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鈍色の空、狐舞う時  作者: ささかま


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第二章 隊商の出発

道は、冬と春のあいだにあるようだった。


登るほど、冷えていく。


(しも)は溶けきらず、陽は照っても、風に匂いが残っている。ぬかるみと冷気が、交互に足を鈍らせた。


ユナは背負(せお)い袋の重さを肩に感じながら、静かに歩を進めていた。


その底には、包み直した(さや)と、砕けた木箱(きばこ)と、黒ずんだ布切(ぬのき)れが潜んでいる。


(とうげ)中腹(ちゅうふく)で片側が開けた、と、後ろからの急な風にあおられ、ユナはふらついた。日は(かげ)り、暗い谷を覗きこんで、ひやり、とした。遠くで、鳥が叫んだようなひと声をあげた。


ユナは左手の薬指(くすりゆび)の先に、親指(おやゆび)の爪を食い込ませていた。


小さい頃から、恐怖(きょうふ)を感じるたびに、そうする(くせ)があった。


痛みが残る前に指を離し、風に歯向(はむ)かうように身を(かが)めて、前を目指した。


* * *


昼を過ぎた頃、小さな(さわ)を渡った先に、岩に腰を据えられる場所を見つけた。


背負い袋から干肉(ほしにく)を取り出すと、片手で(いん)を結んでから、裂いて口に放り込んだ。


一人での食事の際には、印を結んでから、というのが、ナユロ村の(なら)いだった。


硬いし味は薄かったが、それでも食べた。


指は、道に飛び出して生えている葉で(ぬぐ)う。


干し肉の残りは、また背負い袋に戻した。


沢まで戻ると、水で手を洗い、()んで飲んだ。


外が寒いせいか、水をぬくい、と感じた。


夕刻(ゆうこく)になって、冷え込めば、また(きり)が出るだろう。


一人での山道で、気を張っていたせいか、疲れを感じるのが早い。


右手で首の裏をさすった。


だが、急がねば。霧で迷うわけにはいかない。再び歩き出した。


* * *


斜面(しゃめん)の陰に、崩れた動物の巣を見つけた。


掘り返された土。干からびた草。


その隅に、白く光る小さな骨——仔狐こぎつね頭蓋ずがい——があった。


風が一本、草を撫でていった。


狐は、ティルマ国では、二種が知られていた。


貴族(きぞく)が飼い慣らし、信仰(しんこう)の対象である紺毛狐フルマと、それ以外の野狐アマである。


ユナは、野狐しか見たことがないし、これは、きっとその子供だろうと思った。


可哀想に……と目をやると、巣の周囲には、別の足跡(あしあと)もあった。


小さな(けもの)ではない——もっと重く、大きい、何か。


例えば、人間とか。


そう、ユナは考えて、目を逸らした。


そして、歩みを進めた。


* * *


峠下(とうげした)風避(かざよ)け小屋に着いた頃には、あたりは暗くなっていた。


小屋は木と石で組まれ、草の屋根と壁が、風を(さえぎ)ってくれていた。


中には、古い()き火の跡。


(すみ)(まき)は残されており、簡単に火を起こせそうだ。


ユナはほっとして、包みの奥から火打石(ひうちいし)を取り出した。


布を裂き、種火(たねび)をつける。


(ほのお)が大きくなって、人心地がついた。


干し肉の残りを(あぶ)り、食べた。


腹がくちくなると、道中で手折(たお)った甘酸樹トラガの枝を、短刀(たんとう)で細く削ると、口に(くわ)え、歯を(こす)った。


口の中にほんの少しの甘さが広がり、その後でじんわりと心地よく(しび)れるのを感じると、ユナはぽい、と枝を火の中へ放った。


枝が燃え切ると、あとは熾火おきび(ほの)かに(またた)くだけだった。


風の音も止み、鳥の声もなくなった。


静かだった。


草の壁に、ユナの影が揺れた。


膝を抱え、丸くなっていても、薄く伸びる自分の影は、まるで別人のように思えた。


明日は、早く()とう。


熾火に灰を(かぶ)せ、うずくまったまま、ユナは目を閉じた。


* * *


ひとつの影が、風除け小屋の裏に、沈んでいた。


(ころも)の色は、完全に(やみ)に溶けている。目元(めもと)は細く、闇の中で、その端だけが、かすかに動いている。


小屋の中で、火の気配(けはい)が、消えた。


影は、音もなく、小屋へ向かった。


影から、うねった細い何かが、飛び出した。


その時だった。


——ざっ、ざっ、ざっ、と、遠くから急ぐ足音(あしおと)がふたつ。


真っ直ぐに、こちらへ向かってくる。


影は、小さくうめくと、去った。


「ああ、着いた着いた。」


足音の大きい方が、(ほが)らかに言った。


「はぁ、はぁ……とうちゃん、遠いって」


不機嫌(ふきげん)そうな声が、続いた。


()き覚えのある声に、ユナは目を開けた。


戸を開けて、ナユロ村のイソクと、息子のサネが入ってきた。


イソクは、手探(てさぐ)りで空いていることを確かめると、ずしり、と音をさせながら、()を置いた。


「ユナです。その、つぶさないで」


と、ユナは声をかけた。


「おお、おお。そうかそうか」


イソクは慎重(しんちょう)に、体を小屋の奥に、押し込めると、息子に、寝る場所を指示(しじ)した。


小屋は、三人でいっぱいだった。


「サネをな、街で学ばせるつもりでな。何日か後で良かったんだが、おまえさんのことで、()れも出たしな、どうせな、街まで行くのだから、じいさん探しもついでだ、と思い立ってな」


イソクは、小さい声で話しているつもりだろうが、小屋が揺れるほどの大きさだ。声は、話すほどに、ますます大きくなった。


「だいたいサネは、畑も弓も向いとらん。街でな、(あきな)いでもやれば、陰気(いんき)(なお)るわい」


イソクがそう言うと、サネは小さく舌打(したう)ちをして、もう寝る、と横になった。


「おじさん、ありがとう。明日は、早く発ちたいから、わたしも寝ます」


ユナはイソクの返事を待たずに、また目を閉じた。


* * *


翌朝(よくあさ)、体が疲れていたのだろう、結局日が昇ってから、ユナは目覚めた。


イソクは(つつ)から水を飲み、サネが小さくあくびをしている。


「うなされとったな、ワシのイビキで寝れんかったか」


イソクが、ユナに明るく声をかけた。


そんなことはない、とユナは首を振りながら、荷を確かめてから、立ち上がった。


先に行きます、と声をかけ、ユナは小屋を出た。


幸い霧は浅い。後は下るだけだ。


ユナはしっかりと、一歩を踏み出した。


* * *


昼過ぎ、ユナが、街の入り口に立つと、簡素(かんそ)椅子(いす)に座り、日を浴びていた老人(ろうじん)に、見咎みとがめられた。


じっと老人は(うたが)わしげな視線(しせん)をユナに送ったが、じきにふいっと目を逸らした。


別の道から、がやがやと、人が来る方に、気を取られたらしい。


ユナは居心地(いごこち)悪く、早足(はやあし)鍛冶屋(かじや)を目指した。


街に来たのは、祖父(そふ)に連れられた一度だけだったが、鍛冶屋は初めに寄ったので、入り口からの道は、よく覚えていた。


石畳(いしだたみ)の隙間には草が生え、路地(ろじ)を行く荷車(にぐるま)車輪(しゃりん)が鈍くきしむ。


遅い昼食(ちゅうしょく)だろうか、数軒(すうけん)の家からは、(けむり)が立ちのぼっていた。


大通(おおどお)りを曲がった路地の、ひとつの軒先(のきさき)すすけた鉄環(てっかん)がぶら下がる、店の前に立った。


「ごめんください」


ユナは戸を押し開け、店に入った。


中には、(おの)なた蝶番ちょうつがいなど道具類(どうぐるい)が並び、女が二人いた。奥からは、鉄を打つ音が聞こえる。


帳台ちょうだいに立つ女——鍛冶屋の女房(にょうぼう)が、ユナに気づいて、おしゃべりをやめ、


「はい、いらっしゃい」


と声をかけた。


背を向けていた手前の女も、振り返ってユナを見たが、すぐ向き直ると、世間話(せけんばなし)を続けた。


「だいたい、ウチの人は、いつもほうぼうをほっつき歩いて……、きちんと仕事もしやしない」


鍛冶屋の女房は、また始まったという顔で、


「まぁまぁ……。最近はちゃんとしたって、言ってたじゃないか。羽振(はぶ)りも良いって聞いたよ」


相槌(あいづち)を打った。


「この前は、珍しく娘にお土産(みやげ)なんて買って来たから……。でも、またさぁ……」


「あの」


終わりそうにない会話に、ユナが、割って入った。


鍛冶屋の女房が、手前の女に、ごめんよ、と手を振ると、ユナの方を向いた。


手前の女は、まだ話し足りない様子を見せながら、店を出ていった。


ユナは帳台の前まで行くと、話を始めた。


「ナユロ村のユナです。以前(いぜん)、祖父と(うかが)ったことがあります。その時は、鉈や鉄材(てつざい)を買いました」


鍛冶屋の女房は、心底(しんそこ)すまなそうな顔で


「それは、ありがとうね。だけどね、うーん……悪いんだけど、あんたの顔は、覚えてないね」


「それで、その……一昨日(おととい)の夜から、祖父が家に戻らなくて。その前日には、兄も」


ユナは、淡々(たんたん)と話したつもりだが、低い声の調子(ちょうし)は、悲しさを際立(きわだ)たせた。


「それは……災難(さいなん)だねぇ。でも、ここには来ていないと思うけど」


「いえ、こちらに伺ったのは、見て欲しいものがあって」


言いながら、ユナは背負い袋の奥から、布の包みを取り出した。布をほどき、黒漆くろうるしの鞘があらわになる。それを、帳台の上に置いた。


「これを……兄が、置いて出て行きました。何か、()がかりかと」


ユナは続けて言った。


「あと、中を確かめたくて。()が、抜けないんです」


女房は、鞘を見ると、怪訝けげんそうに、こじり(さわ)ってから、眉根(まゆね)を寄せた。


そして何も言わずに、奥へ入ると、すぐに戻った。


「あたしじゃ、わからないからさ。うちの人に、話してくれる」


女房が、そう言い終わった時、奥から、髭面(ひげづら)の男……鍛冶屋が出てきた。


ユナは鍛冶屋に、もう一度話を繰り返した。


鍛冶屋は、祖父のことを、覚えていたようだ。


「そういえば、女の子を連れていたかな。まぁ、災難だなぁ、身内(みうち)が消えるなんて……。以前はたまに聞いたが、最近は平和(へいわ)そのものだ。うちでも武具(ぶぐ)は売れやしねぇ。(なべ)を直しても(もう)からん」


「この鞘から、何かわかりませんか」


ユナは、真っ直ぐに鍛冶屋を見ながら、言った。


鍛冶屋は、鞘を持って、ひっくり返したり、重さを確かめるように上下させながら、ぶつぶつと(つぶや)いた。


「細いな。それに短い。む……重い。(ざい)はわからんが、黒漆を重ねとる。水には強くなるが、手間(てま)がかかる。銀細工(ぎんざいく)()()りで、これは姫五葉キィズリの草を()しているな。子孫繁栄(しそんはんえい)とかの意味がある。一般的(いっぱんてき)模様(もよう)だが、浮き彫りは(うで)が必要だし、これは仕事が丁寧(ていねい)だ。鐺の(もん)は……これも良い仕事だが、何の紋かは、わからん」


「刃が、抜けないんです。どうにか出来ませんか」


と、ユナが言うと、


「こんな()れ方は、普通ないが……よっぽど強い力で、(つか)から(ねじ)り折られたか。刃を取り出すんなら、鞘の口金(くちがね)(ねっ)して戻し、刃の(ゆが)みを無理矢理(むりやり)直せば、あるいは。な」


鍛冶屋は、ちょっと待ってろ、と言い、奥へ入っていった。


ごぉっ、という炎をあおる音が、しばらく続いた。


女房が、ユナに、思い出せなかったことを、改めて()びていると、鉄を(たた)く大きな音で、(さえぎ)られた。


何度も何度も、鉄を叩く音がして、やがて止んだ。


鍛冶屋が、奥から出てきた。


火挟ひばさみの先に、抜き取った刃を持っている。


「まだ熱いぞ」


と言いながら、刃を帳台の上に置いた。


(めい)も無いし、()がれてもいない。ただの鉄だ」


鍛冶屋は、火挟で、刃——いや、鉄片(てっぺん)の先を、とん、と叩いて言った。


「鞘は、良い作りだがなぁ」


鍛冶屋が、()しそうにしている。


「そんなこと、あるんですか」


ユナが聞くと、鍛冶屋は


「いや、ねぇな」


と返した。


「ちょっとあんた」


鍛冶屋の女房が、夫を小突(こづ)いた。


鍛冶屋は、妻の目で察して、奥に入ると、鞘を持って戻り、それも帳台の上に並べた。


女房は、わからないけどさ、と前置(まえお)きしながら、言った。


「これなんだけど、あたし、見たことあるかもしれない」


そう言いながら、鐺の紋を指差(ゆびさ)した。


「店を(かま)えてすぐの頃だから、もうずいぶん前になるけど……店に来たばあさんが、こんな模様の襟留(えりど)めをしてた。(えら)そうに指図(さしず)するし、嫌な感じでさ。お()きの若い女がいて、それも同じ襟留めをしてた。ヒイノ国から来たって。で、今すぐ馬車(ばしゃ)を直せ、夜市(よいち)に間に合わない、馬車は街の入り口だ、とか言うもんだから、怒って()い返したんだ」


「その頃、お前、ずいぶんこの話をしてたな、そういえば」


と鍛冶屋が(あき)れた顔をした。


「だって、あんまり態度(たいど)が悪いもんだから」


と女房は、また怒りを思い出したように、答えた。


「ヒイノ国……。そこに行くには、どうすれば良いでしょうか」


ユナは、たった一筋の手がかり、と言わんばかりに、身を乗り出した。


鍛冶屋の夫婦(ふうふ)は顔を見合わせると、女房が


「ずいぶん遠いさ、女一人で行こうなんて気を起こすんじゃ無いよ」


と、たしなめるように言った。


「こんな細い話を(たよ)りにされたら、こちらも困る」


鍛冶屋も続けた。


「そうですか……」


ユナは肩を落とした。が、目には、ぐっ、と力が入ったままだ。


「まぁ、代金(だいきん)はいらないからな。じいさんと兄さんのこと、災難だったな」


と鍛冶屋は、奥へ入ろうとした。


お代は払わせてください、とユナは、いくばくかの(ぜに)を女房に押し付けると、鞘と鉄片をしまい、礼を述べて、店を出た。


* * *


街の空は、すでに(かたむ)いた日差(ひざ)しに、(にご)り始めていた。


ユナは、宿(やど)を探し、二度、三度と路地を間違えた末、ようやく、一軒の古い宿に入った。


寝床(ねどこ)があり、(かぎ)がついている——それだけで十分だった。


小さな部屋に通され、荷を下ろした瞬間(しゅんかん)、背中が重く沈んだ。


ぎぃ、と軋む木製(もくせい)の寝床の上に転がり、天井(てんじょう)はりを見つめた。


明日からは、祖父と兄を探しながら、ヒイノ国を目指そうか……。


路銀(ろぎん)が尽きたら、どうしようか……。


ユナは、ひとしきり煩悶はんもんしたが、いつしか眠りについていた。


* * *


朝の街は、まだ眠っていた。


(あきな)いの店先には、すだれが半分しか上がっておらず、路地には人影(ひとかげ)もない。


石畳に残る夜の湿気(しっけ)が、革靴(かわぐつ)の底に冷たく吸い付いてくる。


短弓(たんきゅう)矢筒やづつに、目立たぬよう布をかけて(しば)った。


宿を発つ時、女将(おかみ)から、物騒(ぶっそう)だ、としかめっ面で言われたのだ。


人探しなら衛兵(えいへい)()め場だろう、と当たりをつけ、宿で聞いた場所を目指した。


* * *


街は、もうすっかり目を覚ました。


朝の炊事(すいじ)の煙や湯気(ゆげ)が、あちらこちらから、立ち上っている。


ユナは憤然ふんぜんとした様子で、(さか)を下りていた。


衛兵達は、酒を()んでおり、祖父やナギの話を聞くどころか、若い女が来たぞ、と歓声(かんせい)をあげた。


ユナをからかい、(しゃく)をしろと引き寄せ、(むね)を撫でまわす者までいたのだ。


ユナは必死(ひっし)でそれを振り払い、隊商(たいしょう)が集まる広場(ひろば)だけをなんとか聞き出し、(はや)し立てる声を背中に受けながら急いでその場を去った。


弓と矢に、布なんか、被せなければ良かった、と()やんだ。


歩きながら、怒りが徐々(じょじょ)(おさ)まってくると、周りの景色が、見えてきた。


広場は、坂の下にあり、隊商の馬や荷車、どのような一団(いちだん)がいるのか、ユナの位置からは、よく見渡(みわた)せる。


どうやら、この広場は、街を訪れる隊商や旅人(たびびと)を、一手に引き受けているようだ。近づくにつれ、喧騒けんそうと、(ほこり)っぽい、乾いた匂いとともに、美味しそうな(かお)りも(ただよ)ってきた。飯場(めしば)も、それなりにあるらしい。


ユナは飯場の近くで荷を縛っている、旅装束(たびしょうぞく)の女に声をかけた。


自分より少し年上(としうえ)だろうか、若く、(するど)い目をしている。


「何?」


「あの、ヒイノ国に向かう隊商を探しています」


女は、(あご)で、奥を指した。


「ここはみんなキナ国行きだ。今、ここからヒイノ国に行くなんて、そんな(やつ)はいない」


「それは……なぜでしょう」


ユナが聞くと、女は荷を縛り終え、ため息をついた。


国境(こっきょう)警備(けいび)が厳しいって、そう聞くんだ。厳しいのは、こっちのティルマ国側らしいけど、よくわかんない。ま、あっちは商いも少ないから、いいんだけど」


「もう少し話を聞きたいんですが、実は、まだ朝を食べてなくて。隣で一緒にどうですか?」


と、ユナが飯場を指した。


女は、顔を明るくした。


「あたしもこれからだ。でもここは」


と、首を振り、


「だめだよ。向こうへ行こう」


と、広場の隅を見た。


だめだ、と言われた飯場の店主(てんしゅ)が目を()くのを、知らぬ顔で、女は、広場の隅へ、ユナを(うなが)した。


* * *


「待たせたね、はい、これ」


旅装束の女——ギサは、粗末(そまつ)(つくえ)の上に、とん、と(ぼん)を置いた。


盆には、西餡シォンが四つ載っていた。


「これ、好きなんです」


思わず、ユナが(はず)んだ声を出した。


「そうかい、あたしもだよ」


と、ギサは笑った。


広場の隅に来るまで、簡単な自己紹介(じこしょうかい)は済ませていた。


ギサは、叔父(おじ)について、旅商(たびあきな)いをしているそうだ。


「叔父さんは、決めている商いがあってさ、大店(おおだな)にも常客(じょうきゃく)がいるし、その順序(じゅんじょ)で、売ったり、買ったりしていれば、危ない商売(しょうばい)じゃないんだ」


「わたしは、畑と狩りだけで……。ナユロという村で育ちました」


「で、ユナは家族を探してる、と。(おだ)やかじゃないね、神隠(かみかく)しなんて」


言い終えると、ギサは、西餡を二ついっぺんにほうばった。


「兄は、ヒイノ国に行ったのかもしれない。もしかしたら、祖父も。でも、どうすれば良いのか」


ユナは、西餡をちぎりながら言った。


「叔父さんは、キナ国の(みやこ)まで行って、ヒイノ国の端に寄ってから、またキナ国経由で、こっちに戻るんだ。だから、遠回(とおまわ)りで、それにヒイノ国の端で良ければ、うちに来れば良い。くっつくだけなら、叔父さんも、そんなに払えなんて言わないと思うよ」


「ありがとう。もう少し、ヒイノ国に行く人を探してみて、その後で決めて良いですか。夕方までに、決めます」


ああ、いいよ——と、ギサが言った時、


「おまちどう」


と、(ふた)のついた汁椀(しるわん)が二つ、運ばれてきた。


「これはさ、風大麦ナルソル(かゆ)でさ、西餡の後に食べると、美味しいんだ」


ギサは、早速(さっそく)蓋を二つとも取ってしまうと、木匙(きさじ)を放り込み、自分の分を食べ始めた。


ユナも(さじ)に粥を(すく)うと、鼻に近づけた。


ふっ、と(さわ)やかで甘いにおいが、湯気から立ち上る。


口に入れると、とろり、と舌の上を柔らかな麦粒(むぎつぶ)が転がり、みずみずしい(かお)りが、鼻に抜けてくる。


「美味しい……」


「な、こっちに来て良かったろ」


ギサは、当然、という顔で言った。


ユナは、頷きながら、粥と(あん)交互(こうご)に食べた。


(かさ)なり方が異なると、より複雑(ふくざつ)な味わいとなる。


餡の酸っぱさと苦さが、粥で舌全体に広がり、その後で鮮烈(せんれつ)な甘さと、爽やかな花の香りが、口の中を満たした。


「西餡が苦いから、粥がもっと甘い」


ギサは、さっさと食べ終えて、満足(まんぞく)そうに言った。


ユナの粥は、まだ半分残っている。


「一緒に食べても、美味しいです」


ユナはそう微笑(ほほえ)み、粥の残りを(たい)らげた。


「じゃあさ、夕方には、この広場に居るから。声かけてよね。何人か道連(みちづ)れもいるから、気兼(きが)ねはしないよ」


ギサとユナは、それぞれ自分の分を支払(しはら)い、別れた。


* * *


(なわ)が、高い音で鳴った。


坂の上、広場を見渡せる宿の窓から、浅紫(あさむらさき)の服と白い布——ユナが動き回っているのを、見下(みお)ろしている男がいた。


目は細く、長身(ちょうしん)。手で縄を(もてあそ)んでいるが、まるでそれは生き物のように、うねうねと形を変えていく。


やがて、日の落ちる頃、男の姿は、もう窓辺(まどべ)にはなかった。


* * *


ユナは、結局、ギサの隊商についていくことに決めた。


一日中、祖父や兄の行方(ゆくえ)と、ヒイノ国への行き方を(たず)ねて回ったが、成果(せいか)はなかった。ヒイノ国への単独行(たんどくこう)も考えたが、聞いて回るうちに、地図(ちず)案内人(あんないにん)なしでは無謀(むぼう)だと(さと)った。


夕刻、広場でギサはすぐに見つかった。


初めに会った場所で、待っていてくれたのだ。


「叔父さんには、言ってあるんだけど、自分で話してくれる」


と、ギサが、奥からこちらを気にしたそぶりの、優しい顔立(かおだ)ちの中年男(ちゅうねんおとこ)を、指差した。


「叔父さんは、ジュウビって名前(なまえ)


ユナは、服の埃を払い、髪を手櫛(てぐし)で後ろにかくと、男に近づき、声をかけた。


「ジュウビさん、初めまして。ナユロ村のユナです。今朝、ギサさんにお会いした者です。ヒイノ国に行きたいのですが、キナ国から入る予定(よてい)があると伺いました。そこまでご一緒させてくださいませんか」


「おお、おお。ギサから聞いとるよ。可哀想になぁ。家族がいなくなったとか」


ジュウビは、顔に十分な同情(どうじょう)の色を見せながら、言った。


「それでな……ユナさんを()れに(くわ)えるかは、事情(じじょう)を聞いてからで良いかね」


「はい、もちろん」


ユナは、これまで自分に起きた話をした。


父母(ちちはは)はもう()を去っていること、一昨年、兄がいなくなり、先日突然戻ってすぐに消えたこと。続いて祖父が消え、もしかしたら、()()られたかもしれないこと。今は、自分が兄と祖父を探している……


ジュウビの同情の色が、より濃くなってゆく。


ユナは、話しながら、自分はなんて不幸(ふこう)なんだ、と感じた。


こんなに家族がいなくなるなんて、尋常(じんじょう)ではない。


だが、ユナは、ジュウビの体が、強張(こわば)っていることに気づいた。


疫病神(やくびょうがみ)を連れてはいけない、というジュウビの心の声が、聞こえた気がした。


「一緒に行こうよ」


ギサが、突然、割って入った。


「叔父さん、ねぇいいでしょう。人助(ひとだす)けってだけじゃない、(とし)の近い人がいなくってさ。あたしも道中楽しくなりそう」


「いや……うん、まぁ、それはそうだろうが」


と、ジュウビは、なお逡巡しゅんじゅんしている。


ユナはまっすぐにジュウビの目を見て、言った。


「弓を使えます。隊の助けになれればと思いますが……少なくとも、自分の身は守れます。何か粗相(そそう)があれば、いつでも置いていって構いません。お願いします。同行(どうこう)させてください」


ジュウビは、少し間を置いてから、ふっ、と、体の力を抜いて、柔和(にゅうわ)表情(ひょうじょう)をつくった。


「わかった。着いてきなさい。道連れには、道を知っているかに関わらず、案内料(あんないりょう)をもらっている。それと、護衛士(ごえいし)に払う報酬(ほうしゅう)は、分担(ぶんたん)してもらっている。水と食べるものは自分で用意(ようい)してもらうが、多少(たしょう)は荷に余裕(よゆう)を持たせているから、そこから買ってもらってもいい。それなりの()をつけさせてもらっているが、そこはわかっておくれ。自分の商売で荷を乗せたいなら、さらにお代をもらってるが、それはないね?」


「はい」


「あとは、馬車や積荷(つみに)が泥に入ったり、動かなくなった時に手伝うこと。隊全体のために、何かあれば働くこと、だ」


「わかりました。お約束(やくそく)します」


と、ユナは答えた。


「払いは先で、ギサにしておくれ。うちの金庫番(きんこばん)だからな。出発は明日朝だ。うちの連中と、他の道連れには、その時に紹介(しょうかい)しよう。日の出には、ここにいておくれ」


「わかったよ、叔父さん」


ユナが答えるより早く、ギサが明るい声で答えた。


「さ、今日はあたしと一緒にいよう!美味しい店が、坂の上にあるんだってさ」


と、ギサは、ユナを引っ張った。


ユナは、ジュウビに礼を言い、ギサに(うで)を取られながらも、兄と祖父の失踪(しっそう)に、自分も何か(かか)わりがあるのかという、これまで思ってもみなかった不安(ふあん)に、(おそ)われていた。


* * *


ギサが案内(あんない)したのは、坂の上にある、すすけているが大きな飯屋(めしや)だった。


戸を開けると、すでに満席(まんせき)に近い。炭の匂いに満ちた空気(くうき)が、肌を(つつ)む。注文(ちゅうもん)や話し声、食器(しょっき)の音などが一体(いったい)となって、わーん、と鳴っている。


「入れて良かったよ。(なら)ぶの嫌いでさ」


ギサが、周囲(しゅうい)に負けないように大声(おおごえ)を出すと、奥の、わずかに空いた(せき)に着いた。


ギサも初めて来たようで、あたりを興味深(きょうみぶか)そうに(なが)めたあと、注文は一番人気を聞き、それに決めていた。


()もなく運ばれてきたのは、(くし)が打たれた肉だった。うっすらと焦げ目がつき、塩が光っている。()えられた青菜(あおな)は、何かに()けたものらしい。


ユナは串を持ち上げ、ひと(くち)かじった。


塩がちりりと舌に(ひび)いた後、()けた(かわ)(こう)ばしさが広がり、肉は、ほどけるように柔らかかった。


「これは、いいね」


ギサは喜色きしょくを露にして、踊り出すかと思うほどだった。


ユナは、食べながら、じわりと腹が(あたた)まり、一日の疲れが抜けていくのを感じていた。


だが、それと同時に、どこか深いところが冷たいままだった。


もしかしたら、自分の周りに不幸が起きるのか、自分も消えてしまうのか……。


考えるのをやめるように、肉をもうひと串、頬張ほおばった。


* * *


日はすっかり落ちていた。


腹一杯に食べ終えた二人は、所々(ところどころ)の家から()れる光を頼りに、路地裏(ろじうら)を戻り、坂を下った。


広場の一角には、隊商の荷馬車(にばしゃ)がすでに()められていた。荷の横に、布を張っただけの寝床が並び、焚き火の(あか)りが、小さく揺れていた。


「さっきは店がうるさくて、あんまり話せなかったしさ、ここで一緒に寝よう」


ギサの寝床は、布地(ぬのじ)が厚く二重(ふたえ)になっており、地面から少し離れている。荷袋(にぶくろ)(まくら)代わりにして、もう一つの布で身体(からだ)を包めば、夜の寒さはしのげそうだった。


「ほら、こっち」


ギサが身をずらすと、ユナもそこに腰を下ろした。


空には、暗い雲がわずかに流れていた。


風は止んでおり、遠いはずの小さな焚き火の熱が、じんわりと背に伝わってくる。


ユナが、短弓と矢筒を置く場所に困っていると、


「弓、使えるなんて、すごいよね」


と、ギサが言った。


ユナは、結局それらを地面に(じか)に置いて、わずかに首を振った。


「山育ちで……狩りもあるし、遠当(とおあ)てが多かったから」


「遠当て?」


「言い争いや()め事の決着(けっちゃく)をつけるのに、弓で(まと)()つの。どちらが正しいかって。だから、子どもの(あそ)びも、喧嘩(けんか)仲裁(ちゅうさい)も、遠当て。(まつ)りの時も(きそ)い合いをする」


「はー、面白いね。それって上手(うま)い人が正しい、ってことになるけど、それでいいのかな」


ギサは、枕がわりの荷袋の、形を(ととの)えながら言った。


「それは、実際(じっさい)に、そんな(あらそ)いはなくて……。だから、不公平(ふこうへい)だ、みたいなことは起きない」


ユナは、答えながら、本当にそうだろうか、と考えてから、遠い記憶(きおく)を呼び覚ました。


「でも、昔、祖父が村長(むらおさ)に遠当てで勝ったことがあるのを、(おぼ)えてる。何の争いだったんだろう……」


「え、まさか、(うら)んだ村長にさらわれた?それなら、村に戻る?」


ギサは、寝床で()びをしてから、そう言った。


「それは違う気がする……。村に(かく)れるところなんてないし、村長に会った時、祖父や私を心配(しんぱい)してたと思う」


「そう……。明日から、(みち)すがら探せば、何かわかるかも」


「うん、ギサ、ありがとう」


ユナは、焚き火と、ギサの(あたた)かさを感じながら、目を閉じた。


やがて、ふたりの寝息(ねいき)が、焚き火の音に混じり合った。


* * *


翌朝。


空には薄明(うすあか)かりが、差しはじめていた。


ギサが先に目を覚まし、寝返(ねがえ)りを打った拍子(ひょうし)に、ユナも(まぶた)を開けた。


周囲では、既にいくつかの人影が動いていた。荷の確認をする男、馬の口元(くちもと)を撫でる男……。


ユナは、ギサに旅の費用(ひよう)を支払い、()け取り(じょう)を背負い袋の中に入れ、他の荷も確認してから口を()め直し、短弓と矢筒を合わせて背負った。


布に包んだ鞘と鉄片、そして木箱が、静かに重みを伝えてくる。


それを感じながら、ユナは()になり始めた隊商の人々に加わった。


まだ朝の霧が、薄く残る広場。


輪から一歩中に進み出て、ジュウビが声を(はっ)した。


「ジュウビだ。みな、おはよう。我々はここから交易都市(こうえきとし)ワダンを経由(けいゆ)して、(みやこ)ケルゲンを目指す。順調(じゅんちょう)に進めば、ワダンでは、夜の星市(ほしいち)での取引(とりひき)が出来るだろう。荷は多いが、みなの力で、遅れないように協力(きょうりょく)しあおう。そこまでの顔ぶれは、これで全員だ。一人ずつ、名乗(なの)ってくれ。みな、名前と顔を一致(いっち)させておけ。旅の仲間(なかま)だ。助け合おう」


おう、と、男たちが、低い声で(おう)じ、順に名乗った。


ジュウビの手の者が、ジュウビとギサを入れて十人、幅の広い大きな(けん)を背負った護衛士が一人、道連れがユナを含めて四人。女は、ギサとユナだけだった。


馬は()ぶりで足の太い、赤角馬サグタスが五頭で、それぞれ荷車を引いている。ジュウビの手の者が、手際(てぎわ)よく(れつ)を整えた。


隊商の先頭に立ったジュウビが、短く声を発した。


「行くぞ」


馬のいななき、車輪の軋み、靴の音。


それらが、街の石畳を鳴らしながら、ゆっくりと進み出した。


ユナは最後尾(さいこうび)で歩き出した。


ほんの数日前まで、ナユロ村で暮らしていた、あの日々が、まるでこの霧のように(うす)れていく。


ぼんやりとした霧の向こうは、鈍色にびいろの空で、()()は見えなかった。


* * *


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