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鈍色の空、狐舞う時  作者: ささかま


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第三章 交易都市ワダン

道は、緩やかに下っていた。


もう既に数日、隊商(たいしょう)は、ひたすらに道なりに歩を進めている。


いくつかの街影(まちかげ)を越したが、どれにも立ち寄ることはなかった。


まだ国境(こっきょう)は越えていないが、空気はどこか乾き、土の色はいつしか黒から赤褐色(せっかっしょく)へと変わっていた。馬のひづめが立てる音が、ぽこ、ぽこ、と軽やかに響く。


「今日は、馬がよく歩くね」


ギサが、隣で笑っている。


()を背負い、矢筒やづつ()わえたままのユナも、少しだけ、歩調(ほちょう)を緩めた。


「昨日の霧が、うそのよう」


「ワダンはさ、あと一日だよ。綺麗な街で……きっとユナも、気にいる」


ギサは、もう何度目かになる、夜の星市(ほしいち)についての話を、また始めた。


装飾品加工(そうしょくひんかこう)で栄える街ワダン。特産(とくさん)夜光石イェシルは、微細(びさい)な光を発する。安定した交易(こうえき)品質(ひんしつ)担保(たんぽ)のためか、三十日(ごと)夜市(よいち)が開かれる。街の明かりを消し、夜光石イェシルが店に並べられ、光の強さ、色味(いろみ)など、石の大きさだけではない価値(かち)を、わかりやすく(くら)べるのだ——と。


「今では、夜市が幻想的(げんそうてき)だからって、見るためだけに訪れる人もたくさん。だから、年々大きくなって、夜の星市って名前がついたんだ。早く一緒に見て回りたいよ」


ギサの身振(みぶ)りが大きくなってゆく。その明るさに()られて、ユナも小さく笑った。


隊商の列は整然(せいぜん)として、先頭ではジュウビが馬を引いている。護衛士(ごえいし)のガルドだけが、荷馬車(にばしゃ)の横に着き、周囲(しゅうい)へ目を配っていた。


ギサだけでなく、ともに(あゆ)む者達とも、ユナは少しずつ()()けている。


ユナの他の道連(みちづ)れは、二人が商売(しょうばい)のため、一人は旅のためだった。


二人の商売人(しょうばいにん)は、それぞれ小商(こあきない)で、こういった隊商に、自分の荷を()せるそうだ。ジュウビは尊敬(そんけい)されている様子(ようす)で、よくこの二人と、商売の話をしている。


旅の一人は、名をセイリョウといった。


列の中央から、少し後ろが定位置(ていいち)となっている。ユナと同じく、一つ前の街からの道連れで、キナ国の(みやこ)ケルゲンまでだという。(あわ)灰色(はいいろ)外套(がいとう)に、細身(ほそみ)長剣(ちょうけん)()し、荷は軽そうだ。食料(しょくりょう)などは持たず、常にジュウビから買っている。


ユナは、その男——セイリョウを、ちらりと見て、また目を()らした。


「ねえ」


ギサが声をひそめた。


「ああいう男が好み?確かに顔はいいけど女っぽいし、(とし)がさ、ちょっと(はな)れすぎ」


「……うん。目尻(めじり)にホクロがあるね」


「なにそれ?!」


ギサは、(あき)れ顔で、大袈裟(おおげさ)に手を広げた。


ユナは、兄の手の(こう)から、ホクロが消えていたことを、思い出していた。あれは、消えるものだろうか。それとも記憶違(きおくちが)いか、見間違(みまちが)いか——。


その時だった。


前方で、ガルドの手が(するど)()がり、ジュウビ!と声が響いた。


次の瞬間(しゅんかん)、隊商の前、丘の斜面(しゃめん)に沿って()わった木立(こだち)(かげ)から、数人の男たちが飛び出した。


布で目から下を(おお)い、手にはひらめく刃物(はもの)を持っている。荷馬車に目をやると、前方から襲いかかった。


ジュウビは、(あわ)てて自らの手の者へ何か(さけ)ぶと、山刀(やまがたな)を引き抜き、馬と荷馬車の(つな)を切った。他の者もそれに続き、綱を切ると、馬の(しり)(かたな)()した。馬達は驚きいななき、前方へと駆け出す。


まさか、馬が向かってくるとは考えていなかったのか、賊達(ぞくたち)は、向かってくる馬を止めようとする者、かわして隊商へ向かう者に分かれ、足並(あしな)みは(みだ)れた。


その(すき)に、ジュウビの手の者は、荷馬車の前に出て、ジュウビを中心に武器(ぶき)を構えた。ガルドは、幅広(はばひろ)大剣(たいけん)を、(たて)にするように前に出しながら、賊を目掛(めが)けて前進(ぜんしん)する。


「話が違うぞ、引け!」


頭目(とうもく)らしき者が叫ぶと、賊は()()りに木立へ()い戻っていく。


隊商の目が前方へと(そそ)がれていた、その時、隊の後ろの(くさ)むらから、ざっ、と影がはしった。男が、(なわ)を手にユナとギサの方へ猛然(もうぜん)と駆けてくる。音に反応(はんのう)してそちらを向いたユナは、前方の賊に(はな)とうと取り出していた矢を、弓につがえる間もなく、そのまま()こうと、咄嗟とっさに右手を出した。


男は縄を(むち)のようにしならせ、ユナの右手を(はら)うと、ユナを(かか)え込む姿勢(しせい)をとった。


その刹那せつな、大きな破裂音(はれつおん)とともに、強い閃光せんこうが、あたりを(まぶ)しく照らして、消えた。ユナも、襲撃者(しゅうげきしゃ)も、視界(しかい)は真っ白になり、なにも見えなくなった。


襲撃者の動きが一瞬止まり、(あと)ずさった時、セイリョウが、ユナをかばうように前に立った。


セイリョウは、既に長剣を抜いていた。襲撃者目掛け()み込み、風を切る音とともに、素早(すばや)く横に払う。襲撃者は目を(おお)いながらも、後ろへ飛びすさり、(かろ)くもこれをかわした。そして、草むらへ転がり込み、去っていった。


ユナも、ギサも、商人二人も、目を(おさ)えて(かが)んでいる。後で聞いたところ、セイリョウは、襲撃者の入った草むらへ警戒(けいかい)しながら近づいたが、既に去ったことを(さと)り、戻ったのだという。


その頃、ようやく、ギサは立ち上がった。


「なんなの、今のは……」


(おく)れて、ユナも、落とした矢を(ひろ)って立ち上がり、目をしばたたいた。


「すまない。光は、私が放った」


と、セイリョウが言ったとき、ジュウビが前方から駆け寄ってきた。


「ギサ、無事か!」


「叔父さん、あたしは大丈夫。でも、ユナが……」


ギサは、ユナの右手に目をやった。


ユナも、自分の右手を見た。紫色(むらさきいろ)()れ、()れた(あと)の上に、血が(にじ)んでいた。


「平気です。少し痛いけど……。動かせます」


「洗って、乾かしてから、これを塗っておくと良い」


いつ取り出したものか、セイリョウが小瓶(こびん)を差し出した。


ユナは、素直(すなお)に礼を言って、受け取った。


(おそ)われたことに混乱(こんらん)し、思考(しこう)がまとまらない。


自分へ放たれた悪意(あくい)へ、気味(きみ)の悪さと、強い(いか)りを感じていた。


ジュウビの手の者が、ジュウビを呼びに来た。


「親方、馬は(しず)めやした。荷も人も無事なんで。大事(おおごと)にならねぇで、よかった……。馬を手当(てあ)てして、休ませてから、荷馬車に()えるもんで、まだ時がかかりやす」


「わかった。ガルドとセイリョウで、荷馬車の前後を警戒してもらおう。うちの者から二人選び、この先の関所(せきしょ)事情(じじょう)を伝えに行かせる。出来るなら、ワダンまでの警備(けいび)も頼もう」


ジュウビは前方に戻ると、手の者二人に、関所への()(とど)けを持たせ、(いそ)()たせた。それから、隊に休息(きゅうそく)指示(しじ)した。


* * *


日は、まだ高い。白昼堂々(はくちゅうどうどう)と襲われた隊商は、落ち着きを取り戻しつつあった。


ギサは、荷馬車の前方へ位置(いち)が決められ、ガルドの隣で休んでいる。ジュウビの手の者は、それぞれ馬を引き戻し、荷崩(にくず)れを直すなど、(いそが)しく働いているが、道連れの商人二人は、ジュウビに、襲われた理由(りゆう)(たず)ね、不満(ふまん)そうな声を出していた。


セイリョウは、荷馬車の後方、ユナの隣で、周囲に目を配っていた。賊が再度(さいど)襲ってくる気配(けはい)は無い。


「先ほどは、ありがとうございました」


ユナは、セイリョウに改めて礼を言った。


セイリョウは、灰色の外套を少し開くと、小さな腰鞄(こしかばん)から、(にぎ)れるほどの大きさの、短い導線(どうせん)がついた球状(きゅうじょう)のものを取り出した。


閃光せんこうを発する薬弾(やくだん)だ。これのおかげかな。目を閉じろ、と言って、賊までそうしたら効果(こうか)は無いので、声をかけられなかった」


セイリョウは笑いながら、すまない、と続けた。


「どうやって、光らせるのでしょう」


ユナは、まだ痛む右手に、セイリョウからもらった軟膏なんこうを、軽くすり込みながら言った。ひんやりとした感触(かんしょく)に、痛みが軽く感じられた。


「この、(ふた)の裏に導線を(こす)ると、炸薬さくやくが燃える。燃え切ると、中の(くすり)()ざる。すると一瞬だが音と光が出る、という仕組(しく)みだ。私は単に閃光せんこう(だん)と呼んでいる」


セイリョウは、腰鞄を指差(ゆびさ)し、弾を戻しながら言った。


「つまり……自分で?」


「ああ、そうだ。残りはあと二つ……もっと作るべきだった」


「セイリョウさんは、武器商人(ぶきしょうにん)ですか」


「……そうではない。だが、こういったものを必要(ひつよう)とする方も、いるのだ。あと、丁寧(ていねい)な言葉は、やめてくれ。ただセイリョウ、で良い」


会話が途切(とぎ)れ、(しず)けさがあたりを(ただよ)った。


やがて、前方から足音(あしおと)が聞こえ、荷馬車の影からギサが、顔を出した。木桶(きおけ)を抱えている。


「手の具合(ぐあい)はどうだい」


ギサが、心配(しんぱい)そうに聞いた。


「痛みも腫れもあるけど、平気。動かせる」


ユナは手を握って、開いてみせた。


「そう……あと少しで、出発(しゅっぱつ)みたい。先発隊(せんぱつたい)が戻らなくっても、発つってさ。これ、みんなに配るお菓子(かし)。先にとって」


と、ギサが、木桶を差し出した。(くだ)かれた様々(さまざま)種類(しゅるい)の木の()が、(みつ)で固められている。かち割ったのか、大きさは様々だ。


セイリョウは、ユナに先に選ぶよう(すす)めた。ユナは中くらいの欠片(かけら)を、セイリョウは小さな欠片をそれぞれとった。


「向こうにも、配ってくる」


ギサは、また前へ戻っていった。


セイリョウは、小さな欠片を、そのまま口に入れた。ユナは、少しずつかじった。乾いた木の実が、一口ごとにぽろぽろとこぼれ落ちる。


「知ってたのね」


ユナが、セイリョウを見た。


「いや、知らない」


セイリョウは、うーん、と(すず)しげな顔で()びをしている。


「落ち着く味だけど、食べづらい……」


後の方は、言葉になっていない。ユナは、最後のかたまりを、口いっぱいに頬張ほおばった。蜜が溶けて、上下の歯がくっつく。()け切るまで、この菓子と格闘(かくとう)することになりそうだ。


「戻ってきたぞ。警備兵(けいびへい)も連れている」


セイリョウが言った。ユナもそちらを見ると、ジュウビのところへ、皆が集まり始めている。


「行こう」


セイリョウが声をかけた。


全員(ぜんいん)がジュウビの前に(そろ)った。ジュウビの横には、(あし)の長い黒角馬ホルスに乗り、(やり)(たずさ)えた武装兵(ぶそうへい)が、二人いた。


「皆、ご苦労(くろう)だった。賊の襲撃(しゅうげき)()え、迅速(じんそく)復帰(ふっき)できた。日頃(ひごろ)訓練(くんれん)と、協力(きょうりょく)し合うという精神(せいしん)成果(せいか)だ。ユナが怪我(けが)をしてしまったが、(さいわ)い大事には至っていない」


確認(かくにん)するように、ジュウビがユナを見た。ユナは皆に向かって(うなず)いた。


ジュウビは言葉を続けた。


「二人の騎兵(きへい)が、駆けつけてくれた。国境の関所まで、警護(けいご)してくれるとのことだ。ワダンまでではないが、途中(とちゅう)までを、より安全に進めることを(よろこ)ぼう。質問(しつもん)はあるか?」


二人の商人は、関所までと聞いた時に、不満そうな顔を見せたが、ジュウビは、それを無視(むし)した。


「それでは、隊列(たいれつ)を整えてくれ。出発だ」


皆が列についた。ユナは、元のように最後尾(さいこうび)だが、さらに後ろに、若い騎兵がつく。


休息の間に、荷馬車を引く馬の尻には、それぞれ膏薬こうやく()られていた。(きず)は深くないらしく、歩みの速度(そくど)はこれまでと変わらない。


ユナは、(みち)すがら騎兵に、祖父(そふ)や兄のことを尋ねたが、そのような人物(じんぶつ)は見ていない、との答えだった。だがそれは、そもそも()()監視(かんし)は厳しくないから、というのが本音(ほんね)のようだ。


ギサは、ヒイノ国へ直接(ちょくせつ)は出づらいと言っていた。今、ティルマ国からヒイノ国を目指すなら、まずキナ国経由(けいゆ)だろう。国境の関所で、何かわかるかもしれない——ユナは、鍛冶屋(かじや)に言われた、(ほそ)い話を(たよ)りにするな、という言葉を思い出しながら、歩を進めた。


* * *


結局(けっきょく)、何もわからなかった。


関所はティルマ国側にも、キナ国側にも、それぞれ警備兵がいるが、ユナが想像(そうぞう)するような「関」も「境」もなく、ただ道の往来(おうらい)に、境界(きょうかい)(しるし)があるだけだった。金を払う必要(ひつよう)もなく、自由に行き来できる。衛兵(えいへい)宿場(しゅくば)や、隊商も使える水場(みずば)はあったものの、皆、この先のワダンで休むということらしい。


「この丘を回ったら、もう街が見えるから」


ギサは、ユナに語りかけた。ユナは、関所からは最後尾ではなく、隊の中ほどギサの隣にいた。先頭のジュウビが、時折(ときおり)後ろを気にしている様子が、ここからだとよくわかる。


「あーあ、ようやく宿で寝れるよ。水浴(みずあ)びも出来るし、ワダンが一番()ごしやすい」


ギサは、街に近づくほどにうれしそうだ。


「他の街では違うの?」


ユナが、首を(かし)げた。


「そう。ワダンは装飾品(そうしょくひん)が一番だけど、他の市も大きくなってる。人が、集まりやすいようにしてるんだろうね、隊商宿(たいしょうやど)も、水場も、広くて綺麗でさ。都のケルゲンは、雰囲気(ふんいき)暗いし、山の中で狭いし、正直(しょうじき)あたしは苦手(にがて)


「都は、(さか)えてるから都だと思ってた」


「いや、王がいるところを都って呼ぶだけ……だと思ってたけど、そういえば、知らない」


ギサは、どうでもいいよ、と(かた)をすくめた。


やがて丘の向こうに、街が見えてきた。ところどころ、建てている途中の家や店があり、活気(かっき)(あふ)れている様子が、遠くからも(うかが)える。


前の街とは、(くら)べ物にならないほど大きな広場(ひろば)まで、一本道(いっぽんみち)で入った。広場での宿泊(しゅくはく)(ゆる)されておらず、到着後(とうちゃくご)記帳(きちょう)して、初めて隊商宿が()り当てられる。宿は輪番りんばん(せい)のようで、(じゅん)に割り当てられていく。ジュウビの隊は、十五人全員(ぜんいん)が一つの宿でおさまる、と告げられた。


「ずいぶんと、整えられている制度(せいど)だ」


セイリョウが、仕組みに感心(かんしん)しながら、あたりを見回している。そのうち、姿が見えなくなった。


ユナも、あたりを見回した。が、祖父や兄がここを(おとず)れたかどうか、話を聞いてくれそうな者を、見つけられなかった。まだ痛む右手をさすり、宿でジュウビに相談(そうだん)しようか、と思ったが、ジュウビはギサを()()って、部屋へ向かってしまった。


「ゆ、ゆっくり休んでくれ!夜市は明日の夜、出発は明後日(あさって)の朝でさぁ」


ジュウビの手の者が、そう言い残すと、慌ててジュウビを追った。


仕方(しかた)なく、ユナも自分の部屋へ向かう。宿は三階建(さんがいだ)てで、天井(てんじょう)は低いが、まだ新しく、よく()(きよ)められている。(こう)()かれているが、これは、旅人(たびびと)臭気(しゅうき)を消すためかもしれない。ユナは、自分の体の(にお)いを()ぐと、顔をしかめた。


ユナの部屋は、最上階(さいじょうかい)(はし)だった。部屋は狭く、寝床(ねどこ)と、小さな文机(ふづくえ)椅子(いす)があるだけだが、ここも新しい様子で、清潔(せいけつ)だった。野宿(のじゅく)を続けた身には、大変な贅沢(ぜいたく)にも思える。


戸を()めると、その裏に、宿の水場やかわやの位置が、()り込んである。ユナは、また下に降りることに、少しうんざりしながらも、短弓(たんきゅう)矢筒やづつ(そで)なし外套を置き、部屋にあった手拭(てぬぐ)いと背負(せお)い袋だけを持って、部屋の(じょう)をおろし、水場へ向かった。


水場は、男女(だんじょ)が分かれており、水はそれほど冷たくなく、体を(きよ)めるのに苦労はいらなかった。(あら)い場も別にあったので、服も着替(きが)え、これまでの服を丁寧(ていねい)に洗うことができる。ずいぶん()(とど)いている……とユナは(おどろ)いた。男の方からは声も聞こえるが、女の方には他の(きゃく)の姿はなく、久々(ひさびさ)に、(はは)(かがみ)を使って()を整え、心置(こころお)きなく(よう)()ませることが出来た。


日が暮れ、ユナが、部屋へ戻りかけた時、男女の怒鳴(どな)り合うような声が、どこからか聞こえた。まさかギサでは——と、考えた時、ユナは、ギサの部屋がどこか、知らないことに気がついたのだった。


* * *


ユナは、街の大通(おおどお)りに(めん)した飯屋(めしや)にいた。何を注文(ちゅうもん)するべきかわからず、隣と同じものを頼んだのだが、何かのひき肉を団子状(だんごじょう)にしたもので、()()わせの野菜(やさい)も含め、(この)みではなかった。一緒に注文したことになっていた、薄青色(うすあおいろ)()(もの)は、少しの苦味(にがみ)(さわ)やかな甘みが混在(こんざい)しており、これだけが気に入った。そろそろ宿に戻ろうか、と、ユナが考えていた時、近くで、椅子が(たお)れる音がした。


「だからよォ、おめぇに払う金はねぇって!」


がらがらのダミ声が、店に響く。


ユナはそちらに目をやった。大柄(おおがら)な男が立ち上がり、()かいの席を(にら)んでいる。(あか)ら顔の、その男は、(ひたい)の汗を(そで)乱暴(らんぼう)(ぬぐ)った。


(たい)する男も、赤い顔で立ち上がる。こちらは少し華奢(きゃしゃ)だ。


「そんなことを言っていいのか、お前たちだけでやっていけると思うなよ」


「もう世話(せわ)にはなんねぇ、だから金も払わねぇ、それだけだ」


「それならお前の好きな、この街の仕組み(どお)りにすればいい。我々(われわれ)は、お前たちを(みと)めない」


「なにぃ!」


「お前たちの店は、明日の市に立たないな」


華奢な男がそう言い()てると、手に持っていた(さかずき)を、(つくえ)(たた)きつけた。(さわ)ぎを見て、慌てて店主(てんしゅ)らしき男がやってきたが、おろおろするばかりだ。


「てめぇ……」


大柄な方は、腰にさしていたこんを手に取り、()りかぶった。


(おだ)やかじゃないな」


突然(とつぜん)(あらわ)れたセイリョウが、そのこん(せい)した。


ユナは(きも)(つぶ)した。元から、この飯屋にいたものらしい。


「そのこんで潰すのが、杯か、机ならまだしも、お連れの方の顔か、街の信用(しんよう)となると、ちょっと大事(おおごと)だとは思わないか?」


杯か、机ならまだしも——と聞いた店主の顔は、それも(こま)る、とばかりしかめっ面になった。


セイリョウの明るい声音(こわね)と、店主の困り顔に毒気(どくけ)()かれたのか、大柄な方は、おとなしくこんを下げた。


「そちらも、ま、座り直して」


セイリョウは、華奢な方も(うなが)し、丸机(まるづくえ)に三人で腰掛(こしか)けた。


それを見て、周りで不安(ふあん)げに、様子を伺っていた人々は、自分たちの話や、食事(しょくじ)に戻った。


「店主……そう、あなただ。店で最高(さいこう)夕露酒シルロをここへ」


セイリョウが注文すると、店主はいそいそと酒棚(さかだな)へ向かった。


「いや、(おご)ってもらう義理(ぎり)はねぇ」


「あんた何者(なにもの)だ」


言い(あらそ)っていた二人は。そうすごんだが、店で最高の酒と聞いて、口の端が上がっている。


「旅をしていて、ティルマの都サトから戻ったんだが……ティルマが、ケルゲンとワダン、どちらにつくか(まよ)ってる」


セイリョウは、慎重(しんちょう)素振(そぶ)りで(つぶや)いた。


二人は、顔を見合(みあ)わせた。


「ちょっと待ってくれ。別に()れたわけじゃないぞ」


華奢な方が、慌てた様子で手を振った。


「それならこちらに……いや、俺たちは誰かに(おさ)えられるのがごめんなだけで。そんな大国(たいこく)相手(あいて)じゃ、もっと(ぜい)を取られるんじゃねぇのか」


大柄な方は、酒臭(さけくさ)い息を吐いた。


その時、店主が夕露酒シルロを運んできた。(うつく)しい玻璃はり(せい)(びん)と、白い小さな杯を三つ、机に置く。


「私にもわからんが、道中に聞いた(うわさ)では、分裂(ぶんれつ)機会(きかい)に、()め込んで、ワダンもケルゲンもとってしまおう、と考えているとか、いないとか」


セイリョウは、ゆっくりと瓶を開けた。


二人とも、酒を凝視ぎょうししている。


セイリョウが、酒を三人分注いだ。


濃厚(のうこう)(かお)りが、あたりを漂う。


二人は、一気に()()した。


「これは!」


「なんてうまい……」


「さ、飲んでくれ。さっき(はら)いがどうのと言っていたが、この酒で、一回分くらいにはなるんじゃないか。仲間割(なかまわ)れは、他からつけ込まれるだけかもしれん。私はこの街が、今のまま残ることを(ねが)うよ」


セイリョウはそういって立ち上がると、二人の肩を叩いて、勘定(かんじょう)をしに行った。二人は、礼もそこそこに、酒の香りと味について(かた)りあっている。


セイリョウが勘定を終え、ユナと目があった。ユナが目礼(もくれい)すると、セイリョウはユナの席に座った。


喧嘩(けんか)仲裁(ちゅうさい)、すごかった」


ユナが、言った。


「ああ、それは、どうも。ユナが店に来ていたのが見えたんだが、声をかけにくくて」


セイリョウが、ほんの少し()まずそうにしている。


「なぜ?」


「何やら、呪い(まじない)のような手振(てぶ)りをしていた」


「あ……それは、ナユロ村の(なら)いで、(いん)(むす)ぶの」


「不思議な風習(ふうしゅう)だな。道中では見なかったが」


「一人で食べるときだけだから」


「ふぅむ」


セイリョウは、手真似(てまね)をして見せたが、間違っていた。


ユナはセイリョウの目を見た。


「セイリョウ、お願いがあるの。私を、助けて欲しい」


「急に、どうした」


「祖父と兄を(さが)してるって、前に言ったけど、(くわ)しく話したい。(みょう)なことに()き込まれていると思う。(なぞ)だらけで、もうどうしたら良いか……」


ユナは、頭を下げた。


「……聞くだけ聞こう。ここでは、(さわ)がしすぎる。場所を(うつ)すか」


ユナは頷き、席を立った。


近くに良い場所はないかを尋ねると、店主は、ユナとセイリョウを見てから、隣の二階、と言った。


二人が、飯屋を出て、隣の店に足を()み入れると、ずいぶんと薄暗(うすぐら)かった。飯屋が煌々(こうこう)としていただけに、目が()れない。


帳台ちょうだいにいた男が、二人を見て、下卑げび()みを()かべた。


(おく)には、()だるそうな薄着(うすぎ)の女と、刀を抱えて居眠(いねむ)りをしている男がいる。


「二階に、話ができる場所があると、隣で聞いたのですが……」


ユナが、雰囲気に気圧(けお)されながらも、帳台ちょうだいの男に話しかけた。


「あ?あぁ……前金(まえきん)でな」


ユナが(ぜに)を払うと、男は(かぎ)を渡した。


「どうも……」


ユナは鍵を受け取り、セイリョウときし階段(かいだん)を上がった。


二階の手前(てまえ)の部屋を開け、明かりを灯すと、宿でのユナの部屋のような作りだった。文机と椅子、寝床がある。手洗(てあら)いも付いていた。


ユナは、文机の上に荷袋(にぶくろ)を置くと、(さや)と、鉄片(てっぺん)、そして小箱(こばこ)の欠片を出した。


セイリョウは、椅子に座ると、興味深(きょうみぶか)そうにそれらを(なが)めた。


「セイリョウ、助けて欲しいの」


ユナは、寝床に腰掛け、これまで自分の身に起きたことを、(つつ)(かく)さず語った。兄の手のホクロの違和感(いわかん)も、兄の荷袋からそれらの(しな)()き取ったことも、小箱の(にお)いで一瞬(われ)(わす)れた気がしたことも……。


長い話の間、部屋の明かりが、隙間風(すきまかぜ)にゆらめいていた。


ユナは、途切(とぎ)れずに全てを話し終え、大きく息をついた。


「家族を探しているユナを前に、無礼(ぶれい)とはわかっているが、これは興味深い話だ」


ユナが話す間、セイリョウの目は、鞘に、小箱に、()い付いたように(はな)れなかった。


「謎について考える前に、まず、私のことを話そう」


セイリョウが、ユナの目を見た。


「私は、ティルマ国の”(もと)王室祭祀さいし(かん)上司(じょうし)と……()りが合わず、都サトを出て、今は流浪(るろう)の身だ。ケルゲンに学友(がくゆう)を訪ねようと、ここまで来た」


ユナは頷いた。


「……さて、ユナの身に起きたことだが、整理(せいり)しよう。一年半(いちねんはん)前兄が消えた。先日突然戻った。別人のようになっており、手の甲のホクロが消え、()()れた良いこしらえの鞘と()の無い鉄、嗅ぐと凶暴(きょうぼう)になる布の入った小箱を、持っていた。一晩で消え、続いて祖父が村長の使(つか)いを(かた)る男に連れ出され、戻らなかった」


ユナは、再び頷いた。


「さらに、ユナ自身も、背の高い細目(ほそめ)縄使(なわつか)いに(あと)をつけられ、さらわれかけた」


ユナは、目を見開(みひら)いた。


「それは……」


「違う、と?いや、私が対峙(たいじ)したあの男は、確かにユナを(ねら)っていたよ。我々の隊列を確認し、賊をけしかけ前から襲わせ、自分は混乱に(じょう)じて、後ろからユナをさらおうという算段(さんだん)だ。何日もかけて仕込(しこ)まねば、出来ない。あの縄使いは、相当(そうとう)手練てだれ。専門的(せんもんてき)暗殺(あんさつ)誘拐(ゆうかい)(かか)わっていると見える」


「なぜ、私が」


ユナは、襲われた時に感じた、()き出しの悪意を思い出し、身震(みぶる)いした。


「それはわからないが、(たと)えば、ナユロ村と関係(かんけい)があるかもしれない。私が見るところ——」


セイリョウがそこまで話した時、階段をきしませながら、誰かが上がってきた。奥の部屋に入ったようだ。


「わたしが、一番気になっているのは、兄が、別人かどうか。糸繰(いとく)人形(にんぎょう)のようになって、ホクロも消えていたことが気になって」


「それは、兄で間違(まちが)い無いだろう。薬や(ひど)体験(たいけん)で人間を(こわ)すことは、残念(ざんねん)ながら出来る。小箱の中身も、その一種かもしれない。顔や姿形(すがたかたち)を変えるのは難しいものだ……。ホクロの件は、例えばそのように」


と、セイリョウは、ユナの右手を指した。


「擦られたり、(けず)られたりすることで、消えるものもあるのだ。私のは、消えないようだが」


セイリョウは、自嘲じちょうするように笑った。


「目元のホクロね」


ユナは、少年時代(しょうねんじだい)のセイリョウが、懸命(けんめい)に顔からホクロを消そうとする(さま)想像(そうぞう)し、つられて笑った。


「縄使いに(しば)られて、()げ出そうとして、手の甲を強く擦りつける……皮膚(ひふ)が削れるが、構わずに。このような時、ホクロも消えるかもしれない」


「そういえば、首に傷跡(きずあと)が見えたと思う。きっと兄は、酷い目にあったんだ」


ユナがそう言った時、隣の部屋から、なまめかしい男女の声が聞こえてきた。


「ずいぶん遅くなった、出よう。また、明日話そうか」


セイリョウは、鞘をくるくるといじってから、立ち上がって部屋を出た。


ユナは、荷物をまとめ直すと、遅れて階下(かいか)へセイリョウを追った。


先程の帳台ちょうだいの男はおらず、薄着の女がセイリョウと話していた。


「いつ来てくれてもいいんだよぅ、あんたならさぁ」


女は、しなをつくって、帳台ちょうだいにもたれかかっている。


奥の、刀を()いた男は、変わらず居眠りをしていた。


「いずれな……。勘定は、もう済んだだろう」


セイリョウはそういうと、ユナを促して外へ出た。


二人は宿に戻ると、明日の再会(さいかい)(やく)して、それぞれの部屋へ戻った。


* * *


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