを上げ、よろめいた。担いでいた体が、地面に落ちる。


「なんだ!」


後ろの二人が立ち止まり、振り返った。


その(すき)に、セイリョウが追いついた。長剣(ちょうけん)を抜き、路地の(はば)いっぱいに(やいば)を横に構えると、低い声で言った。


「その子を置いていけ」


二人の男は、顔を見合わせた。一人が腰から短刀(たんとう)を引き抜き、もう一人が地面の子どもを(ひろ)い上げようとする。


セイリョウが、一歩()み込んだ。剣先(けんさき)が暗闇で鳴った。


短刀の男が()りかかってきたが、セイリョウはそれを()(なが)し、そのまま体を()()えて、背後(はいご)に回った。(ひじ)を打たれた男は短刀を落とし、(かべ)に背中をぶつけた。


もう一人の男は、子どもを(かか)え直そうとしていたが、矢を受けた先頭の男が「引け」と低く(さけ)んだ。


三人は、子どもを()()りにして、路地の奥へと走り去った。


足音(あしおと)が遠ざかり、やがて消えた。


ユナは、弓を()ろした。(ゆび)が、まだ震えていた。


矢をつがえた瞬間(しゅんかん)のことは、よく覚えていない。体が動いた。それだけだった。


当たったのか、という考えが、(おく)れてやってきた。


「ユナ」


セイリョウが、静かに声をかけた。


ユナは、弓を背中に戻し、地面にうずくまっている小さな体に、()け寄った。


* * *


布をほどくと、少年(しょうねん)だった。


ユナよりも年下(としした)だろう。()せてはいるが、顔立(かおだ)ちは(ととの)っている。(はだ)浅黒(あさぐろ)く、髪は短く()られていた。


目は、大きく見開(みひら)かれていた。おびえている。だが、(なみだ)は流していなかった。


「大丈夫。もう安全(あんぜん)よ」


ユナが、手足の(なわ)を解きながら言った。


少年は、ユナの手を見つめ、それから顔を見上(みあ)げた。


「……助けて、くれたの」


声は、震えてはいたが、はっきりしていた。


セイリョウが、路地の両端(りょうたん)を警戒しながら戻ってきた。


追手(おって)は来ないようだが、長居(ながい)は出来ない。立てるか?」


少年は、頷いて立ち上がった。足元はふらついていたが、ユナが肩を()すと、しっかりと歩き出した。


三人は、路地を抜けて、大通りの(はし)に出た。夜市から戻る人々の(なが)れがまだ続いており、その中に(まぎ)れると、少しだけ息をつくことが出来た。


名前(なまえ)は?」


セイリョウが、歩きながら、低い声で聞いた。


少年は、しばらく(だま)っていた。ユナの肩に手を置いたまま、足元を見ている。


「……言えない」


「なぜ」


「言ったら、また来る」


少年の声は、(かた)かった。年の(わり)に、こちらの言葉をよく理解(りかい)している。


「あの男たちは、前にも来たのか?」


セイリョウが重ねて聞くと、少年は小さく頷いた。


「前は……もっと長く、つかまってた。白い部屋で……」


ユナの足が、止まった。


「白い部屋」


「……うん。白い(かべ)で、鉄の匂いがして。(くすり)を飲まされて、体が動かなくなって……」


少年は、淡々(たんたん)と言った。まるで何度も繰り返し、自分に()()かせてきたかのように。


ユナは、星市で出会った、あの男の言葉を(おも)い出していた。


白い部屋、鉄の匂い。


兄の首の傷。あの男の首の傷。


「……あなたの首に、傷は?」


少年は、(えり)を引き下げた。首の右側に、細い瘢痕はんこんが、三筋(みすじ)ほど走っていた。


ユナとセイリョウは、目を()わせた。


三人目(さんにんめ)だった。


* * *


宿には戻らなかった。セイリョウの判断(はんだん)だった。


「あの男たちが、宿を知っている可能性(かのうせい)がある。今夜のうちに、ワダンを出た方がいい」


三人は、夜市の喧騒けんそうがまだ残る大通りを()け、街の外縁(がいえん)辿(たど)って、南の(もん)へ向かった。


門といっても、石柱(せきちゅう)が二本立っているだけで、番人(ばんにん)もいなかった。夜市の夜は、街全体(ぜんたい)がゆるんでいる。


門を出てしばらく歩くと、街の(あか)りが遠くなり、星の光が、()さを増した。


道端(みちばた)(くぼ)みに、()(くさ)()まっている場所を見つけ、セイリョウは短い休息(きゅうそく)を告げた。


ユナは、少年を座らせ、水筒(すいとう)の水を()し出した。少年は、(れい)も忘れて一気に飲み干した。


()(さき)はあるのか?」


セイリョウが、少年に聞いた。


少年は、水筒を両手で(にぎ)ったまま、しばし黙っていた。


「……ケルゲン」


「ケルゲン?都の?」


ユナが聞き返すと、少年は頷いた。


「家が、ある。ケルゲンに」


セイリョウが、腕を組んだ。


「我々もケルゲンを経由(けいゆ)する予定(よてい)だった。道連れがいなかったが……まぁ、三人で行けないこともない」


「ケルゲンには、何があるの?」


ユナが、優しく聞いた。


少年は、ユナの顔をじっと見てから、ぽつりと言った。


「兄が、いる」


その声は、ユナの胸を、小さく()いた。


「……わたしも、兄を探しているの」


ユナがそう言うと、少年は驚いたように顔を上げた。


「ほんとう?」


「ほんとう。だから、あなたをケルゲンまで(おく)るわ」


少年は、しばらくユナを見つめていたが、やがて、小さく頷いた。


「ありがとう。……ぼくの名前は、まだ言えない。でも、ケルゲンに着いたら、話す」


セイリョウが、ユナにだけ聞こえるように囁いた。


王宮(おうきゅう)関係(かんけい)の者かもしれん。言葉遣(ことばづか)い、()()()()い、そして何より、名を()かせないという判断。子どもにしては、出来(でき)すぎている」


ユナも、同じことを感じていた。


()げ出した、と言ったわね。白い部屋から。兄と同じなら……」


「ああ。ガイ・トウジンの手が、ここまで()びているのかもしれない」


風が、枯れ草を()らした。


少年は、(つか)れ切ったのか、座ったまま目を閉じていた。小さな体が、(あさ)呼吸(こきゅう)とともに、かすかに揺れている。


「少し(ねむ)らせてやろう。私が見張(みは)る」


セイリョウが言うと、ユナは少年の肩に自分の外套(がいとう)をかけた。


「セイリョウ」


「なんだ」


「わたし、当たったのかな。さっきの矢」


セイリョウは、少し()を置いてから答えた。


「当たった。肩口だ。深くはないが、あの暗闘(あんとう)の中で、走っている人間の肩に当てたのは、大したものだ」


ユナは、自分の右手を見た。まだ(かす)かに、弦を(はじ)いた感触(かんしょく)が、指先に残っていた。


人に向けて、矢を放った。


初めてのことだった。


怖かったはずだが、今は、不思議と、後悔(こうかい)はなかった。あのまま()()ごしていたら——その方が、ずっと(おそ)ろしかった。


ユナは、少年の寝顔(ねがお)を見つめた。


白い部屋、鉄の匂い。兄も、この子も、あの星市の男も。


同じ場所に、(とら)われていた。


夜空(よぞら)には、(くも)ひとつなかった。ワダンの灯りが(きた)に遠く、淡く、揺れていた。


「夜が明けたら、ケルゲンを目指そう」


セイリョウが、星を見上げながら言った。


ユナは頷き、弓を(ひざ)(かか)えたまま、目を閉じた。


指先に残る弦の感触が、いつまでも消えなかった。


* * *


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ