第四章 戦士の村の記憶
厄病神
朝、ユナは、人や馬などの騒々しい音で目が覚めた。
夜の星市の当日だからであろう、街中が活気づいている。ギサの、一緒に市を回るのを、楽しみにしている顔を思い浮かべた。
水場には、知らぬ顔が何人か来ていた。やはり人が増えている。用を済ませたユナが、宿の受付にジュウビの手の者を見つけ、声をかけた。
「おはようございます。ギサさんの部屋はどちらでしょう」
「おお、親方と同じ部屋でさぁ、そこの角だ」
「ありがとうございます」
ユナは、指で示された角を曲がり、部屋の前に立った。軽く戸を叩き、名を呼ぶ。
「ギサ……?」
返答はない。が、足音が聞こえ、戸が少し開いた。
「ユナか。......入ってくれ」
ジュウビだった。その顔は、昨日までの柔らかさをすっかり失っている。
ユナが部屋に入ると、中はユナの部屋より数倍広く、調度品も良い。取引の準備をしていたのだろう、様々な荷が置かれていた。
「今日は忙しくなる。明日伝えようと思っていたが、今、単刀直入に言わせてもらおう。......隊を抜けてもらう。我々はお前を連れて行けない」
ジュウビは、立ったまま、神妙な面持ちで言った。
「それは、なぜですか」
「私の隊が襲われたのは、お前のせいではないのか。それを疑わないわけにはいかん。これまで、昼に大通りで襲われるなど、一度だってなかった。悪いとは思うが、我々は、ただ安全に荷を運びたいだけなんだ」
ジュウビがそう言った時、奥からギサが出てきた。
「ユナ!......ごめん、一緒に行けない......」
ギサは、叔父の目を気にしながら、うなだれていた。
「ギサ!そんな......」
ユナには、ジュウビに言われた言葉より、これほど打ちひしがれたギサを見ることの方が、辛く、驚きだった。
「さあ、もう取引に行かねばならん。......先に受け取っていた銭だが、こちらが約束を違えることになったのだ。返させてもらう」
ジュウビは、有無を言わさぬ口調で、棚から銭袋を出し、ユナに押し付けた。
「こんなに、お渡ししていません!」
ユナが、強い口調とともに、銭袋を押し返した。沸々と、怒りが湧く。
「ユナ、お前を憐れんでいるわけではない。取引を違えたら、代償を払うのが世の習いだ。一度請け負ったのは私だ。その責任として、受け取ってくれ。私は家族や仲間を守らねばならん」
ジュウビは、改めて銭袋をユナに押し付けると、ギサを連れて外へ出た。ユナは、慌てて後を追う。
庭では、ジュウビの手の者が、荷を運んだり、荷馬車に詰め直している。
「親方!あとは部屋の中の荷だけでさぁ」
「よし、運ぶぞ。......さぁ、もう行ってくれ。お前の宿代は、明日まで払ってある。申し訳ない、この通りだ」
ジュウビは、硬い表情を崩し、頭を下げた。
一瞬見せた、ジュウビの表情ーー悔恨と憐憫がないまぜになった、その顔を見て、ユナはいつの間にか、はい、と言っていた。
ギサは、うなだれたまま、奥へと戻っていった。
ジュウビ達は、忙しく立ち働いている。
ユナは、しばし呆然とした後、最上階の部屋へ戻っていった。
* * *
手がかり
ユナは寝床に横になって、低い天井を見つめていた。一人で、ヒイノ国を目指すか、それとも、一度戻ろうか......ぼんやりと、思考が巡る。
しばらくして、セイリョウが訪ねてきた。
「ふさぎこんでいるようだな」
「セイリョウ、ケルゲンだけど私は行けない......」
セイリョウは、部屋に入らないまま答えた。
「ああ、下でジュウビに聞いたぞ。私も抜けてきた」
ユナは、驚いてセイリョウの顔を見た。
セイリョウは、普段と変わらず、こともなげな顔をしている。
「外で話そう。朝はまだ食べていないだろう。弓は置いた方が良い。人が多いし、警備も出ている」
ユナはそう言われても、警備と聞いて、悩んだ。前の街の、嫌な記憶が蘇る。
結局、布も被せず短弓と矢筒を背負い、外へ出た。
セイリョウは不思議な顔をしたが、何も言わなかった。
セイリョウの案内で、二人は宿から少し離れた、緑の多い高台にある茶店に、腰を落ち着けた。
見晴らしが良く、ワダンが広がり続けている様子がよくわかる。
眼下の路地には人が多いが、この店の席は半分も埋まっていなかった。
「こんなにいい所が、近くにあったのね」
ユナは、眺めの良さに驚きながら言った。
「面白い街だと思ってな、街に入ってすぐ、全体を見られる場所を探して、ここを見つけた。多少値が張るが、まぁいいだろう」
「ちょうど良かった。ジュウビさんから、お金を押し付けられたから、使ってしまいたい」
ユナはやるせない気持ちと少しの憤りを思い出しながら、背負い袋を引き寄せた。
「それはとっておけば良い。商人としてのけじめなんだろう」
「でも......」
「いずれ、金も必要になる。ここの払いは私がしておく。注文するぞ」
セイリョウは、二人分、同じものを頼んでから、再度、顔をユナに向けた。
「さて、何から話そうか」
「セイリョウは、なぜ、助けてくれるのかを」
「助けて欲しい、と言われたから......納得しないか?もっと言えば、私自身のためだ。ティルマ国の貴族として育ち、何不自由なく暮らした。幼い頃から、王室祭祀長だった師のもとで、兄弟弟子とともに学び、祭祀官となったが、自分の才をかけるべきとは思えなかった。師は亡くなり、上役との諍いをきっかけに、飛び出して、旅に身を任せている。昨夜の話を聞いて、やってみよう、と言っても、不思議ではない境遇だろう」
セイリョウは、自分のことがおかしいように、小さく笑った。
「祭祀、というのは、いったい何を?」
「王の権威を保つために、様々な儀礼を行ったり、時に不思議なことを起こす。それを整えて、執り行うのが祭祀官の役目だ。閃光弾を見せたが、あれも使うことがある」
「実際には、王が起こしてるわけではない、仕掛けがある......ということね」
「事象だけ見ればそうとも言えるが、私はそうは思わない。王室祭祀官も、王の力で動くのだ。だから、王が起こしているのだ、と言って良いだろう」
「不思議なことが起こると、王の権威が保てるの?」
「人は、分からないこと、知らないことを、恐ろしい、と思うもの、だからな......」
セイリョウがそう言った時、店のものが盆を持ってやって来た。二段の皿に、小さな色とりどりの、様々なものが載っている。
「どれもキナ国の菓子だそうだ。この苦い飲み物と合う」
いつのまにか、杯に飲み物も注がれていた。
ユナは、菓子を一つつまみ、味の良さに驚いた。と同時に、本題に入るべきだと思った。
「兄と祖父は、どこにいるのかしら」
「それは分からない。だが、誰かに拐われたのだろう。兄は監禁されていたかもしれない」
「誰が、何のために?」
「恐らく訓練を受けた者を使える、力ある者。鞘が関係するならヒイノ国に縁がある者で、ヒイノ国かティルマ国の王室か貴族、役人のいずれか。何のためかは分からない」
「なぜヒイノ国かティルマ国だと?」
「ティルマ国と国境を接しているのは、ヒイノ国とキナ国だけだ。キナ国は小さい国で、力ある者は、ここワダンと都ケルゲンにしかいない。さらに、今は一触即発の状態のようだ。権力者といっても、他の場所に目をやる余裕はないだろう」
「わたしも狙われるのは、なぜなの......」
ユナは、杯に口をつけ、苦さに顔をしかめた。
「それも分からない。ユナの兄と祖父が狙われたわけにも、つながるかもしれない。ユナの、村のことを話してくれないか。印を結ぶことといい、幼い頃から弓矢を使う習慣といい、ずいぶん特殊なことに思える。私は、ユナ自身が、手がかりだと考えている」
* * *
ナユロ村とユナ
ユナは、何か特別なことがあったのかな、と考えつつ、村のことを話し始めた。
「ナユロ村は山あいにあって、谷の対岸に行くには、古い石橋を渡る......そこが唯一の道だから、橋を渡って村に帰るときは、ほっとするというか、帰って来たな、という気になるの。畑仕事と狩りで、食べものは足りるかな。たまに街から行商人が来たりする」
「商人への支払いは......銭は、どうしていたんだ?」
「粒脂金が、谷川の上流で少し取れるから、それで交換して......」
「今持っているなら、見せてもらえないか?」
ユナは、背負い袋から、粒脂金を出した。ついでに、鞘と鉄片、小箱、毒薬も出して、セイリョウに見せた。
セイリョウは、粒脂金を掌の上に載せ、目の高さに持っていった。
「なるほど、大きくないが、質は良いな」
「生活に困らないくらいしか、取れないと思う」
「金を狙ったわけではない、と。あとは、印を結ぶ習慣だが」
「一人で食べるときだけ......でも、何のためかは教わってない」
「ティルマ国では聞いたことがない。どこかの風習が残ったのだろうか......。ユナの家だけか?」
「村のみんな、やってたと思う。あんまり見ることがないからわからない」
「あとは弓矢だが......どうやって作ってる?」
ユナは、矢を一本取って、セイリョウに手渡した。
「弓と矢は、村で何人かが作れるの。鏃だけは、昔からあるものを直したり、街に行ったり」
「鏃は鉄だな。街に行くとは、村に鍛冶屋がいないのか?」
「昔、鍛冶屋さんがいたんだけど、わたしが子供の頃に、亡くなっちゃった。それからは、鉄は街に買いに行ってたと思う」
「これは?」
セイリョウが、緑の濃い色の葉で包まれた毒を指した。
「これは、村の人からもらった矢毒。使ったことはないけど」
「む......錆びた金属のような......これは、痺痛汁の一種だろう。三種類の草木を混ぜねばならない、強力な毒だ」
「矢に塗って、狩りをしたらどうなるか、知ってるの?」
「大物でも、一矢で仕留められる。刺さった周りで変色した部分は食べられない。血も食べてはいけない。この毒は、口にしてもいけない。同じように、死んでしまうだろう」
「使うことは無さそう......。あとは、ナユロ村が、何か特別なのかって、そんなのわからない」
「何か信仰しているものはあるか?」
「特に......。祠があったけど、何かはよく知らない」
「......わからないことは多いが、恐らくナユロ村は戦士の村だろう。あるいは、かつてそうだった、か。神隠しがそのせいかは断言できないが、何か関係はあるかもしれないな」
「戦いなんて学んでないし、祖父も兄も戦士ではないわ」
ユナは、驚いて反論した。
「街まで一日以上離れ、山あいの古い石橋でしか渡れない村。印を結ぶ風変わりな風習を残す。弓矢を幼い頃から学び、強い混合毒を容易に作る環境が揃う......。ティルマ国でも、あまり知られていないのではないかな。私の推測は、ヒイノ国から何かの理由で逃れた戦士たちが集った村ではないか、というものだ。祠を調べれば、わかることがあるかもしれない」
セイリョウは、皿の上の最後の菓子をつまみながら、言った。
いつの間にか、昼を過ぎていたようだ。眼下に見下ろす街では、休憩を終えた人々が、路地に出て、さんざめきあっていた。
* * *
一本の線
「ナユロ村に、戻った方が良いのかしら......」
ユナは、机の上の黒鞘と小箱を見つめた。
「ユナの祖父も兄も、訓練された者が関わって拐われたとすれば、足跡を追うのは難しいだろう。兄が持っていた、この二つから、調べた方が良いかもしれない。どちらも普通のものではないようだからな」
そう言いながらセイリョウは、小箱を持ち上げ、鼻を近づけた。
「今は、匂いがしないが......この布の切れ端か?」
「しっかり閉じていた箱で、無理やり開けて......。中の布を嗅いだら、ツン、と鼻を刺す金属のような......あと、土のような匂いだった」
「それから?」
「かーっとして、目も吊り上がっていく感じで、それから、いつの間にか外に出て、箱を鉈で叩き割っていたの......」
「匂いを嗅ぐだけで、そこまでの反応が出るかはわからないが、可能性のある毒は、いくつかある……私の思いつくのは植物で、それほど特殊な環境でなくとも、生育は出来る。だが、精製して強い毒性を持たせ、さらに密閉出来る箱まで用意出来るとなると、話は別だ」
「心当たりがあるの?」
「例えば、私の学んでいたような、王立学院などの高い技術と良い設備が揃うところ......だが、さらに訓練された者を従えているとなれば、やはり、相当力のある何かが、関わっている」
セイリョウは、鞘を手に取り、鐺の紋を指先でなぞった。それから、小箱の欠片に残る合わせ目の精巧さを、しばし眺めていた。
「鞘の細工は、浮き彫り。これだけの仕事は、都の腕の立つ職人でないとできない。鐺の紋は、鍛冶屋の女房が言ったように、ヒイノ国の縁がある。小箱の密封技術は、王立学院か、それに準ずる設備。毒の精製も同じだ。そして、訓練された者を何人も使い、辺境の村から人をさらい、さらに追手まで放てる」
セイリョウは、指を折りながら数え、ユナを見た。
「これだけのことを、一手にやれる者は、多くはない」
「......誰か、心当たりが?」
セイリョウは、杯の中身をゆっくりと飲み干してから、口を開いた。
「都サトにいた頃、ある名前を何度か耳にした。ガイ・トウジン。ヒイノ国の出自で、ティルマ国の王族に仕える補佐官だと聞いている。温厚で礼儀正しく、頭も切れる。だが、その男の名が出るたびに、周りの者は声を潜めた」
ユナは、黙って聞いていた。
「師が亡くなった後、私は上役と衝突して都を出た。祭祀のあり方を巡る諍いだったが、今にして思えば、上役の背後には、古い信仰や風習を刷新しようとする力が働いていた。私が追い出されたのも、偶然ではなかったのかもしれない」
セイリョウの声に、僅かな苦味が滲んだ。だが、すぐにいつもの淡白な調子に戻った。
「私の推測に過ぎないがな。ただ、ヒイノ国の縁があり、都の技術と設備を使え、訓練された者を従える力を持つ。その条件に合う名を、私は一つしか知らない」
風が吹き、茶店の布屋根をばたばたと揺らした。眼下の街は、夜の星市に向けて、ますます賑わいを増している。
ユナは、両手で杯を包んだ。中身はもう冷えていた。
「ガイ・トウジン......。その人が、兄を?」
「断言はできない。だが、ユナの話の全て――兄の変貌、精巧な鞘、密閉された箱、毒の精製、訓練された縄使い――これらが一本の線で繋がるとすれば、その線の先にいるのは、相当な地位と資力を持つ者だ。ガイは、その像に最も近い」
「縄使い......」
「ユナ、お前がこの街に着いてから、細い目をした長身の男を見かけなかったか。俺は、ワダンに入った日から、あの男の気配を何度か感じている。お前の周りを嗅ぎ回っていた。おそらく、ガイの手の者だ」
ユナの背筋が冷えた。石橋ですれ違ったという、あの影。峠道の風避け小屋に、何かが近づいてきた夜のこと。見えない糸で、最初から追われていたのか。
ユナは、しばらく言葉を発さなかった。
眼下の路地を、子どもたちが走り抜けていく。夜市の飾りを手に、笑い声を上げている。その声が、遠く聞こえた。
「セイリョウ」
「なんだ」
「わたし、ずっと、兄と祖父を探していると思ってた。消えた人を、追いかけているんだって」
ユナは、冷えた杯を机に置いた。
「でも、違う。兄は消えたんじゃない。奪われた。祖父も。......奪った人間が、まだどこかにいて、同じことを続けている」
その声は静かだったが、揺るがなかった。
セイリョウは、ユナの目を見た。十四の少女の目に、怒りとも悲しみともつかぬものが、じっと灯っている。
「......都サトへ向かおう。私の姉弟子が、都の近くにいるはずだ。彼女なら、宮廷の内情にも通じている。ガイ・トウジンに近づく糸口が見つかるかもしれない」
ユナは、頷いた。
セイリョウは席を立ち、支払いを済ませた。
「今日は夜の星市だ。隊商も多く集まるだろう。そこで都への道連れを見つければいい」
二人は、店を出て階段を降りた。
陽は西に傾き始め、街全体が、淡い橙に染まっていた。夜市を前にした人々の高揚が、空気を震わせている。
ユナは、その雑踏に踏み出しながら、ふと、背中の短弓の重みを、強く感じた。
兄が、教えてくれたもの。
奪われたものを、取り戻すために。
二人は、夕暮れの雑踏へと、入り込んでいった。
* * *




