幻と言葉の火矢(8)
あの後、羽生教会に帰った。歩香の顔色はだいぶ良くなってきたが、目元は暗い。礼拝堂の隅に座り、猫の毛玉を撫でていても変わらず。
もう夜だった。牧師やノラはもう眠ってしまった模様だが、歩香は眠れないらしい。もちろん、そんな歩香を放置できず、唯子も尋人も側にいた。
「ナァ」
もちろん猫の毛玉も。小さな鳴き声が響いた時、歩香は事情を語り始めた。
「なんか日本の教会とかクリスチャンって過剰に優等生キャラとか聖人君主であることを求められてない?」
歩香のその問いは、唯子も心当たりがあった。ヤヨイの件を思い出す。確かに日本ではクリスチャンの数は少ない上、メディアやエンタメのイメージから過剰に良い人のように扱われている印象はある。実際、尋人も頷いていた。
「わたしも小さい頃からそうだった。それで、ちょっとでも人間らしい部分を見せるとさぁ、失望されたり、今日のレオみたいなことよく言われたなぁ。元カレにも言われたもん。喧嘩したら、敵を愛するんじゃないの? 愛の宗教とか言ってるくせにって」
そう語る歩香はため息まじり。どうやらレオが向けたような言葉は長年、歩香を苦しめていたらしい。
「古民家の近所の連中にも言われたわ。ちょっと騒音がひどい人がいてね。辞めてって言っただけなのに、優しくない。聖人じゃない。クリスチャンなのに愛がないって言われたわぁ……」
歩香のため息は苦い。
「それで一生懸命、いい人になろうと頑張ったりもしてたけど。ダメね。わたしは神様じゃない。弱い。全然聖人君主じゃないわよ」
「歩香、もう自分を責めるな。聖書にも聖人君主になれとか書いてないだろ。っていうか、そんな世間の声とかどうでもいいじゃないか。他人の顔色を伺っているの苦しいだろ?」
今の尋人の声はやけに優しい。
「実際、日本の教会は優等生キャラ、いい子ちゃんキャラを求めすぎだよな。世間体気にしているのかなんだか知らんが」
「尋人さんは気にしなすぎですよ? っていうか歩香さん、尋人さんみたいな変な人がいるんですし、本当に気にしない方がいいかもです!」
「ちょ、リス子。俺を変人扱いするのか?」
「変人ですよ。自分のことをオカルト牧師なんて言うなんて」
唯子と尋人のやりとりを見ていた歩香。ついに吹き出していた。
「はは。そうね。尋人さんみたなオカルト牧師がいたって忘れていたわ。そうね。わたし、自分の理想も高かったのは、世間体にも縛られていたのかも」
笑っている歩香の目は明るくなってきた。
「そうね。もうわたし、いい子ちゃんも優等生もやめようかなぁ。なれないもん。所詮神様じゃないし、完璧な聖人君主になるとか無理だったわ……」
完全に肩の力が抜けていたらしい。歩香は猫の毛玉の背中を撫でながら、古民家の問題も解決できるんじゃないかと前向きだった。
「そうだ。もう解決できるぞ。それに、レオが向けた言葉も霊的な攻撃だ。聖書でいう言葉の火矢ってもんだよ。まともに聞くな。聞いたとしても聖書の言葉を言ってキャンセルしろ」
「え、尋人さん。もしかして何か人に悪いこと言われても聖書の言葉で守られたりするの?」
それは初耳だった。唯子も身を乗り出し、聞いてしまう。
「そうだ。例えばお前なんて愛されていない、価値がないって誰かに言われたら、聖書の愛の言葉を宣言するんだ。相手の言葉の攻撃をまともに受けるな。聖書の言葉でキャンセルして無視しろ」
ここで尋人は霊的な言葉の法則も教えてくれた。神の言葉、つまり聖書の言葉が一番強いらしい。いわゆる言霊と言われているものと近いようだが、これで全部キャンセルできるらしい。
「また親が子が言う言葉、権力者が国民に言う言葉もそこそこパワーはある。言葉の力は権威によるからな。昔の権力者が歌を詠み、平和を祈っていたにも権威によって言葉の力が変わるとどこかで気づいていたからだろう」
「尋人さん、待ってよ。だったら親に言葉の暴力を受けた場合とかは?」
歩香も身を乗り出し聞いていた。
「それも聖書の言葉で無効化できる。親や権威者の言葉であっても、神様の言葉、つまり聖書が一番強いわけだから」
「だったら……」
歩香はそんなこと知らなかったと絶句していたが、すぐに姿勢を整えて祈っていた。先程のレオの言葉を聖書の言葉でキャンセルするような祈りの言葉だった。
「あれ。おかしいわ。もうあのレオっていう霊媒師が言った言葉を思い出してもなんとも思わない。っていうか、忘れてきた。何これ、これも一種のエクソシストみたいなものなの?」
尋人は答えない。ここで安易に答えを与えたくないのかもしれないが、もう歩香の目は完全に明るさを取り戻していた。
「それにレオもきっと本心で言ったんじゃないだろう。レオの背後にいる悪霊が言わせた言葉だ。目に見える血肉に対抗しても仕方ないだろう。レオを責めても叩いても解決しない。問題は霊だ。あの男の背後にいる悪霊をイエスの御名で縛る!」
そう尋人が祈った瞬間だった。唯子のスマホに宮乃から連絡がきた。レオも言いすぎたと反省しているらしい。先程、レオからの謝罪の言葉もあったという。
それを報告すると、一同顔を見合わせた。
「え、なにこれ? これも一種のエクソシストみたいなもの?」
歩香は戸惑っていたが、すぐに顔を上げた。
「大丈夫かも? 古民家のエクソシスト、わたしたちでリベンジできるんじゃない?」
歩香の言葉に唯子も尋人も深く頷く。
「ミャオ!」
猫の毛玉も元気よく鳴いていた。




